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9条改悪は自由権規約20条違反

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 ◆ 一橋大学に差別を許さない学園祭の実現を求めます。
   登壇する百田尚樹氏に絶対差別をさせないでください。または企画を中止してください。

   発信者:反レイシズム情報センター(ARIC)



 一橋大学の学園祭であるKODAIRA祭で、来る2017年6月10日に、百田尚樹氏(作家)の講演会「現代社会におけるマスコミのあり方」が企画されています。

 しかし百田尚樹氏は、悪質なヘイトスピーチ(差別煽動)を繰り返してきました。
 下記はその一例です。
・(千葉大医学部の「集団レイプ事件」について)「私は在日外国人たちではないかという気がする。」(2016年11月24日ツイッター)

・(「遺体を陵辱するなどの行為は支那人特有のものですね。」というツイートへのリツイートに)「 そうです!中国人は昔からやります。日本人にはない特性です。」(2013年9月19日ツイッター)


・「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。」(2017年4月13日ツイッター)(以上、政治家レイシズムデータベースより)
 これらヘイトスピーチは、日本も95年に批准した人種差別撤廃条約が法規制の対象としている極右活動・差別の煽動行為に当たる違法行為です。欧州では百田氏の発言・言動はほぼ間違いなくネオナチなどの極右として法規制の対象となります。
 国立大学などの公共機関が極右・ネオナチに公的な発言機会を与えることは人種差別撤廃条約によって禁じられています。(昨年5月に制定されたヘイトスピーチ解消法の精神にも反します)

 しかも百田氏は単なる私人ではなく、昨年NHK経営委員を務める等、準公人として極めて大きな社会的影響力を持ちます。実際に彼がテロを煽動した4月13日のツイートは、17万のフォロワーによってまたたくまに拡散され、無数の賛同ツイートを誘発しました。そのなかには、
「一兵卒として参加します」「俺も殺りますよ!」
「最低一人の在○○○人を道連れにする覚悟です!」
「駅前のパチンコ屋の打ちこわし」
「総連打ち壊しオフ会」
 などといった、マイノリティへの殺人・ジェノサイドの予告を含む、極めて危険なヘイトスピーチが数多く散見されます。

 このような殺人・テロをふくむ差別煽動を繰り返す百田尚樹氏が、学園祭に招かれることで、私たちは学園祭期間中に深刻な差別・暴力が誘発されることを憂慮せざるをえません。
 じっさいに影響力のある公人の差別は、庶民の差別よりもはるかに深刻な差別煽動効果をもつことが知られています。また国立大学法人一橋大学という公共性ある大学の施設で、公式に学園祭のゲストとして招かれることじたい、彼の差別・テロ煽動に大学がお墨付きを与えることにもなります。

 したがって、私たちはKODAIRA祭が差別のない学園祭であってほしいとの願いから、私たちは百田氏をゲストに招くことに反対するとともに、以下のような実効的な差別撤廃措置を求めます。


 1.差別を許さないKODAIRA祭の実現を求めます。
 KODAIRA祭を誰もが楽しめる学園祭にするために、KODAIRA祭ではいかなる差別・極右活動も許さない旨を公に宣言し、それを徹底してください。

 1)「差別の許さないKODAIRA祭宣言」(仮)等、貴会が性・人種/民族・障がい・宗教などへの差別を禁止する明示的ルールを新たに制定してください。

 2)KODAIRA祭期間中に来場者が安心して楽しめるよう、来場者が差別に遭わないような実効的な差別防止策・対処策を策定・実行してください。

 3)貴会スタッフ全員が実効的な反差別研修を受け、KODAIRA祭期間中に差別発生時にきちんと対処できる体制を整えてください。

 4)策定した反差別ルールは来場者全員が容易に知ることができるようにしてください。

 2.KODAIRA祭のイベントに登壇する全てのゲストに対し、上記に定めた反差別ルール・ポリシーとそれを貴会が徹底する旨を通知し、万が一その約束を守れない方がいた場合その方の登壇をすべて断ってください。

 3.百田尚樹氏講演会「現代社会におけるマスコミのあり方」に関しては、百田氏が絶対に差別を行わない事を誓約したうえで、講演会冒頭でいままでの差別煽動を撤回し今後準公人として人種差別撤廃条約の精神を順守し差別を行わない旨を宣言する等の、特別の差別防止措置の徹底を求めます。
 同時にこの条件が満たされない場合、講演会を無期限延期あるいは中止にしてください。
以上

 よろしくお願いします。





 ◆ 9条発案者は幣原ではない!

皆さま
 こんばんは。増田です。これはBCCでお知らせします。重複・超長文、ご容赦を!

 『日刊ゲンダイDIGITAL』(2016年10月11日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/191251
 に、8月12日の東京新聞に引き続き、堀尾輝久氏が「新史料」を発掘したので「9条発案者は幣原」であり、「押し付け憲法論は覆った」という記事が載っています。
 これは、明らかに事実ではなく誤っているので、憲法学者さんや歴史学者さんから反論が直ぐに出るだろうと思っていたのですが、なぜか、全く出てきていません。あるMLでは、この『ゲンダイ』記事を、どんどん拡散して「市民同士で伝え合い、子孫のため、真実を浮き彫りにして行きましょう。」という投稿がありました。

 かなり迷って、以下のように返信しました。


 日本国憲法の成立過程はとても大切なことだと思いますので、本当に超長文になってしまい申し訳ないのですけど…と言って、これで、最低限に絞ったつもりなので…お時間のある時に読んでいただければ幸いです。

 **********************
 【ゲンダイ記事を超拡散!】「マッカーサー書簡で判明。押し付け憲法論は覆った」

 ○○さま
 こんばんは。増田です。

 どうしようかと迷ったのですが…堀尾氏の主張の誤りの指摘には、かなりの長文が必要になりそうですし、なによりも、9条護憲派にとっては「9条発案者は日本人の幣原だった。マッカーサー=GHQに押し付けられたのではない」となるのは都合がいいですし…と。

