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■板橋高校君が代弾圧事件

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 ◎ D−5,フォルホーフ教授による『第6回政府報告書に対する意見』ダイジェスト
   〜「公共の福祉」の保護は表現の自由の権利に対する内在的かつ正当な制約になりうるか?

        ベルギー・ヘント大学およびデンマーク・コペンハーゲン大学教授 デレク・フォルホーフ(博士)


 (1)はじめに
 日本政府は、最高裁判決(2011.7.7)を例に引き、表現の自由に関する事案に「公共の福祉」概念を適用することによって日本の司法が自由権規約第19条を遵守していると主張している。本意見書は、果たしてそれが妥当とみなされるかどうかを検証するものである。
 (筆者はこれらすべての判決を弁護団による英訳版(非公式)によって読ませていただいた。)

 (2)事実関係と裁判手続き
 (D−2(2)参照。)



 (3)意見
 最高裁判決は「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならない」と認めているが、その自由に関して「公共の福祉のため必要かつ合理的」な制限や制約の必要性のみを取り上げ、被告人の行為が「社会通念上許されず」、従って「明らか」に刑事罰に処すべき違法な行為と判断した。

 自由権規約第19条によれば、公の論議の的となる問題に関する情報や考えを表現し公表することを有罪とみなすことが最終的に正当化されうるのは、唯一そのような干渉が民主主義社会にとって「必要な」場合に限られる。

 同第19条の範囲によれば、表現の自由に関する制約および制限は十分な明確性を持ちかつ狭義に解釈されるものでなければならない(国連人権委員会、一般的意見34、2011年)。
 一方、制約もしくは制裁が「公共の福祉のために合理的」であることは、過度に曖昧で恣意的な適用の可能性が大きすぎるためこの条件を満たさない。
 ことことを、2008年の総括所見パラ10において、国連人権委員会は日本政府に勧告している。

 次の点もまた重要である。表現の自由の権利には攻撃的で不快な考えや意見を表明する権利も含まれる。これがまさに規約第19条が保護しようとする権利のエッセンスである:激しいスピーチ、つまり、平穏な状況を乱しかねないような考えの表明もまた規約19条の保護の範囲内にある。

 意見を持つ自由と表現の自由は、全ての人の完全な発達に欠かせない条件であり、自由で民主的な社会に不可欠である。それには、特に、政治的談話、公の関心事に関する論評、選挙運動および人権問題に関する議論が含まれる(国連人権委員会、一般的意見34、パラ2および11)。

 社会にとって重要な問題に関する国民的議論において、不快なあるいは不穏な考えや情報の表現が混乱を生じさせる特徴をもつこともしばしばある。個人に対する暴力も財産の破壊も伴わない場合、不快で批判的な意見表明やビラ配布による異議申し立ての行為を犯罪とみなすことは、規約第19条によって保障される保護を無視することになる
 この観点から、ある人が公衆の前で「その場の状況にそぐわない不相応な態様で」意見を表明し、「静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に」支障を生じさせたとして、締約国がその人を起訴し有罪(2011・7・7最高裁判決)にすることは許されない。
 そのようなやり方は,関係者及び他の人々の表現の自由の行使を不当に制限する事につながる萎縮効果を生む。(「委縮効果」概念に関しては、国連人権委員会、一般的意見34、パラ47も参照のこと)。

 最も重要なことは、被告の行為には無秩序や暴力を引き起こす危険性を示す徴候は全くみられなかったことである。本件の記録書類ならびに地裁、東京高裁の判決から判断して、藤田氏の抗議は全く平穏なものであり、彼が式に参列していた人々を著しく妨害しまたは妨害する意図があった、または参列者を挑発して暴力や治安の妨害、もしくは公の秩序の侵害を引き起こそうとする他の何らかの行動をとったとみなす理由は何一つない。

 (4)結論
 自由権規約第6回定期報告の中で日本政府が藤田事件最高裁判決に言及している内容は、表現の自由の制約に関連し、かつその権利を制約する事案において、「公共の福祉」概念の使用を正当化する妥当な論拠と見なすことはできない
 2011年7月7日の最高裁判決を含めて日本の司法がこの事件に関して下した判断こそが、「公共の福祉」概念が実務上、自由権規約第19条が保障する表現の自由の権利に則さない態様で運用されていることを証明するものである。
 日本の司法当局は、表現の自由に関する事案において自由権規約に基づく履行を適法化するどころか、「公共の福祉」概念を援用・適用しており、2011年7月7日最高裁判決への言及は、いかに自由権規約第19条による表現の自由の権利の基本的保障に対する敬意を欠くものであるかを如実に物語っている。

 (続)

