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女川原発も危ない!

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≪原子力発電を考える石巻市民の会 ブログ 5月11日付より≫

 1999年9月に起きたJCO(ジェイ・シー・オー)臨界事故を受けて、その年12月に原子力災害対策特別措置法(原災法)がつくられました。
 この法律の成立・施行によってはじめて、万が一の原子力災害時に政府が原子力防災対策の前面に立つ仕組みが整えられました。
 そして、原子力施設のある道府県それぞれに原子力災害時の防災対策の中心となるオフサイトセンター(原子力防災対策センター)が建てられ、その施設での国・県・市町村が一堂に会した原子力合同対策対策協議会の訓練、原子力施設周辺での緊急時環境放射線モニタリング訓練、一部住民が参加しての避難訓練等を主な内容とする国主催の原子力防災訓練も、年1回、どこかの道府県で行なわれるようになりました(1巡目の終わりに近い今年度は女川原発の地元で行なおうと宮城県が手を挙げていた)。

 ですが、原子力ムラの学者ばかりか政府・自民党も、「屋内退避や避難などの住民防護対策が必要となるような原発事故など現実には起こりえない」という考えを根本的に改めた訳ではありませんでした。
 次は、私が10年前に実際に見聞きしたことです。
「(2000年)10月28日島根県で、原子力災害対策特別措置法に基づき国が計画した原子力防災訓練が初めて行われた。避難訓練は、避難対象地区が原発の風下2キロ内、避難先が原発の風下3キロ先の町立武道館というなんとも矮小なものだった。チェルノブイリ原発事故では、国境を超えた約300キロ先の村々の住民を含む40万人が避難や移住を強いられたというのにである。

 避難訓練には幼児や小中学生も参加していた。つい先日鳥取県西部地震を経験したばかりのこの子どもたちに向かって、避難施設を訪れた現地対策本部長の坂本剛二通産総括政務次官は次のように語りかけた。『東海村のような事故は再び地球上ではありえない』『地震が起きても自動停止するから大丈夫』『訓練は安心を確保するためなので気楽にやってください』」(日下郁郎「揺れる原子力防災計画」、『技術と人間』2000年11月号所収)

 原災法とその成立後に改訂された原子力安全委員会の「防災指針」などに従って、原子力施設のある各道府県のほとんどが道府県原子力防災計画(地域防災計画・原子力災害対策編)を改訂しました。
 しかし、今に至るまで、原子力防災対策を整備すべき地域の範囲(以下では原子力防災対策範囲と略。国はEPZ―イー・ピー・ゼット―と略称している)を原発の半径10キロ圏内のままとするなど、計画の核となる部分は変えていません。

 福井県と茨城県の2県だけは、原災法ができる前に県原子力防災計画を改訂していました。
 1995年12月に福井県敦賀市にある高速増殖炉・原型炉「もんじゅ」がナトリウム漏れ火災事故を起こし、1997年3月には茨城県東海村にある再処理工場がアスファルト固化処理施設の火災爆発事故を起こしたため、これら2県はそれまでの計画の改訂を余儀なくされたのです。

 茨城県では、この東海再処理工場の事故後に、「原子力防災対策検討委員会」(能澤正雄委員長)が組織されました。
 この委員会の「事故想定ワーキンググループ」の委員をつとめた学識経験者は、青地哲男氏(主査、(財)日本分析センター技術相談役)、近藤駿介氏(東京大学大学院工学系研究科教授)、小川輝繁氏(横浜国立大学工学部教授)の三氏。

 「避難対策等ワーキンググループ」の委員をつとめた学識経験者は、吉田芳和氏(主査、放射線計測協会技術相談役)、稲葉次郎氏(放射線医学総合研究所研究総務官)、廣井脩氏(東京大学社会情報研究所教授)の三氏でした。
(当時、原子力安全委員会の原子力発電所等周辺防災対策専門部会の委員もつとめていた近藤駿介氏は、現在は原子力委員会の委員長をつとめている)。

 委員会の審議結果は「避難計画等の基本形」を核とした「原子力防災等の充実強化について」(1998年8月)にまとめられ、それを基に茨城県の原子力防災計画は改訂されました。
原子力安全委員会は、JCO事故の起きる少し前に出した報告書「防災計画の実効性向上を目指して」(1999年4月)で、同委の防災指針にしたがって原発の10キロ圏内を原子力防災対策範囲とし、わずか3キロ圏内の住民のせいぜい5〜6キロ圏内への避難(避難先施設は風下でもよい)を主な内容としたこの茨城県の「避難計画等の基本型」(詳しくは次回の記事で紹介)を推奨しています。

