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地震と原発

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 『放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」』から

 ▼ チェルノブイリの子どもたちの作文集

   「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた」


 「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた こどもたちのチェルノブイリ」 梓書院 チェルノブイリ支援運動九州編。
 チェルノブイリ事故後の子どもたちの作文集です。この作文集を愛読していた女性からぜひ紹介してほしいとメールが届きました。昔の出版物で版元にも残部は多く残っていないそうですが、ぜひ読んでほしい内容です。このメールをくれた女性が、自分のブログで、転載していくそうです。この作文集より二つ、話を紹介します。

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http://www.cher9.to/
 私は昔これに関わるボランティアをして、奇形児の話があまりに衝撃的で今も心に残っています。
 チェルノブイリ支援運動九州さんから、在庫も少ないのできちんと出先をきちんと表記してくれればブログに載せてかまわないと承諾を得ました。福島の子どもに早く逃げて欲しいので、資料として50人分転載していこうと思っています。良かったらみてください。


 福島や汚染のひどい場所の子どもは、何としてでも避難してほしいです。福島は美しいところです。そして福島の子どもはとても可愛いです。
 だから、これからのことを考えるだけで、涙が出てきます。
 私が一番気になったのは5キュリーの汚染で甲状腺の病気になっているところです。

 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 「心に秘めた願望」  エブゲーニ・ペトラシェービッチ(男) 
               中等部10年生 カリンコビッチ地区

 この森には何でもあった。草原は僕を引き寄せ、友達と長い時間を過ごした。
 森はキノコの王国だった。
 しかし今は、すべて過去のものとなってしまった。
 僕たちの村、ミノフビッチでの放射能の測定値は5キュリーに達した。
 昔とはまったく違う村になってしまった。

 チェルブイリは僕たちから、平穏、未来への希望、幸福への確信をすべて奪い取ってしまい、今はただ恐ろしい悪夢の時代になってしまった。
 僕は学生で、よく勉強している。僕や友達が熱望することは、将来、新聞、ラジオ、テレビが報道している禁止事項がすべてなくなってしまうことである。
 大祖国戦争のとき、ベラルーシ国民は多大ば犠牲を払った。4人に1人が死んだ。
 残忍なチェルノブイリは、何万人もの人々の命を奪い取去り、何万人の子どもを病院や診療所にたたきこんだ。
 テレビで親たちが最後の望みをかけて、骨髄移植のために息子や娘を国外につれていく費用を協力してほしいと訴える様子は見るに堪えなかった。
 血液のがん。これは治療の困難な現代の病気である。

 罪深いチェルノブイリはとうとう僕にも甲状腺の病気をもたらしてしまった。今後どうなっていくのか、予測はできない。
 最近、僕はアリョーシャ・クリーガのチェルノブイリに関する本を読んだ。彼はブラーギン地区病院の監査委員のメンバーとして従事した時のことを書いている。
 その本のあるページに記載してあった診療登録されたカルテのデータは、心の痛みなしには読むことができなかった。
  エレナ・D 1985年生まれ 線量 396レム
  アンドレイ・G 1985年生まれ 線量 788レム
 女の子や男の子が百名以上も、甲状腺の被ばく線量の数字とともに並んでいる。なんと恐ろしいことだ。
 戦争があったわけでない。爆弾が落とされたわけでない。
 地雷が落とされたわけでない。
 だが、子どもたちが死んでいく
 これが戦争でなくてなんであろう。災難は音もなく、裏切りもののように忍び寄ってくる。

 僕たちは何のために生きているのだろうか。
 森の中に入るのは禁止
 草原で遊ぶのは禁止
 魚釣りも禁止
 しかし、生きることは許可する。

 人間の命はなにものにもまさり尊いと言いながら、農民の子どもが自分の血でのどを詰まらせている。
 ナローブリャの男の子が授業中に気絶する。
 ブラーギンでは先生が女の子の出血を止められないでいる。
 なぜ、こういうことに目を向けるのであろうか。
 この不幸なこどもたちを救うためには何ができるだろうか。