※カウンターレポート全文のPDFファイル
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20130722itabashicounterreport.pdf
  ◎ D−4,「表現の自由」の国際標準に照らして本件を検討する
 規約19条に関しては『一般的意見34』(*5)が公表されているので、本件を当てはめてみることにする。

 (1) 一般的意見34の当てはめ
 ① 19条1項に関わって「意見を持つ自由」の侵害の有無

 A,「意見の自由」と「表現の自由」は共に、重要な権利であること(パラ2)
  元教員の藤田さんは、学校の儀式で日の丸・君が代の強制は行うべきではないという「意見」を持っていた。このこと自体1つの重要な権利である。
  この問題は、前年都教委が「10・23通達」(*既出4)を発出して教職員に強制したため世の中の注目を集める社会的関心事となっていた。「日の丸・君が代」は、戦前、天皇主権と侵略戦争のシンボルであったため、儀式などで一律に強制することには今日もなお国民の中に強い抵抗があり、規約18条違反と考えられる。


 B,「意見」を理由とした迫害は許されない(パラ9,10)
  藤田さんが、刑事罰を科された理由は意見の内容ではなく、意見表明の態様が理由だとされている。
  一方で「10・23通達」発出以降、毎年「日の丸・君が代」の強制に反対する意見を持つ教職員が不起立不斉唱不伴奏を理由に不利益処分を科されており、その数は本年4月に累積450名に達し、別に多くの裁判が提訴されている(*6)。
  これら一連の、「日の丸・君が代」強制に反対する教員や元教員への内容中立規制を装った制裁は、実質的に特定の意見に対する迫害となっており、規約上許されない言論弾圧である。

 C,「旗やシンボルに敬意を払わないこと」は、処罰を科すにふさわしくない事例の一つであること(パラ38)
  『一般的意見34』の「特定分野における表現の自由に対する制限の限定的範囲」の具体例の1つとして、パラ38に「旗やシンボルに敬意を払わないこと」があげられており、「日の丸・君が代」に起立斉唱という形で敬意を払うことに反対する意見を表明したことに対して制裁を科すことが許されないのは明らかである。

 ② 19条2項に関わって「意見を表現する自由」の侵害の有無
 A,意見を表現する様々な形態の保障(パラ11,12)
  藤田さんが保護者に呼びかけた方法は、都教委の政策を批判する週刊誌のコピーを配付し、前方から1分弱穏やかな口調でお願いしただけである。壇上に上がったわけでもマイクを使ったわけでもなく、誰かに暴力を振るったり財産を破壊したりしたわけでもない。内容も、卒業式に直接関係する真面目なものだった。
  藤田さんが校長から退席を求められた時に抗議したことを、ことさら「大声」をあげたと強調するのは、本来の訴えの内容と関係ないことを意図的に取り上げているのであり、卒業式本体への影響は、開始が約2分遅れたこと以外何も立証されていないし、卒業式は近来稀な感動的なものとして参加者から歓迎されたのであった。
  このような藤田さんの、コピー配布及び呼びかけ行為は、許される「表現形態」の一つである。

 ③ 19条3項に関わって締約国は「人権制限の要件」を満たしているか
 A,人権制限が許されるのは、19条3項の(a),(b)の2つの限定的な領域に限られる。(パラ21)

 ア、(a)他者の権利または信用の尊重(パラ28)
  藤田さんのケースで「他者」とは、校長・来賓・保護者であろう。まず、校長は式典を円滑に執り行う権限を有するが、それは公権力の行使であって、個人の権利とは言えない。次に、藤田さんと意見を異にする保護者・来賓の中には、藤田さんの意見表明に不快感を抱く人がいたかも知れないが、意見表明は保護者・来賓の起立斉唱行為を妨害しておらず、権利侵害は発生していない。従って他者の権利が侵害された事実はない。

 イ、(b)国の安全(パラ30)
   学校の儀式の場で「日の丸・君が代」強制に反対する意見を表明することが、「国の安全」を損なうとは到底考えられないが、もしそうだと言うのなら、その証明を行う義務は締約国にある。(パラ27)

 ウ、(b)公の秩序(パラ31)
   公の秩序維持のために権利を規制するには、検証が必要であるとされる。原注68のコールマン対オーストラリアの先例では、「人に脅威を与え不当に破壊的である」か、「公共の秩序を危険にさらした」か、検証の結果、規制は許されないと裁定されている。
   藤田さんのケースはこの事例と類似するので、次項において個別に検討を加えるが、保護者へのコピー配布や呼びかけは、他者に脅威を与えたり、卒業式を危険にさらしたりしたものではなかったことは明らかである。。

