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こんにちは、ゲストさん
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金融円滑化法終了110番のお知らせ
1. こんな方はお電話ください( ※事業の内容・規模は問いません)・抜本的な経営改善をしなければ支援継続は難しいと金融機関から言われたが身近に相談できる専門家がいない。 ・過大な債務の返済で毎月の資金繰りが厳しい。 ・過去に金融円滑化法に基づく返済条件の変更(リスケなど)をしてもらったが毎月の支払いに困難をきたしている。 2 相談は無料です( ※電話代はご自身の負担となります)・弁護士への相談経験のない方でも安心してご相談いただけます(秘密厳守)。 3 事業の継続・再生を後押しします・弁護士等の専門家が関与することで,金融機関や取引先等から支援を受け,事業を継続できた企業がたくさんあります。 手遅れになる前に専門家にご相談ください。 http://www.nichibenren.or.jp/ja/sme/images/20130307-2.png ※PHS及び部のIP電話からはつながりません。 ※2日間限定の電話番号です。通常のひまわりほっとダイヤルの電話番号と異なりますのでご注意ください。 ※110番期間中もひまわりほっとダイヤルは通常どおり受け付けています。 主催:日本弁護士連合会・全国の弁護士会 金融円滑化法終了110番に関するお問い合わせ 日本弁護士連合会業務第一課:03-3580-9824 日弁連HP
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◆ 1/21 「授業していたのに処分」裁判の報告
1月21日(月)、「授業していたのに処分」の第4回口頭弁論がありました。その報告が原告の福嶋さんから届きましたのでアップします。 ● 裁判について 2011年8月に東京都人事委員会の請求棄却、2012年2月に裁判に提訴、5/7、7/9、10/18の口頭弁論を経て、1/21に第4回の口頭弁論がありました。 寒い日が続く午前中にもかかわらず、今回も傍聴席に入れない方が数名いました。有難いことです。しかし裁判官にこの裁判の重大性を真面目に考えていただくためにはさらに多くの方においで戴きたいと思っています。 ◆ この日の裁判 ●今回はこちらの主張に対する都教委の反論に対して、こちらからの再反論の準備書面(3)を提出しました。法廷では金井弁護士よりその要旨および補足説明がありました。 授業を大切にした真面目な教員が、生徒の学習権について何の配慮もしなかった教育行政によって処分を受けた、という特異な事件であること。 日程変更は2ヶ月前に求めていたこと。日程変更ができない理由は何の説明もされてないこと。 都教委独自の累積加重処分により減給6月という重い処分になったこと。重い処分について、累積という以外は何ら理由説明はされてないこと。 これらの事柄を聞き取り易い明快な語り口で述べてくださいました。 ●都教委から書証として当時の時間割が提出されました。 「当日は休暇をとった方もいて、私が研修に行っていたなら自習監督者が足りなくなっていた」とのこちらの主張に対する反論のようです。教員の目から見れば、当日の時間割が過酷なものであるのは一目瞭然と思うのですが、「クラスの数だけ教員がいれば足りている」との感覚だと間に合うことになります。裁判官に学校のことがわかってもらえるのかどうか、難しいかもしれません。 ●裁判のあとの報告集会では、この裁判の弁護費用の一部に当てるカンパの呼びかけがありました。よろしくお願いします。 しかしあらためて「教育とは何か、教師とは何か」を考えます。生徒の前に立ち、語るものが責任を負う、という直接責任の気概を持ちにくい時代になってきています。教師が誇りと責任を持てるようになるためにもこの裁判は勝たなくてはいけません。単に研修の原因となった処分が取り消された(10/31高裁判決)からというだけでなく、教育について、教師の職務について、踏み込んだ判断を裁判所に求めたいのですが、まだ難しいかもしれません。 次回口頭弁論 4月15日(月)10:30開廷 527号法廷 蛇足ながら 私の職務命令違反と服務事故・処分の関係を並べてみると 1. 校長からの職務命令に従わず処分された場合。 ・2004年3月の卒業式における起立斉唱命令 戒告 ・2005年3月の卒業式における起立斉唱命令 減給1月 ・2006年3月の卒業式における起立斉唱命令 停職1月 2. 校長からの職務命令に従わなくても処分されてない場合。 ・2004年3月23日の事情聴取への出張命令 ・2005年3月31日の処分発令書受取の出張命令 31日午前の校長との会話 「行かないと処分されますか」 「・・わかりません」 「・・校長は事故報告書を書きますか」 「それも・・わかりません」 ・2006年3月23日の事情聴取への出張命令 なお、この3件について、校長は事故報告書を書いていない。 