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習志野 関東大震災朝鮮人虐殺現場

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習志野市史 通史篇 ( 796頁 2行目〜797頁 6行目)

 大正12年(1923年)9月1日、当時騎兵第14連隊本部で書記をしていた会沢泰は大地震の発生からその後の状況を詳しく語っている(千葉県における追悼・調査実行委員会『いわれなく殺された人びと』)。
 連隊長室の前で歩哨と立ち話をしているときに地震が発生し、柱につかまらなければ立っておれないような揺れであった。小一時間すると東京で発生した火災の煙が上空になびき、機や紙の燃え殻が落ちてきた。連隊には当日の夜、最大限の兵力を動員して東京の救援に出発する準備を整えよ、という指令が届き、二日、三日に馬に乗って東京に行き、治安の維持にあたった。

 地震発生の数時間後頃から、東京・横浜では朝鮮人が暴動を起こし、井戸に毒を入れているという流言が飛び交い始め、その噂はまたたくまに広まっていった。東京を焼け出された人々の一部は荒川・江戸川を渡って千葉県に向かって避難し、そのなかには下町の多くの朝鮮人・中国人が混じっていた。また、ちょうどこの頃、柏・船橋間の北総鉄道の工事が始まっており、そこには多数の朝鮮人労働者が働いていた。こうした朝鮮人・中国人が大震災でパニックに陥った民間人からなる自警団や、警察・軍隊による残虐な行為の犠牲者になったのである。

 警察や軍隊は、虐殺を行う一方で、無差別的な襲撃から朝鮮人・中国人を守るために保護し、4000人近くを習志野市の捕虜収容所に送り込んだ
 しかし、習志野も安全を保障するところではなかった。収容所のなかでは、憲兵が彼らの言動や思想を調査し、不審なものは営倉に入れられ、300人ほどが行方不明になったといわれる。
 習志野に収容された人々のなかで虐殺の様子が分かっているのは次の二つの例である。
 一つは、前述の会沢の証言である。
 「おかしいようなのは、みんな連隊にひっぱり出してきては、調査したんです。・・・・・・切っちゃったんです」。第14連隊が「処刑」した場所は、現在の大久保駅の南、大久保公民館の裏手といわれている実際に手を下したのは兵士ではなく、大久保などに住んでいた元兵士だったという。他の一つは大和田・萱田などの周辺村落に、朝鮮人が各3人前後、軍隊から「払い下げ」られ、村の「有志」の手によって殺害されたといわれている。
 見聞した人々に重い過去を引きずらせることになる朝鮮人・中国人の収容も、10月24日の最後の朝鮮人五十八人を東京に移送し、朝鮮総督府出張員に引き渡して終了した。



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