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弾圧と戦争が手をつないでやってきた! 即時閣議決定すべきは個人通報制度批准!! ピース9 国連経済社会理事会正式協議資格NGO

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集団予防接種の注射器使い回しによるB型肝炎感染被害を巡り、看護師など医療従事者の養成課程で、患者らへの偏見や差別を防ぐための講義を実施している教育機関が4割に満たないことが3日、厚生労働省研究班の調査で分かった。厚労省は教育の推進を求める通知を47都道府県に出した。
 B型肝炎は日常生活ではほとんど感染せず、適切な対応を取れば防げるが、依然として医療機関で診療の順番を後回しにされるなど不当な扱いを受ける患者らもおり、医療従事者への教育徹底が急務だ。
 研究班は2016年度、看護師、准看護師など4職種を教育する都道府県指定の約1100校を調査。
ロイター 2017年11月3日
◆ 教育の入り口が決定的に間違っている日本
   大金を使っても大抵は水の泡、泣く子を作るだけ…
 | JBpress(日本ビジネスプレス)


 人材育成って、十把ひとからげではできないものだと思います。
 そこで、前回少し触れた、オランダで聞いてきた「学生一人ひとりの100年の人生を考える」という話を、もう少しご紹介したいと思います。
 日本は善くも悪しくも、高等教育機関が輩出する専門教育を受けた人材の数と現実社会の職の口の数がおよそ対応していません。大学院修士、博士課程まで、結構な税金も使って一人ひとり育てた基礎医学者や基礎物理学者の卵が、医学や物理学を研究する職につけない。
 普通の臨床医になったり、総合研究所で株のシミュレーションの計算をさせられたりして、食べている。
 彼ら自身には、割り切ってる人もあれば非常に残念がっている人もあり、千差万別です。ただし間違いなく言えるのは、完全な税金の無駄遣いだということです。


 若者が二度とないティーンや20代の時間を使って精励した専門が、社会生活に全く生きない・・・。それも問題ですが、そういう事実をとりわけおかしいと思わない日本社会の方が、よほどどうかしていると思います。
 前回も触れましたが、高校生に進路を決めさせるとき、親子や教師と生徒の間でどんな会話が交わされるでしょう。
 子供に「好きなようにしていいんだよ」と言うのが、理解のある親と思われているのかもしれません。
 でも、高校生が「理系進学」と言えば、学校も予備校も塾も、それ対応のメニューを準備するだけで、「なぜ理系?」といったことを問わない。
 「Why(なぜ)?」という問いのない社会には、理由もありませんから必然性もありません。その結果、根っこの浅い、弱い若者が増えてしまうのではないかという懸念を持っています。
 子供が「理系進学」と口にしたら、「なるほど、君はエンジニアになりたいの? それともサイエンティスト?」といった会話が、例えば学校の中ではあまり交わされないかもしれません。

 問題は進学率であって、個々人の顔はない。
 180人の同級生がいるとして、その中の「何人」がどう「進学」するか、あるいは「就職」できるか、が問題であって、個々人に入れ込むというのは最近の流行ではないのでしょうか・・・。
 そんなもの教育でも何でもないと思います。
 日本と全く違う環境での「常識」をオランダで耳にして、日本ではただの身振り、ポーズで仕事の負荷の大半が消費されているのではないかという懸念を強く感じました。
 特に「子供自身に、将来の自分の進路のデメリットまで徹底して考えさせる」という姿勢が、とても参考になると思いました。

 オランダのケース:子供自身に考えさせるQ&A
 「将来何になりたい?」
   「(答え)・・・・・」
 「そのメリットは何?」
   「(答え)・・・・・」
 「どうしてもそれがいいの?」
   「(答え)・・・・・」
 「逆に、そのデメリットは?」
   「(答え)・・・・・」
 「あなたがなぜそれを生涯の仕事として選択し、それと一緒に生きていかねばならないの・・・?」
   「(答え)・・・・・・・・・・・・・」
 こんなQ&Aを質問項目そのものから子供自身に考えさせ、答えとともに初日は10、翌日は20・・・と、何十も何百も考えさせ、すべてを文字として記させて提出、それを踏まえながら将来の進路指導の相談し、場合によっては親にフィードバックなどもする。
 そんな進路指導教育の話を、オランダで耳にしました。
 「歴史家になるとはいかなることか?」
 →「僕は、歴史家になるというのは、***ということだと思う」
 「生涯を歴史家として生活するとはどういうことか?」
 →「僕は、歴史家として生活するというのは、***ということだと思う」
 「歴史の専門家として社会で収入を得る仕事にはどういうものがあるか?」
 →「僕は、歴史家として社会で収入を得るというのは、***ということだと思う」
 こんなやりとりを教師とするのでもなかなか意味があると思いますが、こういう質問項目から、子供自身に考えさせる・・・なかなか本質的な教育法だなと感心しました。

 自分の人生を選択するうえで、本人が重要と思うあらゆる質問を自ら考えさせ、その答えもひとまず出させ、その双方について教師と1対1で徹底して議論しつつ、生涯の「天職」を選ばせる、というのです。
 「天職」(転職じゃないですよ)・・・これがキーワードだと思います。

 改めて強調するまでないかもしれませんが、オランダはカトリックのスペイン帝国植民地から80年越しの独立戦争を戦い抜いた筋金入りのプロテスタント国家、プロテスタントには「職業召命観」という基本的な考え方があります。
 仕事というのは神様の召命(Calling)、つまり神に呼ばれてその仕事に就くという社会全体が共有する基本的な倫理観が広く深く定着しているわけです。

 その結果、需要と供給の関係で消えてしまう職種、例えば「AI普及でなくなる職種30」的な発想は極めて希薄、職種を一つひとつ大事にするそうです。
 例えばワンマン運転でなく車掌の乗った路面電車が現在も普通に走っているのが端的と教えてもらいました。