校長は出張命令違反を服務事故とはとらえていない。 校長の職務命令に従わなくても非違行為ではない。 3. 2005年9月13日の減給6月(授業してたのに処分) 都教委からの研修命令と校長からの出張命令が出されている。 「2」で示されているとおり校長からの出張命令違反は服務事故ではない。 都教委からの命令に違反したことが服務事故→処分の理由と考えられる。 結論:卒業式での起立斉唱命令は都教委からの命令である。だから一連の累積加重処分になった。 『都教委包囲・首都圏ネット』(2013年2月16日) http://houinet.blogspot.jp/2013/02/blog-post_16.html パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
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『尾形修一の教員免許更新制反対日記』から
▲ 都教委の震災碑文 改ざん引用 1月25日付で、「都教委、関東大震災の朝鮮人虐殺事件を否定」(リンク)という記事を書いた。その続報を書こうと思って、今見たらちょうどこの記事に民族差別そのもののコメントがあった。「通りすがり」を名乗る人物からの論証なきコメントにきちんと反論する意味を感じないので、コメントは公開ではなく「保留」とする。この問題については、在日本大韓民国民団(民団)東京地方本部が、2月7日に都教委に抗議文を提出している。 ところで、僕は最近この問題で、非常に驚くべきことを知った。都教委が「引用」したとする「碑文」が間違っているというのである。 そのことは、2月2日付で発行された「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の「会報144号」の掲載された矢野恭子さんの文章で知った。僕はビックリしたのだが、書くのは現物の碑文を確認してからにしたいと思っていた。今日ようやく、墨田区の横網町公園に行って確認できたので、報告しておきたい。 簡単に経過を振り返っておけば、都教委は日本史を独自に必修化し、「江戸から東京へ」という独自教科書(副読本)を作成している。その必修化自体、あるいは「江戸から東京へ」という本全体の問題もあるのだが、それは一応置いておく。 今回都教委はその本の中の文章をいくつか変更することにして、ホームページで公開した。その中に、史跡紹介のコラムの中で、「(前略)大震災の混乱の中で、数多くの朝鮮人が虐殺されたことを悼み(後略)」と書かれていた部分を、「(前略)碑には、大震災の混乱の中で『朝鮮人の尊い生命が奪われました』と記されている。」と変更するとされたのである。 これは「地の文」から「虐殺」という言葉を削除し、紛れもない虐殺事件の性格を否定するという意味を持つと考えて、ブログの前記記事で批判したわけである。 ところで、その時点では碑文の引用と言う形にした以上、またカギカッコ(「 」)を使用している以上、そこで書かれている文章は碑にあるものをそのまま書いたのだろうと思い込み、確認まではしなかった。いくら都教委とはいっても、まさかカギカッコの中の文章が碑とは異なるとまでは考えなかったのである。 では、実際の碑文を見てみたい。 「一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のために六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災五十周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。 この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。 思想・信条の相違を超えて、この碑の建設に寄せられた日本人の総意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。」 比べてみれば、碑文=「朝鮮人が尊い生命を奪われました」 引用=「朝鮮人の尊い生命が奪われました」 このように、碑文と都教委の引用は「微妙に違っている」のである。「文意は変更していない」と言い逃れするかもしれないが、カギカッコを使っている以上、それは通らない。カギカッコは、中身の文章の評価とは別に、もとの文章を正確に紹介しておきますよ、と言う時に使うものである。論文ではないとはいえ、その使用法は変わらない。 それよりも、多分これは意図的な「改ざん」ではなかろうか。つまり、引用された部分は文章全体から見ればごく一部である。 この碑文を見れば、朝鮮人が生命を奪われたということが言いたいのではなく、それは碑を作る以上自明の前提であって、「あやまった策動と流言蜚語のため」に「六千余名の」朝鮮人が生命を奪われたと書く方が主たる目的であることが明らかである。