 この「避難計画等の基本型」に象徴される原子力ムラの「原子力防災対策の思想」は、今回の福島原発の1〜4号機の爆発の瞬間まで、国の原子力規制行政の中心機関である原子力安全・保安院の役人や関係する学者、原子力安全委員会(現在は原子力委員会とともに内閣府に置かれている)の5人の委員やその事務局の役人、関係する学者等の頭に連綿と引き継がれてきました。

 このことは西日本新聞の先月末の次の記事からも明らかです。
「原子炉の冷却機能が失われた―。防災服姿の閣僚らが勢ぞろいした首相官邸の大会議室。『緊急事態宣言を発出する』。当時の首相麻生太郎の声が響いた。
2008年10月22日、政府の原子力総合防災訓練が行われた。設定された事故現場は福島第1原発3号機。原子炉の水位低下で核燃料が破損、放射性物質が大気中に放出された―とのシナリオに沿って訓練が進んだ。
 しかし、想定された住民の避難区域はわずか半径2キロ。放射性物質の放出は、冷却機能の復旧で7時間後には止まることになっていた。3基同時に原子炉の燃料が破損し、なお半径20キロ圏の住民避難が続く現実の事故との落差は、あまりに大きい。

 『国内では放射性物質が大量飛散するような大事故は起きないことになっていた』(電力会社関系者)。安全神話は崩壊した。経済産業省原子力安全保安院の寺坂信昭は、今年4月初めの国会答弁で『認識に甘さがあったと反省している』と述べた」(2011/04/30付 西日本新聞朝刊)
このたびの世界初の「原発震災」で日本政府の当初の避難指示が「原発の3キロ圏内」となったのも、このような「思想」が上記役人たちの頭を支配してきたからだったのでしょうか。

 話は戻りますが、東海再処理工場のアスファルト固化処理施設の火災爆発事故後間もなく核燃料加工工場JCOで臨界事故が起きたことから、茨城県は再度、県原子力防災計画を改訂せざるをえなくなりました。
核燃料加工施設で臨界事故が起きることなど全く想定していない防災計画だったからです。
改訂のため再び「原子力防災対策検討委員会」が組織され近藤駿介氏などがまた委員となりました。
けれども、「事故想定ワーキンググループ」主査の青地氏の名前は、その委員会名簿には載っていませんでした。
私はその理由を、JCOの施設設置の際にその安全審査に当たった青地氏が臨界事故の発生を重荷に感じたからではないか、と推測しています(当時も今に至るまでも、青地氏がこの委員会から姿を消したことも、その事情についても、話題になったことは一切ありませんが)。
さて、今度は、原子力委員会の委員長の近藤駿介氏などが辞めなければならないことになるのでしょうか。
いや、今も進行中の世界初のこの原発震災は、原発事故を見くびってきた戦後の歴代政府と原子力ムラ総体が招き寄せた放射能災害であり、現在の原子力ムラのトップクラスの何人かに責任を負わせて済ますには余りに大きく重い人工災害だと言わざるをえません。
歴代の共産党・政府首脳と学者たちが招き寄せ、70年余続いたソ連が消滅する原因の一つとなったあのチェルノブイリ原発事故のように。

 日下郁郎 | 分類: 東日本大震災と原発
 http://shiminnokai.info/cat58/post-15.html

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3月11日の東日本大震災後ごく最近まで、私が原発に関してできたことは、子どもたちに手伝ってもらって、女川原発周辺のモニタリングステーション(福島県ではモニタリングポストと呼んでいる)等の状況を調べて歩いてはホームページに記事を載せることだけ、でした。
そうしてその状況を具体的に知るにつれ、福島県が福島第一原発や第二原発の周囲に設置しているモニタリングポスト(空間放射線量の自動観測局)の停止の理由やそれぞれの復旧状況などが気になってもきました。

