ケニア宣教師-田辺寿雄・宣恵のブログ

ケニアでの働きを締めくくり、帰国しました。

説教・講義・随想メモ

[ リスト | 詳細 ]

私の説教やクラスの講義、小グループ用教材、デボーションからのレッスンなどの要約を不定期で掲載します。教会で使えそうなものがあればご自由にコピーしてお使い下さい。
記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

聖書が教える親の責任

日本語聖書の会・キャンプ
2009年12月27−28日

I.人の価値・いのちの価値
A.聖書は何と言っているか
 1.創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した」
 2.創世記1:26−27「そうして神は『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。』神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」
 3.出エジプト記20:13「殺してはならない。」
 4.詩篇139:14“I praise you because I am fearfully and wonderfully made; your works are wonderful, I know that full well” (Ps. 139:14).
 5.イザヤ書43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
 6.ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
 7.エペソ2:10「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリストイエスにあって造られたのです。」

B.意義・教えられること
 1.すべての人は神によって造られた。
 2.すべての命には価値、目的がある。
3.すべての人は神の愛の対象であり、愛されるために生まれてきた。
4.ひとりひとりが「特別なオンリー・ワン」

II.夫婦・家族
A.聖書
 1.創世記2:18「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしはかれのために、かれにふさわしい助け手を造ろう。」
 2.創世記2:24「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」
 3.出エジプト記20:12「あなたの父と母を敬え。」
 4.出エジプト記20:14「姦淫してはならない。」
 5.詩篇127:3「見よ。子どもたちは主の賜物。」

B.意義・教えられること
 1.夫婦・家族は神によって造られ、デザインされた。
 2.すべての子供は神様からのギフト。
 3.夫婦・家族関係は守られなければならない。そのために神様はルールをつくられた。
 4.神、夫婦、家庭がトップ3のプライオリティ。仕事奉仕はその次。

III.親の責任:IMPRESS
A.聖書:申命記6:1−9
 1.7節「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」
 2.「教え込みなさい」英語では”impress them on your children”

B.責任1:教えること
 1.単に教えるのではなく、impress=印象づける。
 2.親として、何を教え、印象づけることができるか?
  a)この場合は「神の命令」を守り、神を愛すること。
  b)クリスチャンにとって最も大切なことであり、祝福への道。
 3.親として、子供を幸せに導くために、教えるべきことを持っているか。
  a)一個の人間として、何を信じ、何を大切だと思うのか(価値観)。
  b)それをそのまま子供も受け入れ実行した時に、子供は幸せになれるのか。

C.責任2:模範になること
 1.impress=印象づけるということは、見てもらい、真似てもらうということ。
 2.親の生き様が教科書になる。
 3.子供は神様との個人的な関係を始める前に、まず親との関係の中で、親の権威の元に生きることを学ぶ。
  a)「父と母を敬え」(出エジプト記20:12)
  b)「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。」(エペソ書6:1)
  c)親に従うのは「子ども」の期間。成長しても両親を敬い続ける。
 4.子どもに真似されてもいい生き方(言葉と行動)を親はしているか。
 5.子どもは聞いて学ぶよりも見て学ぶ。”More is caught than taught.”

D.責任3:尊敬すること
 1.impress=印象づけるとは、強制することではない。
 2.印象づけるとは、子供を尊敬すること
  a)子供の価値を認める
  b)子供の個性を受け入れる
  c)子供の立場になって考える
  d)子供が自分の意思で親の価値観に生きることができる自由を与えること。
 3.エペソ書6:4「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。」
  a)「おこらせる」とは・・・苛立たせる、神経を逆なでする、(結果として)挫折感をもたらす。
  b)親はどのようにして子供を「おこらせる」か?

E.責任4:一緒にいること
 1.impress=印象づけるためには、見えるところにいなければいけない。
 2.見えるためには、一緒にいることが大切。
 3.申命記6:7…朝、昼、夜
 4.親の存在そのものもが子供への祝福
  a)神様は親に子供を与えられる。
  b)神様は子供に親を与えられる。
  c)子供が必要としている親は、決して最高の、完璧な、エキスパートのような親ではなく、そこにいてくれる親。

F.責任5:しつけ(discipline)、育てること(training)
 1.聖書
  a)箴言13:24「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」
  b)箴言19:18「望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。」
  c)箴言29:15「むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。」
  d)箴言22:6「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」 “Train a child in the way he should go, and when he is old he will not turn from it.”
  e)ヘブル12:5−11
   (1)6節「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
   (2)7節「父が懲らしめることをしない子があるでしょうか。」
 2.「しつけられずに育った子供の多くは、自分は必要とされておらず、大切な存在ではでないと感じる」
 3.しつけるとは、正しいことを教え、間違いを正すこと。
 4.育てるとは、正しいことが出来るように訓練し、将来へ羽ばたけるように成長を促す。