 が、職種と雇用を社会が大切に考える傾向がそもそも強く、教育現場でも個人百年の人生全体を支える「専門人教育」を重視している。
 しかも、単に「その専門の技能や中身を教えます」というだけではなく(何と言っても神の与えた使命が仕事という倫理ですから)自分は一生をどのように使っていきて行くべきかを、多感なティーン年配の子供たちに自ら考えさせるというのですね。

 これは大変有効だと思うし、日本でも積極的に活用してみるといいように思いました。
 学校では、限られた時間数内で担任の先生がオーバーフローといったこともあるでしょう。でもはつき合ってやれるはずです。しかも問題から子供自身が考えるのだから、そんなに大変な負担を背負い込む必要はない。
 これは必ずしも高度学術の専門教育に限らない話でしょう。社会のどんな局面でも有効な気がします。

 折しも今年はルターの宗教改革から500年目にあたります。
 子供が将来の人生を考える具体的な中身を、子供自身に一問一答で考えさせながら、大人がその内容をしっかり共有してやるというのは、プロテスタント500年の歴史が育んだ大変な知恵ではないかと思いました。

 20歳を過ぎた子供を泣かせたいか?

 ここ1年以内だけでも、20歳を過ぎた青年、大学院生ないし大学を修了した直後くらいの若者が「泣く」現場に4件ほど遭遇しました。
 直近は昨晩のことで、これはまあ、そんなに深刻ではなかったのですが、若者が泣くんですよね。
 「お前はアカデミックハラスメント教官で、学生を泣かせているのだろう」
 ああ、そういう事実無根のトンでもないレッテルを貼りつけられ、えらいことになった経緯が20年ほど前にありました。
 そういうやましいことをすると、ダメ押しをしないと気がすまないのか、明らかな不法行為のドミノ倒しで凄いことになっていたような気がしますが、残念ながらそういう話ではないし、私も教師が親でしたので、そういう下賎な振る舞いはしません。
 ただ、身体生命の安全が関わるときなどは、どうやら恐いおっさんらしい。

 例えばオペラハウスは危険だらけです。
 大概の歌劇場で瀕死の重傷以上の事故が起きているのは、商売柄あまり強調されませんが、プロは誰でも知る事実。
 東京・初台の新国立劇場でも18メートルの奈落の底に落ちて亡くなった方がおられますから、もし観劇される場合はその事故現場として舞台をご覧いただくのも意味があることかもしれません。
 お客さんにはエンターテインメントでも、働く側にとっては危険な職場であるのは、時折報道されますよね、テレビ局や撮影現場で重傷。報道されるだけであの程度の頻度ということですので、あれは。

 やや横道にそれましたが、20代半ばの青年が、臆面もなく涙を流して私に相談に来るケースについて、少しだけ記します。
 以下記すのは、固有名詞その他具体を一切記しません。しかしすべて実例なので、自分のことだと分かる人がいるかもしれません。

 文系で見るもの:修士論文を書けと言われるが、何をしたらいいのか分からない。指導教員は何も指導してくれず、締め切り前なのにほとんど白紙で何も書けていない。
 理系で見るもの:修士の実験をさせられているが、実は自分がやっている研究が何なのか、よく分かっていない。表面的な理解はあるが、実は基礎が欠けているのは自分が一番よく知っており、アクシデントがあると止まってしまう。指導教員や助教、先輩に聞いても結局中途半端。
 文理関係なく見るパターン:自分が本当にしたいことが分からない。と言うか、ない。指導教員とはそういう話はしないし、親とも話にならない。先輩など相談できる人もおらず、どうしたらいいのか分からない。

 いずれのケースも「オランダ式」を徹底する「問答法」、古くは「産婆術」なんて言葉もありました、のメンタリングがあれば、100%回避できるものです。
 大学・大学院が小さなコミュニティだった頃、すべての人の顔や息遣いが分かる時代には、こんなおかしなことは絶対に起きようがなかった。

 現状は
1 指導陣の素人割合が増えた:大学院重点化政策による弊害

2 研究に取り組む準備のない人が学籍を得ている:大学院重点化政策による弊害

 そして
3 学生のモナド化、サラリーマン化:キャリアパスの一部として在学するケースが増え、学生同士の縦横斜めのつながり、同級生や先輩後輩、隣接したりしなかったりする、他の専門の先輩後輩との密接なつながりがなく、問題を感じても黙って抱え込んだまま何か月、何年でも空費してしまう
 これが20年間東大にいていろいろな学生から個人的な相談を受けてきましたが、学生が泣く大半は「打つ手がない」八方塞がりに陥っていることが分かりました。泣くしかないから泣きに来る。
 私が学生に相談されやすいのかどうかは知りませんが、毎月何人かは進路やら人生やらの相談に来る。
 「そうじゃないだろ?」というところから始めるわけで、八方塞がって泣いていても子供じゃないんだから、自分自身で活路を見出すしか方法はない。
 そのために唯一有効、必須不可欠の解決策は、「自分自身で考える」ことです。
 そして自分自身で考えたことに、きちんと大人がまじめにつき合ってやり、何より「できないこと」「先のないこと」は意味ないよと、「ゴー」か「ノー」的確に出してあげる。
 袋小路に陥る以前に水や空気の流れのよいところで、十分にお日様に当ててやることだと思うのです。
(つづく)

『JBpress(日本ビジネスプレス)』(2017.10.13)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51325


パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2

世界に恐れられた「カミカゼ特攻隊」の精神的支柱


信じ込まされた「教育勅語」真の狙い

3月21日(火)6時10分配信 JBpress
米首都ワシントンのスティムソン・センターが所蔵する、1945年8月に投下された原爆のきのこ雲の写真〔AFPBB News〕
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米首都ワシントンのスティムソン・センターが所蔵する、1945年8月に投下された原爆のきのこ雲の写真〔AFPBB News〕
 教育勅語の問題を扱って、先週立て続けに2本、コラムを掲載する形となりました。

 読者からのリアクションなどを見つつ、これは補っておかねばならないな、と思ったのは、戦前の日本では教育勅語が、法律に優先する社会道徳規範として、擬似宗教教学として義務教育において国民に強制されてきた、現実の「行為」の側面です。

 この行為には舞台と道具立てがありました。

 「奉安殿」と「ご真影」です。

 こうした、かつては完全に日本人の常識であったディティールを全く知らずに、右傾化した議論であれ、左傾化した議論であれ、まともな考察は成立しないでしょう。

 前回も今回も、私が引くのはごくごく当たり前の史実だけで「偏見に満ちた」論説などでは全くないのは、普通に関連の基礎を修めた方なら誰もが首肯してくださると思います。

 すなわち「教育勅語」と「奉安殿」「ご真影」は3点で1セットにほかなりません。加えて言えば、これらへの「最敬礼」すなわち服装を正して最も深く頭を下げるという、江戸時代の大名行列よりどぎつい身体慣習の強制がなされていたこと。

 これらを見ずして「教育勅語」という文章だけ取り出しても、1890年代から1945年に至る(あるいはその影響は戦後まで残っているわけですが)日本に落としたこの文書の影響を斟酌することはできないでしょう。

子を戦場に送り出したい親がいるか?

 戦前、赤紙と呼ばれた召集令状が送られて来ると、青年男子は徴兵に応ずる義務があり、適所に出頭せねばなりませんでした。別段偏見でもなんでもなく、大正14年生まれの私の父も昭和19年10月に19歳で応召、満州に大日本帝国陸軍二等卒として出征しました。

 こういうとき、出征兵士を送る場面をドラマなどで目にすると思います。

 「なんとか君 バンザーイ」「天皇陛下 バンザーイ」「大日本帝国バンザーイ」

 という、千人針などを持たせたりするあの風景です。

 実際は、子供を戦地に送り出したくない親や家族、特に母親は決して少なくなかったはずです。しかし、世間体その他を憚って、

 「お国のために立派に戦って、死んできなさい」

 などと言わされる母親像は、ドラマでもしばしば見かけるでしょう。で、気丈夫に振る舞いながら影で泣き崩れるといったシーンがフィクションでは描かれます。

 事実は小説より奇なり、と言いますが、実際、日本全国でこの種の出来事があって、1945年に至る戦争に歯止めが利かなくなりました。

 しかしここで、あらゆる偏見を捨て、冷静に考えてみてください。

 1867年、明治維新以前に、国民の8割以上を占める農民、あるいは商人職人などの町人に、武器を取ってお国のために戦う習慣、そこで命を捨てることを是とするイデオロギーや信仰があったでしょうか? 

 ありません。そんなもの一切ありません。

 では1877年、西南戦争時点ではどうか。やはりありません。10年後の1887年、明治20年にもそういう考え方は日本全国に浸透していない。

 ところが1897年、明治30年になると、形勢が変わっていることに注意すべきでしょう。日本は明治27〜28(1894〜95)年にかけて「日清戦争」を戦い、これに勝利し、関連で動いた経済などがあり、世間は大いに変わりました。

 軍隊に出たことで実際に家計が助かった所帯も多く存在した。こうなると、世の中が本当に変質します。

 「死んでもラッパを口から話しませんでした」という木口小平一等卒など、多数の軍国美談が語られ、メディアはそれを喧伝し、政府も学校もその色彩一色に染まっていきます。

 実際に戦勝によって賠償金がもたらされ、八幡製鉄所や京都大学も建設されて、日本が近代重工業国家として大きく飛躍してゆく端緒が切り開かれた。こうなると本物になってしまいます。

 さらに1907年、明治40年を過ぎると、お国のために戦って名誉の戦死という概念は完全に日本に定着していきます。

 これに先立つ明治37〜38年の日露戦争戦勝までの過程で、旅順戦で命を落とした「広瀬武夫中佐」を筆頭に「軍神」と呼ばれるような軍国美談の主人公が国民に広く知られるようになり、家族が1人「名誉の戦死」を遂げると遺族は社会的に称揚され、経済的にも潤うという、リアルな現実が動いてしまいます。

 こうした中で、国家神道教学を義務教育就学生に生活習慣として定着させたのが「奉安殿」ご真影への礼拝であり、「教育勅語」の奉読儀礼であったわけです。

崇拝儀礼の調教システム

 「教育勅語」と切っても切れない関係にある「ご真影」について簡単に触れておきましょう。きちんと扱う際には別の稿を準備したいと思います。

 亡くなられた哲学者の多木浩二さんに「天皇の肖像」(1988)という力作があります。

 明治新政府が、大半の日本国民にとって未知の存在であった「天皇」なるものをいかにして「日本人」に定着させていくか、その過程をつぶさに扱う「天皇の可視化」戦略の中で「御巡幸」さらには「ご真影」というメディア形式が整えられていく過程を扱われた仕事で、当時大学生だった私は大きな衝撃をもって岩波新書の初版を手にした記憶があります。

 その後、約30年の経験を通じて「ご真影」に関してもう1つ思うのは「ごしんねい(ご真影」という別の概念です。

 浄土真宗では、宗祖親鸞聖人の像や画像を「ごしんねい」と呼んで尊崇の対象とします。ごしんねいの収められたお堂は「御影堂」あるいは「影堂」などと呼ばれますが必ずしも真宗ばかりのことではなく、日本に仏教が到来してこの方、ずっと踏襲されてきたものです。

