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弾圧と戦争が手をつないでやってきた! 即時閣議決定すべきは個人通報制度批准!! ピース9 国連経済社会理事会正式協議資格NGO

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ベンセレーモス(Venceremos)は、チリの革命歌。1970年代、サルバドール・アジェンデ率いる人民連合のテーマソングとして歌われた。1971年クラウディオ・イトゥラ作詞・セルヒオ・オルテガ作曲。チリ・ヌエバ・カンシオンの代表的な曲の一つ。インティ・イリマニとキラパジュンという二つのグループの演奏で知られている。(WIKIPEDIAから)


Desde el hondo crisol de la patria

Se levanta el clamor popular.

Ya se anuncia la nueva alborada,

Todo Chile comienza a cantar.


Recordando al soldado valiente,

Cuyo ejemplo lo hiciera inmortal,

Enfrentemos primero a la muerte,

Traicionar a la patria jamás.


Venceremos, venceremos,

mil cadenas habrá que romper,

Venceremos, venceremos,

la miseria sabremos vencer.


Campesinos, soldados, mineros,

La mujer de la patria también,

Estudiantes, empleados y obreros,

Cumpliremos con nuestro deber.


Sembraremos las tierras de gloria,

Socialista será el porvenir.

Todos juntos haremos la historia,

A cumplir, a cumplir, a cumplir.


Venceremos, venceremos,

mil cadenas habrá que romper,

venceremos, venceremos,

la miseria sabremos vencer


ベンセレモス(われらは勝利する)Venceremos

【作詞】クラウディオ・イトゥラ、セルヒオ・オルテガ
【作曲】セルヒオ・オルテガ Sergio Ortega
【訳詞】田中道子・麦笛の会

1.祖国の大地深く 叫びがわき起こる
  夜明けが告げられて チリ人民は歌う
  勇敢な戦士を われらはおもいおこし
  祖国を裏切るより 我らは死をえらぶ

  *ベセレモス ベンセレモス
   鎖をたち切ろう
   ベセレモス ベンセレモス
   苦しみをのりこえよう
   ベセレモス ベンセレモス
   鎖をたち切ろう
   ベセレモス ベンセレモス
   苦しみをのりこえよう


2.祖国の労働者よ 祖国の婦人もまた
  学生よ農民よ 我らとともに進もう
  血ぬられた祖国を いつくしみ守り
  銃剣のまえに われらは胸をはる

  *くりかえし

転載元転載元: 学生運動・社会主義、そしてキリスト教へ

派遣制度をなくそう!

            
            [パナソニックは佐藤昌子さんを職場に戻せ!]

            
            [「非正規雇用」に不景気のしわ寄せが 福島瑞穂さん]

            
            [退職強要やめさせよ 仁比聡平さん]

10.29は、みんなで日比谷野音に!

派遣法改正に反対する勢力の動きが目立ってきています。経営者やそれに味方する「名ばかり労働組合」や民主党内の派遣議連らの存在もあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/49680417.html

派遣法改正は全く予断は許されません。10.29は、みんなで日比谷野音にかけつけよう!

「派遣法改正待ったなし!10.29日比谷集会」
日時:10月29日(木)午後6時30分
場所:日比谷野外音楽堂
http://mutokyo.blog57.fc2.com/page-1.html

阪急トラベルサポート支部の添乗員の仲間からのアピールも予定されています。また集会全体の司会は東部労組の須田書記次長です。また菅野書記長がシュプレヒコールを行う予定です。

転載元転載元: 労働相談・労働組合日記

 
 2009年10月23日 | 集会報告2010年4月に光が丘地域の小学校8校が4校に統廃合したあとの跡地利用問題で、練馬区が、4校のうち2校を産業振興のため民間企業を誘致(民間貸与)するという素案を発表したのは9月11日、さらに、今後住民の修正要求を受け付ける場はいっさい設けないと驚くべき回答を行ったのは9月24―10月2日の説明会でのことだった。