G.責任6:愛すること
 1.ルカの福音書15:11−24(放蕩息子の父親)
 2.無条件で誰かに愛されることは、すべての人が持っている根本的な必要。
 3.家庭での「恵み(Grace)」と「真理(Truth)」のバランス
 4.「だめなこと」vs「だめなこ」
 5.大切なのは、親が子供を愛していること以上に、こどもが「自分は親に愛されている」と感じること。

先週の土曜日からアーネスト・コリル牧師と奥さんのアン牧師がカボソンの我が家に泊まっています。

彼らはポコット族の住むカンゴレティアンというところで国内宣教師として奉仕していますが、かつてケニア・ハイランド・聖書大学で私達の教え子達でした。

土曜日、日曜日とも、夜遅くまで話し込むほど、楽しくまた熱く語り合っています。

日曜日の朝は近くの教会で、夜はカボソン牧師学校の夕拝でミニストリーの報告とみことばからのチャレンジをしてくれました。

月曜日は午前中3年生のクラスで講義、チャペルでは質疑応答のときを持ち、さらに午後4時のお茶の時間には、学生達と個人的に交わりの時を持ってもらいました。

彼らと話していて多くを学びました。特にご主人のコリル牧師にはリーダーシップ、人材育成の観点から幾つかのことを学びました。例えば、、、。

1.学び続けること
会話の中で何度も「・・・を読んでいてこれを学んだ。」と言っていました。彼は僻地に住んでおり、インターネットもありません。が学び続けている姿勢が会話のあちこちに垣間見られました。だから話しが尽きないように、色んなことを深く話せました。彼は聖書大学をでただけですが、セミナリーに言った牧師に負けないくらい、良く学んでいるなあという印象を受け、感銘しました。

2.教え続けること
現地の牧師達(17名)は1名を除いて皆小学校すら出ていません。つまり読み書きも出来ません。が彼らが丁寧にまた熱心に教え続けた結果、読めるようになったのみならず、牧師として説教もできるようになりました。年に何度もセミナーを開き、教え続けました。学んだことを教えることによりコリル牧師自身が成長し続けることができたと言えます。聖書の中でも説教すること、教えることは教会のリーダー達にとって中心的な務めであり、責任でもありました。

3.後継者を選び育てること
彼らはカンゴレティアンへ行ってまだ5年ですが、すでに上記の17名の現地牧師達が育っています、あるいは訓練中です。初めから彼らが去るときのことを念頭においての奉仕というわけです。そして現在17名の牧師達が現地リーダーとして選ばれ、定期的に、計画的に訓練を受けています。初めから「終わり」つまり彼らがさるであろう時のことを意識して奉仕が始まりました。まさにキリストの地上における奉仕と同じだなあと思いました。自分で伝道するよりも、人材育成により多くの時間とエネルギーを費やしています。

4.忍耐して待つこと
彼らから良く「忍耐する」「待つ」という言葉を聞きました。例えば、救われて間もない青年達が、教会の集まりの後に伝統的な(道徳的に怪しい)ダンスへと嬉しそうにして行くということがしばらく続いたそうですが、あえて無理やり止めさせることをせずに、本人達が自分で気づいて止めることを待つことにしたそうです。(そしてその通りになりました。)

ある男性クリスチャン達は、かつてレイダーズと言って他部族へ行っては物を略奪し、人を殺すことを誇りに生きていました。たくさん人を殺した人には特定の名前が栄誉として与えられるしきたりがあり、クリスチャンになってもその名前を誇りにしていたそうです。良くないなあと思いながら、しかしこれも忍耐して待つことにしたそうです、祈りながら。するとその男性達がやがて一人ひとり、「生まれ変わった自分にこの名前はふさわしくない」と昔の名前に戻していったのだそうです。

他にも話は色々ありましたが、言わないで気づかせる、それまで忍耐して待つ、という姿勢にはとても教えられました。

5.否定せず肯定すること
この話もたくさん出てきました。とにかく人そのものを否定せずにあらゆるやり方で肯定することに徹底しています。間違いを正す時もまず肯定と認識することからはじめ、ほめることを忘れない、という姿勢が見えました。

さらに、彼ら自身や取り囲む過酷な環境に対しても、消極的になるのではなくむしろ積極的な目で見る。特にチョイスという言葉を何度も使っていました。つまりどんなにたくさん問題やチャレンジがあったとしてもだからダメだとあきらめるか、環境のせいにして無理だと言うか、それとも「だけど」と言って少しの可能性、神様の可能性を信じて「大丈夫」「出来る」というかは本人の選択だと言うわけです。