 例えば、奈良の唐招提寺には開山である鑑真和上の姿を刻んだ国宝の乾漆像が伝わりますが、これが収められているのも御影堂です。

 ただ、真宗の場合はこの宗祖崇拝が門徒大衆の末端まで行き届いたことに特徴があります。日頃、田畑を耕しあるいは漁労に勤しむごく普通の人々、大半は文字を読むことも書くこともできません。

 そんな中世近世の一般大衆の心に、文字や能書きを超えてダイレクトに働きかけた力の1つが「ご真影」でした。

 浄土真宗の説教には、蓮如が三井寺に預けたご真影を返してもらうために息子の首を切って差し出した堅田の漁師源右衛門・源兵衛親子の殉教譚など、凄まじい命がけの話が多数伝わっています。

 極度に堅固な運命共同体を形成した浄土真宗教団=「一向宗」は戦国大名を駆逐して加賀に自治コミューンを成立させ、近江、三河、越前、加賀、能登などに攻略不能な真宗王国を建設します。

 比叡山を焼き討ちにし、僧兵の首をなで斬りにした織田信長をもってして、和議を結ぶしか方途がなかったのが、蓮如の隠居所だった石山本願寺との戦争、石山合戦でした。

 何しろ、道端で手まりをついて遊んでいる女の子だと思っていたら、その子供が刺客で大将 が殺された、というほどに少年少女兵にまで「ジハード」が徹底しており、いかな信長といえどもこればかりはどうにもならなかったなどと宗門では伝えられる結束の強さ(こうした話題については、拙著「笑う親鸞」などをご参照いただければと思います)です。

 明治政府が大日本帝国憲法を発布して「臣民皆兵」を謳ったとき、これに反対する層が一番最初に憂慮したのが「民百姓に武器なぞ持たせたら、必ず一揆を起こして反乱になる」というリスクでした。

 この「陰謀公家」的な心配、実際、明治初年に三条実美や岩倉具視はリアルに「一揆」を懸念したと言います。

 これに対して、一揆を防ぐには一揆に如かず、と日本史上最強の一揆である「一向一揆」の人身収攬技術を吸収、転用したものとして、大日本帝国が導入した「ご真影」崇拝の制度を捉え直すことが可能だと思います。

 唐招提寺にもあった御影堂は一向宗門徒の「ごしんねい」崇拝という実績を経て明治期の学校に設えられた「奉安殿」へと受け継がれます。

 そこに納められた天皇皇后の写真が火事で燃えたというような際に校長が死んでお詫びするという、極端なメンタリティにも、真宗の積み重ねが強く影響しているように思われます。

 浄土真宗では開祖親鸞聖人の作として、編著とも言える「教行信証」が重視されますが、親鸞は同じ内容を手まりをつく少女にも理解できるように「今様」という歌に編みなおしています。

 これが「ご和讃」として伝えられるものです。また中興の祖・蓮如上人は各地の門徒に多数の手紙を出しており、これを御文章(本願寺派)御文(大谷派)として尊びます。

 近代の創成になる「国民皆兵」の「帝国臣民軍」に一向一揆の強烈さを備えさせるうえで、この「宗祖聖人の言葉」として機能した面を考えることができるのが「教育勅語」のもう1つの横顔ではないかと思うのです。

 この種の話を欧米人とすると、首肯してもらえることが少なくありません。

 すなわち、第2次世界大戦末期、確実に死ぬと分かっていながら突っ込んでくる「カミカゼ」は、理解を超えた狂信として連合軍には純然と恐怖の対象でしかなく、ついにはその制止のため、として広島長崎の原爆まで投下されてしまった。

 この理不尽な命がけの「滅私奉公」は、まさに教育勅語に記されている精神具現化の極限であるとともに、蓮如以来の一向宗、あの信長が往生し和議を結ぶしかなかった浄土真宗の強烈なメディア影響力とまさに同質の側面を指摘できるでしょう。

 「教育勅語」を幼稚園児に暗記暗誦させる、という一事を取り出して細かに検討すると、日本が中世から現在まで刻んできた様々な歴史の明暗、特に極端な暗部を含め、様々な要素がくっきりと浮き彫りになってきます。

 これら、何一つ偏ったものの見方ではなく、各々の専門の観点からは常識とされる内容を書き綴ってきただけに過ぎません。

 加賀一向一揆や石山合戦で恐れられ、第2次大戦末期に諸外国から恐怖されたのと同様の狂信的な自己犠牲、自爆攻撃にすら直結する本質のすべてが、あの短い文の中に洩れなく記されている。

 「教育勅語にも良い面がある」というのは、ナチスの政策にも福祉はあったと言うのと同じで、そもそもの土台が全く分かっていない頓珍漢な欠伸のようなものと思うべきです。
筆者:伊東 乾
先入観ゼロで、ちょっと考えてみてください。

