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戦後最大の人権侵害レッド・パージ

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国家賠償請求が棄却され、バツ印で無念さを示す原告の安原清次郎さん=26日午後、神戸地裁(撮影・高部洋祐)

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下で共産党員らが職場を追放された「レッドパージ」で、解雇は憲法違反で国は名誉回復や補償を怠ったとして、神戸市の81〜94歳の男性3人が国に計6千万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が26日、神戸地裁であった。矢尾和子裁判長は「レッドパージはGHQの指示による超憲法的な措置で、解雇や免職は有効。補償は政治的判断で解決されるべき事柄」として訴えを棄却した。原告は控訴を検討している。


 レッドパージを巡る全国唯一の国賠訴訟。原告は同市西区の大橋豊さん(81)、北区の川崎義啓さん(94)、兵庫区の安原清次郎さん(90)。それぞれ当時の逓信省神戸中央電報局、旭硝子、川崎製鉄に勤務し、1950年、共産党員であることを理由に免職・解雇された。

 原告側は「GHQはレッドパージを『示唆』したが『指示』まではしていない。日本政府が主導した」と訴えたが、矢尾裁判長はこれまでの最高裁判断を踏襲し「示唆と受け取れる文書もあるが、実際はGHQの指示で日本国民や政府には従う義務があった」と退けた。

 また原告側は、52年のサンフランシスコ講和条約発効で主権を回復した後も政府は被害者の救済措置を怠り、このため長年にわたって精神的、財産的損害を受けたと主張。これに対し、矢尾裁判長は「補償は国会の裁量範囲」との判断を示した。

 判決後、会見に臨んだ原告弁護団は「国の主張どおりで、原告の期待を裏切る不当判決」と批判した。


■レッドパージ 第2次世界大戦後、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)の指令で共産党員らが公職追放された動きと関連し、1949〜50年ごろ、官公庁や民間企業でも政治的立場や思想信条を理由に、同党員や支持者とみなされた人が一方的に職場を免職・解雇された。労働省(当時)などによると、官公庁で1000人以上、民間企業では1万人以上とされる。日弁連は2008年、レッドパージを重大な人権侵害と認め、国に被害者の名誉回復と補償を勧告した。

神戸新聞(2011/05/26 19:07)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004106303.shtml


【このままでは死ねない レッドパージ国賠判決】

■(上)「存在はタブー」苦悩61年

 裁判資料を前に、レッドパージ被害者の名誉回復を訴える大橋豊さん=神戸市中央区橘通3(撮影・田中靖浩)

 「このまま黙って死ぬわけにはいかない」。今年2月、神戸地裁大法廷に立った大橋豊さん(81)=神戸市西区=が声を震わせ、訴えた。

 連合国軍総司令部(GHQ)の勧告によって、共産党員とその支持者が職場を追われたレッドパージ。その嵐が吹き荒れたのは1950(昭和25)年のことだ。それから61年を経て今月26日、全国唯一のレッドパージ国賠訴訟の判決が言い渡される。原告の大橋さん、川崎義啓(よしひろ)さん(94)、安原清次郎さん(90)の3人は国に名誉回復と損害賠償を求める。



 大橋さんは30年に但馬の旧生野町(現朝来市)で生まれた。13歳のときに炭鉱作業員の父が亡くなり、15歳で台湾にいた兄が戦死した。一家の大黒柱を次々失い、母と2人の妹、弟を養うため旧逓信省の神戸中央電報局で働き始めた。

 タイプライターで1分間に200文字を打ち続ける。勤務時間は日勤で8時間、夜勤なら仮眠を挟んで16時間に及んだ。寮の食事は三食とも大豆を絞って固めた団子を二つだけ。「劣悪な環境を変えたい」と、49年7月に労働組合の執行委員になり、共産党に入った。

 50年8月29日、局長室に呼ばれ、薄っぺらい複写の免職辞令を渡される。局長は「君は家族が多く申し訳ないのだが…」と言った。翌日、新聞は大橋さんら4人の解雇を報じた。

 一種の「烙印(らくいん)」を押されたようなものだった。大橋さんの就職はままならず、下の妹はバス会社の内定を取り消され、15歳で神戸の商店に住み込み、働いた。母は出家してしまった。