 エ、(b)道徳の保護(パラ32)
   「道徳の保護」に関して、「単一の伝統のみに由来することのない原則」に基づく可きことが示されている。
   このことから考えれば、卒業式という「儀式」において起立斉唱によって国旗国歌に敬意を表する行為は、わが国の古来の伝統の「儀礼的所作」の一つかもしれないが、それに対する批判的な考え方も意見の自由として保護されなければならず、単一の伝統が一律に強制されることは許されないはずである。
   もし「儀式における秩序」を理由に「人権」を制限できるのであるとすれば、「秩序」と「権利」とが逆転していると言わなければならない。
 以上、従って、藤田さんの意見表明の権利が、19条3項の(a)(b)を理由に制限される根拠は見当たらない。

 B,藤田さんに対する公権力による権利制限は3つの要件を満たしているか(パラ22)

 ア、第1の要件は「法律により定められていること」である。(パラ24,パラ25)
   日本には、パラ24に示されているような「表現の自由」を制限する具体的な要件を定めた法律は存在しない。そのかわりに「公共の福祉」概念が、万能の人権制限要件の如く用いられており、そのことがD−3で詳しく触れたように、また前回の総括所見(*前掲1)パラ10でも指摘されているように、大きな問題なのである。

 イ、第2の要件は「正しい目的」である。(パラ26〜32)
   19条3項の(a)(b)のいずれの目的にも該当しないことは、前項A,で見た通りである。仮に「儀式の円滑な進行」が正当な目的であったとしても、それだけで人権制限を合理化することは許されない。本件裁判では、19条3項の厳格な要件への当てはめは一切行われていないし、目的と制裁手段との利益の均衡の検討もなされていない。もしも行政当局に藤田さんの批判的言論を封じる意図があったとするなら、それこそ「規約の規定、意図、目的」から大きく外れる「口封じの正当化」(パラ23)だと言わなければならない。

 ウ、第3の要件は「必要性と比例原則」である。(パラ33、パラ34、パラ35、パラ36)
   パラ33で示されている「必要性」の要件は満たされていない。そもそも藤田さんは卒業式が始まる前に退席したから式典への直接の影響はなかった。
   行政当局は、「他に取り得る必要最小限の措置」(パラ34)を検討した形跡もなければ、「表現と脅威の間に直接的かつ切迫した因果関係の証明」(パラ35)もなされていない。
   刑事訴追は、「守られるべき利益に比例した最小限の規制方法」(パラ34)にも当たらない。それどころか、わずか2分間の開式の遅れに対して刑事罰を以て報いるのは、表現の自由よりも「旗とシンボル」が不可侵としているかのごとくである。日本国憲法において不可侵なのは「国歌国歌」ではなく「基本的人権」だけである(憲法11条、97条)。
   本件裁判において厳格な審査が全く行われなかったことは、本件最高裁判決について日弁連会長が、「表現行為の憲法上の重要性との厳密な利益衡量」がなされていないと指摘していることでも明白である(*7)。
   従って、その後の刑事訴追と有罪判決は不必要で過剰な制裁であった(パラ47)。
  以上、藤田さんに対する人権制約は、「法律」「目的」「必要」の3つの要件のどれ一つとして満たしているとは到底言えず、藤田さんに対する刑事罰は不相応に過剰である。

 (2) 「表現の自由」に関わる、個人通報の先例から
 フォルホーフ教授が『第1意見書』(前掲*2)で引用した、本件との類似性が高い個人通報の先例の中から、代表的なものをピックアップし対比してみる。
 ① Coleman 対 オーストラリア (*8)
 A,事案の概略
   1998年12月20日、通報者は通行モールで、一般の人に向かって許可なく、権利に関する法案、言論の自由等の主題についておよそ15〜20分間大声で話した。彼はクイーンズランド市条例違反として告訴され、不法な演説をしたかどで有罪判決を受けた。
   「言論の自由に対する憲法違反にあたる」と彼は主張したが、2002年6月26日、高等裁判所は、特別上告許可を求める不服申し立てを否定した。

 B,自由権規約委員会裁定
   7.3 通報者の言論の自由への制限が本件で必要だったことを示すべきであるのは当事国の側であると、委員会は指摘する。(略)。本件では、通報者は公共の利益にかかわる問題について公衆に向かって演説した。委員会に提出された証拠資料では、通報者の演説は人に脅威を与え不当に破壊的であること、あるいはモールの公共の秩序を危険にさらしたかもしれないことを何ら示唆するものではない。実際、現場の警察官は通報者の演説を中断させることなく、ビデオをとりながら彼が演説を続けることを許していた。(略)。通報者の行為に対応する当事国の反応は不適切であり、規約19条3項と合致しない通報者の言論の自由への制限になったと委員会は判断する。したがって、規約19条2項違反が存在する。