以上、思いつくままに書いてみましたが、彼らのようなかつての教え子、そして同労者また友人が与えられていることに深く深く感謝するこの数日となりました。

彼らは13日(火)早朝のバスでカボソンを離れます。

完ぺき主義者でなくとも、人とはどうしても完全なものを求めてしまうものです。

完全なものを求める心は、元々人間の本能にインプットされているものと言えます。元々完全に造られた人間です。罪と罪の歴史によってすっかりその完全からはかけ離れた状態を生きていますが、キリストの救いにより、罪を歩む生活から成熟を目指す生活へと変えられます。例えば、全き愛、キリスト者の完全という信仰の歩みは聖書に記されており、そういう意味でキリスト教の救いとは、かつて無くしたものを取り戻す旅路に入れられることだとも言えるのではないでしょうか。

つまり、完全なものを求める心は、神様から与えられているというわけです。

だからこそ、完全なものなど世の中になくても、不完全なものの向こうに完全なものを見ることができます。それを期待することが出来ます。そして時にそれを実現することも出来ます。ですから向上心をもって、ポジティブに生きていくことは大いに可能なわけです。だから人は成長し続けることが出来ます。

しかしこの完全を求める心がマイナスに、ネガティブに働くと厄介になります。ないものを嘆いたり文句を言ったり、特に他人に向けられるともっと厄介で、人を採点し、批判し、裁いてばかり、ということになりかねません。

完全なものを求める心は、不完全なものに対する態度に表れます。それを克服し、完全を目指して成長しようと思える人は、不完全に対して積極的かつ肯定的な態度の人です。それとは対照的に不完全なものを嘆き、不平をいい、自分や他人をダメだしすることしか出来ない人は、不完全に対して消極的かつ否定的な態度の人です。

私達の周りには、自分自身を含めて不完全なものばかりです。そういう意味で置かれている環境は皆同じと言えますが、その不完全達をどう見るか、どんな態度を取るかで、天と地のような差が出てくると言えます。

あなたは、周りにあふれる不完全をポジティブにとらえていますか、ネガティブにとらえていますか?

終わりから始める

最近あるキャンプで、「キリストの再臨」について7回の講義を頼まれてやりました。自分で学んで準備して講義しましたが、教えた自分が一番恵まれたんじゃないかなあと思うくらい、ものすごく得をした気分でした。

キリストの再臨と一言で言っても、そこには空中再臨、大艱難時代、地上再臨、千年王国、大審判、そして新天新地と、たくさんの出来事が含まれており、さらには何回かにわたる死者の復活(信者と不信者の)があり、ハルマゲドンや偽キリストがあったりと、まさにたくさんの情報があるわけですが、色んな本の助けを借りて、生まれて初めて自分でしっくり来るまで学ぶことが出来て、やっと自分なりに納得できるようになった感じです。

終末論というと、どことなく恐れが先走るような所が自分の中にありましたが、今回学んでみて、終末論の学びは私達に希望をもたらすものであることに改めて気づきました。何も恐れることはない、心配する必要もない、希望を持って待っていればいいんだなあと。また、キリストの再臨に備えるとは、自分の死に対しても備えることであるということも学びました。

「終わりから始める。」これは、スティーブン・コービー氏の「7つの習慣」の第2の法則だったと思いますが、クリスチャン信仰にとても当てはまる法則だと思いました。

クリスチャンにとっての最終的なゴールは、キリストと永遠に過ごすことだと言えます。もっともっと世の終わりについて学び、理解し、そして希望を抱く。そこから、じゃあ今の時代をどう過ごすべきだろうか、と終わりから始める。何か問題、試練、課題にぶち当たった時も、終わりから見てどんな意味があるんだろうか考えてみる。誰かを助けようとする時も、終わりからの視点でその人を見ようとする。何かを選択する時も、永遠的な価値がそこにあるかどうかを考える。自分とキリストとの関係に益をもたらすのか、それとも害をもたらすのかと言う観点で物事の決断をしてみる。お金や時間の使い方、職業の選択、等など、「終わり」を意識しながら決める。

もう一つ改めて教えられたことは「終わり」は結果ではなく、私達の選択ということです。ですから、まず終わりの状態を選ぶ、そして今を見て、今やるべきことを選んでいく。終わりが分かれば、そこへ到達するために何をすべきかが(多くの場合)自ずと見えて来ると言うことです。