 この年6月、朝鮮戦争が始まった。前年には毛沢東が中華人民共和国成立を宣言。東西対立が激化する中、GHQはレッドパージの勧告に踏み切る。9月には日本政府が公務員のレッドパージの方針を閣議決定した。

 兵庫県内で865人が職を失ったとする調査がある。全国では1万数千人以上とされる。被害者も黙ってはいなかった。解雇無効を求める訴えが広がる。これに対し、最高裁は52年と60年の2度にわたって「GHQの指示は超憲法的であり、解雇は有効」との判断を示した。

 問題は決着したとみなされた。「労働組合も共産党も何もしてくれなかった。われわれの存在はタブーとされた」と大橋さん。月日は流れ、多くの被害者が世を去った。

 2000年10月のことだ。東京でレッドパージ50周年の集会が開かれ、上京した大橋さんは全国から集まった被害者と語り合う。当時のこと、その後のこと。このままでいいのか。

 「生きているうちに国と企業の謝罪の言葉を聞く」。決意とともに、大橋さんは神戸に戻った。

(金旻革、広畑千春)(2011/05/22) http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/201105red/01.shtml


■(中)仕事なく、石を売る日々

61年前、川崎製鉄から安原清次郎さんの元に届いた解雇通告書=神戸市兵庫区荒田町3(撮影・佐々木彰尚)

 2002年夏、レッドパージの被害者大橋豊さん(81)は、同じ神戸に住む川崎義啓(よしひろ)さん(94)とともにスイスのジュネーブに飛んだ。国連の人権委員会に被害を訴えるためだった。さらに、日本弁護士連合会(日弁連)に人権救済を申し立てた。

 申し立てには、やはり神戸在住の安原清次郎さん(90)が加わった。08年、日弁連はレッドパージを憲法違反と認め、国に被害者の名誉回復と補償を求める勧告を出した。

 「天の岩戸が開いた」。手応えを得た大橋さんたち3人は次の行動に踏み出す。09年3月、国に賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こした。

◇ 安原さんはレッドパージで川崎製鉄を解雇された。その後は職に就くことができず、民間企業で働いた期間は10年に満たない。月8万5千円の年金を受け取るが、家賃と食費、介護サービス代などでほぼ底をつく。

 神戸市兵庫区に生まれ早くに父親を亡くした。尋常小学校を終えると、母と3人の弟妹を養うため働きに出た。戦後、合法化された日本共産党に入党し、川崎製鉄で組合活動に従事した。

 1950年10月25日、夜勤明けの自宅に速達で解雇通知が届く。以後、二度と工場に入れなくなった。職業安定所を訪れると「レッドパージでは雇ってくれない」と門前払いされた。やむなく丹波の山や四国の河原で石を拾って磨き、神戸の元町商店街で売った。

 好きな女性がいたが「収入の無い人とは暮らせない」と去っていった。91歳で亡くなった母によく「不細工な生き方や」と言われた。そのたびにこう返した。「何も悪いことはしとらん」

 川崎さんは旭硝子の労組で副委員長を務めていた。50年10月19日、女性職員から解雇を伝えられる。理由を聞こうと工場長の家を訪ねると、住居侵入容疑で逮捕された。

 太平洋戦争で中国の南京攻略に参加し、民間人を襲う軍に疑問を持った。戦後、共産党は反戦を貫いたと聞いて入党。今も「自分の生き方は間違っていない」と信じる。

 働き口を探しても「アカは雇えない」と断られる日々。日雇いの仕事もなく、共産党の活動に専心してきた。

 今年1月、看護師として家計を支えた妻が92歳で亡くなった。レッドパージ当時、5歳だった息子もすでに世を去った。「妻には本当につらい思いばかりさせてきた。判決の日まで生きていてほしかった」

 旭硝子を解雇されたとき、妻は3日間、泣き続けた。その姿を忘れることはない。

(広畑千春)(2011/05/23) http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/201105red/02.shtml


■(下)「名誉と尊厳、取り戻す」

打ち合わせを重ねる(左から)川崎義啓さん、安原清次郎さんら原告とレッドパージの被害者=神戸市中央区橘通3(撮影・山口登)

 レッドパージの被害者の中には、自殺や一家心中に追い込まれたケースもあった。

 国賠訴訟の原告、大橋豊さん(81)とともに神戸中央電報局を解雇された職員の中に、当時18歳の青年がいた。高校卒業後、働きながら京都大学法学部の夜間に通っていた。共産党員でも組合役員でもなかったが、活動家とみなされる。解雇直後、自ら命を絶った。

