ケニア宣教師-田辺寿雄・宣恵のブログ

ケニアでの働きを締めくくり、帰国しました。

広げた翼・巻頭言

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「広げた翼」はインマヌエル総合伝道団、世界宣教局が毎月出版している宣教師のニュースレターです。
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ケニアでは、誰かが家を訪ねてくれることをとても貴いことと考えます。予定があろうがなかろうが、食事時であろうが、大歓迎してもてなしてくれます。お客様は「神様からの祝福」と考えるからです。お土産がなくても、お客様自身が最高のお土産というわけです。

面白いことに、聖書の中でもっとも頻繁に聞かれる約束の一つは、「わたしはあなたと共にいる」という神様ご自身のお約束です。例えば「インマヌエル」とは、「神が私たちとともにいてくださる」という意味です。主イエスは、この地上を離れる間際、「わたしは、いつも、あなたがたとともにいます」と約束して下さいました。

私たちにとって、神様があれをしてくれる、これを下さる、ということ以上に最もすばらしい贈り物は、神様ご自身が私たちと一緒にいて下さる、ということではないでしょうか。神様のご臨在とご同行、つまり神様ご自身です。それ以上最高のプレゼント、お土産はありません。「わたしをあげるよ」と言って下さっているのですから。

新約聖書をみると、随分旅行の記事が出てきます。福音書には、キリストが村から村へと旅をされ、人と食事を共にしたことが多く書かれていますし、使徒の働きやパウロ書簡を見ても、パウロや使徒達が時間をかけて人を訪ね、会話し、共に食している記録が多くあります。文字通り時間を割いて旅をし、誰かと一緒に時を過ごしています。自分という存在を相手に与え、相手の益のために使っている姿です。「キリストのすばらしさ」はそのような彼らの献げきった存在を通して、人から人へと伝わったと言えます。

「私」という存在そのものが、誰かへのプレゼントになれると私は信じています。子供にとっては親が一緒にいてくれることが、親にとっては子供の存在そのものがかけがえのない贈り物です。教会では一人ひとりの存在がお互いにとっての大切な贈り物です。もちろん日本では物が溢れ、いくらでも素敵なプレゼントは買えるでしょう。忙しく、かつ便利な時代になり、如何に無駄な動きを無くすかを考えなければならない世の中ですが、効率的かどうかの計算を抜きにして、また何が出来るか、あげられるか以上に、私達が誰かと一緒にいること、私達の存在そのものの貴さを忘れたくないと思っています。

まもなくケニアへ宣教奉仕団をお迎えいたします。彼らが時間と財を割いて来て下さること自体、また背後で彼らを送り出して下さる教会があること自体、私達宣教師にとっては、とてつもなく大きな励ましであり、またプレゼントです。

「あなた」という贈り物があります。あなたが「行く」そして誰かと一緒に「いる」という贈り物です。

「わたし自身がいっしょに行って、、、」(出エジプト33:14)

(広げた翼2006年7月号)

聞く力

「よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。」(箴言18:13)

最近改めて“人に聞くこと”の大切さを教えられています。神学校で教え始めた頃は、授業を準備して教えるだけで精一杯でした。最近少し余裕が出てきたのか、生徒と話し、彼らの言うことを聞くことが大切でまた楽しいことだと思えるようになってきました。人を育てるとは人に話して教えることだと思っていましたが、実は聞くことなのではと気付き始めました。

牧師は喋る機会が多くあります。普通クリスチャンにとって伝道とは伝えることです。が、私達は普段どれほど耳を傾けて、親身に人の話を聞いているでしょうか。人の話を聞き始めるや否や、何と返事しようか、どの聖句を引用しようか、頭は既に答え探しをしています。そうしている間は、人の話を聞いているようで実は聞いていないことのほうが多いようです。相手を受け入れるよりも、自分の考えや確信に相手を引き込もうとしています。聞きながら既に相手を裁いたり、結論付けたりしています。

良く聞くことは良く生きることの前提だ、と以前聞きました。人が自分の事ばかり考え、自分の話ばかりして相手に聞かない時、相手に無関心で聞こうとしない時、問題、不満、争いが起こります。人が他人に聞くということは、他人中心的な行為です。自分を相手に与えなければなりません。しかし親身に聞かれた人は、自分が大切なんだと感じ、嬉しくなり、励まされます。自己中心でない、他に仕える生き方の土台の一つは、まず人の話を良く聞くことなのではないでしょうか。人の話を聞いている時、時間を無駄にしていると良く感じる人は黄信号だそうです。その人は、やや仕事中心の生き方に傾いており、人への関心が薄れてしまっているようです。