 でも、やはり、「都合がいいか」「都合が悪いか」で歴史の事実を偽造してはならない、と考えますので、返信します。

 ハッキリ言って、有名な学者さんであっても、堀尾氏の主張は誤りです。

 1、「新史料」だとしても、無価値
 「1958年12月に憲法調査会(56〜65年)の高柳賢三会長とマッカーサーらによって交わされた書簡」によって、1946年2月3日にマッカーサーがホイットニーGHQ民政局長に提示した三原則…いわゆる「マッカーサー三原則」…のうち
「 II  国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。」
(原文は  http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html
 の発案者が幣原だった、という証拠とするには、あまりにも無理があります。

 マッカーサーが「9条発案者は幣原だった」と公言した最初は「1951年5月5日の米議会上院軍事外交合同委員会公聴会での証言」だったようです。幣原平和財団 『幣原喜重郎』(1955年)によれば
 「幣原首相は『長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争を無くすことだという確信にいたり、ためらいながら軍人のあなたに相談に来ました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないと思うからです」『私はいま起草している憲法に、そういう条項を入れる努力をしたい』といった。
 私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って『最高に建設的な考えの一つだ』『世界はあなたを嘲笑するだろう。その考えを押し通すには大変な道徳的スタミナを要する。最終的には(嘲笑した)彼らは現状を守ることはできないだろうが』。私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れた。」
 ですから、8月12日の東京新聞記事や10月11日の『日刊ゲンダイ』が、いくら堀尾氏による「新史料、発見」と言ったところで、1951年5月5日にマッカーサーが公言したことを、1958年の12月にマッカーサー自身が否定するわけはないのですから、この「新史料」に全く価値は無いのです。

 だから「大手メディアは全然反応しません」のは当然です。古関彰一氏などの憲法学者さんたちが反応しないのは、有名な学者さんである…教育史の専門家?…東大名誉教授の堀尾氏に「恥をかかせては悪い」と思ってらっしゃるからではないかと私は考えています。

 ちなみに、古関先生は『憲法9条はなぜ制定されたか』(岩波ブックレット「幣原首相はGHQ案に反対だった」P14)『新憲法の誕生』(中公文庫 「『戦争放棄』の発案者」P137))で「9条、幣原発案説」をハッキリと否定していらっしゃいます。

 2、1946年2月3日のマッカーサー三原則以前に幣原が9条原案を出した証拠は全く無い
 もしも「幣原が本当の9条発案者だ」ということが成り立つとすれば、マッカーサーも幣原も言っているように、三原則を提示した2月3日以前の同年1月24日の会談で、幣原が本当に9条原案を出していることを、リアルタイムの1級史料で証明する必要があります。

 しかし、前記古関先生も引用していらっしゃるリアルタイムの1級史料である『芦田均日記』第一巻 岩波書店 P79)は「2月22日 憲法論議第2日」と題して以下のように記述しています。
 「幣原総理は昨日MacArthurと三時間に亘る会議の内容を披露された。以下、総理談の要領を誌す。

 MacArthurは先ず例の如く演説を始めた。『…日本の為に図るに寧ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為にする戦争を放棄すると声明して日本がMoral Leadershipを握るべきだと思う。』

 幣原はこの時 語を挿んでLeadershipといわれるが、恐らく誰もfollowerとならないだろうと言った。
 マッカーサーは『followersが無くても日本は失うところはない。…この際は先ず諸外国のReactionに留意すべきであって、米国案を容認しなければ日本の絶好のchanceを失うであろう。』
 …第一章(天皇条項)と戦争放棄とが要点であるから其の他については十分研究の余地ある如き印象を与えられたと、総理は頗る相手の態度に理解ある意見を述べられた。」
 幣原がもし本当に9条発案者なら、マッカーサーに「恐らく誰も(「軍隊の不保持=非武装」の)followerとならないだろう」などと「反対の気持ち」をマッカーサーに言うはずもありません。

 百歩譲って、当時の閣僚たちには、とても「軍隊の不保持=非武装」は理解できないだろうが、これは昭和天皇を護るために新憲法には絶対に必要だと考える幣原が、わざと「自分は反対だったんだが。マッカーサーに押し付けられた」と閣僚には言い訳をして「マッカーサーの外圧だから仕方ない」と閣僚には思わせるために芝居を打った、ということにしましょう。

 では、もう一つの1級史料…上記『芦田日記』は、よく引用されるのですが、これは、なぜか、憲法学者さんたちも引用していないようです……当時、対日理事会の英連邦代表(オーストラリア外交官・元政治学教授)として日本にいたマクマホン・ボールの日記(『日本占領の日々――マクマホン・ボール日記』岩波書店)1946年6月25日(P66)の記述を紹介しましょう。
「<エヴァット外相宛て電報>
 マッカ―サーは6月22日に憲法についての声明を出した。(中略)マッカ―サーは(私に)憲法に関する日本人とのやりとりについて、率直に正直に詳しく話したい、と言った。重点は以下のようであった。

 マッカ―サーは戦争放棄に関して、幣原はマッカ―サーに『どのような軍隊なら保持できるのですか』と尋ねた。マッカ―サーは『いかなる軍隊も保持できない』と答えた。幣原は、『戦争放棄ということですね』と言った。マッカ―サーは、『そうです。あなたがたが戦争を放棄すると公言すれば、そのほうが あなたがたにとって 好都合だと思いますよ』と答えた。」
 幣原が9条発案者なら、マッカーサーに「『どのような軍隊なら保持できるのですか』と尋ね」ることなど有り得ないでしょう。

 
この時、マッカーサーは、まだウソをつく必要など、全く無かったのですから…

 では、いつから、マッカーサーは、自分が9条発案者だったのに、それを「幣原が発案した」ことにしなければならなくなったのでしょうか?

