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震災から4年
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[ rar*f*en*hss ]
2015/2/2(月) 午後 6:10
私の書き込みちゃんと届いてますか(v`▽´)v
やっぱりブログの初コメントって緊張しますね。。。
個人的な事から書いてしまうんですけど、ずっと嫌なことが続いていて、正直何度か挫けそうになったんです。
でも、コバさんのブログを拝見してからは、頭でっかちにならずに、一度初心に返ってみるのも大切だと思いました(=^_^=)
うまくいえないけど、私が中学校の頃に読んでいた小説家さんの文体に似てるんですよね。
あとは着眼点とか。
そういう忘れかけた大切なのを思い出させてくれるブログでした。
おかげで、すごく前向きになれたし、また頑張ろうと思えたのも本当です(+´∀`+)
よかったら私の悩みを一つだけ聞いてもらえませんか。
つまり相談に乗って欲しいんです。
koikaren@i.softbank.jp
私の直接の連絡先なんですけど載せます。
コバさんからの連絡待ってます\(○^ω^○)/
琉球王国と倭寇
沖縄
[ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]
2013/7/13(土) 午後 1:26
後期倭寇は沿岸部の有力郷紳と結託し、後期にはポルトガルやイスパニア(スペイン)などのヨーロッパ人や、日本の博多商人も関わっていた。
後期倭寇の頭目には、中国人の王直や徐海、李光頭、許棟などがいて、王直は日本の五島列島などを拠点に種子島への鉄砲伝来にも関係している。
1547年には明の将軍である朱紈が派遣されるが鎮圧に失敗し、53年からは嘉靖大倭寇と呼ばれる倭寇の大規模な活動がはじまる。
こうした状況から明朝内部の官僚の中からも海禁の緩和による事態の打開を主張する論が強まる。
その一人、胡宗憲が王直を懐柔するものの、中央の命により処刑した。
指導者を失ったことから倭寇の勢力は弱まり、続いて戚継光が倭寇討伐に成功する。
これに伴い、明王朝はこの海禁を緩和する宥和策に転じ、東南アジアの諸国やポルトガル等の貿易を認めるようになる。
但し、日本に対してのみ倭寇への不信感から貿易を認めない態度を継続した。
これが豊臣秀吉による文禄・慶長の役の一つの伏線となる。