 チェルノブイリの苦痛。この問題は永遠の課題になってしまった。
 僕たちはみな、チェルノブイリによって刻印を押された無実の囚人である。このような生徒はベラルーシに50万人いる。
 僕たちはストロンチウムに汚染されたリンゴを食べ、セシウム入りの牛乳を飲み、致死量の放射能に汚染された土の上を歩き、そこで遊んでいる
 チェルノブイリの悲劇はわれわれの健康、魂、運命を損ない続けている。
 僕はこんなことが起こるのは嫌だ。僕たちはみんな将来によりよい希望を持って生き、遊び、楽しみたいのだ。

 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「暗い夜になる前に 」マリア・ゴルフビッチ(女13歳)
              ソコビッチ中等学校7年生 ソリゴルスク地区

 チェルノブイリが私の小さな村を荒らしたとき、私はたったの5歳だった
 不幸は私の家も避けはしなかった。
 兄のミーシャは、今もなお無慈悲に人々をなぎたおし続けている恐ろしい病気、ガンで死んだ。
 医者は放射能のせいだと言った。
 ミーシャは、20回目の春を迎える一週間前に死んだのだ

 今では、ガンがチェルノブイリ事故の影響であることを疑う人はいない。
 なぜ、私の兄に恐ろしい白羽の矢がたったのか。
 なぜ、今死んでいく何千人もの人々に白羽の矢がたったのか。
 兄は死ぬ前に、もう歩けなかった。
 兄は私にこう頼んだ。
 「僕のそばに座って、マーシェンカ、美男子になるように髪をすいてくれないか」と。私は黙ってうなずいた。
 兄は暗い、生気のない目でただ私を見つめるだけだった。

 そして、私は一人祈りつづけた。
  命の灯りを
  消さないで 瞳さん
  暗い夜になるまえに

 家族みんなつらかった。
 私と母はミーシャをがっかりさせないように、こっそり泣いた。
 こうやってチェルノブイリはわが家に侵入し、壁にかかる遺影として永久に住み着いてしまった。

 時は進む。人々は以前人生の出来事を思い出すとき「戦争前、戦争後」と言っていたが、今では「チェルノブイリの前、チェルノブイリの後」と言っている。それは悲しい歴史の区切り目となってしまったのである。

 チェルノブイリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。
 なぜなら、それがないところには不幸が住みついてしまうからである。でも今わがやには不幸がいすわっている。それは出ていこうとはしない。

 何年たっても何世紀たっても
   この痛みは私たちから去らない
 それはあまりに大きく果てしなく
   どうしても鎮められない
 それは負の遺産として
   何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
 そして彼らの心に居すわって
   永遠に平静を奪うだろう
 地球上の一人ひとりが
   このおそろしい年
   おそろしい日を覚えていますように

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 「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」
 梓書院 チェルノブイリ支援運動九州より

  本の注文先 写真や詳しい資料もあるので本が、おすすめです。
         http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&products_id=626
         http://www.cher9.to/hon_03.html

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『放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」』(2011-10-18)
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/b330c78c33e0389871a4cc176afbad3e

 まずは、次の映像を観てほしい。わずか5分40秒ほどの映像だけど、これは、イタリアの国営放送局が、チェルノブイリの原発事故から25年を迎えた、現在のウクライナの首都キエフの病院を取材したものだ。日本語の字幕がついてるので、イタリア語が分からなくても大丈夫だけど、目が不自由で、音声変換ソフトを使って「きっこのブログ」を読んでくれてる人は、字幕を読むことはできないので、あたしが内容を説明しつつ進めてくから、映像は飛ばして本文を読み進んでほしい。

 ※『キエフ病院の子供たち 2011 - 原発事故のもたらしたもの』(2011/6/5)
http://www.youtube.com/watch?v=kFP-xx68q6Q&feature=player_embedded