 3、朝鮮戦争で日本に再軍備を強制しなければならなくなったマッカーサーは「9条発案者」の役を幣原に押し付けたのでは?

 マッカーサーは、沖縄を軍事要塞化すれば日本本土は非武装でも大丈夫だと考えていたのですが、冷戦の激化でぐらつく中、1950年6月25日の朝鮮戦争が勃発しました。
 東アジアでは冷戦が熱戦になったことより、日本から米軍を朝鮮に出動させなければならなくなって、それを補うために同年7月8日、マッカーサーは吉田茂首相に対して書簡を送りました。「警察力増強を指令」です(袖井林二郎編訳『吉田茂=マッカーサー往復書簡集』講談社学術文庫P535〜537)。マッカーサーはこの書簡で「事変・暴動等に備える治安警察隊」として、75,000名の「National Police Reserve」を名目として吉田茂首相に「再軍備」を強制します。

 ちなみに「許可する」とマッカーサーは、書いていますが、吉田は全くそんなことを要請してはいなかったのです。

 これ以前、米ソの対立の深まりによってアメリカ本国政府内、あるいは米軍内部では「日本を非武装化させたのは誤りだった」、つまり「マッカーサーは過ちを犯した」という声が高まっていたのではないでしょうか。

 現に1953年、来日した当時のニクソン副大統領やダレス国務長は公言しました。
 「事実1946年に日本の非武装化を主張したのは日本人でなく、米国側であった。私は米国が犯した この誤ちをここで率直に認めよう。」(毎日新聞 昭和28年11月20日)
 「私は『日本を戦後 完全に非武装化したのは誤りであった』とのニクソン米副大統領声明に同意する。米国が日独両国に対してとった非武装化計画はその後の情勢から見て極端すぎたと思う。」(同 11月23日)

 つまり、マッカーサーにとっては「9条を作らせたのは誤りだった」という米国内の非難に対して「いやいや、あれは私の発案じゃなく、幣原の発案だったんだよ」という必要があったのです。
 私は、この「警察予備隊」という名前での「再軍備指令」の後「『発案者は君だ』ってことにしよう。大々的に、そう宣伝してくれ」とマッカーサーと幣原の間で密約があったのではないか、と考えています…絶対に証拠は残さないように口頭でのことでしょうけど…

 この密約が成り立ったからこそ、マッカーサーは1951年5月にそれを公言し、それ以後は死ぬまで「9条発案者は幣原だった」と言い続けたのではないでしょうか。

 では、幣原は、なぜ自から「私が9条発案者だ」と言わねばならなかったのでしょう? 幣原が、それを公言したのは『幣原喜重郎 外交五十年』(中公文庫)…昭和26(1951)年3月2日付の「序」があり、幣原は3月10日に死亡…からだと思います。以下のように書かれています。
「憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは、他の人は知らんが、私に関する限り、前に述べた信念からであった。よくアメリカの人が日本へやってきて、今度の新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部のほうから迫られたんじゃありませんか と聞かれるのだが、あれは私に関する限り そうじゃない。決して誰からも強いられたんじゃないのである」(P219)
 後は、ことあるごとに「自分が発案者だ」と幣原は言い続けます、マッカーサーと符牒を合わせて。

 憲法制定にあたり、幣原が命を懸けていたのは…当時の日本の支配層は全部そうだったのでしょうけど…とにかく、なにがなんでも昭和天皇(天皇制)を護る、ということでした。だから、昭和天皇(天皇制)を護ってくれたマッカーサーには絶対随順だったでしょう。当時、非常に貴重だったペニシリンをくれて肺炎になっていた幣原を救ってくれた恩義もあったでしょうし…

 紫垣 隆という幣原の友人は「幣原首相は売国奴にあらず」(『憲法研究(4)』1965年10月)の中で、以下のように書いています。


(「昭和26年はじめ」つまり、1951年初めの幣原の述懐として)「『今度の憲法改正も、陛下の詔勅にある如く、耐え難きを耐え、忍ぶべからざるを忍び、他日の再起を期して屈辱に甘んずるわけだ。これこそ敗者の悲しみといものだ』と しみじみと語り、そして 傍らにあった 何か執筆中の原稿を指して「この原稿も、僕の本心で書いているのでなく 韓信が股をくぐる思いで書いているものだ。何れ 出版予定のものだが、お手許にも送るつもりだから 読んで下されば解る。これは 勝者の根深い猜疑と弾圧を和らげる悲しき手段の一つなのだ」


 「韓信が股をくぐる思いで書い」たという「この原稿」とは、『外交五十年』なのではないでしょうか。

 4、9条発案者がマッカーサーであっても、日本国民は圧倒的多数が主体的に選んだ!

 私は「9条発案者がマッカーサーであったとしても、日本国民は、これを圧倒的多数で、主体的に9条を選んだ」という歴史事実こそ、強調すべきことだと思います。

 日本国憲法は、マッカーサー=GHQが原案を日本政府に渡しました。そして、女性も初めて選挙権を行使した1946年4月10日、敗戦後初の衆議院総選挙の結果、選ばれた日本国民代表たちは、国会で活発に憲法案を議論しました。

 そして、第90回帝国議会・1946年8月24日、衆議院本会議での「新憲法案採択」は421対8でした。以下のURLの帝国議会会議録に賛成者・反対者全員の名前が全員、載っています。
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/090/0060/main.html

 反対者の8名は、柄沢とし子 志賀義雄 高倉輝 徳田球一 中西伊之助 野坂参三(共産党)、細迫兼光(無所属クラブ)、穂積七郎(新政会)です。
 後者二人はのちに日本社会党の議員になりますから、理由は共産党と同じく「天皇制は残すべきではない」「自衛のための戦力は放棄してはいけない」というところかと思います。

