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まる / 2014年1月19日

行間を読む ナチス時代の報道          

http://midori1kwh.de/wp-content/uploads/2014/01/zeitung_anschluss_oesterreich-300x213.jpg
新聞に見入る兵士たち 1938年
Süddeutsche Zeitung Photo/Scherl
 
クリスマスマーケットで日本でも有名なバイエルン州の街ニュルンベルクには、ナチス時代のニュルンベルクに関する資料を集めた「帝国党大会会場資料センター」がある。そこで、「Zwischen den Zeilen?」(訳すと「行間?」の意)という展覧会が行われている。
 
この展覧会のタイトルには副題があって、それは「ナチスの権力手段としての新聞」という。その通り、この展覧会では、1933年にナチスが権力を掌握してから1945年の終戦までに、ドイツの新聞や雑誌、ラジオが、いかにナチスの影響下に置かれ、情報操作とプロパガンダに使われていたかを、当時の新聞の複製や写真に説明をつけながら見せている。
 
現在も、ドイツの新聞の数と多様性には驚くが、ワイマール共和国時代にも、ドイツでは4000以上もの多種多様な新聞と雑誌が発行されていた。しかしナチスが政権に就くと、まず社会民主党の機関紙「フォアヴェルツ」(Vorwärts: 1948年に再び出版されるようになり、現在は再び社会民主党の機関紙)や、共産党の機関紙「赤旗」(Rote Fahne)が禁止され、他の“反対派”と見られた新聞雑誌も次々と姿を消したため、その数は1935年には2500に減っていた。多くの優秀な記者や編集者も外国へ亡命していった。とはいえ、2500と聞くと結構な数だし、それだけあれば報道の多様性も確保されていたのではないかと思ってしまいがちだが、そうではなかった。というのも、多くの出版社がそれまでにナチス党の経営・管理下に置かれ、内容が強制的に同一化されてしまっていたからだ(Gleichschaltung)。例えば、党大会中の演説を掲載する時は、党が判子を捺したオフィシャル版をそのまま使うと決められていたし、そのうちにナチスは独自の通信社を創設したため、独自の取材をするお金と人材が足りない地方紙などは、いずれにしろ、その通信社から提供されたナチス色に染まった情報をそのまま掲載することになった。
 
しかし面白いことに、情報が“同一化”されたことで、読者が離れていった。どの新聞を読んでも内容はほとんど一緒なため、退屈だったのだ。そして矛盾したことに、ナチスは「ドイツには報道の自由がない」という印象を与えることを、国の内外で防ぎたがった。だから、明らかに“反対派”と分かる新聞以外には、あえてある程度の自由を与えていた。もちろん、自分たちにとって極めて都合の悪い内容の記事が書かれないようには注意した。例えばフランクフルター・ツァイトゥング(Frankfurter Zeitung)がそう。亡命せずにドイツに残った多くの優秀な記者たちが執筆し、以前から海外でも一目置かれる権威ある新聞であったため、ナチス党は「唯一、我々の情報を(海外に向けて)載せることができる媒体」と見て利用した。「FZの書き方はあえて、反体制派の雰囲気を残し、海外でそう受けとられるように書かれている……この役割を果たしてもらうためには、ある程度の自由を与える必要がある。色がつきすぎる場合には、必ず介入する」と帝国副広報官が書いていた。結局、1943年にはこの新聞もヒトラー直々の命令で廃刊となったのではあるが。
 
そして政治面は読者にとってはつまらなく、書き手としても創造力を発揮できる場ではなくなってしまったため、文芸面、スポーツ面などに力が入れられたというのも面白い。もちろん、文化の面でも、例えば児童文学までもが“アーリア化”されたり、印象派や表現主義絵画が“頽廃芸術”のレッテルを貼られてドイツ全国の美術館から排除されたりしたので、決して“非政治的”だとは言えないのではあるが。
 
http://midori1kwh.de/wp-content/uploads/2014/01/zeitungstisch_ausstellungstafeln-225x300.jpg
「行間?」展 会場  Museen der Stadt Nürnberg, Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände
 
さて、この展覧会のタイトルになっている「行間」であるが、これは「行間を読む」を省略したものだ。第2次世界大戦が進むにつれ、ナチスのプロパガンダと現実の間に食い違いがあることがだんだん一般市民にも分かってきたが、とうとう隠せないくらいになったのはスターリングラードの戦い(1942年6月から1943年2月)の頃からで、ドイツ第6軍がソ連の赤軍に負けた時だった。もちろんナチスは、この敗北を「お国を守るための果敢な戦いだった」と美化しようとした。しかし、その時点では国民は既に「行間を読む」ことを覚えていた。つまり、人々は、ナチスの好んで使う表現や言葉の「行間」から、真実を見抜くことができるようになっていたのだ。そこからこのタイトルは来ている。
 
この展覧会を見て私が覚えた言葉は「Selbstgleichschaltung」だ。検閲などなくとも、その時の体制に都合の悪い報道、言論表現を自ら控えることである。ナチス時代には、反体制派のジャーナリストたちが亡命したり排除されたりした後、こういう“自己検閲”があったため、言論の自由の制限や検閲のことを問題視する記者や新聞発行人はほとんどいなくなっていた。国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスも、政府に批判的な報道が出て来ることはそれほど心配しておらず、出版界に対する指示もほとんどなかったという。
 
 
特別秘密保護法が成立した日本では、今までにも増して、そういう“自己検閲”をする人たちが増えるのではないだろうかと推測する。そして、日本でも人々は「行間を読む」ことを学ぶようになるのではないか(既に今でもそうだと言う人もいるかと思うが)。ただ希望が持てるのは、現在の社会がデジタル化していることだろうか。ナチス時代のドイツでも、政府の宣伝ではない情報を求めて、ソ連や英国、スイスのラジオを聞いていた人も多かったという。そして亡命した知識人たちは、海外でドイツ語の新聞を作り、故郷に向けて情報発信することに努めた。しかし、今ならインターネットですぐに読めるそういう情報(もちろん、ネットが検閲されていないことが条件だが)を、当時のドイツに住む人間が入手することは、ほとんど不可能だった。そう考えると、インターネット•リテラシーというものが、いかに大切であるかが分かる
 