 映像を観なかった人たちのためにザクッと解説すると、これは、現在のキエフの病院で治療を受けてる赤ちゃんたちの様子と、治療にあたってる医師へのインタビュー、そして、我が子を治療してもらってる若いお母さんへのインタビューで構成されてるドキュメンタリーだ。「悪性腫瘍(癌)」を始め、「二分脊椎症」「頭蓋骨腫瘍」「脳水腫」などの重病で、手術を控えている赤ちゃんもいれば、手の施しようのない赤ちゃんもいる。


 で、ここで考えて欲しいのは、これはウクライナの「現在の状況」だってことだ。ベッドに並んでる重病の赤ちゃんたちは、みんな、去年か今年に生まれた子たちで、そのお母さんやお父さんはと言えば、まだみんな若い。つまり、チェルノブイリの原発事故の時に子供だった人たちが、それから25年が経ち、大人になって、授かった子たちなのだ。
 ウクライナやベラルーシでは、チェルノブイリの原発事故で被曝した子供たちが、とてもたくさん甲状腺癌を発症したけど、幸いにも病気を免れた子供たちでも、自分が大人になってから子供を作ったら、こうした赤ちゃんが生まれて来たってワケだ。

 ウクライナは貧しい国なので、この病院はイタリアの慈善団体によって運営されてるんだけど、薬も備品も不足してて、手術の時のマスクもないため、看護士さんはマスクの代わりにガーゼを口にあててる。それでも、この病院で治療が受けられるのは、幸運な一部の子供たちだけだ。我が子のために私財を投げ売って訪れた親も多い。それなのに、インタビュアーと小児神経科のユリオロフ教授との間で、こんなやりとりがある。

 インタビュアー 「これらの癌の子供たちは、どれくらい生き延びることができるでしょうか?」
 ユリオロフ教授 「とても少しです。というか、多くが1歳未満で亡くなります。約10%の生存率です」

 私財を投げ売って我が子を病院に連れて来ても、10人のうち9人は1歳になる前に亡くなってしまうのだ。以下、このドキュメンタリーの中で報告されてる重要な部分を引用しておく。

 「(チェルノブイリの事故後)3歳以下の脳腫瘍の手術件数は6.2倍になった」
 「低量の被曝でも遺伝子の染色体に影響を与え、奇形、悪性腫瘍をもたらすのは明らか」
 「毎年ウクライナでは500から600人の奇形の子供を手術する。1990年、ここには1100万人の子供たちがいた。現在は800万人だが、奇形の出現数は変わっていない。つまり奇形の割合が増加したのだ」
 「放射線は子供たちの遺伝子を変えつつある。ここでは放射線の被害を見ることができる。日本なら見せないだろう。この国は貧困のために情報流出を阻止する手立てがない。だから、ウクライナは世界中に子供たちが癌に侵されている事実を示している」

 最後に、映像を観た人には繰り返しになっちゃうけど、後半の若いお母さんのインタビューも紹介しておく。

 お母さん 「息子は脳腫瘍です」
 インタビュアー 「息子さんの病気はチェルノブイリの事故によるものなのでしょうか?」
 お母さん 「私はそうだと思います。チェルノブイリのせいです。事故で汚染されたウクライナの環境のためです」
 インタビュアー 「あなたはいつ生まれましたか?」
 お母さん 「1986年です」
 インタビュアー 「同年代で、息子さんが病気の母親を知っていますか?」
 お母さん 「私の町、ミエプペトロフスカでは、私と同じ時期に出産したほとんどの母親が、病気の子供を抱えています」

 ‥‥そんなワケで、この、ウクライナの首都キエフは、当時の人口が250万人、旧ソ連で3番目に大きな都市だった。だけど、チェルノブイリの原発から130キロも離れた街なので、政府は住民たちに避難指示を出さず、住民たちが原発事故のことを正式に知らされたのは、1986年4月29日の夜のテレビニュース、つまり、事故から2日半も経ってからだった。だけど、実際には、市民の多くが、クチコミで事故のことを知ってた。そして、原発が大爆発を起こしたというのに、正確な情報が何も入って来ないことから、パニック状態に陥る人たちも現われた。