 また、これは貴族院に送られ、10月6日、本会議でいくつかの修正案を審議し、2/3以上で可決されたのです。
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/090/0060/main.html

 この時、「こんな日本国憲法はイヤだ、反対だ」と主張することは全く自由でした。それなのに、国民代表の圧倒的多数は賛成したのです。つまり、9条も日本国民は圧倒的多数が自分の意志で選んだ、と言えるのです。

 また、日本国憲法が1946年11月3日にされた翌年早々の1946年1月3日付で、マッカーサーは吉田茂首相に以下のような書簡を送っています。
「昨年1年間の日本における政治的発展を考慮に入れ、新憲法の現実の運用から得た経験に照らして、日本人民がそれに再検討を加え、審査し、必用とならば改正する、全面的にして且つ永続的な自由を保守するために、施行後の初年度と第二年度の間で、憲法は日本人民並びに国会の正式な審査に再度付されるべきことを、連合国は決定した。

 もし、日本人民がその時点で憲法改正を必用と考えるならば、彼らはこの点に関する自らの意見を直接に確認するため、国民投票もしくは何らかの適切な手段をさらに必用とするであろう。換言すれば、将来における日本人民の自由の擁護者として、連合国は憲法が日本人民の自由にして熟慮された意志の表明であることを将来疑念がもたれてはならないと考えている」(『吉田茂=マッカーサー往復書簡集』P287〜288)
 つまり、マッカーサー=連合国は日本国憲法が施行される4か月も以前に「もし、この憲法はダメだ」と考えるなら、国民投票でもして「必用とならば改正する」のも、O・K!とハッキリ言っていたのです。

 対して吉田の返事は、1月6日付で「1月3日の書簡確かに拝受いたし、内容を仔細に心に留めました」と、たった、これだけ…でした。

 つまり、日本支配層も、日本国民も日本国憲法に全く満足していたのです
 …吉田ら日本支配層にとっては天皇制が護持された日本国憲法は「改正する必要」は全く無かったわけで、日本国憲法は「押し付け」憲法どころか「臣茂」としては満足の憲法だったのです。
 国民にとっては「戦争はもうこりごり」というところから「もう戦争しないで済むんだ」という日本国憲法は大満足だったでしょう。

 憲法9条発案者がマッカーサー=GHQであったとしても、それを「日本国憲法」として主体的に選び取ったのは日本国民であって、その時、日本国憲法は「押し付けられた」というような屈辱的なものではなかった、という歴史事実を直視すれば、これは日本人にとって誇りでありこそすれ、何ら、臆する必要はないと思います。

 ですから、「9条発案者は幣原だ」などという、マッカーサーのメンツ上から作り出されたウソを拡散するのは誤っている、というのが私の結論です。


 ◆ 9条発案者は幣原ではない!

皆さま
 こんばんは。増田です。これはBCCでお知らせします。重複・超長文、ご容赦を!

 『日刊ゲンダイDIGITAL』(2016年10月11日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/191251
 に、8月12日の東京新聞に引き続き、堀尾輝久氏が「新史料」を発掘したので「9条発案者は幣原」であり、「押し付け憲法論は覆った」という記事が載っています。
 これは、明らかに事実ではなく誤っているので、憲法学者さんや歴史学者さんから反論が直ぐに出るだろうと思っていたのですが、なぜか、全く出てきていません。あるMLでは、この『ゲンダイ』記事を、どんどん拡散して「市民同士で伝え合い、子孫のため、真実を浮き彫りにして行きましょう。」という投稿がありました。

 かなり迷って、以下のように返信しました。


 日本国憲法の成立過程はとても大切なことだと思いますので、本当に超長文になってしまい申し訳ないのですけど…と言って、これで、最低限に絞ったつもりなので…お時間のある時に読んでいただければ幸いです。

 **********************
 【ゲンダイ記事を超拡散!】「マッカーサー書簡で判明。押し付け憲法論は覆った」

 ○○さま
 こんばんは。増田です。

 どうしようかと迷ったのですが…堀尾氏の主張の誤りの指摘には、かなりの長文が必要になりそうですし、なによりも、9条護憲派にとっては「9条発案者は日本人の幣原だった。マッカーサー=GHQに押し付けられたのではない」となるのは都合がいいですし…と。

 でも、やはり、「都合がいいか」「都合が悪いか」で歴史の事実を偽造してはならない、と考えますので、返信します。

 ハッキリ言って、有名な学者さんであっても、堀尾氏の主張は誤りです。

 1、「新史料」だとしても、無価値
 「1958年12月に憲法調査会(56〜65年)の高柳賢三会長とマッカーサーらによって交わされた書簡」によって、1946年2月3日にマッカーサーがホイットニーGHQ民政局長に提示した三原則…いわゆる「マッカーサー三原則」…のうち
「 II  国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。」
(原文は  http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html
 の発案者が幣原だった、という証拠とするには、あまりにも無理があります。

 マッカーサーが「9条発案者は幣原だった」と公言した最初は「1951年5月5日の米議会上院軍事外交合同委員会公聴会での証言」だったようです。幣原平和財団 『幣原喜重郎』(1955年)によれば
 「幣原首相は『長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争を無くすことだという確信にいたり、ためらいながら軍人のあなたに相談に来ました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないと思うからです」『私はいま起草している憲法に、そういう条項を入れる努力をしたい』といった。
 私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って『最高に建設的な考えの一つだ』『世界はあなたを嘲笑するだろう。その考えを押し通すには大変な道徳的スタミナを要する。最終的には(嘲笑した)彼らは現状を守ることはできないだろうが』。私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れた。」
 ですから、8月12日の東京新聞記事や10月11日の『日刊ゲンダイ』が、いくら堀尾氏による「新史料、発見」と言ったところで、1951年5月5日にマッカーサーが公言したことを、1958年の12月にマッカーサー自身が否定するわけはないのですから、この「新史料」に全く価値は無いのです。