 場所も、スタジアムであれ、街頭であれ、あるいは一杯飲んでるタイミングでもかまいません。
 どこかに、日本人がたくさん集まっている状況を考えてみます。例えばスポーツの国際大会などで遠征チームと応援の人たちが偶然集まった、でもいい。
 そんなところで、誰かが立ち上がって突然
 「き〜み〜が〜ぁ〜よ〜ぉ〜わ〜」と歌い始めたとします。何が起きるでしょう?
 一概には言えませんが、そこそこ以上の確率で、一緒に歌い始める人がいる(面倒な言葉を使うなら「非線形の引き込み」などと表現して解析する場合があります)と言っても、不思議な顔をする日本人は少ないのではないでしょうか?
 知っている歌を誰かが歌うと、つられて自分も、声を張らなくても歌い出してしまう・・・。こうした経験をお持ちの方は少なくないはずです。それが人間の生理で、これなくして幼児が母語を獲得することはできません。
 音声言語を話すことができる人は、例外なくこの「引き込み」に引っかかる、そういう生理現象として押さえておいてください。
 誰かが1人、「君が代」を歌うと、つられて君が代を歌い出す人がたくさん出てくる。またその中で1人シラケた顔をして黙っていると、歌を知らない場合は疎外感を感じるでしょうし、知っていてわざと歌わないと「どうして参加しないんだ!」という<同調圧力>にさらされる。
 というのも、容易に想像がつくところと思います。イデオロギーは無関係、音声と言語を理解し操る知能を持つ霊長類の、必然の生理を述べているに過ぎません。
 で、これを用いて人を調教することができます。
 人類は、暴力や薬物を用いて人を支配してきた歴史を持ちます。しかし、歌などを用いるこうした調教は、物理的な証拠、例えば殴られた跡であるとか、血液や毛髪の検査で分かる薬物の痕跡とかが残らない「スマートな支配の道具」です。

 適切な訳語がなく、そのままカタカナでマインドコントロールとして日本社会に普及したのは1995年、オウム真理教事件が摘発され、そこで宗教を語ってこれらが濫用されていた事実が明らかになって以降のことと思います。
 暴力や薬物を用いて人を調教するケースは「Brain washing(洗脳)」と呼ばれますが、それに該当しないこうした支配を「mind control」と呼んでいます。
 ここ22年ほどの私とオウム裁判その他との関わりについては『さよなら、サイレント・ネイビー』(2006)、オウムから発してルワンダ・ジェノサイド、ナチス・ホロコーストへとつながる共通の根については『サウンド・コントロール』(2011)などの拙著をご参考ください。
 問題が深く広すぎ、1回のコラムで扱える内容ではないため、誤読を恐れ、別論とします。
 ここでは「歌」と「共同体」の重要なポイントだけに絞って、平易にお話したいと思います。

あんぱん・牛なべ・君が代

 日本の国歌「君が代」を、何かとても古いものと勘違いしている人がいるようです。
 確かに歌詞は古今集、平安時代に根を持ちますが、何風とも判断のつかぬあのメロディー、さらにそれに寄せられた特徴的な和声などは近代国家日本初期の迷走がそのまま形になって残っているのも、音楽に関わる者には広く知られた事実です。
 この旋律自体は、京都出身の若い宮内省楽士、奥好義(1857-1933)が下書きしたものを、上司で大阪四天王寺出身の雅楽人、林廣守(1831−96)が手直ししたとして箔をつけたものです。
 しかし、「国歌」というのは海外向けの発信道具でもあるので、どちらも西欧風の和声などつけられない。ここが重要なポイントです。
 仕方なくお雇いの海軍軍楽教師、フランツ・エッケルトにハーモニーをつけてもらうのですが、エッケルトは悩んだ末、ついに冒頭と末尾についぞ和声を付すことができませんでした。
 いまだにユニソンで歌われているのは、皆さんの心身に染みついている「君が代」を想起していただければ、よく分かると思います。
 この背景には、ドイツ人であるエッケルトの調性への根本的な誤解がありますが、詳細にわたりますのでここでは触れません。

 この歌が生まれた当時、西南戦争が終わりようやく国内は平定されます。しかし莫大な戦費、特に重火器の購入で日本国内の金が海外に流失し、ほとんど失敗国家直前に明治政府は陥りました。
 ただ、現行の君が代という「国歌」は、日本人のメロディにドイツ人が間違ったハーモニーをつけたものである事実は直視しておくべきだと思います。
 そこで国際社会に伍していくために必須の軍事アイテムとして、お雇い外国人海軍軍楽教師などに助けてもらって作ったものにほかなりません。1880年に成立した近代の産物なのです。
 君が代は、成立時期としては「あんぱん」や「牛なべ」とほぼ同じ、文明開化の時期の産物、さも古そうに見せて実は近代の模作、という点では、もともとは1895年に開かれた内国勧業博覧会のパビリオンだった、京都の平安神宮とよく似ています。
 ここで「日清戦争後に創業開始した八幡製鉄所や筑豊炭鉱のやくざ襲名儀式と似ている」などと書くと、意味もなく反応する人がいるので、そういう表現はしません。
 しかし、すべて19世紀末年、日本が「国」として海外と軍事的に伍していくべく、急ごしらえで足回りを整備した際に成立した和洋折衷の産物であるのは間違いありません。
 「君が代」は文明開化期・和洋折衷の産物である点も、日本の歴史や伝統、文化に深く関心を持つ方は、基本的なことですので、ぜひ誤解なきように、と思います。
 すでに137年、それなりの歴史を持っている、持ってしまったことが強調されますが、イデオロギーや好悪無関係の事実ですので、動きません。
 明治維新初期の官軍と言えば、大村益次郎作とも伝えられる「宮さん 宮さん」の錦の御旗の歌唱あたりが、その当時・等身大の日本の「歌」でした。
 和声も序奏も何もありませんが、それで十分練兵の用には足り、戊辰戦争も西南戦争も、それ流で教練した兵隊が白兵戦を戦い、勝利を収めて近代日本国家が成立しています。

国歌とは何か?