 10月18日(日)夜、区の姿勢に疑問をもつ区民40人が光が丘地区区民館に集まった。

 まずこの会を呼びかけた世話人から、この間の具体的な活動の経過報告があった。

 企業誘致の見直しを求め、住民や学校関係者の理解を得られるスケジュールへの見直しを求める区議会宛陳情を10月9日に提出し、賛同署名を集めていること、この問題を扱う区議会企画総務委員会の議員に要請したこと、16日に区役所の担当課である企画課と都市計画課を訪れ質疑を行ったこと、光が丘7小跡地は10年後に病院建替え関連用地とされているが、一方の当事者である日大光が丘病院にヒアリングしたこと、などである。

その結果いくつかのことが判明した。企画課は、管理組合など住民の組織から要望があれば説明会を行う、要望の高い老人施設への転用については、改修費用も新築費用も十数億円で大差ない、と説明した。

都市計画課から1984年の光が丘の都市計画(変更)書面を入手した。これによると光が丘の103ha、住宅10690戸(予定)一帯には「一団地の住宅施設」という枠がかかっており、「配置の方針」は、公共的施設(道路、公園及び緑地、その他の公共施設)、公益的施設(学校、地区区民館、消防署、店舗施設1ヵ所など)、住宅の3種類しかない。アニメ産業など企業の事務所が「その他の公共施設」や「公益的施設」に含まれるのか疑問だ。用途地域(第一種中高層住居専用地域)の変更や計画変更は区ではなく東京都が決定する。なお2小と7小の建ぺい率は40%、容積率は190%である。

日大光が丘病院は、あと10年ほどで区との貸与契約が切れる。庶務課の担当者は「駐車スペースをはじめ、手狭であることは事実だ。しかし10年後に建て直すとか、代替用地が7小跡地ということは区とまったく話したことがない」とのことだった。

素案になる前の段階で、学校跡施設活用検討会議が今年3月に報告書を提出した。報告書と区の素案を比較すると、かなりのギャップがある。報告書の「学校跡施設に求められる機能」には「地域活動・文化振興」「教育・人材機能」「生活支援」「防災」など7つの機能が掲げられており、「産業振興」はそのひとつに過ぎない。16pの「校舎の構成例」をみても文化芸術活動支援施設、子育て支援施設、高齢者支援施設など11例の1つに過ぎない。それなのに、素案では4校のうち2校(10年の暫定利用含む)入っておりバランスを欠く。

検討会議では、生涯学習施設、デイサービスセンターなど21の活用用途(施設)を取り上げ、8つの視点から3段階評価している。「IT、アニメ等の産業支援施設」はCが2つあり、それほど評価が高いとはいえない。一方、デイサービスや団塊世代向けの生涯学習施設は非常に評価が高い。

また産業振興の活用事例が7つ紹介されている。区やNPOが運営しているところが多く、民間会社は世田谷ものづくり学校のイデーアールプロジェクトのみである。しかしこの会社はこのプロジェクトのために設立された会社で、既存の民間会社に貸与するのは練馬区しかない。そもそも文部科学省の「廃校後既存建物の主な活用用途」の調査でも、1376件のうち創業支援施設は8件(0.6%)にすぎない。

検討会議の11人の委員名簿をみると、光が丘の住民と確認できたのは2人だけだった。また住民の希望や意見を聴取したこともないはずだ。

この集まりには複数の区議会議員が参加していて、次のような説明があった。

●企画総務委員会は、自民3、公明3、民主党練馬クラブ、民主区民クラブ、共産、社民・市民の声・ふくしフォーラムが各1で計10議員が所属する。素案の審議はまだ1度しかやっていない。産業育成の観点から明確に賛成しているのは自民のみ。公明の区議で「特養施設は足りないし、待機児童もあふれているのに、なぜこんな素案なのか」と発言した人もいる。共産から「少人数学級は全国の流れになっている」との意見表明があった。

●素案は議決事項ではなく、区の報告事項なので議決は行わない。ただ区議会であまりにも多くの疑問が出れば、行政は強行できないだろう。

●説明会のお知らせは、自治会・管理組合に届いていない。区報に一度掲載されただけだ。したがってほとんどの地域住民はこの素案を知らない。

●たしかに検討会議の報告書と素案の間には大きいギャップがある。そのことを企画課長に質すと、「委員から報告書をセレクトしてまとめてよいと言われた」と答えた。しかしそんなことは報告書のどこにも書かれていない。