 C,フォルホーフ第1意見書(前掲*2)
   ICCPR第19条の影響の本質は、国内刑法の規定の適用が、たとえ法律で定められ、第19条(3)の正当な目的のひとつに該当していても、公権力による干渉が不相応または不必要とみなされる場合には、表現の自由に対する権利の侵害とみなし得るということです。

 D,板橋高校卒業式事件との関連
  コールマン氏と藤田氏との共通点は、第1に両方とも「公共の利益に関わる問題」についての言論活動であり、第2に両方とも人に「脅威を与え」るような「不当に破壊的なもの」ではなかったことである。
  急迫の危険のない例証として、コールマン氏の場合、現場の警察官が演説を中断させることなくビデオ撮影を行っていたことがあげられている。同様に藤田氏の場合は監視役に派遣されていた指導主事がコピー配布並びに呼びかけ行為中にそれを中断させることなくICレコーダで録音をしており、急迫の危険のない例証の共通点としてあげることができる。

 ②板橋高校卒業式事件のケースと対比して
   フォルホーフ教授は『第1意見書』(前掲*2)で、上記の引用も含めて、自由権規約19条違反の先例12件、欧州人権条約10条違反17件を引用した上で、要約すれば以下のように結論づけている。
   本件の実情に照らせば、藤田氏の訴追と有罪判決を正当化するのに十分な「緊急の社会的必要性」がなかったことは明らかであり、刑事罰は不必要かつ不相応な制裁で、ICCPR第19条およびECtHR第10条に基づいて保障される国際人権規約の違反とみなされる。
   この過剰な制裁は、藤田氏自身のみならず、この問題に関する公の論議にかかわるその他の人々、および一般的な意味での公の論議や政治的論議に参加する人々に対しても重大な萎縮効果を持ち、民主主義自体を危うくするような、民主主義に有害なものといえる。

 (続)

※カウンターレポート全文のPDFファイル
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20130722itabashicounterreport.pdf
 
 
パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
 国連自由権規約委員会第6回日本政府審査に向けたNGOレポートを、5回にわたって掲載します。

 ◎ 「意見及び表現の自由」(規約19条)と「公共の福祉」
   〜日本政府報告書「2.日本国憲法における『公共の福祉』の概念」は、規約19条に違反するとの反論書

2013年7月22日
板橋高校卒業式事件から「表現の自由」をめざす会

 私たちは、板橋高校卒業式で国旗国歌の強制に反対意見を表明した元教員の藤田さんを応援する市民グループである。日本政府が報告書パラグラフ4で、最高裁判所2011年7月7日判決(以下「板橋高校卒業式事件最高裁判決」と称する)を引用したことに驚くと同時に、市民の人権保障上見過ごすことが出来ない重大な問題と考え、以下の論点でレポートを提出することにした。


 A.論点
 (1)政府報告書パラ4で引用された「板橋高校卒業式事件最高裁判決」で、藤田さんに刑事罰を科していることは自由権規約19条違反である。

 (2)そのことをパラ3で、『公共の福祉』概念によって正当化しているのは誤りである。
 (3)この事件では、藤田元教諭が、
 学校で国旗国歌が強制されるべきではないとの意見を持っていて(19条1項)、
 卒業式の開式前に保護者に向かって意見を表明したことが(19条2項)
 、「公共の福祉」に反するとして刑事罰を科せられた(19条3項)。
 これは、自由権規約19条違反の公権力による言論弾圧事例である。

 B.自由権規約委員会の勧告・懸念
 1,「公共の福祉」に関して、過去の『総括所見』
    (1)第3回日本政府報告に対する総括所見(1993年11月4日)パラ8
http://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/liberty_report-3rd_observation.html
    (2)第4回日本政府報告に対する総括所見(1998年11月19日)パラ8
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c2_001.html
    (3)第5回日本政府報告に対する総括所見(2008年10月30日)パラ10
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/pdfs/jiyu_kenkai.pdf
 2,「表現の自由」に関して、過去の『総括所見』
    (1)第3回日本政府報告に対する総括所見(1993年11月4日)パラ14
http://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/liberty_report-3rd_observation.html
    (2)第5回日本政府報告に対する総括所見(2008年10月30日)パラ26
 3,「意見及び表現の自由」に関して、『一般的意見34』
    本事件に適用できる項目は多岐にわたるので、D−4−(1)で個別に詳述する。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/HRC_GC_34j.pdf

 C.政府の対応と第6回日本政府報告の記述
 第6回日本政府報告「2.日本国憲法における『公共の福祉』の概念」において、
 ・パラグラフ3には、「公共の福祉」概念についての日本政府の解釈が書いてある。
 ・パラグラフ4には、「公共の福祉」概念の使用例として、板橋高校卒業式事件最高裁判決文が引用されている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/pdfs/40_1b_6.pdf