 サンフランシスコ平和条約が発効した1952年、独立を回復した日本政府は「公職追放令廃止法」を制定。これによって戦争犯罪人や戦争協力者として追放されていた政治家や官僚、財界人らが一線に復帰した。

 しかし、レッドパージの被害者は救済されなかった。大橋さんらは「破壊活動への関与など一切ないのに、『アカ』のレッテルを貼られ、普通の市民生活を送ることも許されなかった。その状態を61年間放置した国の責任は重い」と訴える。

 今回の訴訟で、原告弁護団は「連合国軍総司令部(GHQ)の指示は超憲法的であり、解雇は有効」と判断した60年の最高裁決定に対して、「GHQは『指示』したのではなく『示唆』したにすぎない」とする明神勲・北海道大学名誉教授(69)の意見書を提出した。

 根拠となっているのが昨年6月、明神教授が国会図書館で発見した文書だ。GHQの幹部が新聞社の幹部や官僚らと懇談した内容を記したもので、そこに「(レッドパージは)われわれの命令、指示ではない」との発言が記録されていた。明神教授は「日本政府がGHQの権威を利用したのは明らか」と訴えた。

 レッドパージの被害者の約7割は死亡、もしくは所在不明とされる。その中で今回の訴訟を支援する動きが広がる。神戸地裁には全国から「憲法に基づいた判決を」と求める要請書が送られている。裁判所はその数を明らかにしていないが、弁護団は「1500〜2000通」とする。原告団には少額のカンパが毎日のように届く。

 28歳で神戸市役所を解雇された岡井理一さん(89)は、直後から労働組合の団体交渉を通して市に解雇不当を訴えた。職場復帰を望んだがかなわず、母親と弟妹を養うため和解に応じた。

 このため訴訟に加わることはできなかったが、会計やデータ収集係としてサポートする。26日の判決を前に「人には思想信条の自由がある。それを踏みにじった国は許せない。一言でいい。謝ってほしい」と願う。

 大橋さんたちは「この裁判はレッドパージを再評価するきっかけになる」と信じる。「金じゃない。名誉と尊厳を取り戻したいだけだ」

 そして、繰り返した。「私たちには、もう時間が残っていないんです」

(広畑千春、前川茂之、金旻革)
 (2011/05/24) http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/201105red/03.shtml

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=神戸・レッドパージ訴訟 原告側敗訴=
 ◇ 闘いは終わらない
    80〜90代の男性3人 「人権守ってほしい」

 一九五〇年の「レッドパージ(赤狩り)」に遭った八十〜九十歳代の神戸市の男性三人が、六十年越しの名誉回復と損害賠償を求めて国を訴えた訴訟。神戸地裁判決は訴えを全面的に退けたが、戦後史の暗部に一筋の光を当てる機会にもなった。原告は「長生きしてどこまでも争う」と控訴を検討している。(京都支局・芦原千晶)

 二十六日午後、神戸地裁の小法廷。「原告らの請求をいずれも棄却する」。矢尾和子裁判長の乾いた声が響いた。
 原告席には、レッドパージで神戸中央電信局を解雇された大橋豊さん(81)、川崎製鉄(現JFEスチール)を追われた安原清次郎さん究(90)、旭硝子を追放された川崎義啓さん(94)=いずれも神戸市在住。
 顔を紅潮させた大橋さんが、耳の遠い川崎さんに「だめや」と告げ、安原さんは指でぺケ印をつくってみせた。
 六十年ぶりの提訴のきっかけは、パージ五十年の集会だった。当時の体験を語り合ううち、解雇時の悔しさや怒りがよみがえってきたという。


 「何もせずに黙って死ねるか」。
 二〇〇四年に日本弁護士連合会に人権救済を訴え、○八年に日弁連が国や企業への救済勧告を出したが、何も変わらず。翌年国を訴えた。
 法廷では、パージ後に暗転した半生も訴えた。安原さんは、河原の石を拾って磨いて売る生活をしていた過去を告白。
 「裁判所に助けてほしいんじゃない。思想・信条の自由という基本的な権利を守ってもらいたいだけだ」と白髪を揺らした。
 提訴から二年余。独身の安原さんは最愛の妹を失い「死んだ方が楽」と漏らしたり、ほか二人もこの間に妻を亡くし、川崎さんは大動脈解離で生死をさまよった。大勢のパージ仲間の思いを受け、裁判を支えに命をつなぎ「三人そろって判決を迎えられて感慨無量」(大橋さん)と臨んだ。

