日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」よりimg13670_140908-01title.JPG 940×650 ピクセル←こちら、画像あります
■朝鮮總督府官吏 最後の証言 (シリーズ日本人の誇り10)http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4434194453
桜の花出版から8月15日に発行された良書です。 日韓併合時代の朝鮮の新たな真実をまたひとつ知ることができました! そして、なぜだか泣けてきました…。 1933年〜45年の間、朝鮮總督府江原道(こうげんどう)の地方官吏(役人)であった西川清さんに、編集部が2014年3月に合計20時間以上にわたり取材した内容がまとめられています。
冒頭の画像、右側(裏表紙)は、1934年、官吏仲間と楽しく花見をする西川清さんの写真です。 右から2人めが西川さんです。 大和系日本人と朝鮮系日本人が仲良く肩を組んでいます。 来年で終戦から丸70年。 日韓併合時代の朝鮮を知る方で、ご存命の方はまだ多くおられると思います。 が、それはあくまで民間人として生活をされていた方です。 朝鮮總督府の中で役人として働いていた方の証言となると、もはやほとんど得ることが難しいのが現状です。 編集部も、そして西川さんご自身も指摘されているように、日韓併合の実態を行政側から解説できる朝鮮總督府官吏としての証言は、おそらくこれが最後でしょう。 そういう意味でも、大変貴重な本です。 西川さんの証言は大変リアルで具体的、しかも生き生きとした語り口なので、私はまるで当時の朝鮮にタイムスリップしたような気分になりました。 西川さんが提供された写真や書類(当時の辞令など)も、多数掲載されています。 編集部による資料、コラムもとても充実しています。 西川さんの写真には、職場の仲間たちと撮影されたものが多くあります。 日本人と朝鮮人が一緒に仲良く写っているものばかりです。 シチュエーションは、仕事場、花見、懇親会、野球チームなどさまざま。 ちなみに野球は、なぜか朝鮮人と日本人の混合チームが一番強かったそうです。 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img13671_140908-02hanami.JPG [本書掲載写真の1枚。春川神社での花見です。頼んだ芸者さんは着物姿の日本人とチマチョゴリを着た朝鮮人女性が混在しています]
【西川清さんの経歴】 西川さんは和歌山県の林業学校を卒業後、朝鮮に就職が決まりました。 この仕事は校長先生が探してくれたものだそうです。 初めて見た朝鮮の街は日本の街と比べてあまり変わらなかったので、特別の感慨はなかったと、西川さんはおっしゃっています。 郷里の和歌山から釜山、京城(現ソウル)から江原道の春川へ行かれたのですが、日本と特に変わらなかったと。 町を歩く人が朝鮮語を話していると、「ああ、他国に来たのだなあ」と思われたくらいだったそうです。 朝鮮で最初にされた仕事は、植林でした。 当時、釜山や京城など街の周辺の山は「禿山(はげやま)」だったのです。 官吏養成所ができた時、朝鮮總督府から入所生の募集があり、西川さんはこれを受け、江原道を代表する5人の中に選ばれました。 5人のうち2人は朝鮮人で、一緒に勉強されていた西川さんは、「朝鮮人はこういう文系のことは本当に頭が良い」と感心されたそうです。 昭和12年に官吏養成所を卒業された西川さんは、朝鮮總督府の江原道属(正式な官吏)に任命されました。 当時の日本の若者は皆、20歳で徴兵検査されています。 西川さんは昭和13年に臨時召集により、1年間入隊されましたが、「内鮮一体」にもかかわらず、朝鮮人が召集されないことを不思議に思われたそうです。 ちなみに朝鮮人に徴兵制度が適用されたのは昭和19年で、訓練中に終戦を迎えています。 朝鮮人にも徴兵が行われたことを西川さんが知ったのは、戦後になってからだそうです。 西川さんは、江原道では金剛山の仕事をされていました。 内金剛から外金剛に電話線を架設する仕事です。 金剛山が好きだったので、内心とても嬉しかったそうです。 また、地元の人々が金剛山の管理、保護をしていけるようにと、財団法人を作る仕事もされました。 名前は「金剛山愛護団」で、地元の朝鮮人が職員となり、地元の人が金剛山保護をするというものです。 内金剛・外金剛合わせて団員は朝鮮人100人くらいだったそうです。 財団法人の初団式には、總督を招くことになりました。 西川さんが總督を直接見かけたのは、12年間でこの1回きりだったそうです。 この初団式に関しては、とても興味深いお話があります。 江原道の知事(朝鮮人)が読む式辞を、西川さんが考えることになりました。 ところが、上司である係長(日本人)が、表現がきついとして、柔らかく文章を変えてしまったのです。 その上の課長(日本人)も、部長(朝鮮人)も、そのまま判を押してしまいました。 部長は特に西川さんのことを可愛がってくれていたので、直してくれると思ったのに、直してくれず、西川さんは「せっかく考え抜いた肝心な部分が骨抜きにされてしまった。もうだめか」と思われたとのこと。
ところが、なんと知事(朝鮮人)が、西川さんの文面に筆で「原文生き」としてくれたそうです。 どうしても西川さんが入れたかったその文言とは……、 ここでは内緒にしときます(^_^; どうぞ本書で実際にご確認下さい。 ちなみに、この時の知事を西川さんは日本人と記憶されていましたが、資料では朝鮮人となっていました。 「当時は、日本人とか朝鮮人とかそんなことは、どちらでもよくて、あんまり意識していなかったので、記憶に残っていないこともあります」と西川さんは話されています。 その後、寧越郡の内務課長となられた西川さん。 群守が一番偉いのですが、どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人でした。 西川さんも朝鮮人の郡守の下で働いていたことになります。
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