 D.意見
 D−1,「表現の自由」制限には、国内法の「公共の福祉」ではなく、規約19条3項が適用されなければならない。

 ①「表現の自由」の重要性
 この事件は、政府報告が引用した最高裁判決文にもあるように「民主主義社会において特に重要な権利」である「表現の自由」の問題である。
 とするならば、第1に、わが国も批准している自由権規約19条、とりわけ権利制限要件を定めた第3項が適用されなければならないが、この判決は第3項に掲げられた制約要件に個別具体的に照らすことを一切行っていない

 ②「公共の福祉」の曖昧さ
 第2に、この判決文は、日本国憲法の「公共の福祉」概念を権利制限要件として用いているが、この「公共の福祉」という言葉は、19条3項には存在していない
 しかも、この用語の使用については、規約委員会から再三にわたり懸念と勧告を受け続け、2008年第5回日本政府審査総括所見(*1)のパラ10においては、「曖昧で、制限がなく、規約の下で許容されている制約を超える制約を許容するかも知れない」と懸念され、その「概念を定義」し、かつ「規約で許容される制約を超えられないと明記する立法措置」を行うよう勧告されてきたことであった。
 今回もまた、その勧告のいずれにも答えることのないまま、曖昧なままの国内法を独自の解釈で国際条約に優先させて適用を繰り返している。このことは大変不誠実な態度と言わなければならない。

 ③日本の裁判所の対応
 第3に、私たちはこの裁判の審理過程で、規約の裁判規範としての適用を一貫して主張してきたが、ついに取り上げられることはなかった。
 具体的には、国際人権専門家のフォルホーフ教授に『鑑定意見書』(*2、以下『第1意見書』と称す)を書いていただき、2010年5月に最高裁に提出している。そこには、豊富な国連自由権規約委員会の先例や欧州人権裁判所の判例の引用に基いた国際人権の観点からの検討があり、その結果「有罪判決は、不必要かつ不相応な制裁であり、ICCPR19条およびECHR10条に基づいて保障される国際人権規約の違反とみなされる」と結論づけられている。最高裁は判決文の中で、この『第1意見書』に一言も触れることはなかった。

 ④鑑定意見書における「公共の福祉」概念
 なお、フォルホーフ教授には、本年3月、『第6回日本政府報告書』を読んで『意見書』を書いていただいたので(*3、以下『第2意見書』と称す)、資料として添付すると同時に、その概要をD−5に示しておいた。そのタイトルは「『公共の福祉』の保護は表現の自由の権利に対する内在的かつ正当な制約になり得るか?」である。

 D−2,板橋高校卒業式事件の概要
 (1)事実関係
 2004年3月11日、板橋高校卒業式。開式前の体育館に保護者が三々五々入場し席に着く。元・教師の藤田さんは来賓として招ばれた。都教委の「10.23通達」(*4)が出されてから最初の年の都立高校の卒業式でもあるので、この通達の問題性を保護者に訴えようと、週刊誌”サンデー毎日”の記事「都教委が強いる寒々とした光景」のコピーを保護者席に配って回った。
 そして、保護者席の前に立ち、よく通る大きな声で、短い訴えをした。「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱の時に、教職員は必ず立って歌わないと、戒告処分で、30代なら200万円の減収になります。御理解願って、国歌斉唱の時は、出来たらご着席をお願いします」。その時、田中教頭が近づいて「やめて下さい」と腕をつかんだ。藤田さんは「もう終わったよ」と答えた。
 その後、北爪校長、都議会議員・土屋敬之らが退去を迫って来たので、藤田さんは抗議の声を挙げ、やりとりしながら体育館を出た。結局、卒業式参列を断念して、開式予定の10時より前の9時50分頃には校門を出ている。
 やがて卒業生が入場して式が始まり(10時2分頃)、開式の辞に次ぐ「国歌斉唱」の声の直後、卒業生のほとんどが潮の引くように、着席した。土屋都議は着席した生徒に向けて怒号し、携帯写真を何枚も撮っていた。校長、教頭も「立ちなさい!」などと叫んだ。その後、式は平穏に推移して、感動的に終わった。
 5日後の3月16日、来賓で参列していて着席した生徒たちを怒鳴った土屋都議が、都議会でこの問題を取り上げて、横山教育長が「元教員に対して法的措置をとる」と答弁したことから、この問題が政治問題化していく。
 9ヶ月後の12月3日に、「威力業務妨害罪」で刑事告発がなされ、新聞等でも大きく取り上げられた。藤田さんと支援者は、「国旗国歌の強制に抵抗するという言論表現の自由への弾圧である」と記者会見で訴えた。