今日インターネットで調べてみて、朝日新聞が3月14日午前10時過ぎのニュースでこのことに関して報じていたことを初めて知りました。

記事には「地震後(1箇所を除く)すべて(のモニタリングポスト)からデータを送れなくなった。停電が理由と見られる」、「文部科学省は急遽、移動観測車3台と専門家を派遣し、13日午前から計測を始めた。放射性物質を含むガスが広く拡散する心配もあり、各都道府県にも1時間に1回、測定データ報告するよう依頼した」とあります。

これで、福島でも地震直後に宮城と似たようなことが起きていたことがわかりました。

ただし、一つだけ違うのは、福島では地震後も1箇所のモニタリングポストが曲がりなりにも機能してきたことです。

目視で(このモニタリングポストそのものの測定値の―筆者の推測)数値を読めるというのです。

福島県原子力センターの「環境放射線一覧」を検索すると、その「一つ」が県の原子力センターのある大熊町大野のモニタリングポストであろうことがわかります。
http://www.atom-moc.pref.fukushima.jp/dynamic/C0014-PC.html

第一原発から5キロの原子力センターも、宮城とは違って壊滅してはいないのでしょうか。

それぞれのモニタリングポストからの通信がいつ途絶したかは、上の「一覧」の地点地点をクリックするとわかります。

4時半を過ぎたころには、大野のモニタリングポストを除くすべてからの通信が途絶えています。
大野のモニタリングポストからの通信も、翌12日の正午ごろには途絶えました。

第一原発と第二原発のそれぞれのモニタリングポストの正確な位置と海岸からの距離は、同じく福島県原子力センターのホームページにある下図からわかります。

11日の午後4時半を過ぎたころに大半のモニタリングポストからの通信が途絶したということは、それらが地震そのものや津波では破壊されていないことを示しているのでしょうか。

大半のモニタリングポストは電気が通じさえすれば動くのでしょうか。

20キロ圏内に避難指示が出されたので復旧できないでいる、ということなのでしょうか。

それらが早急に復旧されていれば、つまりそれらのある地点地点の放射線量がその時点から測定できていれば、SPEEDI(スピーディ=緊急時迅速放射能影響予測)ネットワークシステムによる10キロ圏外の影響予測についてもその時から正確にできたのではないでしょうか。

実情を知りたいものです。

日下郁郎 | 分類: 東日本大震災と原発

原発対策:地震・津波後も鈍い知事の動き

 2011年4月26日


これまで紹介してきた今回の地震・津波後の女川原発の周囲のモニタリングステーションや県原子力センターの状況について、当会の情報を基に、河北新報(3月24日)、TBS(3月24日NEWS23クロス)、NHK仙台(4月19日18時半からの東日本大震災ニュース)が記事やニュース番組で伝えてきています。
しかし、知事以下の県当局は、自ら進んでその実態を県民の前に明らかにしようとはしてきませんでした。

この地震・津波や余震の女川原発への影響についても、手が足りないためもあってか県当局は、東北電力から報告を受けることに積極的であるようには見えません。

それで18日県庁まで足を運び、県の担当者に、このたびのその重要さを訴えながら、地震・津波と余震に関して東北電力が県に報告した女川原発の安全性に関する一切の情報の開示を求めました。

開示を決定するまでの期間は通常2週間ですが、しなければならないことが立て込んでいるので1ヶ月にして欲しいと担当者が強く求めるので、決定期間の延長については受け入れましたが。

それから約1週間後の今日の河北新報のトップ記事によると、知事がきのうの定例記者会見で「(現時点で)再稼動は容認できない。物理的に不可能だ」との認識を示したといいます。

しかし、今回の地震と今月7日の余震で原子炉建屋内の揺れの強さが想定した基準を上回ったことの分析結果を東北電力が国に報告した当日の知事のこの発言の内容には、首を傾げざるをえません。
「再稼動は容認できない」と知事はわざわざ発言していますが、そもそも、現時点で東北電力が女川原発の運転を再開できる状況にはないのですから。

国がこの想定でよしとした以上、そして津波についても国の想定が甘すぎた以上、今後当然国のそのような姿勢も問題となってきます。
いや、今回こそ、これまでとはまったく違う、しかも真の意味での第三者組織で、厳格にそれらが問われなければなりません。

知事はきのう、次のようにも発言しています。
「福島第一原発の事故を踏まえ、国がどんな安全基準を考えるかがポイントだ。新たな基準が付加されれば、専門的知見も取り入れて検討しなければならない」
これも一見もっともらしい発言です。
しかし、女川3号機のプルサーマル問題で、地元の女川町や石巻市を同意に向けて引っ張り、無理矢理去年3月の同意に導いた当人の発言だけに、これまで同様の国頼み・パフォーマンス優先の姿勢だと思わないではいられません。

