朝鮮通信使のユネスコ遺産登録の意義200年にわたって日本が招請して訪れた朝鮮通信使の目的と意義は何だったのか。またそれは東アジア世界に何をもたらしたのか。そして日本の学者や民衆にどんな影響をあたえたのか。外交と文化交流の両側面からそのかかわりと実体にせまる。また日韓の民間団体の自主的な意思でこの登録が実現した経過とその実情をつうじて、今後の日韓関係と朝鮮半島と日本のかかわりかたを考える。
2018年7月23日(火)14時〜15時40分 場所:ハートピア京都 講師:仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授) (講義概要)
研究センター登録チーム4研究員
京都造形芸術大学客員教授 仲尾 宏
1 2017年10月末に朝鮮通信使の記録類がユネスコの世界記憶遺産(世界の記録)に登録された。「世界の記録」とは世界史的にみて人類の歴史や文化のうんだすぐれた記録として、長く記憶すべき遺産を選定し、その保存、公開することを定めたものである。今回の登録の申請は韓国の釜山文化財団と日本のNPO法人である朝鮮通信使縁地連絡協議会が申請母体となり、共同して申請作業にあたった。
2 申請対象の物件の条件は①真正性、②人類にとって普遍的価値を有するもの、③その物件の保存体制と公開性が保証されていること、などである。そこで両者は日韓合同の学術
委員会をそれぞれ研究者や文化財保護の専門家を網羅して組織して12回の会合をかさねた選定作業にのぞんだ。その結果、日韓併せて111件、333点の物件を登録することとした。その分類は 1)外交の記録 2)旅程の記録 3)文化交流の記録である。
討議の過程で問題となったのは、両国の間で交わされた国書が対等な関係をあらわしていたか否か、という点であった。韓国ではながかった日本による植民地時代の記憶や研究の遅れにより通信使の研究や史料発掘がまだ十分でない事もあって、国書の存在の吟味も遅れていたこともあって異論もでたが、この点では日本側が説得に努めて了解点に達した。
また壬申倭乱(文禄・慶長役)に係わる記録のうち、対馬島主であった宗義智の肖像画を含めるか否かについても論争があった。韓国側は宗義智が戦争回避に努力した点を認めつつも、秀吉の命により、開戦時の先鋒をつとめた記憶が生々しくとても世界遺産の一部に加えることはできない、と反論した。これについては韓国側の見解を尊重して登録物件からはずすこととした。このようにして約2年半の協議のすえ、2016年3月末にユネスコ事務局へ申請の運びとなった。
3 朝鮮通信使が往来した1607年から1811年にかけての約200年間は狭い海峡を挟んだ両国が大きな紛争もなく、またこの両国が平和を構築していたことが影響して東アジア全体が安定した国際関係にあった。この点は欧州諸国の同時代と比較すれば良くわかることである。また文化の交流が知識人などを中心にすすんだこと、更に一行の残したこの時代の日本の社会の記録が朝鮮国にも伝えられて、相互理解が進んだこともあった。
それに両国がともに漢字文化圏に属していたことも幸いした。通訳をせずとも、筆談や漢詩文の応唱によってその意思は確かめられたし、双方の感情のゆききをよく伝えることもできた。
4 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は第2次世界大戦という人類史上最大の戦禍のあと、1948年の「世界人権宣言」についで1951年に起草、締約された国際規約をもとにして発足した。この機関の憲章は次のように述べる。 「この憲章の当事国は、その国民に代わって次の通り宣言する。戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。(中略)文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果たさなければならない神聖な義務である。(後略)」
朝鮮通信使が果たした役割はまさにこのユネスコ憲章の精神そのものではないだろうか。
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