「行間?」展は2014年4月6日まで開催されている。また、1月31日までは、ナチス時代に禁止されていた本、推奨されていた本、当時人気だった“非政治的な”本、児童文学などをテーマとした「言葉の暴力」という展示も行われている。
 
会場の資料センター(Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände )までは、ニュルンベルク中央駅前からトラムの9番(Dokumentationszentrum行き)に乗って約15分。ナチス時代のニュルンベルクをテーマとした常設展も見応えがある。
 
ニュルンベルクは、初期ルネサンス期に画家、アルブレヒト•デューラーが活躍した街でもあるが、ナチス時代には毎夏党大会が行われていた場所であり、ニュルンベルク裁判の舞台ともなった。そのため、“負の歴史”を辿ることもできる。資料センターがあるのは、ナチス党が党大会を行った広大な敷地内に、5万人を収容する会議堂として計画した建物の中にある。1935年に着工したが、完成しないまま終戦を迎えた。現在ドイツに残る最大規模のナチス建築。
 

行間を読む ナチス時代の報道          

まる / 2014年1月19日
http://midori1kwh.de/wp-content/uploads/2014/01/zeitung_anschluss_oesterreich-300x213.jpg
新聞に見入る兵士たち 1938年
Süddeutsche Zeitung Photo/Scherl
 
クリスマスマーケットで日本でも有名なバイエルン州の街ニュルンベルクには、ナチス時代のニュルンベルクに関する資料を集めた「帝国党大会会場資料センター」がある。そこで、「Zwischen den Zeilen?」(訳すと「行間?」の意)という展覧会が行われている。
 
この展覧会のタイトルには副題があって、それは「ナチスの権力手段としての新聞」という。その通り、この展覧会では、1933年にナチスが権力を掌握してから1945年の終戦までに、ドイツの新聞や雑誌、ラジオが、いかにナチスの影響下に置かれ、情報操作とプロパガンダに使われていたかを、当時の新聞の複製や写真に説明をつけながら見せている。
 
現在も、ドイツの新聞の数と多様性には驚くが、ワイマール共和国時代にも、ドイツでは4000以上もの多種多様な新聞と雑誌が発行されていた。しかしナチスが政権に就くと、まず社会民主党の機関紙「フォアヴェルツ」(Vorwärts: 1948年に再び出版されるようになり、現在は再び社会民主党の機関紙)や、共産党の機関紙「赤旗」(Rote Fahne)が禁止され、他の“反対派”と見られた新聞雑誌も次々と姿を消したため、その数は1935年には2500に減っていた。多くの優秀な記者や編集者も外国へ亡命していった。とはいえ、2500と聞くと結構な数だし、それだけあれば報道の多様性も確保されていたのではないかと思ってしまいがちだが、そうではなかった。というのも、多くの出版社がそれまでにナチス党の経営・管理下に置かれ、内容が強制的に同一化されてしまっていたからだ(Gleichschaltung)。
例えば、党大会中の演説を掲載する時は、党が判子を捺したオフィシャル版をそのまま使うと決められていたし、そのうちにナチスは独自の通信社を創設したため、独自の取材をするお金と人材が足りない地方紙などは、いずれにしろ、その通信社から提供されたナチス色に染まった情報をそのまま掲載することになった。
 
しかし面白いことに、情報が“同一化”されたことで、読者が離れていった。どの新聞を読んでも内容はほとんど一緒なため、退屈だったのだ。そして矛盾したことに、ナチスは「ドイツには報道の自由がない」という印象を与えることを、国の内外で防ぎたがった。だから、明らかに“反対派”と分かる新聞以外には、あえてある程度の自由を与えていた。もちろん、自分たちにとって極めて都合の悪い内容の記事が書かれないようには注意した。
例えばフランクフルター・ツァイトゥング(Frankfurter Zeitung)がそう。亡命せずにドイツに残った多くの優秀な記者たちが執筆し、以前から海外でも一目置かれる権威ある新聞であったため、ナチス党は「唯一、我々の情報を(海外に向けて)載せることができる媒体」と見て利用した。
「FZの書き方はあえて、反体制派の雰囲気を残し、海外でそう受けとられるように書かれている……この役割を果たしてもらうためには、ある程度の自由を与える必要がある。色がつきすぎる場合には、必ず介入する」と帝国副広報官が書いていた。結局、1943年にはこの新聞もヒトラー直々の命令で廃刊となったのではあるが。
そして政治面は読者にとってはつまらなく、書き手としても創造力を発揮できる場ではなくなってしまったため、文芸面、スポーツ面などに力が入れられたというのも面白い。もちろん、文化の面でも、例えば児童文学までもが“アーリア化”されたり、印象派や表現主義絵画が“頽廃芸術”のレッテルを貼られてドイツ全国の美術館から排除されたりしたので、決して“非政治的”だとは言えないのではあるが。
 
http://midori1kwh.de/wp-content/uploads/2014/01/zeitungstisch_ausstellungstafeln-225x300.jpg
「行間?」展 会場  Museen der Stadt Nürnberg, Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände
 
