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このままでは、日本は武器輸出大国になる!!
明治大学 商学部 教授 横井 勝彦
世界の武器取引は増加の一途を辿り、現在、冷戦終結後で最大の規模に達しています。日本も2014年に武器輸出三原則を改訂して、武器輸出国に転じつつあります。現代の軍縮・軍備管理問題はきわめて複雑な様相を呈しており、問題の重大性にもかかわらず、その本質を見定めることは容易ではありません。闇の中に閉ざされているかのような兵器や軍事の問題に、私たちはもっと注目する必要があります。
顕在化した大学の軍事研究への動員と武器輸出の国策化
2017年3月に、日本学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表しました。これは1950年と1967年の声明に続いて、日本学術会議が実に50年ぶりに発した三度目の「大学での軍事研究を否定する声明」です。この背景には、半世紀にわたり維持されてきた、大学が軍事と一線を画す日本の伝統が揺らぎ始めたことへの危機感があります。自由な研究費に回せる大学への交付金は毎年削減されてきていますが、その一方で米軍による日本の大学や研究機関への研究費助成は増加してきています。そして2015年には防衛省が、大学から防衛装備に関する先端技術の提案を募る「安全保障技術研究推進制度」を導入しました。この制度の予算額は、2015年度は3億円でしたが、2017年度には110億円へと18倍も増額されています。
それだけではありません。「安全保障技術研究推進制度」の創設と同時に、防衛省の外局として防衛装備庁が設置されましたが、それは同制度を所管するだけではなく、東アジア諸国などへの武器輸出を推進するという役割も担うこととなったのです。
こうした一連の決定の前提には、2014年4月に武器輸出三原則に代えて、武器の輸出入を基本的に容認する「防衛装備移転三原則」が安倍政権によって閣議決定されたことがあります。ここで特に注目すべきは、大学での軍事研究と武器輸出の国策化に対して、一貫して財界からの強い要請があったという事実です。2015年9月、経団連は「防衛産業政策の実施に向けた提言」を発表しました。この提言で経団連は大学に対して「安全保障に貢献する研究開発に積極的に取り組むことを求め」、政府に対しては「防衛装備品の海外移転は国家戦略として推進すべきである」と主張して、軍事費の拡大と東アジア諸国などへの武器輸出の推進を強く要求しているのです。
以上のように、2010年代に入って日本は急速に武器輸出国に転じ、大学も軍事研究に動員されようとしていますが、それでは、戦後半世紀に及ぶ日本の武器輸出三原則とは、どのような変遷を辿ってきたのでしょうか。実は、武器輸出規制の緩和を求める声は、かなり以前から確認できます。
戦後すぐから始まった武器輸出を求める動き
そもそも武器輸出三原則とはどのようなものだったのでしょうか。武器輸出三原則は、1967年に佐藤栄作首相が国会答弁で、①共産圏諸国向け、②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向け、③国際紛争の当事国またはそのおそれのある国向けには武器を輸出してはならない、と答弁したことに始まり、つづいて1976年に三木内閣が三原則の対象地域以外でも武器輸出は原則禁止としたことによって、全面禁輸原則として強化されました。しかし、三原則の改訂・緩和を求める動きは、ほぼ同時期より始まっています。
1945年、敗戦の年に設置された経団連の防衛生産委員会は、早くも1962年には武器輸出承認に消極的な政府に対して不満を表明していましたが、それとは別に1951年に日本技術生産協力会が創設され、それが翌52年には兵器生産協力会に、さらに53年には日本兵器工業会へと改組・改称を、そして体制の整備を重ねてきております。これが現代の日本防衛装備工業会の前身です。兵器を生産する民間企業の組織が、兵器の輸出促進を長年にわたり強く要請し続けていたのです。