 だから「大手メディアは全然反応しません」のは当然です。古関彰一氏などの憲法学者さんたちが反応しないのは、有名な学者さんである…教育史の専門家?…東大名誉教授の堀尾氏に「恥をかかせては悪い」と思ってらっしゃるからではないかと私は考えています。

 ちなみに、古関先生は『憲法9条はなぜ制定されたか』(岩波ブックレット「幣原首相はGHQ案に反対だった」P14)『新憲法の誕生』(中公文庫 「『戦争放棄』の発案者」P137))で「9条、幣原発案説」をハッキリと否定していらっしゃいます。

 2、1946年2月3日のマッカーサー三原則以前に幣原が9条原案を出した証拠は全く無い
 もしも「幣原が本当の9条発案者だ」ということが成り立つとすれば、マッカーサーも幣原も言っているように、三原則を提示した2月3日以前の同年1月24日の会談で、幣原が本当に9条原案を出していることを、リアルタイムの1級史料で証明する必要があります。

 しかし、前記古関先生も引用していらっしゃるリアルタイムの1級史料である『芦田均日記』第一巻 岩波書店 P79)は「2月22日 憲法論議第2日」と題して以下のように記述しています。
 「幣原総理は昨日MacArthurと三時間に亘る会議の内容を披露された。以下、総理談の要領を誌す。

 MacArthurは先ず例の如く演説を始めた。『…日本の為に図るに寧ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為にする戦争を放棄すると声明して日本がMoral Leadershipを握るべきだと思う。』

 幣原はこの時 語を挿んでLeadershipといわれるが、恐らく誰もfollowerとならないだろうと言った。
 マッカーサーは『followersが無くても日本は失うところはない。…この際は先ず諸外国のReactionに留意すべきであって、米国案を容認しなければ日本の絶好のchanceを失うであろう。』
 …第一章(天皇条項)と戦争放棄とが要点であるから其の他については十分研究の余地ある如き印象を与えられたと、総理は頗る相手の態度に理解ある意見を述べられた。」
 幣原がもし本当に9条発案者なら、マッカーサーに「恐らく誰も(「軍隊の不保持=非武装」の)followerとならないだろう」などと「反対の気持ち」をマッカーサーに言うはずもありません。

 百歩譲って、当時の閣僚たちには、とても「軍隊の不保持=非武装」は理解できないだろうが、これは昭和天皇を護るために新憲法には絶対に必要だと考える幣原が、わざと「自分は反対だったんだが。マッカーサーに押し付けられた」と閣僚には言い訳をして「マッカーサーの外圧だから仕方ない」と閣僚には思わせるために芝居を打った、ということにしましょう。

 では、もう一つの1級史料…上記『芦田日記』は、よく引用されるのですが、これは、なぜか、憲法学者さんたちも引用していないようです……当時、対日理事会の英連邦代表(オーストラリア外交官・元政治学教授)として日本にいたマクマホン・ボールの日記(『日本占領の日々――マクマホン・ボール日記』岩波書店)1946年6月25日(P66)の記述を紹介しましょう。
「<エヴァット外相宛て電報>
 マッカ―サーは6月22日に憲法についての声明を出した。(中略)マッカ―サーは(私に)憲法に関する日本人とのやりとりについて、率直に正直に詳しく話したい、と言った。重点は以下のようであった。

 マッカ―サーは戦争放棄に関して、幣原はマッカ―サーに『どのような軍隊なら保持できるのですか』と尋ねた。マッカ―サーは『いかなる軍隊も保持できない』と答えた。幣原は、『戦争放棄ということですね』と言った。マッカ―サーは、『そうです。あなたがたが戦争を放棄すると公言すれば、そのほうが あなたがたにとって 好都合だと思いますよ』と答えた。」
 幣原が9条発案者なら、マッカーサーに「『どのような軍隊なら保持できるのですか』と尋ね」ることなど有り得ないでしょう。

 
この時、マッカーサーは、まだウソをつく必要など、全く無かったのですから…

 では、いつから、マッカーサーは、自分が9条発案者だったのに、それを「幣原が発案した」ことにしなければならなくなったのでしょうか?

 3、朝鮮戦争で日本に再軍備を強制しなければならなくなったマッカーサーは「9条発案者」の役を幣原に押し付けたのでは?

 マッカーサーは、沖縄を軍事要塞化すれば日本本土は非武装でも大丈夫だと考えていたのですが、冷戦の激化でぐらつく中、1950年6月25日の朝鮮戦争が勃発しました。
 東アジアでは冷戦が熱戦になったことより、日本から米軍を朝鮮に出動させなければならなくなって、それを補うために同年7月8日、マッカーサーは吉田茂首相に対して書簡を送りました。「警察力増強を指令」です(袖井林二郎編訳『吉田茂=マッカーサー往復書簡集』講談社学術文庫P535〜537)。マッカーサーはこの書簡で「事変・暴動等に備える治安警察隊」として、75,000名の「National Police Reserve」を名目として吉田茂首相に「再軍備」を強制します。

 ちなみに「許可する」とマッカーサーは、書いていますが、吉田は全くそんなことを要請してはいなかったのです。

 これ以前、米ソの対立の深まりによってアメリカ本国政府内、あるいは米軍内部では「日本を非武装化させたのは誤りだった」、つまり「マッカーサーは過ちを犯した」という声が高まっていたのではないでしょうか。