 原発からの距離と風向きの関係で、キエフの放射線量が上昇し始めたのは、事故から3日後の4月30日からだと報告されてる。そして、政府からの避難指示はなかったけど、市民の半数近く、約100万人が、2〜3週間のうちに、自主的に避難したと言われてる。

 で、チェルノブイリの場合は、事故から9日で原子炉をコンクリートで固めたから、あとは「すでに撒き散らされた放射性物質を何とかする」ってことがポイントだったんだけど、広範囲に渡っての除染なんて一朝一夕には片付かない。そのため、政府は、とにかく住民のほうをまず移住させ、それから除染に取り掛かることにした。ここまでの流れは、どう考えても、ニポン政府の今回の対応より、遥かに人道的と言えるだろう。

 ウクライナでは、事故後、住民の移住に関するガイドラインを法律で定めたんだけど、これがとっても良くできてるもので、セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウムなどの放射性物質ごとの土壌汚染度と、年間の被曝量とをそれぞれ計測して、移住レベルに対応させてた。年間の被曝量だけで言えば、5ミリシーベルト以上が「移住義務区域」、1ミリシーベルト以上が「移住権利区域」、0.5ミリシーベルト以上が「放射能管理強化区域」だった。

 ニポンでは、年間の被曝量がウクライナの「移住義務区域」の4倍にあたる20ミリシーベルトを超える地域だけを「計画的避難区域」に指定した上に、この指示を出したのが事故から1ヶ月後、実際に避難させたのが2ヶ月後だってんだから、あまりにも遅すぎるし酷すぎる対応だ。この中には、年間の被曝量が100ミリシーベルトや200ミリシーベルトを超える地域も含まれてたんだから、この地域に2ヶ月間も留まってた人たちは、すでに数10ミリシーベルトも被曝してるのだ。

 その上、ニポン政府は、子供にまで年間20ミリシーベルトの被曝を押し付けた。繰り返すけど、ウクライナでは、もっとも高い規準値が「5ミリシーベルト以上」で、この数値のエリアの住民は、政府によって強制的に移住させられたのだ。
 勘違いしないでほしいのは、これは一時的な「避難」や「疎開」じゃなくて、「移住」だってことだ。つまり、ウクライナでは、年間の被曝量が*5ミリシーベルトを超えるエリアは、もう人間が暮らすことができない土地だって判断したのだ。

 ‥‥そんなワケで、年間の被曝量が5ミリシーベルトを超える土地の住民に移住を義務づけたウクライナ政府と、子供にまで20ミリシーベルトの土地で暮らすことを強要したニポン政府、あまりにもカケ離れた両政府の対応だけど、さらに驚くのが、食べ物に関する暫定規準値だ。
 ニポンでは、水も、野菜も、果物も、肉も、魚も、ほとんどの食品の規準値を1kgあたり500ベクレルに設定したけど、ウクライナでは、毎日たくさん摂取する水は2ベクレル、毎日食べる野菜は40ベクレル、野菜よりは摂取量の少ない果物は70ベクレル、そして、肉は200ベクレル、魚は150ベクレルと、どれもニポンよりは遥かに厳しく設定してるし、それぞれの食材の摂取量まで考えて設定してるのだ。

 さらに言えば、ニポンでは、大人も子供も500ベクレルを押し付けられてるけど、ウクライナでは、こうした基準とは別に「幼児の基準」が設けてあり、幼児はどんな食材でも「1kgあたり最大40ベクレル」と決められてる。つまり、1kgあたり200ベクレルの肉や150ベクレルの魚は、大人や大きな子供は食べてもいいけど、幼児には食べさせちゃいけないことになってる。