●区は産業振興により民間企業の税収を期待しているようだが、法人住民税は直接区に入るわけではない。いったん都の歳入になり財政調整というかたちで区に配分される。

●この素案は、区全体の視点や区政の視点ばかりで、光が丘の町づくりという視点が欠落している。案としての欠陥がある。また「一団地」という都市計画のしばりは強力だ。光が丘3小、7小の民間利用は用途変更も伴う。一団地の計画そのものを変更するか地区計画に分けて修正する必要がある。最終的には条例変更も必要になる。都市計画変更には、手続き上いろんな段階で住民の合意や意見提出が必要になるはずだ。住民にとってどういう施設が必要か、ぜひ地域から声を上げてほしい。
担当の企画課長は昨年秋まで都市計画課長を務めた人なのでそういうことはわかっているはずなのだが。
●11月19日(木)10時の閉会中審査で、区から説明会やパブリックコメントの報告、陳情の審査が行われる予定だ。

  
住民から多くの疑問や要望がでたが、典型的な発言を紹介する。

●3小の近くのマンションで、廊下に掲示された習字がみえるような、また、声をかけると子どもと話ができそうな距離に住んでいる。それが企業の事務所になるのはショックだ。行政にこんな目にあうのは生まれて初めてのことだ。

●昨日は防災訓練、今日は防災体験会があり、おばあちゃんを非常用階段避難車で下へおろした。自治会の機関紙に「ぐらっと来たら3小に逃げよう」と書いてきた。ところがこの素案には、体育館や校舎を避難拠点にすることを誘致企業の募集条件にするとは一言も書かれていない。訓練、防災倉庫など多くの蓄積はいったいどうなるのか。区は「災害はいつ起きても不思議ではない」とキャンペーンを張っているのに、憤激に耐えない。

●そもそも小学校の統廃合計画がずさんだった。来年38人以上のクラスが1小で5クラス、3小で2クラス発生する。ヨーロッパでは1校200人規模、1クラス20人以下が当たり前だ。子どもの視点をまったく考慮していない。また統合準備会で、区は建物の改修や増築をするには地権者全員の承諾が必要なので、事実上できないと説明していた。

●統廃合のとき、教育長らは跡地利用について「住民のみなさんと話し合って決めていく」と説明した。それが無視され腹立たしい。跡地が子どもの学校であったことを考慮した利用計画を立ててほしい。

●知り合いに聞いてみると「全然知らない。学校跡地は老人施設になるんでしょう」と皆いう。こんな素案が出ていることはほとんどの人が知らない。住民の意見を聞かず区が勝手に決めるとは腹立たしい。

●練馬区は8月1日長期計画(2010―14年度)(素案)を発表した。5つのねりま未来プロジェクトのひとつにアニメプロジェクトが入っており、指標(モノサシ)として区内のアニメ関連企業の従業者数を2000年度の1980人から06年度に2500人にする計画を立てている。光が丘とどう関係するかチェックする必要がある。


 最後に、この素案に、住民の意見を取り入れることを求める「光が丘学校跡地利用を考える会」を発足させることを参加者一同で決議した。
 (連絡先:mirai.hikarigaoka@gmail.com )


☆検討会議の資料のなかに他区や他の自治体の事例が紹介されている。道頓堀の近くで演劇に特化した精華小劇場(旧・大阪市立精華小学校)、人形劇・児童劇・落語など芸能文化の総合拠点・芸能花伝舎(旧・新宿区立淀橋第三小学校)、祇園祭も含めた芸術振興の拠点施設・京都芸術センター(旧・京都市立明倫小学校)、地域開放型画廊や日展会員のアトリエのギャラリー・野月舎(鹿児島県吹上町立野首小学校)などワクワクするような施設がいくつもある。

このブログで紹介した東京おもちゃ博物館も、旧・新宿区立四谷第四小学校の校舎を使いNPO法人日本グッド・トイ委員会が運営する施設だった。それぞれ学校跡地であることを意識したプランである。
☆10月16日(金)の日経朝刊・東京面(37面)に「品川区の八潮団地周辺 旧校舎を高齢者施設に」という記事が掲載された。品川区は、2校の跡地を高齢者向け活動施設と特養に転用することを決定、改修費用は25億円とある。「高島平・光が丘も転用に」という小見出しがあり、板橋区は跡地を高齢者の運動施設や保健施設に転用し、改修費用は十数億円を投じるそうだ。練馬区もこういう事例を参考にしてほしい。