どんなに本を読んでもお祈りしても、人の話を聞かなければわからないことがあります。人と面と向かって関わることなしにはわからない世界があると思うのです。キリストは村から村へと人を求めて旅をされました。彼らに聞き、触れ、共に時間を過ごされる為に。人の世界へまず入ることによって、人を自分の懐へと招かれました。自分の使命からずれることなく、他に利用されることもなく、しかししっかりと他の為に生き、命を捧げ尽くされました。

私達は神と人との交わりの中に生きるよう造られています。キリストの体なる教会に連なり、共同体である兄弟姉妹と共に生きる中でこそ、私達の信仰は育ちます。だからこそ、全ての関係の土台とも言える“聞く力”が、祝福された人生を送る上で大切な鍵だと言えるのです。そして宣教や伝道の基本も、まず相手に関心を持ち、耳を傾けてじっくりと聞くことなのではないでしょうか。

「わたしは…彼らの叫びを聞いた。」(出エジプト3:7)

(2005年10月)

教会では愛のメッセージを良く聞きます。まず、私達罪人に対する神様の愛が語られます。そして私達もこの神様に愛を持って応答しようと教えられます。また、兄弟姉妹に対する愛も語られます。キリストが愛して下さったように、私達も互いに愛し合うべきだと聖書が教えているからです。この際どちらかと言うと、「あなたの心に愛がありますか?」というアプローチが案外多く取られているのではないでしょうか。「私達は心から主を愛しているでしょうか?」という問いかけは良く聖会等の締め括りに聞く質問です。結果として私達クリスチャンは「私の中に愛はあるか、愛が育っているか、愛に満ちているか?」とどうしても内省的な姿勢に傾きがちなのではないでしょうか。あるかどうか、出来たかどうか、熟したかどうか、という観点のみで見られる時、キリスト教の愛は観賞用の何の役にも立たない、何の変化も起こさない、自己満足のために飾られている絵やポスターと同じになってしまいます。

キリスト教とはそもそも愛があるかどうかを人の心に問い、試すだけではなく、神の愛を土台として、思いっ切り愛を信じ、表現する、互いに向かって「愛しています」と言える宗教だと私は信じています。つまり私達のキリスト教信仰とそれに則った生活はもっともっと愛情表現に満ちたものになってしかるべきなのでは、ということです。誰かや自分の愛を問い、試すのではなく、自分の愛を誰かに表現する愛です。「愛しています」と言うキリスト教、もっと言えば「愛する」キリスト教です。

クリスマスの夜「ひとり子をお与えになったほど」(ヨハネ3:16)の世に対する神の愛が、人の目に見える形で現れました。そのひとり子イエスがバプテスマを受けた際、「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と父なる神は御子に対する彼の愛と期待を表現しています(マタイ3:17)。「天」を押し広げてまでしての大々的な愛情表現です(18節)。これはイエスが救い主としてのご奉仕を始める前の出来事で、御父の愛が御子の働きの成果や成功に関わらない、無条件の愛だったことがわかります。

この種類の愛を、私達の教会で、日常の中でもっともっと言葉と形に表せたらと願います。たとえ「愛しています」と言わなかったとしても、相手の価値を認め、相手を信じ、感謝し、期待する表現が出来るはずです。表現だけでなく、「愛しています」を何らかの行動に変えて形に現すこともできるでしょう。家庭で、教会員同志で、あるいは教会から外に向かって、どんな愛情表現ができるか、一人一人で考えて、工夫してみてはいかがでしょうか。

「愛しています」と言えるキリスト教、そして「愛する」キリスト教 ― このクリスマス、あなたから誰かへ。

ある国語辞典によると、青年とは「二十歳前後の若い人」だと定義されています。教会では、さすがに憐れみ深いのか、「二十歳前後」よりももっと広い範囲で、いわゆる青年会は構成されているようですが、それはさておき、今回は私が思い出す「二十歳前後」のクリスチャン青年達をここに短く紹介してみたいと思います。