さて、この展覧会のタイトルになっている「行間」であるが、これは「行間を読む」を省略したものだ。
第2次世界大戦が進むにつれ、ナチスのプロパガンダと現実の間に食い違いがあることがだんだん一般市民にも分かってきたが、とうとう隠せないくらいになったのはスターリングラードの戦い(1942年6月から1943年2月)の頃からで、ドイツ第6軍がソ連の赤軍に負けた時だった。もちろんナチスは、この敗北を「お国を守るための果敢な戦いだった」と美化しようとした。しかし、その時点では国民は既に「行間を読む」ことを覚えていた。つまり、人々は、ナチスの好んで使う表現や言葉の「行間」から、真実を見抜くことができるようになっていたのだ。そこからこのタイトルは来ている。
この展覧会を見て私が覚えた言葉は「Selbstgleichschaltung」だ。検閲などなくとも、その時の体制に都合の悪い報道、言論表現を自ら控えることである。ナチス時代には、反体制派のジャーナリストたちが亡命したり排除されたりした後、こういう“自己検閲”があったため、言論の自由の制限や検閲のことを問題視する記者や新聞発行人はほとんどいなくなっていた。国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスも、政府に批判的な報道が出て来ることはそれほど心配しておらず、出版界に対する指示もほとんどなかったという。
特別秘密保護法が成立した日本では、今までにも増して、そういう“自己検閲”をする人たちが増えるのではないだろうかと推測する。そして、日本でも人々は「行間を読む」ことを学ぶようになるのではないか(既に今でもそうだと言う人もいるかと思うが)。ただ希望が持てるのは、現在の社会がデジタル化していることだろうか。ナチス時代のドイツでも、政府の宣伝ではない情報を求めて、ソ連や英国、スイスのラジオを聞いていた人も多かったという。そして亡命した知識人たちは、海外でドイツ語の新聞を作り、故郷に向けて情報発信することに努めた。しかし、今ならインターネットですぐに読めるそういう情報(もちろん、ネットが検閲されていないことが条件だが)を、当時のドイツに住む人間が入手することは、ほとんど不可能だった。そう考えると、インターネット•リテラシーというものが、いかに大切であるかが分かる。
「行間?」展は2014年4月6日まで開催されている。また、1月31日までは、ナチス時代に禁止されていた本、推奨されていた本、当時人気だった“非政治的な”本、児童文学などをテーマとした「言葉の暴力」という展示も行われている。
 
会場の資料センター(Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände )までは、ニュルンベルク中央駅前からトラムの9番(Dokumentationszentrum行き)に乗って約15分。ナチス時代のニュルンベルクをテーマとした常設展も見応えがある。
 
ニュルンベルクは、初期ルネサンス期に画家、アルブレヒト•デューラーが活躍した街でもあるが、ナチス時代には毎夏党大会が行われていた場所であり、ニュルンベルク裁判の舞台ともなった。そのため、“負の歴史”を辿ることもできる。資料センターがあるのは、ナチス党が党大会を行った広大な敷地内に、5万人を収容する会議堂として計画した建物の中にある。1935年に着工したが、完成しないまま終戦を迎えた。現在ドイツに残る最大規模のナチス建築。
 
官邸にはいられず、地球の裏まで逃げ廻って悪事を働いている税金ドロボーの安倍首相 
 
産経新聞 12月23日(月)7時55分配信

首相の宿泊予算「枯渇」 25年度の地球儀外交、思わぬ余波

 安倍晋三首相の外遊にかかる平成25年度の宿泊予算がすでに底をついていることが22日、分かった。首相が掲げる「地球儀外交」の影響により海外出張が例年をはるかに上回っているためだ。来年1月には、中東やアフリカ、インドなどへの訪問を控えており、政府は他の予算を切り崩して捻出する必要に迫られている。

 首相の海外での宿泊費は内閣官房の「内閣総理大臣外国訪問等経費」から支出され、25年度は3450万円だった。政府関係者によると、年度の4分の1の期間を残して宿泊予算が枯渇した例は近年では珍しいという。

 昨年12月に再登板した安倍首相は今年に入り、東南アジア諸国連合(ASEAN)の全10カ国をはじめ、延べ29カ国を訪問した。在任が1年3カ月だった野田佳彦前首相と菅直人元首相のそれぞれ延べ16カ国と8カ国、9カ月だった鳩山由紀夫元首相の同11カ国と比べても、安倍首相は突出している。

 政府は26年度の宿泊予算について約600万円増の4070万円を充てる方針だが、首相は周囲に「今後もドンドン海外に行く」と話しており、26年度も途中で予算が枯渇する可能性がありそうだ。

 防衛省が管轄する政府専用機の関連予算も窮迫している。天皇陛下や皇族方がご利用になられる分も含めた政府専用機の燃料費は、24年度が約16億円だったが、「25年度はそれを大きく上回ることは確実だ」(防衛省関係者)という。
 
 
 
【名言か迷言か】年明けの首相外遊ラッシュにイエローカード?!
 
  「ビジョン、アイデンティティー、そして未来を分かち会う仲間、平和と繁栄とよりよい暮らし、そして心と心の通い合うパートナー。今から40年後、私たちの子や孫もASEAN(東南アジア諸国連合)と日本の間柄とは、確かにそのようなものだと深くうなずくに違いない。皆さま方のお国をすべて訪問した私にはそう確信を持って言うことができます」
 安倍晋三首相は13日夜、日ASEAN特別首脳会議のために来日した各国首脳を首相公邸に招き、首相夫妻主催の夕食会を開いた。乾杯の音頭では、ASEAN10カ国を全て訪問した実績を強調するとともに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録が決まったばかりの和食の特別メニューを準備したことをアピールした。
 
 昨年12月の首相就任から約1年間で、外遊の回数は13回、訪問した国は25カ国(重複を除く)に上る。月1回以上の外遊はかなりのハイペースだが、政府高官は「首相は、就任当初から『1カ月に4回ある週末を、被災地訪問、国内出張、外遊、ゴルフに使いたい』との意向だった」と解説する。
 
 年内は今のところ外遊の予定は組まれていないが、年明けは外遊ラッシュとなりそうな雰囲気だ。1月9日からは約1週間かけて中東のオマーン、アフリカのコートジボワール、モザンビーク、エチオピアの4カ国を訪問。25日からは2泊3日でインドを訪れ、26日の憲法公布を祝う「共和国記念式典」に出席する方針を固めている。
 