 で、ここまで書いてきたことを総括すれば、チェルノブイリの事故の時に子供だったウクライナの人たちは、ニポンよりも遥かに厳しい居住区域制限を受け、ニポンよりも遥かに厳しい食品の汚染度制限まで受けて暮らして来たのに、大人になって子供を産んでみたら、冒頭で紹介した映像のような結果が待ってた‥‥ってことなのだ。
 だから、ウクライナの子供たちよりも遥かに汚染度の高い地域で暮らし、ウクライナの子供たちよりも遥かに汚染度の高い食材ばかり食べ続けて行ったニポンの子供たちが、今から15年後、20年後、25年後、大人になった時に、どんな結果が待ってるかは、火を見るよりも明らかだろう。

 ‥‥そんなワケで、昨日のことだけど、ツイッターで、東京都の世田谷区に住む若いお母さんが、2歳の娘さんの尿検査を依頼してやってもらったところ、セシウム134と137が検出されたってツイートしてた。
 数値としては微量だけど、そのお母さんは、あたしとおんなじくらい放射能を恐れてて、4月からトータルで2ヶ月ほど九州に疎開してたし、自宅では、お水は海外のミネラルウォーター、肉や魚や野菜は西日本のものと海外のものしか使ってなかったのに、それでもセシウムが検出されたってことは、何も気にせずに生活してる人たちの子供なんて、この子の何倍も何十倍も内部被曝してると思う。
 そして、今のままの生活を続けてけば、たとえ甲状腺癌を発症しなかったとしても、大人になった時にどんなことになるか‥‥ってワケで、今日は最後に、もう1本、海外のドキュメンタリーを紹介する。
 これは、ドイツの放送局が福島を取材したものだけど、これも日本語の字幕がついてるので、ぜひ観てほしい。全編で8分ほどだけど、電力利権に牛耳られてるニポンのテレビ局が逆立ちしても放送できない内容がマウンテンな今日この頃なのだ。
 ※『ZDF Frontal21 福島原発事故の影響 (日本語字幕)』
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WZiAWJVr0HU

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『きっこのブログ』(2011.08.31)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/08/post-3529.html

http://mainichi.jp/select/today/news/20110726k0000m040176000c.html
2011年7月26日 2時30分 毎日新聞

 ◇9人は100ミリシーベルト以下

 東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。 

 厚生労働省によると、10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された。内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被ばく線量が最も高かった人は129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。

 ◇50ミリの息子白血病死 母の怒り

 中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんは91年に白血病で亡くなった。29歳だった。神奈川県横須賀市に住む母美智子さん(74)は、体重80キロだった嶋橋さんが50キロにやせ衰え、歯茎からの出血に苦しんでいた姿が忘れられない。

 嶋橋さんは下請け会社で原子炉内計測器の保守点検をしており、累積被ばく線量は8年10カ月間で50.63ミリシーベルトだった。

 死亡の半年後に戻ってきた放射線管理手帳は、赤字や印鑑で30カ所以上も被ばく線量などが訂正されていた。白血病と診断された後も被ばくの可能性のある作業に従事可能なことを示す印が押され、入院中に安全教育を受けたことになっていた。安全管理のずさんさに怒りがわいた。

 「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう。でも、国や電力会社は家族の心も考えてほしい。『危ない』と聞いていれば伸之を原発になど行かせなかった」と美智子さん。「何の落ち度もない労働者が亡くなるようなことはあってはならない。上限値はすぐに下げるべきだ」と訴える。

 そもそも原発での被ばく労災が表面化することはまれだ。市民団体「福島県双葉地区原発反対同盟」の石丸小四郎代表(68)は震災前、福島第1原発の作業員6人の被ばくによる労災申請を支援し4人が認定されたが、実名を公表したのは2人だけ。「原発の恩恵を受けているとの思いがあり、狭い地域社会の中で補償支給を知られたくない人が多い」と指摘する。