つまり、虐殺の起きたきっかけと殺害された人数を明示しているわけである。 この「あやまった策動と流言蜚語」という書き方は、その後の研究の進展からすれば、今では不明瞭すぎると言うべきだろう。でも公的な施設内に建造するときは、配慮を要する場合もあるのが事実である。都教委による引用は、その前段部分を全く削除している。そうすると、「きっかけがあって」「何人もの」「朝鮮人が生命を奪われました」という文章の一番最後の部分だけを取り出すと、文章として「こなれていない」「途中だけ引用した」感じが強くなるわけである。そういう感じをなくすために、わざわざ助詞を改ざんしたのではないかと考えられると思う。 これは「間違った引用」である以上、今回の変更をそのまま生かすとしても、カッコ内が正確な引用になるように、訂正をする、または訂正文を配布する必要がある。しかし、それにとどまらず、誰がこのような引用をしたのか、碑文にきちんと当たったのか、わざと変更したのか、どうしてチェックできなかったのかなどを追及していくべき問題だと思う。 なお、東京都立横網町公園には「復興慰霊堂」「復興記念館」などがある。ここは関東大震災時に3万8千人が焼死したといわれる陸軍被服廠の跡地で、震災の慰霊施設であると同時に、関連の記念物を公開している。そこに空襲による戦災被害者の慰霊も加わって、両者のための施設になっている。 東京大空襲については、別個の平和博物館の建設を求める声がずっとあるが、実現していない。ということで、近代東京の2大惨事である関東大震災と東京大空襲の記憶が同居しているのである。 そういう場所なので、「東京の人は誰でも一度は行ってるし、東京の子どもたちは社会科見学で必ず訪れる場所となっている」と思うかもしれないが、全くそういうことはない。多分皆行ったことがないだけでなく、多くの人が存在も知らないのではないか。 さすがに被害が大きかった地元の墨田区では違うかもしれないが、僕は自分が生徒の時代には聞いたことがなかった。自分の授業では一応紹介していたが、行事等で引率したことはない。 ここには被害児童を慰霊する「悲しみの群像」などもある。これは東京市の小学校長会が1931年に建造したものだが、戦時に金属として回収され戦後に復元されたものである。渋谷駅前のハチ公像なども同様の経過をたどっている。(この「悲しみの群像」建造に当たっては、様々な意見があり紆余曲折したことが、椎名則明「関東大震災を記憶する」(『歴史地理教育』2012年9月号)で論じられている。) この公園の場所は総武線、都営地下鉄大江戸線の両国駅北口から5分程度。江戸東京博物館(現在、「尾張徳川家の至宝展」開催中)や国技館、安田庭園などのすぐ近くである。南口方面には回向院や吉良邸跡などがあり、歴史散歩に恰好の地となっている。国技館には相撲博物館(無料)があり、今は大鵬の展示を行っている。今日ついでに見てきたけど、これらの場所へ行く人は多いが足を伸ばして横網町公園にも是非行って欲しいなあと思う。 なお、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件については、今までは「歴史改ざん」の標的にもならない、東京の人なら誰もが知っている恐るべき事件として常識化していたが、時間が経ってさすがに風化してきたのか、最近は平気で否定してしまう人が出てきているようである。 この問題については、左翼の歴史家の研究では大杉事件、亀戸事件が中心だったため、60年代頃から朝鮮人歴史家を中心に批判の声が上がってきた。70年代以後、民衆史、地方史の研究が深化するにつれ、市民の歴史掘り起し運動とも協力しながらぼう大な史料が発掘されてきた。数多くの史料集や研究書、聞き書きなどが出されている。 それらの原史料にあたる気もないのに虐殺はなかったなどと書き込むのは恥かしい。 とりあえず、地域の図書館にでも行って、あるいはAmazon等で10年ごとに出ている関東大震災何十周年記念集会記録集などと言った本を読むのがいいと思う。50、60、70、80と出ているはずである。 それらを見て、注にある史料集や研究書を探し求めるのがいいと思う。また今年8月末に90周年記念集会が予定されているので、それにも参加して学ぶ機会を作って欲しい。それまでに事前の学習会も何度か行われるはずである。 『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2013年02月12日) http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/6b035adcf54214882278cadd313cb2be パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
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