政府・与党はインド訪問直前の24日に通常国会を召集し、首相の施政方針演説を行う方向で調整しているが、首相は22日からスイスで開かれる世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)の出席にも強い意欲を示している。会議には世界を代表する政治家や実業家が一堂に会するため、首相は政権の経済政策「アベノミクス」を世界にアピールしたい考えだ。
 
 しかし、この日程を全部こなそうとすると、首相は暑い中東・アフリカから帰国後、1週間もしないうちに寒さの厳しいスイスに出発し、日本にとんぼ返りして施政方針演説をこなし、翌日にはインドへ出発。インドから帰国した直後には国会で各党から代表質問を受けることになる。施政方針演説や代表質問には事前の準備も必要となるため、殺人的な過密スケジュールとなりそうだ。
 
 加えて、首相は2月にロシアで行われるソチ五輪にも出席する意向。首相周辺は「第1次政権で参院選に大敗した直後、体調がすぐれない中で無理をして東南アジアとインドを訪問し、本格的に体調を崩して退陣につながった。あの二の舞は避けなければならない」と指摘する。「せめてダボス会議への出席は諦めてほしい」というのが官邸スタッフの本音だ。
 
 ただ、「首相は外遊に行くと元気になる」(政府筋)というのも事実。通常国会は4月の消費税増税、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉、特定秘密保護法など懸案が山積しているが、外遊ラッシュでパワーアップして乗り切ることができるのか、注目したい。(桑原雄尚)
 
 
 
トルコへ原発輸出、三菱重に影落とす巨額賠償問題
 
 トルコへの原発輸出が注目を集めている。三菱重工業などが参加する国際コンソーシアムが10月30日、トルコ政府と原発建設のフィージビリティースタディー(FS=事業化可能性調査)の枠組みについて正式合意に達した。5月と10月、半年間で2回も同国を訪問してプロジェクトを後押しした安倍晋三首相はレジェプ・タイープ・エルドアン首相との会談で「大変喜ばしい」と笑顔で握手を交わした。ただ、盛り上がる政府側とは裏腹に「今後ファイナンスの枠組みや電力販売契約などについて交渉を詰めていく」と三菱重工が同日公表したコメントは慎重。今後FSに2年程度時間をかけ、採算性などに問題がなければ正式に契約を結ぶという。確かに「受注確実」と手放しで浮かれられない事情が同社にはある。米国での補修トラブルをめぐる巨額賠償問題で浮き彫りになった「原発輸出リスク」である。
■首相が受注の旗振り
 
 トルコの原発プロジェクトの予定地は北部の黒海南岸シノプ地区。ここに三菱重工と仏アレバ社が共同開発した出力110万キロワット級の加圧水型軽水炉(PWR)「ATMEA(アトメア)1」を4基建設する。2023年に1号機が稼働予定で、総事業費は約220億ドル(約2兆1700億円)を見込んでいる。
 事業母体となる国際コンソーシアムには三菱重工と伊藤忠商事、フランスの電力・ガス大手GDFスエズ、トルコ国営電力会社(EUAS)の4社が出資する。出資額は合計約66億ドル(約6500億円)で、コンソーシアムの株式持ち分比率はEUASが最大49%、伊藤忠が10%超とみられる。出資額を超える事業費は日本の国際協力銀行(JBIC)や民間金融機関からの借入金などで賄う方針だ。
 
 トルコにとっては、地中海沿岸のメルシン地区でロシア国営原子力企業ロスアトムの傘下企業が受注しているアックユ原子力発電所(120万キロワット級を4基建設。20〜23年に1基ずつ稼働予定。総事業費200億ドル)に続く2カ所目の原発プロジェクトになる。トルコは昨年の1人当たり国内総生産(GDP)が1万500ドル、10年間で3倍の水準になるなど経済成長が著しく人口も増加。発電用エネルギーの約7割を輸入に依存しており、03年の就任以降、目覚ましい経済成長を実現してきたエルドアン首相は電力安定供給を掲げて一時は中断していた原発建設に舵(かじ)を切り、現在は30年に国内発電量の15%を原子力にする計画を打ち出している。
 
 アックユ、シノプに続く3カ所目の原発もトルコは予定している。建設地は未定だが、日本勢がFSを実施することを日本、トルコ両政府間で決定済み。この3カ所目の原発について、トルコ政府は海外勢に全面発注するのではなく、国内勢の参加を想定。そのための人材育成や技術力強化に日本の協力を求めている。先の安倍、エルドアン両首相の会談で署名された共同宣言に、両国の科学技術協力が盛り込まれたのはこのためだ。
 
 トルコの原発プロジェクトの総事業費は1カ所あたり2兆円規模。3カ所なら総額6兆円。世界の原発メーカーが色めき立つのも無理はないが、一方でリスクの多さも際立っている。
 まず、トルコは日本と同様に地震多発国である。過去半世紀に1000人以上の死者が出た大地震が7回発生。このうち1999年8月にイスタンブールを含む北西部で発生したマグニチュード7.6の地震では約1万7000人が死亡した。この北西部地震からほぼ1年後の2000年7月、当時のエジェビット首相は地震専門家らの反対を受け、1997年から進めていたアックユ原発の計画を白紙撤回している。また、2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第1原発事故の直後にはギリシャのパパンドレウ首相(当時)がエルドアン首相に電話をかけ、トルコの原発計画を中止するよう要請したこともあった。
 
 トルコ国内にも当然、原発反対運動がある。シノプ地区は1986年のチェルノブイリ原発事故で小麦や生乳に放射能被害が及び、黒海産の水産物も風評被害に遭遇した経緯があり、地元の農業、漁業関係者を中心に根強い反対運動がある。原発建設で生まれる雇用や地元への助成金、さらに高い経済成長などで反対運動の広がりは限定的だが、その抑制効果もエルドアン首相率いる現政権の指導力に左右される。
■地震国トルコ、原発反対運動も
 
