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先週の土曜日は、189系の団体臨時列車シーハイル上越に乗車していました。高崎駅から記念弁当が積み込まれて各号車に配っていました。弁当が配布された時に添乗員さんが起こしてくれました。今回の記念弁当は183系シーハイル上越時代のヘッドマークがデザインされた掛紙でした。現実にはマークが取り付けられないので記念弁当で表してくれたのでしょう。本当に感謝しています。185系時代からはマークなしの臨時快速で終わっているので少し寂しいですね。後、お茶が1本付いてきました。
掛け紙を外して、弁当の中身は9つ分かれている弁当でした。小腹が空いていたのでお腹が一杯になるか不安でしたが、意外と満腹感が感じられる弁当でした。新町駅から少し眠っていましたが、高崎から弁当の積込は少し遅い朝食になりました。
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2017年02月09日
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京都鉄道博物館に行き貴重な581系や583系の資料などが展示してありました。583系と同じく20系時代にも客車3段式寝台もあり、昭和50年近くになると24系も2段式寝台が導入された時代でもありました。東海道新幹線0系が登場していても東京発着のブルートレインは10本以上の本数に当たります。走るホテルと言われたブルートレインも現代では全て廃止になってしまい、ビジネスマンの利用が比較的高かった東京〜大阪間の寝台急行銀河は両都市を早朝に着くことの利便性があっても廃止になってしまいました。当時新幹線も超特急などの愛称で呼ばれていて大阪まで4時間で結びましたが、今は2時間23分で大阪まで行くことが出来るので時代が進んだことが感じられます。
日豊本線には寝台特急みずほ、富士、などがありましたが、この当時は東京から丸1日かけて運転して南宮崎や西鹿児島へ入っていました。九州内は大分から先、非電化区間でもありDF50が牽引していました。ブルートレインは北斗星で最後でしたが、東海道ブルートレインの食堂車は1993年には全てなくなりました。国鉄からJRに民営化になると次々と寝台特急が廃止されるようになっていきました。特に東京から西鹿児島や南宮崎などを結ぶ列車は熊本や大分で区間廃止になりましたが、活躍は2009年まで続きました。
ブルートレインの牽引はEF65のイメージが強かったですが、途中でEF66型に変わりスピードアップを図りました。半世紀に渡り活躍して生きたブルートレインですが、唯一乗りたい列車が有りました。581系と583系で運転された彗星や明星などはそうですが、唯一24系で紀勢本線を経由して紀伊勝浦まで結んでいた寝台特急紀伊号です。非電化区間を走るためDD51と牽引は圧巻されそうです。最近DD51が24系を牽引したのが、北上線経由で運転されたあけぼのです。もう1度乗車してみたいです。
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