 (2)裁判経過
 2006年5月30日、東京地裁判決「威力業務妨害罪で(懲役8カ月の求刑に対し)罰金20万円」
 量刑の理由の中には、「本件卒業式の妨害を直接の動機目的としたものではないこと」および「実際に妨害を受けたのは短時間であり、開式の遅延時間も問題視するほどのものではなく」との事実認定がある。
 2008年5月29日、東京高裁「控訴棄却」判決。
 2011年7月7日、最高裁「上告棄却」判決。
 上告に際し弁護団は、本件被告の行動は日本国憲法第21条に保障された表現の自由の権利に係わる表現行為であり、告訴および有罪判決は憲法第21条第1項に違反すると主張したが、最高裁はこれらの主張を退けた。

 (続)

※カウンターレポート全文のPDFファイル
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20130722itabashicounterreport.pdf
 
 
パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
 ◎ Is the protection of "public welfare" an inherent and justified
       restriction on the right to freedom of expression?

 ◎ まとめ
 藤田事件に関しては以下のことが強調されなければならない。
−被告は式を妨害する意図が全くなかった
−被告の目的は、既に政治家や教職員の間やメディアに熱い論争を引き起こし、学校関連のコミュニティ(school community)にとって関心の的となっていた問題に関して保護者に情報を提供することであった
−実際上、被告の行為は式の遂行を妨げなかった
−被告の行為による最終的に2分間という式の遅れは被告に対する刑事起訴および有罪成立を正当化できる十分で適切な理由とはならない
−被告の刑事上の有罪判決は、たとえ罰金の支払いに限定されたとしても、彼の表現の自由の権利に対する不必要で不均衡な干渉であり、起訴と刑事犯罪化は被告およびこの問題に関する公の議論に参加する人々に対して「委縮効果」をもたらす可能性がある。



 実際、2006年5月30日の東京地裁判決は以下の点を認めている。
 「本件は卒業式の妨害を直接の動機目的としたものではなく」、卒業式も「実際に妨害を受けたのは短時間であり、開式の遅延時間も問題視するほどのものではなかった」。
 被告の表現の自由の権利を考慮すると、これらの判断は、刑法234条を適用した被告の告訴、起訴、そして有罪成立までの一連の過程に適法かつ十分な理由がなかったことを証明している。
 日本の当局が援用する論拠、すなわち、本件被告への刑事上の有罪判決は、「公共の福祉」を保護するために表現の自由の権利に対する「内在的」制約として適用されたという主張は、自由権規約第19条の観点からみると、刑事上有罪成立の必要性を正当化するための適正かつ十分な動機と見なすことはできない

 ◎ 結論
 自由権規約第6回定期報告の中で日本政府が藤田事件最高裁判決に言及している内容は、表現の自由の制約に関連し、かつその権利を制約する事案において、「公共の福祉」概念の使用を正当化する妥当な論拠と見なすことはできない

2011年7月7日の最高裁判決を含めて日本の司法がこの事件に関して下した判断こそが、「公共の福祉」概念が実務上、自由権規約第19条が保障する表現の自由の権利に則さない態様で運用されていることを証明するものである。

 日本の司法当局は、表現の自由に関する事案において自由権規約に基づく履行を適法化するどころか、「公共の福祉」概念を援用・適用しており、2011年7月7日最高裁判決への言及は、いかに自由権規約第19条による表現の自由の権利の基本的保障に対する敬意を欠くものであるかを如実に物語っている。
(翻訳 賀谷恵美子)

(完)

 ※英文全文
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20130328voorhoof.japan.fujita.pdf
 
パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
◎ Is the protection of "public welfare" an inherent and justified
restriction on the right to freedom of expression?

 ◎ 意見
 筆者の意見を誠実に述べれば、日本の関係当局が弁護団の主張を却下し、公共の福祉の保護を理由に被告の有罪判決が憲法21条違反にあたらないと判断したことは、国連自由権規約のもとで守るべき義務を果たしていないと言わざるをえない。被告を有罪とし、その有罪判決を支持した日本の司法当局は自由権規約第19条が保障する表現の自由の権利を侵害したのである。

 単に、事実が違法行為に相当し「社会通念上」許されるものではないと再確認するだけでは、最高裁が本件を全体的に考慮した上で被告人の有罪成立が民主主義社会にとって必要であることを十分にかつ適切に正当化している、とは言えない。


 最高裁はこの問題に関して同裁判所判例を幾つか示しているが、そのことは、なぜ本件において被告の刑法上の有罪成立が彼の表現の自由の権利に対する干渉として必要なのか、という議論にはまったく関連性がないのである。
 (昭和23年(れ)第1308号同24年5,月18日大法廷判決・刑集3巻6号839頁,昭和24年(れ)第2591号同25年9月27日大法廷判決・刑集4巻9号1799頁,昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁。および最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁参照)。