 今年5月末にイスタンブールで起きた反政府デモは五輪誘致をにらんで進められた都心の再開発計画に対する環境活動家らの抗議(公園の樹木伐採に反対する座り込み)がきっかけであり、そこに現政権の強権政治に不満を持つ世俗派市民が合流して規模が拡大した。高速道路や原発の建設にも批判の矛先が向いており、エルドアン政権のリーダーシップが揺らげばこれらのプロジェクトの先行きが不透明になることは十分考えられる。
 さらにトルコの原発プロジェクトで懸念されるのは度重なる計画変更やシビアな契約交渉。シノプ原発を巡っては2010年以降、最初に優先交渉権を持っていた韓国が受注に際してトルコ側の政府保証を求めたために同年11月に決裂、次に東芝や東京電力を中心にした日本勢が交渉相手となったが、11年3月の福島第1原発事故で東電が撤退したため受注活動は白紙に戻った。
 
 12年2月に韓国の李明博大統領(当時)がトルコを訪問して韓国との交渉が再開したが、これも首尾よくいかず、同年4月にはエルドアン首相が訪中して原子力協定を締結。一時は原子力関係者の間で「シノプは中国で決まり」とまでいわれたが、昨年末から年明けにかけ、三菱・アレバの日仏連合が新たに浮上。今年5月には受注内定にこぎ着けた。背景には、サルコジ前政権時代には欧州連合(EU)加盟問題などを巡って悪化していたフランスとトルコの関係がオランド政権になって劇的に改善したことに加え、日本でも原発輸出に前向きな安倍政権が誕生したことがあると解説されている。原発プロジェクトの政治色の濃さを象徴するエピソードといえる。
 
 相手を目まぐるしく替える交渉術は条件面のどん欲さの裏返しでもある。一部報道によると、ロスアトムが受注したアックユ原発は建設費がロシア側の全額負担で電力供給計画の保証義務も負わせた。トルコ電力卸売公社が原発稼働後15年間の電力購入契約を結び、建設費相当額を支払っていく。スマートフォンやタブレット(多機能携帯端末)の分割払いの仕組みに似ており、トルコ側の資金負担(調達コストなど)は大幅に軽減される。これから本格化するシノプ原発のファイナンス交渉でも同様の要求があると見て間違いなさそうだ。
 
 こうした原発セールスをめぐるディスカウント交渉はトルコだけの専売特許ではない。欧州やアジア、中東などの各国の原発市場にフランス、ロシア、日本、中国、韓国、それに米国のメーカーがひしめき、それぞれ政府を巻き込んで熾烈(しれつ)な受注競争を繰り広げている。昨今、受注獲得が目立つのはロシアと中国でいずれも国ぐるみの手厚い資金支援を売り物にしている。例えば、今年8月に決まったパキスタン南部カラチの原発計画(100キロワット級2基を建設)は中国核工業集団(CNNC)の受注が見込まれ、1兆円近い建設費の7割強を中国が融資すると報じられている。
 
 
 そのCNNCは10月半ば、中国国有企業である広核集団(CGN)と共同で英国南西部ヒンクリーポイントの原発新設計画(仏アレバ社製の欧州加圧水型炉〈EPR〉を2基建設、23年稼働予定)に参入することが明らかになった。CNNCは東芝傘下の米原発大手ウエスチングハウス(WH)社から技術導入して中国国内で原発建設を進めている。
 
 これまで英政府は安全保障上の問題から中国企業の原発事業参入に難色を示していたが、福島第1原発事故などをきっかけに英国内の原発プロジェクトから撤退する企業が相次ぎ、暗礁に乗り上げるケースが続出したことから従来方針を転換。中国企業に門戸を開くことになった。
 
 ヒンクリーポイント原発は当初、英電力・ガス会社セントリカ社とフランス電力公社(EDF)の共同事業だったが、今年2月に「コストと建設計画が不透明」との理由でセントリカ社が撤退。残ったEDFが新たなパートナーを探していた。同原発の総事業費は160億ポンド(約2兆5400億円)。EDFが45〜50%、仏アレバ社が10%をそれぞれ出資予定で、新たに加わった中国企業2社の出資比率は計30〜40%になる見込み。
 このほか、エーオン、RWEのドイツ電力大手2社が昨年3月、英国の原発事業から撤退。両社合弁で設立した英原発会社ホライズン・ニュークリア・パワー社(英国内2カ所で最大6基の原発新設を計画)は、日立製作所が昨年11月、約890億円で傘下に収めた。
 
■原発離れ進む欧州の電力市場
 また、英国中部セラフィールドで最大360万キロワット(2〜3基)の原発新設を計画していた英ニュー・ジェネレーション(ニュージェン)社は10年に仏GDFスエズ社とスペイン電力大手イベルドロラ社、英スコティッシュ・サザン・エナジー社が共同出資で設立した原発会社だったが、11年にスコティッシュが撤退。ここに来てイベルドロラも保有株(50%)をすべて東芝の子会社WHに売却する方向で交渉が進んでいる。東芝はGDFスエズの保有株も一部買い取り、百数十億〜200億円を投じて年内にもニュージェンを傘下に収める方針。
 
 欧州の電力ビジネス市場ではフランスを除く各国の企業が原発から距離を置き、その空白を日本や中国のアジア勢が埋めている構図が浮かび上がる。日立は3.11以降、日本国内での原発新設が見込めなくなったため、英国内で4〜6基の新設計画を持つホライズン社買収に踏み切った。だが、建設費だけで投資額は約2兆円と巨額なため、17〜18年に予定している着工までに、現在100%保有しているホライズン社株を投資ファンドや電力会社に売却して出資比率を50%未満に下げたい考えだ。
 