 言うまでもありませんが、明治以前の日本に「国歌(National anthem)」などというものは一切存在せず、またそんな必要もありませんでした。

 「国歌」という概念の背景は近代西欧での宗教改革と農民戦争〜市民兵の誕生、大きく言ってウエストファリア条約(1648)からウイーン会議(1815)に至る聖俗革命期の社会と軍事の変遷、もっと平たく言えば「国民国家(Nation state)」の成立を抜きに考えることができません。
 鎖国していたので、国全体を見渡し、またそれを代表して海外と栄誉礼など軍事儀礼交換などする必要もなかったのですから・・・。
 これまたやはり重く大きなテーマで、ここでは中途半端に扱わず、別途原稿を準備しようと思います。帝国主義列強が覇権を競い合っていた19世紀後半、国民国家はこぞって「国歌」を制定し、内政外交双方に活用していました。
 国内的には、市民兵養成の基礎として「わが国の国民であるぞよ」と幼時から心身に刻印するのに、国歌ほど有効なアイテムはありません。
 これはフランス革命と、そのときの革命歌で現在はフランスの国歌である「ラ・マルセイエーズ」を想起していただければ、自明のことと思います。「国の歌」は赤ん坊から自国民としてアイデンティティを染め込む、国民国家の基本ツールにほかなりません。
 また、対外的には、和平条約調印などの折、双方の軍楽隊が対等に国家を演奏といった習慣がすでに定着しており、この残滓はオリンピックでメダルを取った国の国家が演奏されることなどで、現在でもメディアで確認できるでしょう。
 海外の元首など国賓を迎える際にもこれを栄誉をもって演奏します。
 日本が西欧列強から、アジアの一国として尊厳をもって遇してもらえるようになるには、相手側の国の軍楽隊が演奏できる、西欧風の<ナショナル・アンセム>あるいは愛国行進曲のようなものが必須不可欠でした。
 それがなく、雅楽や能楽で自己主張しても、諸外国列強は「極東の後れた民族音楽」としか扱えなかったでしょう。
 アジアやアフリカの各国が、変にバタ臭い国歌を擁しているのを、私はやや残念に思うのですが、その背景にはこのような事情がありました。この点、日本の「アンパン牛なべ式」の国歌作りは、ユニークな取り組みであったと言えるでしょう。

 だから、洋楽風の「国歌」が必要だった。これは薩摩藩の軍楽隊「薩摩バンド」のお雇い外国人軍楽教師、ジョン・ウィリアム・フェントン(1831-90)が戊辰戦争直後の1869年に進言したものと言われます。
 敵と和解したとき、敵方の軍楽隊でも演奏できる軍事アイテムがないと、バランスが取れなかったのです。
 生麦事件(1862)に端を発する薩英戦争(1863)の和議は「栄誉あるもの」ではなかった。鳥羽伏見などの緒戦を潜り抜け、明治新政府が成立してひとまずの安定を見たタイミングでのこの進言は妥当なものだったと言えるでしょう。
 前回も記したことですが、ギリシャ・ローマの古代から19世紀まで軍事行動は基本、白兵戦で、野戦展開している将兵のシグナルには角笛=ホルンやラッパが活用されました。
 日本なら法螺貝がこれに相当します。各国が軍楽隊に力を入れたのは、それが軍事情報技術の核を担うものだからにほかなりません。
 また、今では体育会系の応援団などに名残をとどめるエールの交換は、和議の場での互いの国歌の交換に端を発します。相手方の奏楽に見劣りのしない音楽が、国威発揚の上で必須不可欠でした。
 「威風堂々」という訳名を持つエルガーの行進曲も大英帝国で重視されているのをご存知の方も多いでしょう。
 「軍楽」は練兵のツールとして、「国歌」はネーション・ステートでの幼時からの「国民創成」にとって必須不可欠なアイテムでした。
 そこには「刷り込み(imprinting)」があるだけで、何一つ相対化や批判がありません。軍隊で上官の命令をいちいち批判していたら作戦行動になりません。

だからこそ、武官ベースで軍部が暴走すると、思考しないシステムの自走で、先の大戦のような破局を避けることができません。

 日の丸や君が代を軽んじられると怒り出す人がいます。そこには「なぜ?」という批判はない。なぜなし、の脊髄反射を刷り込むツールとして、音楽は実に有効な装置であることを、この仕事を30年ほど続けてきた教授職として保証したいと思います。
 歌は反射調教のツールで、そこには「なぜ?」がない。
 だから、悟性をもって有権者が判断する必要のある選挙や投票において、有権者に斉唱を強要する、などということは、あってはなりません。
 これは2.26以降 東条英機以下「統制派」暴走を誰も止められなくなってしまった歴史を持つ日本で、よくよく落ち着いて検討されるべきポイントと言わねばなりません。しかし、残念ながら日本では軽視されています。
 私はベルリンやミュンヘンを拠点に、30年来ドイツで、また必要に応じてルワンダなどにも出かけて、この仕事を大事に一つひとつ積み重ねてきました。
 誰か1人が「君が代」なり何なりのメロディを歌い始めると、それを知る大群衆は容易に、思考を停止したまま、唱和という同調圧力を生み出す生理があります。
 そこには悟性による批判は介在しません。客観的で冷静な判断力を欠く投票が例えば昨年の英国ス、米国、今現在ならカタルーニャで、今現実に起きているわけです。
 これを仕かける人もいれば、それに応じてしまう十分に煮上がった国民群衆環境が醸成されている。
 イデオロギーもイズムも無関係に、生理的な根拠だけで、リスクの所在をつまびらかにしてみました。良識ある読者の賢慮に資することを期待するものです。