 判決は「GHQの指示は超憲法的効力があった」との六〇年の最高裁決定を踏襲し、「レッドパージはGHQの指示であり、適法。解雇の効力は日本の主権回復後も左右されない」と断じた。
 原告側が明神勲・北海道教育大名誉教授の証言を中心に訴えた「レッドパージは国が積極的に推し進めた」との主張を退け、最高裁決定の根拠の「公共的な報道機関だけでなく、その他重要産業にも及ぶという解釈指示」が無かったとの批判にも、原告のパージ後の苦難にも、触れなかった。
 弁護団は「不当きわまりない判決。情も、正義も、良心もない判決だ」と憤った。
 判決後「生きている間に(勝ちたかった)」と吐き出した大橋さんは、大勢の報道陣や支援者を前に「生きているうちにここまでの社会問題にできた。大きな一歩」。川崎さんも「長生きしなくちゃならない闘いが始まる」と前を向いた。

 竹前栄治・東京経済大名誉教授(日本占領史)は「レッドパージという歴史的な人権侵害を、憲法に照らして今どう判断するかを問う重要な裁判だったが、占領後にすべきだった人権回復の怠りも反省しない判決」と指摘し、こう語った。
 「司法における旧体制の壁は厚いと感じた。過去の清算をしないと、今も陰に日に続く信条の差別が続くことにもなる。非常に残念。レッドパージは法律問題であると同時に政治問題。外国にならい、新立法で救済すべきだ」

 ※レッドパージ
 第2次大戦後の冷戦の先鋭化に伴い、共産党員らが官公庁や民間企業の職場から追放された一方的解雇。共産勢力の排除を狙う連合国軍総司令部(GHQ)の指示で国や企業が実施。犠牲者は3万人以上といわれる。米国やイタリアなどでは後に救済措置が取られた。これまで、約100人が全国の弁護士会に人権救済を申し立てた。

『東京新聞』(2011/5/30【ニュースの追跡】)

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 矢尾和子裁判長は、開廷後「棄却します。」の一言で閉廷!

 大橋さんは「今も憲法は生きていないのか!」

    「生きている限りどこまでもたたかう!」と表明!

1949年から50年にかけて日本共産党員をはじめ多くの労働組合の活動家ら約4万人もの労働者が職場から追放されたレッドパージの犠牲者が、国に対して国家賠償を求めた訴訟で26日、神戸地裁は原告の請求を棄却する不当判決を出しました。

 原告は、大橋豊さん(81歳)、川崎義啓さん(94歳)、安原清次郎さん(90歳)=いずれも神戸市在住。レッドパージのため職を失い収入を断たれ、犯罪者扱いされて再就職もできないなど苦難の人生を強いられてきた3人は、「生きているうちに名誉回復を」と、裁判を決意し、09年3月に提訴したものです。

 原告側は、GHQ (連合国軍総司令部)はレッド・パージを指示・指令ではなく示唆したのであり、日本政府はレッドパージの実施を回避できたにもかかわらず、当時の吉田首相が自ら積極的に実施したことを、国会図書館の資料を示し、詳細に明らかにしました。

 少なくとも主権を回復した講和条約締結後は被害を救済するべき作為義務を負い、これを行わないのは違法だと主張しました。

 判決文の内容は、「アカハタ」無期限発行停止などを求めたマッカーサー書簡の趣旨は広範なレッド・パージを指示したものと解釈した上で、政府はそれに従わざるを得なかったとして、被害救済の作為義務はないとしました。
 マッカーサーの指示に従った免職・解雇は法律上有効であり、講和条約締結後も同じとする旧来最高裁決定を踏襲しました。

レッド・パージ国賠訴訟・弁護団声明

 神戸地方裁判所は、本日(2011年5月26日)、レッドパージ被害者3名が国を被告として提訴していた国賠訴訟請求事件について、原告らの請求を全面的に棄却する判決を言い渡した。

 原告らは、1950年に共産党員であることをただひとつの理由として解雇、免職処分を受け職場から追放されるとともに、レッド・パージによって社会から排除され、現在に続く継続的な人権侵害をこうむってきました。このレッド・パージは違憲違法なものであることは明白である。