 ただ、欧州勢は及び腰なうえ、中国勢も本来はメーカーのため製造が主体。「ものづくりのうまみが無いし、ただでさえ日中合弁は難しい」と関係者は話す。ホライズン社株の売却が難航すれば、日立は過大なリスクを抱え込むことになる。「自動車メーカーが需要確保のためバス会社やタクシー会社を買うようなもの。うまくいく可能性は小さい」(重電担当アナリスト)との指摘もある。
 原発メーカーのリスク管理に大きな影を落としているのが、三菱重工が遭遇している米国での巨額賠償問題だ。同社は09〜10年に米カリフォルニア州にあるサンオノフレ原発に交換用の蒸気発生器を納入したが、その配管が摩耗し12年1月に放射性物質を含む微量の水が漏れ、稼働を停止するトラブルがあった。
 
 同原発の事業母体である南カリフォルニア・エジソン社(SCE)は再稼働を目指したが地元住民らの反発で断念。今年6月に2基の原発の廃炉を決め、損害賠償を三菱重工に求める方針を通告してきた。10月半ばに明らかになったSCEの賠償請求額は40億ドル(約3900億円)。三菱重工は「不適切な内容で根拠がない。契約上の責任上限は1億3700万ドル(約135億円)だ」と反論しており、双方は国際的な仲裁機関である国際商業会議所(パリ)で争う構え。
 
「いまの原子力は『国家事業』だ。つまり商業的には成り立たない」と指摘するジェフ・イメルトGE会長
 
 三菱重工のみならず、原発メーカーにとって衝撃だったのは、契約で定めた賠償の上限を超えた金額を請求されたことだろう。この件では米原子力規制委員会(NRC)も今年9月、三菱重工が細管の摩耗を予測するシミュレーションで使用した「コンピューターモデルが不適切だったことが、蒸気発生器の設計の欠陥につながった」と文書で指摘している。海外の原発プロジェクトでいったんトラブルや事故を起こせば、国民の関心が強いだけに、官民そろって責任追及に動くという現実を原発メーカーは見せつけられた。
 
 サンオノフレのケースは原発先進国の米国が舞台であり、交換用部品の納入がトラブルの端緒だったが、昨今の日本勢が受注活動に熱心な欧州やアジア、中東の原発市場では事業母体に出資を余儀なくされたり、数十年間の運転保証を求められるなど、各社が背負うリスクは膨らむ一方だ。
 
 インドでは9月に法務長官が原発事故による損害賠償の請求権について「行使を希望するかどうかは原発の運営者が決められる」との法解釈を示し、同国での原発推進のネックになっていた「厳格な製造物責任の追及」が緩和されたと歓迎する声が世界の原発関係者の間に広がった。ただ、この発言がインドでの原発ビジネスのハードルを下げることになるというのは早計かもしれない。いったん深刻な事故が起き、多大な犠牲者が出れば、責任追及は“政治”の色彩を帯びてくるからだ。
 
■「原子力事業、商業的には成り立たない」
 運営者がトラブルや事故を起こした原発のメーカーに寛大な対応をすることは考えにくい。国民感情を考慮するなら、メーカーが外国企業の場合は特にそうだろう。サンオノフレのケースでいえば、運営者は巨額の賠償請求を突きつけたSCEであり、監督当局のNRCも同調している。三菱重工の責任追及には地元カリフォルニア州選出の上院議員も暗躍した。
 
 原発ビジネスはセールスからリスク管理に至るまで政治の関与がますます不可欠になりつつある。
 「いまの原子力は『国家事業』だ。つまり商業的には成り立たない」(10月10日付日本経済新聞朝刊「真相深層」)
 米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジェフ・イメルト会長兼最高経営責任者(CEO)のこの指摘は確かに的を射ている。日本政府や原発メーカーの経営者はどう解釈するだろうか。
 
毎日新聞 2013年12月01日 東京朝刊

内閣府チェルノブイリ視察 支援法理念、報告書で否定 

原発推進派に配布

 東京電力福島第1原発事故への対応の参考にするとして内閣府が2012年3月、ロシアなどへ職員を派遣し、旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の被災者支援を定めた「チェルノブイリ法」の意義を否定する報告書をまとめていたことが分かった。同法の理念を受け継いだ「子ども・被災者生活支援法」の法案作成時期と重なるが、非公表のまま関係の近い原発推進派の団体などに配られていた。(社会面に「復興を問う第2部 消えた法の理念」)
 
 支援法は、線量が一定以上の地域を対象に幅広い支援をうたって12年6月に成立したが、今年10月に支援地域を福島県内の一部に限定した基本方針が決まっており、成立を主導した国会議員らからは「国は早い時期から隠れて骨抜きを図っていたのではないか」と不信の声が上がる。
 
 報告書はA4判30ページで、内閣府原子力被災者生活支援チームが作成毎日新聞の情報公開請求で開示された調査団は同チームの菅原郁郎事務局長補佐(兼・経済産業省経済産業政策局長)を団長に、復興庁職員を含む約10人。ウクライナ、ベラルーシ(2月28日〜3月6日)とロシア(3月4〜7日)を2班で視察し、各政府関係者や研究者から聞き取りした。
 
 報告書は、チェルノブイリ法が年間被ばく線量1ミリシーベルトと5ミリシーベルトを基準に移住の権利や義務を定めたことについて「(区域設定が)過度に厳しい」として「補償や支援策が既得権になり、自治体や住民の反対のため区域の解除や見直しができない」「膨大なコストに対し、見合う効果はない」「日本で採用するのは不適当」などの証言を並べ、同法の意義を否定両事故の比較で、福島での健康影響対策は適切だったと強調もしている。
 
 支援法の成立を主導した谷岡郁子元参院議員(当時民主)は「視察自体聞いていない」。川田龍平参院議員(みんな)は「できるだけ被害を矮小(わいしょう)化したい意図が当時からあったことが分かる。支援法つぶしが目的だろう」と話した。
 