「選挙で「国歌斉唱」は亡国の危機

ナチスドイツ、ルワンダの二の舞は決して大げさではない

2017.10.20(金) 伊東 乾

 今回の、内政外交ともに必然性が見えない日本の選挙で、集まった群集に「君が代」を斉唱させる候補者がいるという報道を目にしました。
 真偽のほどは知りません。しかし、極めて危険な可能性を歴史の事例ならびに同時代のケースなども引いて、検討してみたいと思います。
 皆さん、学生時代に入学式や卒業式で「校歌斉唱」というとき、何とも言えないすがすがしい気持ちになったりしたことはないでしょうか。そこには理屈はいらないですよね。
 いまも覚えているのは、中学に入ったとき、入ったばかりでまだ斉唱できないながら入学式で聞いた母校の校歌の晴れがましさです。
 いまだにこのマインドコントロールは私の中に残っています。大学にはそんなものはなく、小学校は幼すぎましたが、思春期のこういうのは残りますね。
 スポーツ選手が表彰台の上で「君が代」を聞くと、やはり何かを刻印されるでしょう。
 そこに理由はいりません。
 で、です。これが大変危険だということを、私の研究室では音楽の基礎を徹底するラボラトリーとして脳認知に立脚して検証、国際機関と連携し、ルワンダ国立大学などとジェノサイドの再発防止・ラジオ放送の生理評価などにも取り組んできました。
 「選挙で歌を歌う」だけでも相当微妙です。国歌斉唱は、特定政党がしてはいけないこととして法で禁止する必要があるくらい、危なっかしい事態であることを、平易にお話いたしましょう。

・ナポレオンから一向一揆まで歌う教練と突撃兵

 「日の丸の掲揚・君が代の斉唱」をイデオロギー的に問題にする人がいますが、私は30年来、音楽家の別の角度から、死角になっている部分の危険を指摘し続けています

 斉唱という行為の共有がもたらす、身体と精神の調律効果です。
 日本に西洋音楽が本格的に導入されたのは明治維新直前のことで、軍事技術の一部としてもたらされました。軍楽隊による練兵と作戦行動の執行ツールとして、音楽は欠かせないものでした。
 19世紀前半までの戦争は、鉄砲などの火器を用いる場合でも、基本は白兵戦で、野戦展開にあたっては、電気も無線もない時代、進軍ラッパや日本の合戦で言えば法螺貝など、音響シグナルは必須の役割を果たしました。
 人類発祥以来のこの積み重ねは、1850−70年代の重火器化、電化、電信化などで急速に衰亡します。

 しかし、幕末維新期に輸入されたフランス兵法は基本ナポレオン戦争期を踏襲するもので、「諸国民の解放戦争」と言われるように、第3階級、平民が教練されて軍事行動を取るうえで、軍楽や軍歌斉唱による心身の調律・練兵が決定的な役割を果たしました。

 こうした議論については、1990年代初頭、藤井貞和さんや高橋悠治さんなど、詩人や音楽家にも鋭い論考があります。ご興味の方にはご参照いただければと思います。

 歌を紐帯とする民心の一体化には、さらに深く長い歴史があります。ナポレオンの平民軍の直接のヒントはカトリックとプロテスタントが戦った血で血を洗う農民戦争、ユグノー戦争などにあったと思われます。

 キリスト教は基本、歌う宗教ですが、プロテスタントは「文字を解さない莫大な数の農民が歌で心身の紐帯を一つにし、長い人類の歴史で幾多の死をも恐れぬ突撃兵を作り出しきました。
 日本は神風など特攻の歴史があるので、分かってよいはずなのですが、なぜか大変ナイーブです。

 世の中は音楽を軽視していますが、実は意思決定の大きな部分を音楽は容易に左右することができます。

 日本の歴史で言うならば、プロテスタントに相当するのは一向一揆です。かつてなら平安時代は貴族階級の占有物であった仏教が武家の支配する鎌倉時代以降、急速に民衆に広がります。
 いわゆる鎌倉新仏教ですが、ここで発展した浄土信仰、とりわけ民衆の阿弥陀信仰は、文字も読めず教育もない人口の圧倒的多数を占める農民層に受け入れられてきました。

 もっと言えば、生き物の命を取るような仕事、猟師や漁師は言うまでもなく、武士であっても往生できるとの教えが帰依者を呼び寄せました。
 北条得宗家が庇護した法然由来の浄土宗はもとより、親鸞に発する浄土真宗は「南無阿弥陀仏の六字」と言うより「なまんだぶ」の念仏1つを信じて、普通の農民が自殺特攻するのを支えます。
 ご恩と奉公の鎌倉武士はもとより、下克上の戦国武将でもこれには全く手がつけられず、加賀国は100年近く真宗の自治コミューンが統治しました(加賀一向一揆)。

 僧兵が恐れられた比叡山ですら焼き討ちした織田信長が、唯一どうにもならず和議を結ぶしかなかった石山本願寺との軍事的対立(石山合戦)は、小さな女の子が鞠をもってニコニコ近づいてきたら爆弾だったといった、まさに21世紀のテロリズムにも直結する強烈なマインドコントロール力で民衆の心を1つにしました。

 善し悪しではありません。これは事実であって、そういう恐ろしいものを扱っているのだという自覚と倫理をもって、私は音楽を作っているし、そのように若い人にも、科学的な根拠をもって教えている次第です。

最初のポップス「ホルスト・ヴェッセル・ソング」
 グローバルヒットするポピュラーソング、いわゆるポップスというものがいつできたかご存知ですか?