比較的最近の事例に即して言えば、1995年に経団連防衛生産委員会と日本防衛装備工業会が政府に対して武器輸出三原則の見直しを要請し、その2年後に開催された日米安全保障産業フォーラムでは、日米合計24の企業によって防衛産業の基盤維持の方策が検討されています。その後、経団連が発表した意見書「今後の防衛力整備のあり方について」を受けて、2005年には小泉政権が弾道ミサイル防衛システムの共同開発は三原則の対象外と発表しています。ここに例外規定という抜け穴が生まれました。つづいて2011年には民主党の野田政権が、平和・人道目的や国際共同開発への参加であれば武器の輸出を容認するとして、武器輸出を「包括的に例外化」しました。この段階で、三原則は実質的に改訂されてしまっていたのです。
以上が、2014年に武器輸出禁止が武器輸出容認・奨励に転換するまでの大まかな経緯です。政府・財界が指摘する三原則見直しの理由としては、①ミサイル防衛システムの日米共同開発・生産の障害除去、②技術面での国際競争力の維持、③高度兵器技術開発における国際協力の必要性などが指摘されていますが、いま私たちが人類共通の課題として追究しなければならないのは、そうした直近の事情だけではなく、過去100年以上にわたって武器輸出の拡大を許してきた世界的な全体構造であります。 武器輸出拡大の世界史的構造
ここからは少し時代を遡って、いつ、どのような理由で、各国政府が武器の輸出を容認し、奨励してきたのかを紹介しておきます。結論を先取りして言えば、防衛予算が縮小しても、戦争がなくなっても、国内兵器産業の利害とその生産基盤を保護するために、民需産業への転換ではなく、海外への武器輸出を拡大する道を選択してきたのです。
例えば、アメリカにおいて、ベトナム戦争後に急増した有償援助政策や冷戦終結後の対外有償軍事援助制度の狙いは、アメリカ国内での武器需要の減少を海外への武器輸出で補えるよう、政府が兵器産業の武器輸出を保証し、支援することにありました。さらに遡って、第一次大戦後の軍縮不況期においても、同様の構造を確認することができます。イギリス政府は、戦後に余剰兵器が世界中に拡散して帝国防衛が危機に瀕することを恐れ、世界で初めての武器輸出禁止令を発布し、さらに輸出信用保証制度の対象から武器を除外しました。ところが、ドイツ、イタリア、フランスなどでは、イギリスとはまったく逆に、政府が軍縮不況に喘ぐ自国の兵器産業を保護するために積極的に武器輸出を奨励しました。結局、ヴィッカーズ社など自国兵器企業の要請に押されて、イギリスも非公式ながら武器輸出容認に転じ、第二次大戦前夜の東アジアには巨大な武器市場が形成されたのでした。ちなみに、現在検討中と言われている日本の武器輸出貿易保険の目的は、アメリカの対外有償軍事援助制度や両大戦間の軍縮期にヨーロッパ各国が採用した輸出信用保証制度と同じ目的、すなわち武器輸出の推進にあります。 国際武器移転史研究所の課題
海外の研究者を招いてのシンポジウム
「国際武器移転史研究所」の多岐にわたる活動.jpg」
※以上の全ての項目が研究所のホームページからご覧になれます。
国際武器移転史研究所のホームページ
兵器の生産と取引の実態は厚いヴェールに覆われて、現状の解明には大きな困難が伴います。しかし、この100年間に兵器の生産国と輸入国がともに急増してきたことは間違いありません。兵器はなぜ拡散を続けるのでしょうか。軍縮と軍備管理はなぜ人類共通の課題とはなり得ないのでしょうか。こうした問題の本質を浮き彫りにするには、歴史研究が重要な役割を担っています。私たちは、このような観点より、2015年に国際武器移転史研究所を設立しました。この研究所は、総合的歴史研究を通じて、兵器の拡散防止と軍縮を阻む近現代世界の基本的構造を解明することを課題としており、ロンドン大学キングス・カレッジの戦争研究学部やジュネーヴ高等国際・開発問題研究所のスモール・アームズ・サーヴェイなどの先端的な研究機関に所属する多くの海外研究者とも連携して、現在、さまざまな角度から共同研究を進めております。
具体的には、①武器移転・技術移転の連鎖の構造解明、②軍縮・軍備管理破綻の構造解明、③軍産学連携・軍事偏重型産業化モデルの国際比較を中心に、歴史を振り返って過去の事実を検証し、現代世界の克服すべき問題の本質を明らかにすることを目指しています。明治大学の社会連携ポリシーには「軍事利用を目的とする研究・社会連携活動を一切禁止する」と明記されていますが、本研究所はその理念に即して、さまざまな方法で研究成果を広く社会に発信し、社会との対話をさらに活発に展開していくことを方針としています。
これまでに開催したシンポジウムのポスター(一部) |

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