『多面体F』より

 10月10日はWCADP(死刑廃止世界連盟)の世界死刑廃止デー、「響かせあおう 死刑廃止の声 2009 裁判官の証言 誤判は避けられない!」という集会が四谷区民ホールで開催された(主催 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム’90)。
 たいへん充実した内容の集会だったので2回に分けて報告する。


 集会は、死刑廃止を推進する議員連盟の保坂展人事務局長(前衆議院議員)の報告から始まった。
 2006年の長勢甚遠大臣から森英介大臣まで4代の法務大臣により3年間大量死刑執行が続いた。

だが死刑廃止議連の元メンバー、千葉景子大臣就任によりいったんブレーキが踏まれた。ただし、国民のなかには鳩山邦夫大臣の連続死刑執行に拍手喝采した人もいたし、民主党議員が判決から6月以内に執行しないのはけしからんと言っていた時期もあった。いずれ裁判員裁判で死刑判決が出れば、国民の決定なのになぜ執行しないかとの非難が起こるかもしれない。

これを変えるのは大変だが、かつての脳死臨調のように、国民に開かれた場でしっかり議論する必要がある。世界が向かう死刑廃止の方向に、日本が歩み始める年にしたい。

 ▲ 死刑囚の表現をめぐって 大道寺幸子基金の発表とシンポジウム

 死刑囚(未決を含む)に小説、手記、短歌、絵画などの作品を募集し、池田浩士、加賀乙彦、川村湊、北川フラム、坂上香、太田昌国の6人の選考委員が選んだ作品についてシンポジウムが行われた。
 今年が5回目で文芸で3人、絵画で6人が、優秀賞、奨励賞、技能賞などの賞に入賞した。連続して応募する人もあり、年々応募者は増え、今年は文芸が10人、絵画が11人だった。また少しずつ自分の内面を表現していこうという気運が出てきているとのことだった。

 ▲ 足利事件と死刑

 菅家利和さんは1990年5月に発生した幼女殺害事件で91年に逮捕され2000年7月無期懲役が確定したが、冤罪であったことが明確になり今年6月、18年ぶりに釈放された。10月5日には検事の取調べ中のテープが残っていたことが発覚した。当事者である菅家利和さんと控訴審以降の弁護士佐藤博史さんから話を聞いた。進行は岩井信弁護士。

 まず佐藤弁護士から事件と裁判の概要について説明があった。
 足利では79年8月万弥ちゃん(当時5歳)事件、84年11月に有美ちゃん(当時5歳)事件が発生し未解決だった。そこに90年5月真実ちゃん(当時4歳)事件が発生した。警察は11月から菅家さんの尾行を続け、91年6月に無断でティッシュペーパーを押収し、DNA鑑定の結果が11月25日に科警研から報告された。当局からのリークで報道各紙が待機するなか、菅家さんは12月1日朝、足利警察に連行され22時に自白し逮捕された。

 12月1日の読売朝刊には「一両日中に任意同行」、2日朝刊には「運転手を逮捕、DNA一致で自供」という記事が出た。21日には万弥ちゃん、有美ちゃん事件も自供し全面解決と報じられた。

 92年2月から裁判が始まったが、12月22日の第6回公判で菅家さんは突如犯行を否認、しかし25日に上申書を提出した。「真実ちゃんの家族から極刑に処してほしいと言われ、こわくなりやっていないと証言しました。裁判長すみません」という内容だった。その後93年6月の第10回公判以降ふたたび否認したが、7月に無期懲役の判決が下った(万弥ちゃん事件、有美ちゃん事件は不起訴)。

 佐藤弁護士は控訴審から弁護を担当した。93年9月に初めて接見した際、無実だと確信した。争点はDNA鑑定と自白だった。

 弁護団は、最高裁に上告中の97年に菅谷さんの毛髪を日本大学で独自にDNA鑑定してもらい、科警研の結果と違っていたので再鑑定を申し出た。しかし最高裁は無視し2000年に無期懲役が確定した。DNAは有機物なのでマイナス80度で保存する必要があるのに、裁判所には保存装置がなく常温で放置していた。調査官から「冷凍保存する機器を弁護団は寄付してくれますか」と冗談めかして言われた。