 現に1953年、来日した当時のニクソン副大統領やダレス国務長は公言しました。
 「事実1946年に日本の非武装化を主張したのは日本人でなく、米国側であった。私は米国が犯した この誤ちをここで率直に認めよう。」(毎日新聞 昭和28年11月20日)
 「私は『日本を戦後 完全に非武装化したのは誤りであった』とのニクソン米副大統領声明に同意する。米国が日独両国に対してとった非武装化計画はその後の情勢から見て極端すぎたと思う。」(同 11月23日)

 つまり、マッカーサーにとっては「9条を作らせたのは誤りだった」という米国内の非難に対して「いやいや、あれは私の発案じゃなく、幣原の発案だったんだよ」という必要があったのです。
 私は、この「警察予備隊」という名前での「再軍備指令」の後「『発案者は君だ』ってことにしよう。大々的に、そう宣伝してくれ」とマッカーサーと幣原の間で密約があったのではないか、と考えています…絶対に証拠は残さないように口頭でのことでしょうけど…

 この密約が成り立ったからこそ、マッカーサーは1951年5月にそれを公言し、それ以後は死ぬまで「9条発案者は幣原だった」と言い続けたのではないでしょうか。

 では、幣原は、なぜ自から「私が9条発案者だ」と言わねばならなかったのでしょう? 幣原が、それを公言したのは『幣原喜重郎 外交五十年』(中公文庫)…昭和26(1951)年3月2日付の「序」があり、幣原は3月10日に死亡…からだと思います。以下のように書かれています。
「憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは、他の人は知らんが、私に関する限り、前に述べた信念からであった。よくアメリカの人が日本へやってきて、今度の新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部のほうから迫られたんじゃありませんか と聞かれるのだが、あれは私に関する限り そうじゃない。決して誰からも強いられたんじゃないのである」(P219)
 後は、ことあるごとに「自分が発案者だ」と幣原は言い続けます、マッカーサーと符牒を合わせて。

 憲法制定にあたり、幣原が命を懸けていたのは…当時の日本の支配層は全部そうだったのでしょうけど…とにかく、なにがなんでも昭和天皇(天皇制)を護る、ということでした。だから、昭和天皇(天皇制)を護ってくれたマッカーサーには絶対随順だったでしょう。当時、非常に貴重だったペニシリンをくれて肺炎になっていた幣原を救ってくれた恩義もあったでしょうし…

 紫垣 隆という幣原の友人は「幣原首相は売国奴にあらず」(『憲法研究(4)』1965年10月)の中で、以下のように書いています。


(「昭和26年はじめ」つまり、1951年初めの幣原の述懐として)「『今度の憲法改正も、陛下の詔勅にある如く、耐え難きを耐え、忍ぶべからざるを忍び、他日の再起を期して屈辱に甘んずるわけだ。これこそ敗者の悲しみといものだ』と しみじみと語り、そして 傍らにあった 何か執筆中の原稿を指して「この原稿も、僕の本心で書いているのでなく 韓信が股をくぐる思いで書いているものだ。何れ 出版予定のものだが、お手許にも送るつもりだから 読んで下されば解る。これは 勝者の根深い猜疑と弾圧を和らげる悲しき手段の一つなのだ」


 「韓信が股をくぐる思いで書い」たという「この原稿」とは、『外交五十年』なのではないでしょうか。

 4、9条発案者がマッカーサーであっても、日本国民は圧倒的多数が主体的に選んだ!

 私は「9条発案者がマッカーサーであったとしても、日本国民は、これを圧倒的多数で、主体的に9条を選んだ」という歴史事実こそ、強調すべきことだと思います。

 日本国憲法は、マッカーサー=GHQが原案を日本政府に渡しました。そして、女性も初めて選挙権を行使した1946年4月10日、敗戦後初の衆議院総選挙の結果、選ばれた日本国民代表たちは、国会で活発に憲法案を議論しました。

 そして、第90回帝国議会・1946年8月24日、衆議院本会議での「新憲法案採択」は421対8でした。以下のURLの帝国議会会議録に賛成者・反対者全員の名前が全員、載っています。
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/090/0060/main.html

 反対者の8名は、柄沢とし子 志賀義雄 高倉輝 徳田球一 中西伊之助 野坂参三(共産党)、細迫兼光(無所属クラブ)、穂積七郎(新政会)です。
 後者二人はのちに日本社会党の議員になりますから、理由は共産党と同じく「天皇制は残すべきではない」「自衛のための戦力は放棄してはいけない」というところかと思います。

 また、これは貴族院に送られ、10月6日、本会議でいくつかの修正案を審議し、2/3以上で可決されたのです。
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/090/0060/main.html

 この時、「こんな日本国憲法はイヤだ、反対だ」と主張することは全く自由でした。それなのに、国民代表の圧倒的多数は賛成したのです。つまり、9条も日本国民は圧倒的多数が自分の意志で選んだ、と言えるのです。

 また、日本国憲法が1946年11月3日にされた翌年早々の1946年1月3日付で、マッカーサーは吉田茂首相に以下のような書簡を送っています。
「昨年1年間の日本における政治的発展を考慮に入れ、新憲法の現実の運用から得た経験に照らして、日本人民がそれに再検討を加え、審査し、必用とならば改正する、全面的にして且つ永続的な自由を保守するために、施行後の初年度と第二年度の間で、憲法は日本人民並びに国会の正式な審査に再度付されるべきことを、連合国は決定した。

 もし、日本人民がその時点で憲法改正を必用と考えるならば、彼らはこの点に関する自らの意見を直接に確認するため、国民投票もしくは何らかの適切な手段をさらに必用とするであろう。換言すれば、将来における日本人民の自由の擁護者として、連合国は憲法が日本人民の自由にして熟慮された意志の表明であることを将来疑念がもたれてはならないと考えている」(『吉田茂=マッカーサー往復書簡集』P287〜288)
 つまり、マッカーサー=連合国は日本国憲法が施行される4か月も以前に「もし、この憲法はダメだ」と考えるなら、国民投票でもして「必用とならば改正する」のも、O・K!とハッキリ言っていたのです。