大事故のあとだけに、これまでの自らの姿勢を反省し、原発を推進してきた歴代政府とは一線を画してほしいものですが・・・

日下郁郎

原子力発電を考える石巻市民の会ブログより
http://shiminnokai.info/cat58/post-12.html

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2011年4月23日

宮城県のホームページには「調整中」などとあるだけだが・・・

女川原発の放射能を常時監視しているモニタリングステーション(無人)は、全部で11あります。
うち7局は県の施設、4局は東北電力の施設です(各局の位置と設備は注1を御覧ください)。
測定した空中の放射線量は、気象情報とともに直ちに女川町にある原子力センターに送られて、環境放射線データ表示盤に表示されます。
誰でも県のホームページで、その測定値をリアルタイムで見ることことができるようにもなっています。
ところが、原発の10キロ圏内にあるこれらすべての局のデータが、今回の地震・津波の直後に見れなくなってしまいました(バックアップホームページでも見れなくなった。停電で私は直後の実情を知らなかったが)。
原子力センターが津波でどうなったかについてはすでに紹介しました。
では、各地のモニタリングステーションそのものはどうなってしまったのでしょうか(県当局はバックアップホームページで「調整中」などと紹介しているだけですが――注2)。
以下は、これまでに直接確かめることのできた5局の実際です。
1.鮫浦(さめのうら)[石巻市、旧牡鹿町] ※53世帯が住んでいた集落(2008年3月末現在)。

上の写真は(→注4)、今回の津波の1週間ほどあとの3月19日に鮫ノ浦のありさまを撮ったものです。
津波で家々がすっかりなくなっています。
妻の母の遺体が鮫ノ浦にあがったと聞いて、安置所に運ぶために妻や妻の兄たちとこの浜に久しぶりにやってきたとき、浜のあまりの変わりように言葉がありませんでした。
あとになって、ここにも女川原発の放射能を監視するモニタリングステーションが設置されていたはずであることに気づき、当日撮った写真を見直してみました。
その結果見つけたのがこの写真です。
奥の小山の右端の手前(画面中央奥)にポツンと見えているのが、鮫浦のモニタリングステーションです。


これは、各モニタリングステーションが津波でどのような影響を受けたかを調べに行った4月19日に撮ったもの。
窓は破れて中の測定機などは海水に浸かり、屋根の一部なども壊れていました。
手前右手に倒れている白い箱状のものは、非常用電源。
2.谷川(やがわ)[石巻市、旧・牡鹿町] ここは60世帯が住む集落でした。

4月19日、津波後初めて鮫ノ浦を越えて谷川に向かいました。
谷川も鮫ノ浦同様に激烈な津波被害を受けていました。
まるで、原爆を落とされた爆心地のように。
上は、同日、その谷川浜の様子を撮った写真です。
右手の山のすぐ隣に見えているのがモニタリングステーションです。


元々あった場所から田んぼだったここまで何百メートルも流されてきていました。
横なぐりの雨のため、元々あった場所まで行くのはやめにしました。

3.小積(こづみ)[石巻市] ここには24世帯が住んでいました。

奥の斜面はこの集落の墓地。
その手前の平地には、ついこのほどまで家々が建ち並んでいました。
この写真に写っているありさまが小積浜の現実。
それなのに、4月9日以後現地に立ってその現実を何度目にしても、まるで幻影でも見ているようにしか感じられないのはどうしてでしょうか。
中央に見えるのはモニタリングステーションの非常用電源の残骸。
この目で女川原発の地震・津波被害の実際を確かめようと出かけた4月9日、初めてこの有様を見て、確かに愕然とはしたのですが・・・


モニタリングステーションのあった場所にはわずかにモーターが残っているだけでした。


モニタリングステーションの建物は、海岸からさらに二百メートルほど離れた道路わきにまで流されてきていました。

4.飯子浜(いいごはま)[女川町]

飯子浜には、漁業の盛んな女川の浜浜のまっただなかに原発を設置することに反対する多くの漁民の中心をになった人々が何人か住んでいました。
そのうちの一人が住んでいた海岸の道路沿いの家は、跡形もなくなっていました。
残った家々も、このようにほとんどが全壊状態でした。
中央奥の傾いた二階家の右にモニタリングステーションが見えます。