 菅原氏は「自分は支援法に関与していない」と反論。一方で、支援法が低線量被ばくによる健康影響の可能性を認めて自主避難者の意思を尊重しているのに対し、菅原氏は「当時健康影響は過剰に強調されていた。それより心のケアが大事だと伝えるため、報告書を持っていろんな人に説明した」と述べ、チェルノブイリ法や支援法と異なる理念を広めるのに使ったことは認めた。これまで原発を推進する立場の有識者団体や、支援法を主導した議員とは別の一部議員などに配ったという。
 
 また当時復興相として調査を指示した平野達男参院議員は「チェルノブイリ法の実情を見てくるよう指示した」と説明したが、「今読めば一方的過ぎると言われても仕方ない」と内容の偏りを認めた。菅原氏らが報告書をどう使ったかは知らなかったといい、「結果としてそういう(公表せず一部の人に配る)使われ方をした。いろいろな考え方を持っている人に配るべきだった」と話した。【日野行介】
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 ■ことば

 ◇子ども・被災者生活支援法

 議員立法で12年6月に全会一致で成立した。年間累積放射線量が国の避難指示基準(20ミリシーベルト)を下回るが一定基準以上の地域を対象に、避難するかとどまるかによらず幅広く支援すると規定したが、線量基準を巡っては、成立を主導した議員らが年1ミリシーベルトを主張したもののまとまらなかった。国は支援策を盛り込んだ基本方針を今年10月になって閣議決定したが、線量基準は設けず支援地域を福島県内33市町村に限定。幅広い支援という法の理念は骨抜きにされ、県外自治体などから批判を浴びた。
 
:復興を問うシリーズ
毎日新聞 2013年11月27日 社説

社説:秘密保護法案衆院通過 民主主義の土台壊すな

 あぜんとする強行劇だった。
 衆院国家安全保障特別委員会で特定秘密保護法案が採決された場に安倍晋三首相の姿はなかった。首相がいる場で強行する姿を国民に見せてはまずいと、退席後のタイミングを与党が選んだという。
 与党すら胸を張れない衆院通過だったのではないか。採決前日、福島市で行った地方公聴会は、廃案や慎重審議を求める声ばかりだった。だが、福島第1原発事故の被災地の切実な声は届かなかった。
 審議入りからわずか20日目。秘密の範囲があいまいなままで、国会や司法のチェックも及ばない。情報公開のルールは後回しだ。
 国民が国政について自由に情報を得ることは、民主主義社会の基本だ。法案が成立すれば萎縮によって情報が流れなくなる恐れが強い。審議が尽くされたどころか、むしろ法案の欠陥が明らかになりつつある。
 この法案について首相はさきの参院選で国民に十分説明せず、今国会の所信表明演説でも触れなかった。ところが今、成立ありきの強硬路線をひた走っている。衆参のねじれ状態が解消して4カ月での与党のおごりである。
 一部野党が安易な合意に走ったことも消せぬ汚点だ。日本維新の会、みんなの党両党との修正合意は法案の根幹を何ら変えていない。維新の会と「検討する」と合意した秘密指定の妥当性を判断する第三者機関の設置も確約されたとは言えない。
 秘密指定の最長期間が60年となるなど、改悪となりかねない部分すらある。これではまるで与党の補完勢力ではないか。
 衆院は通過したが、法案の必要性を改めて吟味する必要がある。
 国の安全が脅かされるような情報を国が一定期間、秘密にするのは理解できる。
 情報漏えいを禁じる法律は、国家公務員法、自衛隊法、日米相互防衛援助協定(MDA)秘密保護法があり、懲役の最高刑はそれぞれ1年、5年、10年だ。一方、政府は、過去15年で公務員による主要な情報漏えい事件が5件あったとの認識を示した。この三つの法律の枠内で、起訴猶予になったり、最高刑を大幅に下回る刑の言い渡しを受けたりしている。
 現行法の枠内で、情報が漏えいしないような情報管理のシステムを各行政機関内で構築して規律を守ることが先決だ。
 法案では、防衛・外交情報のほか、テロ活動防止などの名目の公安情報も特定秘密の対象となる。監視活動が中心の公安捜査は、国民の人権を制約する。
 情報を知ろうとする国民が処罰されるような強い副作用を覚悟の上で、新たな法律を今作る必要が本当にあるのか。
 「知る権利」に対する十分な保障がなく、秘密をチェックする仕組みが確立されていないなど問題点や疑問はふくらむばかりだ。
 参院では一度立ち止まり、この法案の問題点を徹底的に議論した上で危うさを国民に示すべきだ。
 民主主義の土台を壊すようなこの法案の成立には反対する。
 
 
 
琉球新報2013年11月27日
秘密法衆院通過 世紀の悪法を許すな 良識の府で廃案目指せ
 
 国民の目と耳をふさぎ、主権者が国政の重要な情報を得る道を閉ざす「世紀の悪法」が、成立への階段を一つ上った。その審議は「強権国家化」を暗示する、国民不在の醜悪な展開を見せた
 国家機密を漏らした公務員や市民らに厳罰を科す特定秘密保護法案は、自民、公明の与党とみんなの党が賛成し、衆議院を通過した。それに先立つ特別委員会は、数の力に頼った強行採決だった
 報道関係者だけでなく、「知る権利」に携わる研究者、市民団体など、分野を超えて反対する国民が日ごとに増している。だが、危機感は国会に反映されない