 2011.7.7の判決において最高裁は「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならない」ことを認めてはいるが、その自由に関しても「公共の福祉のため必要かつ合理的」な制限や制約の必要性のみに焦点をあてている。しかしながら、「公共の福祉のために合理的」であるだけでは、表現の自由の権利への干渉を正当化するための十分な理由にはなりえない
 自由権規約第19条に照らせば、公の論議の的となる問題に関連する情報や考えを表現し公表することを有罪とみなすことが最終的に正当化されうるのは、唯一、そのような干渉が民主主義社会にとって「必要な」場合に限られる。

 実際、最高裁は「被告人の本件行為は,その場の状況にそぐわない不相当な態様で行われ,静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせた」と繰り返し述べているが、本件における有罪成立の必要性についてはその理由を十分説明(証明)していない。最高裁は被告人の行為が「社会通念上許されず」、従って、「明らか」に刑事罰に処すべき違法な行為を伴うと判断している。
 言いかえれば、「許されない」そして「違法な行為」は、表現の自由の権利という文脈(背景)を考慮することもなく、さらには、この文脈における刑法234条適用の必要性を考慮することもないまま、ただそれだけで(本質的に)、刑事上の有罪成立を十分に正当化できるわけではないのである。そのようなアプローチや論法は自由権規約第19条の効力と拘束力を無視するものと言える。

 第一に、自由権規約第19条の範囲によれば(国連人権委員会、一般的意見34、2011年)、表現の自由に関する制約および制限は、十分な明確性をもち、かつ狭義に解釈されるものでなければならない。一方、制約もしくは制裁が「公共の福祉のために合理的」であることは、過度に曖昧で恣意的な適用の可能性が大きすぎるため、この条件を満たさない。
 以前から国連人権委員会はその総括所見の中で、日本は、特にリーフレット配布に関連して、「表現の自由の権利の尊重に関して法律や判決の中には制限的なアプローチ」をとっているものがあるようだと、批判的に述べている。
 2008年の同委員会の総括所見は以下のとおりである:
 10.委員会は、「公共の福祉」が、恣意的な人権制約を許容する根拠とはならないという締約国の説明に留意する一方、「公共の福祉」の概念は、曖昧で、制限がなく、規約の下で許容されている制約を超える制約を許容するかもしれないという懸念を再度表明する。(第2条)
 国連人権委員会は以下のように勧告した:
  締約国は、「公共の福祉」の概念を定義し、かつ「公共の福祉」を理由に規約で保障された権利に課されるあらゆる制約が規約で許容される制約を超えられないと明記する立法措置をとるべきである。
 さらに、藤田氏が卒業式開始前に、大声であったとしても、自らの意見を表明し、リーフレットを配布したことにより有罪判決をうけた行為は、本来、自由権規約第19条により保護されるべき行為と見なされなければならない。
 藤田氏が表現し伝えた考えや情報の内容は、論争の的となっていた卒業式等の学校行事における国旗敬礼と国歌斉唱の強制を批判するものであり、それは社会にとって重要な議論に貢献するものである。

 強調すべき点は、自由権規約第19条第1項は干渉されることなく意見を持つ権利の保護を要求することである。
 この権利は、規約がいかなる例外も制約も許さない権利である。何らかの意見を持つこと、あるいは持たないことを強制するいかなる形態の働きかけも禁止される(国連人権委員会、一般的意見34、パラ9参照)。意見を表現する自由は必然的に意見を表現しない自由をも含む。
 しかし、卒業式等の学校行事に教職員が国旗に起立正対し国歌を斉唱することを強制する東京都教育委員会の通達(以後10.23通達)は、当局が教職員や生徒に一定の意見を強制するものであり、上記の禁止される働きかけと見なされる可能性がある。
 10.23通達に反対する人々によれば、国旗である「日の丸」および国歌としての「君が代」は、愛国主義的、もしくは超国家主義的価値観を表すものであり、教育環境(学校教育)の中で強制的に押し付けてはならないという。
 被告の目的は、教員や生徒に起立・国歌斉唱を強制することは重大な問題をもたらし、憲法や規約第19条に保障される思想・良心の自由の権利を侵害するものであることを保護者に知らせることであった。

 こうした考え方は公の議論の中で存在価値があり、規約第19条により保護されるべきであるということは、2011年6月6日最高裁判決中の宮川光治裁判官による反対意見からも引き出すことができる。
 宮川裁判官はその反対意見の中で都教委による通達および通達に基づく校長による職務命令は「教職員の思想及び良心の核心に反する行為を行うことを強制することになり,憲法19条(思想及び良心の自由)に違反する可能性がある」という考えを表明している(参照:最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁における宮川裁判官反対意見)。