この飯子浜のモニタリングステーションも津波をかぶってだいぶ傷んでいました。
右隣は直角に折れまがった電柱。


飯子浜の前の海面には、海ぎわにあった牡蠣むき場の屋根と思われるものが浮いていました。
5.小屋取(こやどり)[女川町]

小屋取は女川原発に最も近い集落です。
後方中央の白い建物が原発(3・11後現在まで、放射能放出事故は起こさないで済んでいる)。
右手の木々の上にちょっと見えているのは、原発の排気塔。


この集落の家々も、高いところに建つ家以外は手ひどく津波にやられました。
上の写真は、海岸で目にした津波にもぎ倒された家。
家の前に立つのは、この日午前と午後の2回、各モニタリングステーションの現状を調べて回る際に車を運転してくれた娘の万里。


写真は、集落の手前の道路を数百メートル登ったところにある小屋取局(→注3)。
津波はここまでは達しなかったようで、外見上はどこにも変わったところがあるようには見えませんでした。
しかし、県原子力安全対策室の話では、空中の放射線量の時々刻々の測定結果や気象情報が無線で各局から女川の原子力センターだけでなく仙台の県庁にも届く仕組みになっていたにもかかわらず、津波が浜はまを襲った頃には、この局を含む全11局からの情報が県庁にも届かなくなったといいます。
< 注 記 >
注1.各モニタリングの位置と測定項目(『2010宮城県の原子力行政』)

※モニタリングポイントでは、3ヶ月ごとの積算放射線量を測定している。


注2.4月21日現在の宮城県のバックアップホームページ
(4月21日の図には誤表記があったので4月26日のものに変更)

※1局を除いて,他はすべて今も「調整中」となっている。
女川局だけは1ヶ月以上たって復旧し、4月18日にその測定値のバックアップシステムによる表示も再開された。
注3.前方で取材しているのは、NHK仙台の応援のため秋田市からやってきたNHKの記者(右端)とカメラマン。
NHK仙台は4月19日夕方6時半からのニュースで、この日モニタリングステーションを調べて回った石巻市民の会の様子を放送した。
注4.次の写真が3月19日に撮った写真だったので、鮫ノ浦の項の写真はこれに替えた。

きのう(=4月25日)まで3月19日に撮ったものとして載せてきた下の写真は、1ヵ月後の4月19日に撮ったものだった。
天候が違うし、何よりも、奥右手の大谷川や谷川に通じる道路はまだ3月19日には復旧していなかった。

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○津波に襲われ廃墟と化した県原子力センター

13日同原発の敷地境界のモニタリングポストの放射線測定値が1時間あたり21マイクロシーベルト(通常値の500倍)にまで上昇

県原子力センターは、女川原発周辺の環境放射線や環境放射能(放射性物質)の測定・監視を行なっている中心施設。

宮城県は、環境放射線については、同センターと11か所(県分7か所、電力分4か所)のモニタリングステーションおよび放水口モニター(3箇所)をテレメーターシステムでつないで、空気中と海水中のガンマ線(放射線の一種)をリアルタイムで測定・監視しています。
そして、毎分毎時、周辺公衆の受ける放射線量が「法令値(年1ミリシーベルト)を十分下回っていることを「確認」し、また「原子力発電所からの放射性物質の環境への予期しない放出」を監視しています。
その環境放射線監視システムが、今回の地震・津波で根こそぎ破壊されてしまったのです。

女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態

いきなり、かつて経験したことのない強く長い揺れが家を襲い、間もなく、高い津波が来るので避難してくださいとの石巻市の警報が流れたので、90歳になる寝たきりの母を車椅子に乗せ妻や長男夫妻、長女と近くの小高い丘(日和山)に避難したのは、11日午後のことでした。

それから今日で早くも9日が経ちました。

まだ、悪い夢をみているかのようです。

この地震は、なんとマグニチュード9の巨大地震とのこと。
津波被害は、岩手県から茨城県にかけての大平洋沿岸と、かつてない広域に渡っているようです。
まちや道路が水をかぶって鰐山と日和山一帯が孤立し、また、停電するなどして一切の通信手段が断たれたため、一時は同じ石巻市に住む親戚や仲間との連絡もできなくなってしまいました。
幸いなことに、14日、外部に通じる道路の一部が通れるようになったので早速それまで行けなかった場所にでかけて安否の確認をして回りました。