1度きりの公聴会

 これほど重要な法案に対する国民の意見を聞く公聴会が1回しか開かれていない。国民に背を向けた為政者の姿を際立たせる。
 米軍基地の重圧にあえぐ沖縄で、基地運用の情報は、住民生活を守る不可欠な情報である。その大半が入手できなくなる恐れが強い法案であるだけに、沖縄公聴会は最優先で開かれるべきだが、それもなされないままだ。
 広く国民から意見を聞く公聴会もほとんど開かず、国会での審議も尽くそうとしない。官僚による恣意(しい)的な秘密指定を許し、指定期間が半永久的になるなど、法案の問題点はきりがないが、みんなの党や維新の会との修正協議を経ても全く改まっていない。
 安倍首相は秘密指定の在り方を検証する第三者機関を設けるべきだと初めて発言したが、その担保も何もない。なぜ、首相と与党はこれほど危険な法案の性急な成立に走るのか。全く理解不能であり、成立は断じて容認できない。
 国民の「知る権利」など、民主主義国家にとって欠かせない憲法にのっとった権利が確実に侵害される。問題点を全て洗い出し、徹底的に審議を尽くすのが国会の責務である。
 会期末に近い今国会での成立をにらみ、強引に衆院を通過させたことは罪深い。法案が送られる参議院は、良識の府の存在意義をかけて熟議を重ね、廃案にすべきである。
 25日に福島市で開かれた衆院特別委の公聴会では、与党側が推薦した人を含め、7人全員が法案への懸念や反対を唱え、慎重審議を求めた。このままの成立を望む声は皆無だった。
 沖縄出身で、原発の保守管理会社を営む名嘉幸照さんは、原発内部で法に反した作業が実施される場合を挙げ、「告発者がいることは大事だ。命に関わる原発の安全性について、国民は知る権利がある」と訴えた。

原発と基地情報の封印

 名嘉氏発言の「原発」は「米軍基地」にそのまま置き換えられる。生命の安全に直結する情報さえ、関係省庁の恣意的な秘密指定に縛られた公務員らが萎縮して封印されるだろう。
 特定秘密を漏らしたり、暴いたりした者には、これまでの最高刑の10倍となる懲役10年の厳罰が科せられる。成立の先には軍事に偏重した、戦前回帰の「秘密国家」が像を結ぶ。恐ろしいことだ。
 法案への重大な懸念は、著名人の見方にも端的に表れている。
 俳優の菅原文太さんは「先の戦争の片りんが影絵のように透けて見える」と危ぶんだ。不幸な戦争の時代が連想されるのだ。
 「悪魔のような法案。何が秘密かを時の権力者が秘密のうちに決められる。ジャーナリストとしても、市民としても恐怖です」。音楽評論家の湯川れい子さんの危機感は多くの国民が共有できよう。
 法案に対し、国連人権高等弁務官事務所の2人の特別報告者が声明を出し、「内部告発者やジャーナリストを脅かす」として、重大な懸念と透明性確保を要請した。
 国際基準に照らしても、「知る権利」を基盤にした国民の自由を奪いかねない法案は異様だ。巨大与党の暴走に歯止めをかけねば、子々孫々の時代まで重大な禍根を残しかねないと銘記すべきだ。 
 
 
 
 沖縄タイムス 2013年11月27日

社説[秘密法案衆院通過]数の暴挙は許されない

 衆院での審議入りからわずか20日足らずで、基本的人権にかかわる重要法案を可決するのは、数の力を背景にした暴挙というしかない。
 機密を漏らした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法案が26日、衆院本会議で自民、公明両党とみんなの党の賛成多数で可決された。今国会の成立を目指す安倍政権が、12月6日の会期末をにらみ、衆院通過を強行した。
 国民の約6割が「知る権利」の侵害を懸念する法案だ。与党と日本維新の会、みんなの党の修正案は、政府による恣意(しい)的な秘密指定の拡大など法案の持つ危険性の根幹は何ら変わっていない。
 26日午前の衆院国家安全保障特別委員会で、自民党が質疑を打ち切る緊急動議を提出し、採決を強行。与党とみんなの党の賛成多数で可決した。修正案には問題点が多い。にもかかわらず、十分な審議をつくしたとは、とてもいえない。
 
 特定秘密の指定期間が30年を超える場合に、内閣の承認が必要とされていたが、修正案では「最長60年」に延びた。さらに「暗号」など例外7項目は、60年を超えて半永久的に秘密指定が可能となるなど、政府原案より後退している。
 第三者機関については、法案の付則に、独立した立場で監視できる機関の「設置検討」を盛り込むが、あくまでも検討でしかない。
 首相の「指揮監督権」を明記し「第三者的」な関与を想定しているが、行政のトップが第三者というのは矛盾している。
    ■    ■
 特定秘密保護法案は、外国の制度と比べても秘密の妥当性チェックの欠陥が顕著だ。
 米国では、国立公文書館内に設置された「情報保全監察局」が、機密指定が適切かどうかをチェックし、指定を解除する権限を持つ。
 米国防総省の元高官は共同通信のインタビューで「政府が持つ情報は国民のものというのが世界の基本原則」と指摘し、「日本はなぜ国際基準から逸脱するのか」と疑問を呈している。
 世界各国の専門家がつくった、情報アクセスの権利に関する「ツワネ原則」は、70カ国、500人以上の安全保障や人権の専門家が2年間にわたる会議を経てことし6月に発表した。秘密の範囲を制限する必要性や監視機関の設置、ジャーナリストや市民を処罰の対象外にする−などを規定している。日本の特定秘密保護法案は、この世界の潮流にも背いているのだ。
    ■    ■
 衆院の特別委員会は25日、福島市で特定秘密保護法案に関する地方公聴会を開いた。与党側が推薦した人も含め7人の陳述人が全員、法案への反対や懸念の考えを示し、慎重審議を求めた。
 それなのに、公聴会翌日に法案を可決するとは、福島の人たちに対する裏切りである。アリバイづくりと批判されても当然だ。
 法案の審議は参院に移る。良識の府といわれる参院で徹底した審議を重ね、やはり廃案にするべきだ。この悪法が成立するなら、将来に禍根を残すことになる。
 

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