 2002年菅家さんは再審を請求した。しかし宇都宮地裁池本寿美子裁判長は08年2月棄却した。その理由は「毛髪が菅家さんのものかどうか疎明がない」というものだった。それなら菅家さんは収監させているのだから裁判所が再鑑定すればすむだけのことだ。抗告した東京高裁で再鑑定が決定され、今年5月菅家さんのものでないことが判明し、6月に再審が決定した。

 逮捕当時の朝日新聞には100万人から1人を識別できると書かれていたが、当時の水準では1000人に1.2人で、足利市では50人同じ型の人がいたことになる。

 自白の供述調書では、真実ちゃんをコンクリートの護岸に座らせ両手でのど仏を押して絞殺したことになっていた。しかし実際には片手で絞めた跡しかなかった。その他、調書には数々の疑問があった。

 菅家さんは92年1月27日以降、家族に無実だという手紙を14通送付した。兄がおかしいと思い、一審の弁護士にそのまま届けていた。また12月25日の上申書は、弁護士がアドバイスして菅家さんに書かせたものだった。

 今週受け取った検事の取調べ中のテープで92年12月7−8日のものがあった。検事の「本当に君がやったのか。楽な気持で答えるように」との問いかけに、菅家さんは「本当をいうとやっていません」と答えている。それに対し検事は「いままでの話と全然違う」「君と同じDNAの型を持っている人、何人いると思うの」とウソを押し付けた。そして「人間として失格じゃないかな」「一度話した以上、自分の心の傷として刻みつけておいてほしい」と説教している。これは、遺族が極刑を求めるより時間的に前の取り調べだった。検察に裁判所が欺かれたともいえる。


 今日は死刑問題の集会なので、▲ 足利事件と飯塚事件の関連について述べる。

 飯塚事件は足利事件の2年後、1992年2月20日に福岡県飯塚市の小学1年生の女児2人が殺害された事件である。94年9月に久間三千年さんが逮捕され06年9月死刑判決が確定した。この事件も足利事件同様、DNA鑑定が決め手となった。DNAの型は、奇しくも菅家さんと同じMCT118法の16−26だった。しかし帝京大学の鑑定では久間さんのものと一致しないとされた。何より久間さんは逮捕から一貫して犯行を否認していた。ところが昨年10月28日死刑が執行された。

 この10月という時期は、15日に検察が足利事件のDNA再鑑定に反対しないという意見書を提出し、17日に朝日新聞に「再鑑定を」という記事が出た時期だった。久間さんもそれを知っていた可能性がある。死刑執行の事務を取り扱うのは法務省刑事局で、霞が関では「再鑑定に反対せず」を決めた検察庁と隣り合わせのビルにある。刑事局はそれを知りながら死刑を執行した。アメリカなら執行を止めるところだ。法務省はブレーキのきかない殺人マシンだ。取り返しのつかない結果になった。

 今年6月栃木県警本部長が菅家さんに謝罪し、10月5日には宇都宮地検の検事正が謝罪した。その場で15本の取り調べ録音テープを手渡された。
 来るべき再審で、DNA鑑定が間違っていたこと、飯塚事件の鑑定も間違っていた可能性があること、取り調べの全面可視化が必要であることを主張したい。また菅家さんの3件の自白についても、隠された真相を暴かないといけない。足利の悲劇を繰り返さないためには、一度開いたパンドラの箱を開けないといけない。

 ▲ 次に菅家さんから話があった。

 90年12月1日連行され取り調べが始まった。「わたしはやっていません」というと、刑事がひじでどついたのでわたしは後ろに倒れた。もう一人の刑事はポケットから真美ちゃんの写真を取り出し、写真にあやまれと言った。

 「今日は幼稚園の先生の披露宴に招かれている」と言ったら、刑事に「そんなのどうでもいい」と言われた。「許せない」と思った。証拠があるともいわれたが、わたしにはわからない。なお否認していると髪を引っ張られたり足で蹴られた。