 対して吉田の返事は、1月6日付で「1月3日の書簡確かに拝受いたし、内容を仔細に心に留めました」と、たった、これだけ…でした。

 つまり、日本支配層も、日本国民も日本国憲法に全く満足していたのです
 …吉田ら日本支配層にとっては天皇制が護持された日本国憲法は「改正する必要」は全く無かったわけで、日本国憲法は「押し付け」憲法どころか「臣茂」としては満足の憲法だったのです。
 国民にとっては「戦争はもうこりごり」というところから「もう戦争しないで済むんだ」という日本国憲法は大満足だったでしょう。

 憲法9条発案者がマッカーサー=GHQであったとしても、それを「日本国憲法」として主体的に選び取ったのは日本国民であって、その時、日本国憲法は「押し付けられた」というような屈辱的なものではなかった、という歴史事実を直視すれば、これは日本人にとって誇りでありこそすれ、何ら、臆する必要はないと思います。

 ですから、「9条発案者は幣原だ」などという、マッカーサーのメンツ上から作り出されたウソを拡散するのは誤っている、というのが私の結論です。
 
  《注目の人 直撃インタビュー | 日刊ゲンダイDIGITAL》
 ◆ 堀尾輝久氏 マッカーサー書簡で“押し付け憲法論”は覆った

 改憲勢力で衆参3分の2超を得た安倍首相は悲願の憲法改正に向け、虎視眈々と機会をうかがっている。この臨時国会で憲法審査会を再び動かそうとしているが、安倍が改憲のよりどころとする「押し付け憲法論」をひっくり返す新史料が見つかった。
 平和憲法の根幹をなす9条を発案したのはGHQではなく、幣原喜重郎元首相だと証言するマッカーサーの書簡だ。憲法制定過程をキッチリ議論すれば、9条改憲派は足場を失いかねない。前提を覆す史料を探し出した東大名誉教授の堀尾輝久氏に経緯や意義を聞いた。

――改憲勢力は「今の憲法は戦勝国の押し付け」との主張を繰り返し、安倍首相は「極めて短期間にGHQによって作られた」と強調しています。


 しかし、今年1月に国会図書館憲政資料室で発見された史料によれば、戦争放棄をうたった9条はマッカーサーGHQ最高司令官が主導したのではなく、幣原元首相が発案したものだと裏付けられるそうですね。

 僕が見つけたのは、1958年12月に憲法調査会(56〜65年)の高柳賢三会長とマッカーサーらによって交わされた書簡です。英文で8通21ページにのぼります。
 憲法調査会トップとして憲法成立過程を調査していた高柳が、その経緯をマッカーサーに詳しく尋ねたものなのです。この書簡の発見で、幣原発案を否定する理由はなくなったと考えています。

――具体的にはどんな文書なのでしょうか。

 核心部分はマッカーサーがしたためたこのくだりです。
〈第9条のいかなる規定も、国の安全を保持するのに必要なすべての措置をとることを妨げるものではありません。本条は、専ら外国への侵略を対象としたものであって、世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原男爵の先見の明と経国の才とえい知の記念塔として、永存することでありましょう〉(憲法調査会による和訳)
 交戦権と戦力の放棄は幣原発案であったことを示唆すると同時に、戦力放棄について幣原とマッカーサーの考え方には違いがあったこともうかがえる証言なのです。大学院生時代からフォローしていたテーマなので、発見した時は本当にうれしかった。研究者として久しぶりに興奮しました。

――どういう流れで往復書簡がやりとりされたのでしょうか。

 高柳は大正、昭和期を代表する英米法学者です。会長を務めた憲法調査会は、岸信介外相(当時)が代表者となった議員立法で56年に設立され、岸内閣が発足した57年に始動した。
 最後の大仕事として58年に渡米し、憲法制定過程に関わったマッカーサーとの面談を計画していたのです。高柳は事前に文書で申し入れたのですが、マッカーサーに固辞されてしまった。

 ◆ 岸元首相の「調査会」トップとやりとり

――安倍首相の祖父にあたる岸元首相は生前、〈憲法調査会で「日本国憲法は改正すべし」という権威ある結論を出させたかった〉という趣旨の発言をしています。調査会トップの高柳会長も改憲派とみなされたのでしょうか。

 誤解されたというか、少なくとも良い印象は持たれなかったようです。どうやら在米日本大使館が横やりを入れ、マッカーサー側に警戒されたようなのです。結果的に滞在中の面談はかなわなかったのですが、高柳はめげずにさらに手紙を送り、学術的な調査であることや詳細な質問項目を伝えた。それでマッカーサーの証言を得ることに成功したのです。そうした一連の経緯も、往復書簡の中に記されています。

――マッカーサーは51年に米上院で9条は幣原発案だと証言しましたが、日本では「信用できない」とする識者が少なくありません。

 さらに突っ込んだ書簡もあります。
 〈幣原首相は、新憲法起草の際に戦力と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか〉という高柳のストレートな質問に、マッカーサーは〈戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです〉と明快に答えている。
 続けて、〈首相は、わたくしの職業軍人としての経緯を考えると、このような条項を憲法に入れることに対してわたくしがどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそるわたくしに会見の申込をしたと言っておられました〉と結んでいます。
 この会見というのは、9条が発意された46年1月24日のマッカーサー・幣原会談を指しています。