以前「神様から始める」という記事を書いたことがありますが、「神様から始める」生き方は、「終わりから始める」生き方でもあるんだなあと、ものすごく納得できました。

クリスマスはアドベントと呼ばれ、それに対してキリストの再臨はセカンド・アドベントと呼ばれます。クリスマスの季節は、キリストの再臨を思う最高の時と言えます。

NOVA創業者である猿橋氏が、クーデターのような形で社長職を解任になり、取締役(代表権なし)へ降格となりました。

リーダーシップの観点から少し興味を持ってニュースを読みましたが、猿橋氏のリーダーシップ・スタイルには優れた面もたくさんあることでしょうが、リーダーとしてやってはいけないことの典型的な兆候もいくつか見られます。

1.外的拡大のみを求め、内部スタッフ、講師へのケアが欠如していた
彼はアイデアマンで、そもそも英会話学校自体も、ちょっとした彼の発見とアイデアから始まったと聞いています。ビジョンに富んでおり、「これをやろう、次はこれ、やがてはここまでやってやろう」といった将来的展望で、どんどん教室数を増やしいったのでしょう。平成17年頃から講師の育成・補充が教室数の増加に追いつかなくなくなり、結果サービスの質が低下していったようです。

リーダーがビジョンを抱いて進もうとする時、そのビジョンは必ず会社の内と外の両方向を含んだものでなければなりません。外へ向かっての拡大と内側(特に社員)のケア、育成の充実の両方が必要なわけです。外側への拡大のみに重きを置いて組織が進む時、その勢いが去ると、多くの場合人材不足、次世代リーダーの欠如という事態が起こるようです。会社も、教会・教団にも起こりえます。

キリストは、弟子たちに全世界へ出て行って福音を述べ伝えなさい、と言って彼らを送り出しましたが、それまでに3年半かけて、寝食共にするようにして弟子たちを愛を持って育てられました。外だけでなく、外の前に、内から、のよい模範と言えます。

2.孤立したリーダーシップ
NOVAには普通の会社とは違い、人事や総務などの部署がないそうです。その分全ての事案が社長による決済を必要とする、不健全な構造になってしまいました。結果、決定には時間がかかり、決定に関しては他人が口出しできないような、お山の大将状態になってしまったのではないでしょうか。権限の一極集中化、部下の意見に耳を貸さない、あるいは取り巻きは何も口出しできないような裸の王様にもなっていたのではないでしょうか。

アカウンタビリティーという言葉がキリスト教界でもビジネス界でも使われ始めて久しいですが、まさに彼は自らをアカウンタビリティーのある関係の外にいつも置いてしまったわけです。特に彼は支配者タイプ、自由に好きなようにやりたい性格のようですから、それとはまた違ったタイプの性格の持ち主数名(例えば、もっと現実的な人、改善力のある人、同情できる人など)が彼の側近となって、経営すべきだったと感じています。

自分に同意しない人、自分の間違いを指摘してくれる人との関係はリーダーとしての成功の鍵とも言えます。

3.仕える姿勢の欠如
当然企業ですから、お金は儲かる方がいいに決まってますが、その大前提として、本当に人のため、人の成長と発展、最善のために尽くそうとしていたのかどうかは疑問です。NOVAを辞めたい生徒達への対応が随分と問題になっています。企業の利益やリーダーの野望が優先される間、その企業やリーダーは仕えるしもべとしてのリーダーシップが欠落しているといわなければなりません。しもべとしてのリーダーシップ、つまり本当に人の幸せを思い、人の役にたつことを願うサーバントリーダーシップ無しに、ビジネスの世界といえども本当の成功はありえないということです。

キリストも、仕えられるためではなく、仕えるためにこの地上に来られました。それは彼にとっては十字架にかかることであり、それによって私たち人間に救いをもたらすことでした。

4.信頼感の欠如
2.と少しオーバーラップしていますが、長年ワンマンリーダーとしてトップの座にいるうちに、側近、部下の心は少しずつリーダーから離れていったのではないでしょうか。だんだんと信頼されなくなり、結果的にクーデターが起こりました。クーデターが起こったのは、猿橋氏がそれほど部下の言うことに耳を向けなかった証拠であり、互いに信頼関係が崩れていた証拠といえます。もはや打開策も妥協案もなく、会話が不可能となるとき、最後の手段はクーデターです。

以上、限られた情報からですが、感じたままを書いてみました。

実際生徒さん方や社員、講師など関係のある方々で苦しんでおられる方々もたくさんおられることでしょう。全ての問題の上に、速やかな解決がもたらされますように。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
jrd*ana**
jrd*ana**
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事