 次の点を強調することもまた重要である。すなわち、表現の自由の権利には攻撃的で不快な考えや意見を表明する権利も含まれる
 これがまさに規約第19条が保護しようとする権利のエッセンスである:激しいスピーチ(robust speech)、つまり、平穏な状況を乱しかねないような考えの表明もまた規約19条の保護の範囲内にある。
 意見を持つ自由と表現の自由は、実に、全ての人の完全な発達にとって欠かせない条件であり、自由で民主的な社会にとって不可欠なものである。
 これら二つの自由は密接に関連し合い、表現の自由が意見の交換と発展のための伝達手段を提供する(国連人権委員会、一般的意見34、パラ2および11)。規約第19条によって保障される保護は、第19条第3項および第20条の規定に則している限り、他者に伝達可能なあらゆる形態の考えおよび意見の伝達を表明し受け取ることを含む。それには、特に、政治的談話、公の関心事に関する論評、選挙運動および人権問題に関する議論が含まれる(国連人権委員会、一般的意見34、パラ2および11)。

 社会にとって重要な問題に関する国民的議論においては、不快な、あるいは不穏な考えや情報の表現が混乱を生じさせる特徴(disruptive character)をもつこともしばしばある。
 個人に対する暴力も財産の破壊も伴わないような、不快で批判的な意見表明による異議申し立ての行為やビラ配布を犯罪行為とみなすことは、規約第19条によって保障される保護を無視することになる。実際、公の場所におけるデモ、もしくはイべントにおける行動や会合でのリーフレット配布は、どのようなものであっても必然的に日常生活をある程度妨げることになる。
 規約19条によって保障される表現の自由および平和的異議申し立ての自由が実質的な意味(substance)を失わないためには、当局が平和的集会および平和的形態の抗議に対して一定の寛容性を示すことが重要となる。
 この観点からすれば、ある人が単に、公衆の前で「その場の状況にそぐわない不相応な態様で」意見を表明し、「静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に」支障を生じさせたとして、締約国がその人を起訴し有罪にすることは許されない(2011年7月7日最高裁判決)。
 そのような文脈において被告が情報や考えを表明し伝える権利を行使したことに有罪成立を認めることは、当局による抑圧的で不均衡な干渉であり、この平穏な形態の異議申し立てに対して十分な寛容さを示していないと考えられる。
 そのようなやり方は,関係者及び他の人々の表現の自由の行使を不当に制限する事につながる萎縮効果を生み出す。(「委縮効果」概念に関しては、国連人権委員会、一般的意見34、パラ47も参照のこと)。
 表現と情報の自由に関する国際人権基準の観点から考えると、藤田氏に対する有罪判決と制裁は、被告のみならず、10.23通達の強制的性格、すなわち、都立学校の全ての教職員に日の丸に起立して君が代を斉唱せよという強制に反対する他の人々の表現の自由の権利に対して「委縮効果」をもたらしていることに、疑いの余地はない。

 最も重要なことは、被告が体育館で待っていた保護者に意見を述べる間、被告の行為には無秩序や暴力を引き起こすような危険性を示す徴候はまったくみられなかったことである。
 本件の記録書類、ならびに地裁および東京高裁の判決から判断して、藤田氏の抗議は全く平穏なものと見なす他なく、彼が式に参列していた人々を著しく妨害した、もしくは妨害する意図があった、または式の参列者を挑発して暴力や治安の妨害、もしくは、公の秩序の侵害を引き起こそうとする他のなんらかの行動をとった、とみなす理由は何一つない
 藤田氏の行為が「威力を用いて他人の業務を妨害し」、「卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせた」とする日本の裁判所の認定(参照:2011年7月7日最高裁判決最高裁判決)は、式開始の15分以上も前に保護者にリーフレットを配布し意見を述べようと前に進み出た彼の言葉による平穏な抗議という事実要素とその性質を、明らかに誇張するものである。

 都立板橋高校の校長は卒業式に責任を負う立場にあり、式の円滑な進行を確保するために適切な行動をとる権利があったと考えられる。被告が卒業式の開始を待っている保護者に対して語りかけていたとき、そして被告が来るべき卒業式のある具体的場面を批判するリーフレットを配布している間、式担当者達は彼の行動が卒業式の円滑な遂行を妨げる可能性があると推測する立場にあったと判断できる。
 校長が被告にリーフレット配布をやめて待機中の保護者への語りかけを中止して着席するよう勧めることこそ、校長が被告の表現の自由を制限する適切で正当な行動であると考えられる。最終的には、校長が被告を卒業式会場である体育館から退場させようとしてとった行動にも同じことが言えるよう。
 しかしながら、その後に行われた刑事起訴、および被告に対する刑法234条による威力業務妨害罪の判決はもちろん、不必要で不均衡な制裁であり、自由権規約第19条による国際人権基準の侵害である。

(続)
 
 
パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2

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