 このことは、2008年10月24日付日本弁護士連合会「勧告」、2010年8月31日付同「勧告」及び各地の弁護士会の「勧告」によって繰り返し認定されてきたものであるにもかかわらず、神戸地裁はこれを一顧だにしなかったものである。

 判決は、原告らが、被告国の責任について、被告国はレッド・パージの実施を回避することができたにもかかわらず、自ら積極的にレッド・パージを実施したのであるから、これら一連の行為を先行行為として、条理上、1952年4月28日の講和条約発効後に、日本政府が自ら積極的に推進したレッドパージの被害者らに対して、その被害を救済するべく作為義務が認められることは当然であるとの主張に対し、マッカーサー書簡の趣旨はレッド・パージを指示したものであると解釈した上で、原告らに対する免職・解雇は有効であり、講和条約締結後もその効力を失わない旨の旧来の最高裁決定(昭和27年、同35年9をそのまま踏襲したものである。

 本判決は、明神勲証人(北海道教育大学名誉教授)が実証した「新事実」すなわち昭和35年4月18日最高裁決定(中外製薬事件)において判事された「顕著な事実」(注)が全く存在しなかったこと、レッド・パージが昭和24年7月22日の閣議によって決定されたものであったことについて、まったく顧みようとせず、被告国の責任を認めなかったのは、司法の人権救済機能を放棄したに等しいものである。

 GHQの指令が超憲法的効力を有するとした、かつての最高裁大法廷の決定は、日本国憲法を無視するもので、その判断は司法の歴史に一大汚点を残すものと指摘されている。本件訴訟で、この汚点をぬぐうべき判断が裁判所に求められていたのであるが、本判決がこれにまったく答えることなく誤った判断に終始したことは厳しく批判されるべきである。

 原告らはすでに90歳以上の高齢の者もおり、レッド・パージで侵害された名誉を回復する最後の機会として、本件訴訟を提起したが、本判決の結果は、原告らの人権の最後の砦たる四方に対する期待をまたもや裏切るものとなった。原告らの怒り、深い悲しみはいかばかりか、弁護団はこの裁判所の不当極まりない判決に強く抗議する。

 弁護団は、国に対し、本判決いかんにかかわらず、日弁連勧告の趣旨に沿い、レッド・パージ被害者救済のためにしかるべき措置を取ることを強く求める。
 弁護団は、引き続き、レッド・パージ被害者の権利・名誉回復に向け、全力を尽くす決意である。


(注)昭和35年4月18日最高裁決定(中外製薬事件)
「所論連合国最高司令官の指示が、所論の如く、ただ単に「公共的報道機関」についてのみなされたものではなく、「その他の重要産業」をも含めてなされたものであることは、当時同司令官から発せられた原審挙示の  次の声明及び書簡の趣旨に懲し明らかであるばかりでなく、そのように解すべきである旨の指示が、当時当裁判所に対しなされたことは当法廷に顕著な事実である。」

 戦後最大の人権侵害「レツド・パージ60周年記念のつどい」アピール

 日弁連などの人権救済勧告をカに運動を広げ、レッド・パージの無法・不当を追及し、今こそ名誉回復・国家賠償を実現し、歴史の誤りをただそう

 六〇年前の今頃、全国の多くの職場にはレッド・パージの嵐が吹き荒れていました。一九四九年の国鉄・通信・教員をはじめとする官公庁の「行政整理」や民間の企業整備の中で日本共産党員と労働総合活動家を狙いうちにした免職・解雇に続いて、五〇年には新聞、放送を皮切りに、電力、機器、鉄鋼、造船、化学、石炭、私鉄などの企業と教員にレッド・パージ旋風が襲いかかり、二年間で推定四万人の労働者が「破壊分子」などの烙印を押されて職場から追放されました。
 レッド・パージは、アメリカ占領軍の強い示唆と助言のもと、日本政府・裁判所・企業が強行した大弾圧であり、労働組合運動の高揚、日本共産党の影響力の拡大と、国際的には民族的運動の前進を恐れた権力が、日本を「反共の防波堤」に仕立て上げるものでした。
 この結果、被害者とその家族は、経済的にも、社会的にも計り知れない損害をこうむり、自ら命を絶った人さえありました。また、国民生活の向上、自主的な経済復興、民主主義の確立、反戦・平和を要求する民主的運動は、大打撃を受けました。こうして今日見られる対米従属と大企業優先の政治への道が開かれたことは重大です。