 ローカルな民謡は江戸時代でもいつでも存在しました。でも世界に共有されるヒットソングは、グローバルメディアができて以降の産物です。
 レコードというものが発明された当初、録音されたのはインストゥルメンタルであれオペラであれ、すでに存在した音楽で、それを録音して発売した。
 ところがある時期以降、レコードビジネスを念頭に置く「流行歌」というものが作られるようになり、全国的に、あるいは国境を越えてヒットするようになる。
 なぜか。県境や国境を越えて共有されるメディアができたから、にほかなりません。

 ラジオ放送です。先ほども触れましたが、ルワンダでは1994年、ラジオが呼びかけて3か月で120万人とも200万人とも言われる人がナタで惨殺されるジェノサイドが発生しました。
 もう10年ほど前になりますが、大統領府の招きで同国に滞在し、ルワンダ国立大学、キガリ工科大学などと再発防止法の策定に参加したことがあります。
 レゲエのリズムに乗ってジェノサイドは実行されました。

 これは1990年代のラジオですが、1920年代にスタートしたラジオ放送、欧州発の最初のポップスの1つに「ホルスト・ヴェッセル・リート」があります。

 1行目の歌詞から「旗を高く掲げよ」とも呼ばれますが、この歌を選挙戦に用いた人がいました
 ホルスト・ヴェッセル(1907-30) はこの歌の作詞者ですが、23歳でテロに遭遇して命を落としてしまいます。共産党員の犯行と言われています。
 ホルスト・ヴェッセルが所属していた政党は、彼を殉教者とみなし、彼が機関紙に寄稿していたテキストを、80年ほど前に作られ、誰もが聞いたことがある平易な旋律に会うようすこし変形して「替え歌」を作り、これを最新メディアであるラジオを併用して選挙戦を戦いました。
 1932年11月のドイツ総選挙でのことです。

 この結果、彼の政党は大躍進して第1党の議席数を占めます。国家社会主義ドイツ労働党NSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)と呼ばれる政党です。
 翌年1月、同党の党首は首相に任命されました。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler 1889-1945)という人物です。
 翌1934年8月、ヒンデンブルク・ワイマール共和国大統領の死に際して、すでに様々な権力集中の工作を進めていたNSDAPは、大量にばら撒いた国民ラジオを駆使して「歌う国民投票」を実施します。
 この結果、投票率95%強、そのうち支持率89.9%という異常な高支持率で、いわゆる「全権委任法」が成立します。
 アドルフ・ヒトラーを「総統」とする、憲法に穴の開いた独裁体制が成立、その後、ドイツがどのように壊れ、どうしようもない事態と、取り返しのつかない惨禍を作り出したかは、いまさら申すまでもありません。

 しかし、「あのときドイツ民衆は支持したんだよね」という話が語られるなか、「国民ラジオ」やそれを通じて喧伝された歌の内容は、必ずしも重視されません。wikiに上がっている訳詞を引用しておきます。

「旗を高く掲げよ!
隊列は固く結ばれた!
ナチス突撃隊は不動の心で、確かな歩調で行進する
赤色戦線と反動とが撃ち殺した戦友たち、
その心は我々の隊列と共に行進する」
ヘイトソングなんですね「ホルスト・ヴェッセル・リート」は。
 で、これに「わけもなく」高揚・共鳴した民衆が、今年のノーベル経済学賞受賞者、リチャード・セイラーらの指摘する典型的な「非合理的選択」を下してしまった経緯などには、多くの論者がナイーブにも全く触れません。
 この歌は結局、ナチスの「第2国歌」とされ1945年まで歌い継がれ、ホロコーストと破滅戦争が進みました。

 ヘイトを歌詞にいただく国歌、そこで推進された絶滅政策。音楽というものは、かくもおぞましいことを可能にしてしまうことを、本稿をお読みになった方はどうか生涯忘れないでいただきたい。

 私はこの問題系を大学生だった22歳の折、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノーから教わり、ここ30年来の仕事の中核に据え続けてきました。

 コンクールのキャリアを重ねていた時期、「題名のない音楽会」など地上波放送に責任をもっていた頃、大学に呼ばれ学生を指導し始めた20年前から現在に至る創作、演奏、研究、教育のすべてが、ここに発し、ここに立ち戻ります。

民衆が歌うとき国が分裂する

 カタルーニャのスペインからの分離独立が大変深刻な問題になっています。ここでは独自言語を含む「歌う市民活動」が間違いなく大きな力にもなり、また問題の根を深くもしていると思います。ただし問題が大きすぎるので別論としましょう。

 ロシア帝国の圧制に苦しむ19世紀フィンランドでは、一時大変なナショナリズムの高まりがありました。
 そこで唱和された「フィンランディア」という歌を挟んで前後に器楽を配した、ジャン・シベリウスの交響詩は、今日に至るまでフィンランドの「第2国歌」として、愛され、親しまれています。
 そういう強烈な力を、歌、特にメロディを斉唱する音楽は持っています。醜いヘイトソングを第2国歌とした政権がどのように滅びたかも念頭に、このサイト(参照=http://www.world-anthem.com/march/finlandia-hymn.html)にあった訳を引用して、フィンランディアの歌詞で本稿を結びたいと思います。

 選挙で国歌など歌い始めてしまったら、国が分裂する予兆と見た方がいいかもしれません。カタルーニャの現勢を見ても、かなり末期的で危ないシグナルを感じた方がよいと思います。
 理由なく人の情緒をコントロールする不合理な力は、簡単に国を滅ぼしてしまいます
 国歌は、理非もある美しい本質を歌い上げるべきもので、特定政党が集票マインドコントロール的に使用するなど、もってのほかとしか言いようがありません。

 フィンランディアの歌詞が高く掲げるのは、ナチスのようなヘイトの旗ではなく、誇り高い独立不羈の旗であることに注目すべきと思います。

「おお、スオミ(フィンランド国民の自称)
汝の夜は明け行く
闇夜の脅威は消え去り
輝ける朝にヒバリは歌う
それはまさに天空の歌
夜の力は朝の光にかき消され
汝は夜明けを迎える 祖国よ
おお立ち上がれスオミ 高く掲げよ
偉大なる記憶に満ちた汝の頭を
おお立ち上がれスオミ 汝は世に示した
隷属のくびきを断ち切り
抑圧に屈しなかった汝の姿を
汝の夜は明けた 祖国よ」」

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