2年前のことですが、ケニアに来る前に私達はイギリスのレッドクリフカレッジという小さな学校で、3ヶ月間学ぶ機会が与えられました。そこにいた学生達の多くはまさに「二十歳前後」の青年達でした。そこで驚いたことがあります。その学生達の多くが既にどこかの宣教地を数週間から数年訪問し、何らかの奉仕を体験していたという事です。しかも彼らの行った国々はヨーロッパはじめアフリカ、中東、アジア、南米とまさに全世界に及んでいました。海外での経験がない人でも、ある伝道団体に属し、ストリートチルドレンの救済と伝道に従事していたり、医療伝道に携わっていたり、教会内の奉仕に留まらずに、実に様々な経験を持った人達でした。ですから多くの学生が、卒業後どこへ行って何をやりたいのか、いつ聞かれても答えられるほど、それぞれの目標がはっきりしている状態だったのです。これには大きな刺激を受けました。彼らのクリスチャン生活、つまり学校での学び、教会生活、お祈りや聖書通読、友人達との交わりは、とてもダイナミックに世界につながっているように見えました。非常に外向的で世界的な、あるいは世界大の信仰生活、といった感じでした。いわゆる実習伝道を宣教地で行う学生もおり、宣教師さながらの彼らの報告に圧倒されることもありました。

それからつい1ヶ月前、同じくイギリスからやってきた1人のクリスチャン青年、マークに会いました。地理学専攻の彼は大学の研修旅行でケニアに来たのですが、30名程のグループの中、クリスチャンは彼ただ1人だったそうです。他の学生達が観光に過ごした最後の1週間、彼はテヌウェックを訪問し、地域開発部で奉仕する事を選びます。彼は以前にも、ボリビアの宣教地で半年にわたって奉仕をした経験があります。大学を卒業したら、どこかの宣教地へ行き、技術宣教師として働きたいと言っていました。「出来れば将来は南米で」と夢見る彼も「二十歳前後」の青年でした。

レッドクリフの学生達とマークが特別すぐれたクリスチャンだとか、海外へ行くから素晴らしいと言いたいのではありません。ただ、彼らは輝いて見えました。「二十歳前後」の彼らのように、夢に向かって前進し、輝き始める人達がたくさん起こされる青年強調の年となりますように。

「青年は幻を見る」(使徒の働き2:17)

(2002年5月)

人を通して働く神

「今、行け。わたしはあなたを、、、遣わそう。」(出エジプト3:10)
エジプトでの奴隷生活とその労役に苦しむイスラエルの民を救い出すため、神はモーセを召し出されました。有名な、神の山ホレブにおける燃える柴の体験です。その時の神がモーセに語られた言葉は大変興味深いものです。

そこで神はモーセにこう言いました。「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と密の流れる地、、、に、彼らを上らせるためだ。」(3:8)英語の聖書では、「わたしは彼らを救い出すために下ってきた。」となっています。ここから学べることは、宣教や伝道の働きは、何よりも誰よりもまず、神ご自身のなさる働きであるということです。「わたしが、、、救い出す。」と主は言われます。キリストも同じように、「失われた人を捜して救うために来た」(ルカ19:10)と言われました。人の悩みを見、叫びを聞き、痛みを知る神は(3:7,9)「人となって」地上に下り、罪と悩みに満ちた「私たちの間に住まわれ」ました(ヨハネ1:14)。聖書の神は、救いの神、宣教の神として、宣教の大事業に自ら身を乗り出し、「わたしが救い出す」と宣言して下さるお方です。

ところが10節では、それとはまるで反対かのようなことが起こっています。神はモーセに、彼が行ってイスラエル人を連れ出すように命じたのです。「わたしが彼らを救い出す」と言っておきながら、「行くのはあなただ」とは一体どういうことでしょうか。「私はいったい何者なのでしょう。イスラエル人を連れ出さなければならないとは」と、モーセは困惑します。鍵は12節にあるようです。「わたしはあなたとともにいる。」神のモーセに対するこの約束の中に、人の人格を尊重し、人を用い、人を通して働かれる神を見ます。イスラエル人の出エジプト大作戦に神が用いた手段は人だったのです。キリストも、聖霊の満たしの約束と共に「あなたがたは、、、わたしの証人となります」(使徒1:9)と弟子達に宣教の業を託して昇天されました。ここでも宣教の手段として選ばれたのは人です。

この時代も、神は私達教会を通して働かれます。宣教の神は人を通してその働きを進められます。神は人無しに何もできないのではありません。人との人格的な交わりを求める神は、その交わりから生まれる愛と献身を期待し、人を用い、遣わしたいと願っておられるのです。またこれは神の一方的な都合でもありません。神に遣わされ、自分を通して神に働いてもらう時に、初めて「私はいったい何者」に対する答えも見つかります。

救い出すのは神です。しかし神は人を召し、遣わします。宣教は人を通して進められる神のみ業です。「私」を通して働く神 - 大切なのは応答です。

(2001年10月)

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