 夜10時ごろ疲れて、両親や兄弟のことも忘れ、もうどうでもいいと思い「やりました」と答えた。そして深夜逮捕された。
 12月2日からの取り調べでは、犯人になったつもりになり、自分は自転車を使っていたので、自転車で真美ちゃんを乗せて渡良瀬川の土手に行ったと話した。

 第6回公判でいったん否認したあと上申書を書いた。字は確かにわたしのものだが、内容は弁護士に言われたとおりだ。「こわくなりやっていないと証言しました」という理由も弁護士がつくったものだ。

最後に、進行の岩井弁護士から2人にいくつか質問があった。

 Q テープに残っている取り調べ検事と公判検事は同じ人か
 A 取り調べも公判も、論告も同一の検事だ。いま公証人役場で働いている。
 Q テープについて
 A 再審公判で明らかにするが、しょせん3件の殺人を自白したテープだ。一歩間違えると久間さんと同じく死刑にされたかもしれない。

 Q 福島章上智大教授の精神鑑定について
 A 菅家さんを代償性小児性愛者と鑑定した。専門家の鑑定書により事件の動機まで作られてしまった。DNA鑑定以上に問題をはらんでいるともいえる。

 Q 18年後、佐藤弁護士の事務所に元・幼稚園の先生から連絡があったそうだが。
 A 「当時は、申し訳なかった」と菅家さんがあやまった。すると先生だけでなく、ご主人も先生のご両親も「菅家さんのせいじゃないよ。気にしなくていい」と言ってくれた。
 二人にとっては毎年の結婚記念日が菅家さんの逮捕の日に当たる。スタートからぶちこわしになったのに、菅家さんの無実を信じ、結婚記念日には「菅家さん、どうしているかな」と話をしていたということだった。

☆情熱弁護で有名な佐藤弁護士の真実を求める気迫が広い会場いっぱいに響き渡る報告だった。佐藤弁護士には4歳の孫がいて、この日の午前中は運動会があったそうだ。本来マイナス80度で保管すべき遺留品が15年常温保管されたのに、19年後の再鑑定でDNAが残っていたのは真美ちゃんが守り抜いてくれたからだと、声を詰まらせながら説明された。

 冤罪の端緒が、2006年に真犯人が発覚した富山の氷見事件、踏み字で有名になった2003年の志布志事件と同様、警察の強引な取り調べにあったことは明らかだ。しかしなぜ1審で弁護士、検事、裁判官が間違えたのか、また高裁の裁判官や最高裁の調査官も間違いを見抜けなかったのか。冤罪がどのようにつくられたのか、隠された真相を、ぜひ再審公判で明らかにしてほしい。

『多面体F』より(2009年10月13日 | 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/b586e2ccc7285c35e55d035feb5d808c

 中学校卒業までの子どもに1人当たり月2万6千円を支給する子ども手当ての財源として、所得税の扶養控除を2010年度にも廃止する動きが、政権内に出ています。

 当初は、子ども手当てが完全実施される11年度以降に扶養控除と配偶者控除を廃止する方針でした。

しかし、子ども手当ての財源5・3兆円の捻出が難航しているため、扶養控除については廃止の時期を前倒しする案が浮上しています。

 峰崎直樹財務副大臣は「子ども手当てがあるのに扶養控除もまだ継続するのかという議論になる」(10日)と述べ、増税になっても手当てと相殺されるので、国民の理解は得られるとの見方を示しています。

 しかし、扶養控除の廃止の影響は、子ども手当てを受け取れない世帯にも及びます。23歳以上で学業や病気のため働けない子どもを扶養している場合や70歳未満の親・兄弟などを扶養している場合など。

 しんぶん赤旗の試算では、人数にして400万〜500万人分。

 深刻な事情を抱える世帯もあり、控除廃止の影響は軽視できません。

 扶養控除廃止で生まれる財源は約80000億円。内2000億円が23〜69歳の分。2000億円は、子ども手当て全体の財源規模の3・7%で、手当ての月額でいえば1000円分。5兆円にのぼる軍事費の一部を削るなど、一部の国民に増税でしわ寄せしない方法はあるはずです。

 子育てへの経済的支援の拡充は必至ですが、実施に当たっては国民の納得を得られる内容と方法を探究することが、新政権には求められています。

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