 がん以外の場合には認定自体に高いハードルがある。福岡市の元溶接工、梅田隆亮(りゅうすけ)さん(76)は79年2〜6月に中国電力島根原発(松江市)と日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)で働いた。その後、突然鼻血が出るなどの症状が表れ、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いた後、00年に心筋梗塞(こうそく)で倒れた。被ばくが原因ではないかと疑念を深め、08年に労災申請したが、認められなかった。累積被ばく線量は8.6ミリシーベルト。再審査を請求している梅田さんは「原発労働者が事業者の都合にいいように扱われている。このままでは自分のようなケースがどんどん生まれてしまう」と懸念する。

 被ばくによる労災認定に明確な基準があるのはがんでは白血病のみ。「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」と「被ばく後1年以上たってから発症」の2点。他のがんは厚労省の検討会が判断する。

【池田知広、関谷俊介、袴田貴行、西嶋正信】

独立行政法人・原子力安全基盤機構が事故前に、原子力防災専門官向け資料として作成していた!
『最悪の事態=炉心溶融のシミュレーション画像』
→ http://blog.livedoor.jp/insectshima/archives/52319794.html

こんなものが事故の2年も前に作られていた。

東電に想定外とは言わせない!

東電は「最悪の場合」を引き起こした!

 高校生平和大使、フランス領ポリネシアのタヒチを訪問

 フランス領ポリネシアのムルロア環礁(かんしょう)とファンガタウファ環礁は、1966年から96年までの間、フランスが大気圏内核実験や海底の地下内での核実験を繰り返してきたところ。
長崎新聞等によると、長崎県などの5人の「高校生平和大使」が、先月下旬、NGOピースボートの「ヒバクシャ地球一周・証言の航海」に加わってこのフランス領ポリネシアのタヒチを訪ねる旅に出、9日帰国したといいます。
 タヒチを訪れた5人の高校生は、長崎西高2年の鈴木慶爾(けいじ)さん、活水(かっすい)高1年の山口真莉絵(まりえ)さん、佐世保(させぼ)高2年の佐生(さそう)悠香(はるか)さん(以上長崎県)と、筑紫(つくし)女学園高3年の大神(おおかみ)櫻子(さくらこ)さん(福岡県)、鴎友(おうゆう)学園女子高3年の今野英里子(えりこ)さん(東京都)。
派遣したのは「ながさき平和大集会実行委員会」。

 5人は、被爆者や来日していたNGO「ムルロア・エ・タトゥ」(「モルロアと私たち協会」、タヒチの核実験被害者権利運動に取り組む団体)のメンバーと共に、長崎でピースボートの第4回「ヒバクシャ地球一周・証言の航海」の船に乗船。

 船内で被爆証言DVDの上映やタヒチの核実験被害者、オーストラリアのウラン採掘被害地の先住民との意見交換を行なうなどした後、タヒチで船を下り、現地の中学生と交流するなどしたといいいます。
同紙によると、先月9日には、長崎市内で、「中高生ノーニュークネットワーク広島」と平和運動に取り組んでいる長崎の「高校生一万人署名活動実行委」の計30人が、核兵器廃絶に向けての若者の連携などについて話し合いを持ったともいいます。

 足元の原発問題に取り組むなかで核実験場とされた世界の各地住民の核災害にも気付かされた者として、高校生や中学生のこうした活動に注目しないではいられません。
 核兵器のない世界をめざして、今後さらに見聞を広め深めながら活動の輪を広げて行ってほしいものです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フランスが行なった核実験によるフランス領ポリネシア住民の被害の現状の一部については、YouTubeの次の動画(2009年5月)で知ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=WNXtKzlY08w

veohの次の動画では、原爆による内部ヒバク(前半)と外部ヒバク(後半)についての長崎大学の最近の研究結果をわかりやすく知ることができます。
http://www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v18682192z3nrJ2zR


原子力発電を考える石巻市民の会
日下郁郎 | 分類: 核兵器のない世界をめざして
http://shiminnokai.info/cat44/post-3.html

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