――押し付け憲法論は空論だということですね。9条改正を目指す安倍首相は論拠を失います。

 安倍政権は9条の発意はマッカーサーによるものだという見解をベースに改憲を訴えていますが、史実は異なります。
 高柳は憲法調査会の活動のまとめの段階で「憲法第九条――その成立経過と解釈」という論文を発表している。61年のことです。
 マッカーサーとの往復書簡をベースに、「9条は幣原発案と見るのが正しい」と結論付けているのですが、原文は紹介されていなかった。
 それが幣原発案説の弱点だったのですが、ようやく原文が見つかった。安倍首相にはぜひとも目を通してもらいたい。

――それにしても、憲法公布70年の節目を迎える今日まで、この重要な往復書簡が日の目を見なかったのはなぜなのでしょうか。

 教育学者である私からすれば、これくらいのレベルの話は憲法学者であれば知っていてしかるべきだと考えていました。これだけ押し付け憲法だと言われているのだから、それに反対する憲法学者が探し出すだろうと思っていたんですが……。
 憲法成立過程に関わった学者も9条についてはあいまいな立場を取り続けたことが、少なからず影響していると思います。

 ■ 反応しない大手メディアに落胆

――そうしている間に改憲派は力をつけてしまいました。

 政府は押し付け憲法だから新しい憲法に作り直さなければいけないと盛んに喧伝する。歴史を知らず、戦争を知らず、そうした世論誘導の中で育った若い世代はその通りに受け止めてしまいかねない。
 そうした状況だからこそ、教育思想研究者として、後の世代のためにもキチンとしたものをまとめなければいけないと思い、原文を探し続けてきました。

――9条にこだわり続けた理由は?

 原点は戦争体験です。戦時教育を受け、戦争を経て、戦後改革を目の当たりにしました。
 父親は日中戦争が始まってすぐに戦地に赴き、僕が6歳の時に戦病死した。言ってみれば、僕は「靖国の子」。当然のように軍国少年として育ったんです。
 それが敗戦すると、教科書を自分の手で黒く塗りつぶさせられた。中学1年生の時でした。価値観が変わる、それも強制的に変えられる。あの衝撃は忘れられません。
 国家のため、天皇陛下のためと教えられてきた。それが新しい憲法が制定されると、憲法にのっとった教育基本法で個人の尊厳や人格完成という新しい理念を知ることになった。ギャップはとんでもなく大きかったんです。その問題意識は消えなかった。
 東大法学部で政治思想史を学んだ後、教育学の研究に移り、人間の成長や発達の問題を軸に政治や社会について考えるようになったんです。

――反響はいかがですか。往復書簡に関する論文を発表したのは「世界」(岩波書店)の5月号でした。

 正直言って、期待ほどではありませんね。これまでも教育関係の雑誌に幣原発案説を繰り返し書いてきたのですが、専門誌だというのもあるのか、あまり広がらなかった。
 今回は補強する原文を見つけ出したので、状況が変わるかと思いましたが、どういうわけか大手メディアは全然反応しませんね。
 終戦記念日の直前に東京新聞に取り上げられたことで、NHK、韓国KBS、ジャパンタイムズ、赤旗などから取材依頼があったくらいです。今回、メディアの立ち位置についても考えさせられました。
 (聞き手=本誌・坂本千晶)

 ▽ほりお・てるひさ 1933年、福岡県生まれ。東大名誉教授。東大法学部卒業後、東大大学院で教育学博士課程修了。専攻は教育学、教育思想史。東大教育学部長、日本教育学会会長、日本教育法学会会長などを歴任。著書に「現代教育の思想と構造」「教育を拓く」など。安保関連法に反対する学者の会メンバー。


『日刊ゲンダイDIGITAL』(2016年10月11日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/191251




 ◆ 改憲派集会、公明、民進党に秋波も (週刊金曜日)
永野厚男・教育ジャーナリスト

http://wind.ap.teacup.com/people/timg/middle_1463313164.jpg
小坂憲次元文部科学相「条文を提示し発議」明言〜公明党も改憲にノリノリ(撮影・永野厚男)

 改憲を目指す「新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)」が5月2日、東京・永田町の憲政記念館で開催した「新しい憲法を制定する推進大会」は、主催者発表で約1300名が参加した(サテライト会場含む)。

 最初に
97歳の中曽根氏が、「グローバル化の中で日本民族が民族たる意味を示しうるかどうか・・・が従前にも増して大きく問われる。安倍内閣は憲法改正実現に取り組もうと挑戦。我々は大いに評価・支持し期待する。ただ世論は、改正の必要性は受け入れつつ躊躇もあり、依然壁の厚さがある」と演説。


 次に、
自民党の小坂憲次元文部科学相は「憲法改正の国民投票で過半数の賛成を得られるよう、項目・条文を提示し発議させて頂く」と述べた。これは中山恭子参院議員(日本のこころを大切にする党)の「一括改正すべきだが、難しいなら緊急事態条項だけでもまず改正するのも1つの手だ」という発言と符合。賛同を得やすい"お試し"改憲から、という主張だ。

 
民進党の松原仁衆院議員は、①拉致をした北朝鮮に対し憲法前文の「われらの安全」を委ねられない、②愛国心をいかに書き込むかは極めて重要、などの理由を挙げ、「この憲法は改正されなければいけないと確信している。党内で同憂の士を募り頑張る」と語った。

 
公明党の斉藤鉄夫衆院議員は「衆参3分の2を得るため与党だけではなく、野党第1党も一緒に合意するという幅広い国民合意を作ることが大切ではないか。国民分断の国民投票にしてはならない」と、民進党巻き込みを主張。「先日、私の(事務所の)部屋を訪れた米国籍の高齢者に『日本国籍を取り、国民投票してから死にたい。生きてるうちに頼む』と言われ涙が出た」というエピソードも紹介。"加憲"と言うが、実質改憲を主張した。
 この他、
おおさか維新の会の江口克彦参院議員や経団連の小畑良晴・経済基盤本部長も登壇し、自民党発行の改憲漫画が配布された。


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