 しかし、アメリカと日本政府、財界は、責任を認めて謝罪したことも、被害者に救済策を行ったこともありません。最高裁判所は、レッド・パージはアメリカ占領軍による「超憲法的措置」と称して、司法の独立を投げ捨て、不当解雇を認める判決を下しています。これが今日、少なからぬ職場で、思想差別が続いている根っこにもなっています。
 こうした中で、レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償を求める運動は、絶え間なく続けられ、とくに最近では全国的な規模で展開されてきました。毎年取り組まれている国会請願行動、弁護士会への人権救済の申し立て、裁判闘争、レッド・パージについての学習会や知る会の開催、レッド・パージ反対組織の拡大・強化など不屈に闘われています。
 こうした運動の前進のなか、発表された二度にわたる日本弁護士連合会始め、横浜、長埼、仙台の各県弁護士会の救済勧告は、新たな転機となっています。
 これら勧告は、レッド・パージは,思想・信条の自由、法の下での平等,結社の自由を侵害するものと断じて、被害者の名誉回復と補償を含む措置を致府や最高裁、企業、県知事に勧告しました。とりわけ、日本弁護士会の勧告は、救済を訴えた被害者にとどまらずレッド・パージ被害者すべての救済を求めるなど極めて画期的な内容となっています。レツド・パージの無法性、不当性は、これらの勧告によっていよいよ明らかになり、問題解決の条件はますます高まっているといって過言ではありません。

 こうしたとき、私たちは、今日、「戦後最大の人権侵害ーレッド・パージ六〇周年のつどい」を開き、今こそ名誉回復・賠償を実現することによって歴史の誤りをただし、この教訓を次世代へ継承するとの決意を固め合いました。また、レッド・バージによって損なわれた基本的人権を取り戻すため、人権確立と民主主義を求める全ての人々と連帯・協力・共同を強めることを確認しました。
 私たちの一致した要求は次の通りです。
 一、 国は、レッド・パージが無法、不当な人権侵害行為であったことを認め、被害者に謝罪すること。
 一、 国は、日本弁護士連合会と各県弁護士会の救済勧告に従い、すべてのレッド・パージ破害者への名誉回復と国家賠償を速やかに行うよう特別法を制定すること。
 私たちは,この要求が多くの国民の支持を得られるものと確信し、さらに連帯を強め、兵庫・国賠訴訟勝利をはじめ要求の実現に向けて、運動を広げることを、「つどい」の名において誓うものです。

             2010年12月11日 

          戦後最大の人権侵害「レツド・パージ60周年記念のつどい」



【資料:日弁連の2度目の勧告】

 日弁連総第56号
 2010年(平成22年)8月31日

 内閣総理大臣 菅 直 人 殿

                       日本弁護士連合会
                       会長 宇都宮 健 児
 勧 告 書

 当連合会は,別紙申立人等目録記載の各申立人からなされた人権救済申立事件について調査した結果,次のとおり勧告します。

 第1 勧告の趣旨

 申立人らは,別紙申立人等目録記載の勤務先から,同目録記載の年月日に解雇され,又は免職若しくは退職勧告の処分を受けた者であるが,これら解雇,免職及び退職勧告の措置は,いわゆる「レッド・パージ」として申立人らが共産党員又はその同調者であることを理由になされたものと認められる。
 これは,申立人らの思想・良心の自由及び結社の自由を侵害するとともに同人らを処遇上差別した重大な人権侵害行為であった(日本国憲法19条・21条1項・14条1項,世界人権宣言2条1項・7条・18条・20条1項)。
 申立人らは,これら解雇等の措置によって,申立人らに非があるかのように取り扱われてその名誉を侵害されたばかりでなく,生活の糧を失うことによって苦しい生活を強いられるなど,生涯にわたる著しい被害を被ってきた。
 このような人権への侵害は,当時わが国が連合国最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の下にあり,GHQの指示や示唆があったとはいえ,いかなる状況下においても許されるものではないばかりでなく,当時から日本政府も自ら積極的にその遂行に関与し,又は支持して行われたものであると認められ,さらに1952年に平和条約が発効した後は,日本政府として申立人らの被害回復措置を容易に行うことができたにもかかわらず,今日までこれを放置してきたのであって,これらに対する国の責任は重い。
 よって当連合会は,国に対し,申立人らが既に高齢であることを鑑みて,可及的速やかに,申立人らの被った被害の回復のために,名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告する。

 第2 勧告の理由

 別紙「調査報告書」記載のとおり。

≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
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東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
 http://wind.ap.teacup.com/people/4700.html

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(写真:大橋豊氏 最高裁判事が裁判長として送りこまれた神戸地裁民事6部で「沈黙の50年・絶望の50年」を打ち破って、3人の原告で名誉回復と被害の救済を求め、個人の被害事実の立証を行い、政府に被害を認めさせる損害賠償裁判をたたかっています。)

◇ レッドパージの無法・不当を追及し、今こそ名誉回復・国家賠償を実現し、歴史の誤りをただそう!

  ー名誉回復・保証の必要性と意義を問うー


 1949年から50年にかけ、アメリカ占領軍の督励・示唆のもとに日本政府、企業が共産主義者及び同調者とみなしたものを「政府機構の破壊者」「生産疎外者・企業破壊者」「社会の危険分子」「アカ」等の名のもとに民間企業や官公庁等から数万人(推定3〜4万人)の公務員・労働者を一斉に追放(罷免・解雇)した不法・不当な反共攻勢であり、「思想・良心の自由」(憲法19条)を蹂躙した戦後最大の思想弾圧事件であるレッドパージの被害者の『名誉回復・保証の必要性と意義を問う』と題して、レッドパージ六〇周年のつどいが都内で開催されました。
 開場後すぐに席は満員となり250人を超える参加者で、用意した資料も足りなくなるほどの参加者で熱気につつまれていました。


 市田忠義参議員があいさつし、レッドパージ研究の第一人者である明神勲北海道教育大学名誉教授が記念講演を行いました。
 1950年当時10代後半から20代ででパージされた全国各地の犠牲者が次々に登壇して被害の実態や規模の大きさ、非道さについて語り、1960年に最高裁で超憲法的判断が示されて以降、裁判に訴える道さえも閉ざされ続けたがゆえに5〜60年間沈黙し続けざるを得なかった戦後最大の人権侵害の実態について訴え、名誉回復と補償を求めて発言しました。
 電気通信省でパージされ、現在レッドパージ全国連絡会センター代表委員の大橋豊さん(82)は、

 「今回初めて『戦後最大の人権侵害』と銘打ってこんなに大きな集会が開いていただいたことは、私たちにとってはノーベル賞をもらったようで本当にうれしい。
 今たたかっている仲間は体重が35キロで裁判長に『明日死んだらどうしてくれるんか』と訴えたが、この裁判はプロローグであり出発点で、60年間ほとんど沈黙していたためにきちっと事実を証明していない。被害の事実を立証することがまず大事です。
 2002年に、国連自由権規約委員会のアデーダス氏から「個人被害を突き詰め追及し続けることが重要だ」と教えられたが、法廷で実証し公式に国に認めさせる必要がある。
 法廷では明神先生が約2時間証言されたが、被害事実の立証が大事。吉田内閣の閣議決定では『共産主義者などの公職からの追放することに関する・・』と明記されている。しかも、『民主的行政組織を破壊するものだ』とされており、レッドパージされた者自身、自らが、今、自分の名誉回復と被害の救済を求めて行動に立ち上がらないと救済されない!」

 とのべ、「正面からたたかってください!よろしく!」と参加者に支援の強化と運動の取り組み方について訴え、参加者は大きな拍手で答えました。

 松平晃さんのトランペットで「アメージングレイス」「沖縄を返せ」などの演奏後、今回の実行委員会を構成している団体代表が、被害者の名誉回復と補償を勝ち取る連帯とたたかう決意を込めて発言し、最後に教員を含めた推定4万人の労働者の「名誉回復・国家賠償を実現し、歴史の誤りをただそう」と呼びかけたアピールが大きな拍手で採択されました。

 言論・表現の自由を守る会からは事務局長らが参加。明神教授や大橋さん、教員のレッドパージ研究者や参加者に、板橋高校君が代弾圧事件のチラシを手渡して、教員のレッドパージと現代の君が代起立斉唱強制・不起立者処分などについて意見交換し交流しました。

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