きのう19日、電話やインターネットもできるようになったので、これから何回かに分けて、今回の地震と津波に関して直接目にしたことを中心に報告したいと思います。

◆ ◆ ◆

子供や親戚などの安否とともに心配だったのは、女川原発の状態。

13日、今や唯一の通信手段となった携帯ラジオのニュースで、同原発の敷地境界のモニタリングポストの放射線測定値が1時間あたり21マイクロシーベルト(通常値の500倍)にまで上昇したことを知りました。

3基とも(冷温停止状態に持ち込むことができて)安定した停止状態にあり、排気筒モニターの測定値も非常に低いので、モニタリングポストの測定値の上昇は女川原発とは関係がない。
上昇は福島第一原発から放出された放射性物質の影響によるもの。

こう東北電力は見ているとのこと。

しかし、女川原発の周囲の環境放射線量を常時測定している11箇所のモニタリングステーションの値に全く触れないのはどうしてなのでしょうか。

本当に3基とも冷温停止に持ち込めたのでしょうか。 

13日、地盤が低下したのか「水攻め」状態の市役所に膝までの水を漕いで渡り戦場のような忙しさの防災対策課に行って聞いてみると、前日に石巻地域消防本部から無線電話で、福島第一原発から放出された放射性プリューム(気団)が女川原発方面に流れていると連絡が入ったが、それ以外は、原子力安全・保安院(ふあんいん)と間の衛星電話を含めてあらゆる通信手段が使用不能状態で、電力からも国からも県からもどこからも何の連絡も入ってきていないというではありませんか。

ひとまず女川原発の状態については安心したものの、隣の県の福島原発の何基もが放射能放出事故を起こしているだけに、ますます女川原発周辺のモニタリグ施設がどうなっているのかが気になってきました。



3月14日、女川方面もどうにか遠回りで通れるようになったようなので、親戚などの安否の確認を兼ね石巻から自転車で女川に向かいました。

○下の一連の写真は、その際に目にした女川浜伊勢にある宮城県原子力センター等の様子です。

原子力センターの手前の道路は小石や土砂でおおわれ、どこが道なのかわからなくなっていました。
電柱は津波で根元から押し倒され、木造の家はずっと先の山ぎわに至るまで、ほとんどが流されてなくなっていました。
2階建ての原子力センターは津波に呑まれ、玄関も2階の窓も全部破壊されていました。
職員や女性事務職員は、すぐに仕事を打ち切って無事に高台に逃げることができたのでしょうか。


○これは、正面の入口などの様子です。
2階の向こう側の窓ガラスなどもみな壊れているのがわかります。
県原子力センターは、女川原発周辺の環境放射線や環境放射能(放射性物質)の測定・監視を行なっている中心施設。

宮城県は、環境放射線については、同センターと11か所(県分7か所、電力分4か所)のモニタリングステーションおよび放水口モニター(3箇所)をテレメーターシステムでつないで、空気中と海水中のガンマ線(放射線の一種)をリアルタイムで測定・監視しています。
そして、毎分毎時、周辺公衆の受ける放射線量が「法令値(年1ミリシーベルト)を十分下回っていることを「確認」し、また「原子力発電所からの放射性物質の環境への予期しない放出」を監視しています。

その環境放射線監視システムが、今回の地震・津波で根こそぎ破壊されてしまったのです。

夕方、親戚の安否を確認しに行った避難所の一つの町総合体育館で、町の災害対策本部が下隣りの女川第二小学校に置かれたことを知りました。

夜になって災害対策本部を訪ね企画課長さんなどから聞いた話では、原子力センターの職員2人と女性事務職員2人が行方不明になっているとのことでした。
幸い石川所長は助かって、この日朝、仙台の県庁に向かったとのことでしたが…。

(女川町には国からも電力からも県からもどこからも何の連絡も入っていなかった)


○ これは、隣にある国の原子力保安検査官事務所兼原子力防災対策センターです。

屋上から垂れかかっているものは、近くの工場か駐車場の屋根のトタンでしょうか。
手前に突き出た玄関はもぎとられてなくなり、中もことこどく破壊されてしまった様子です。
所長さんは行方不明とのことでした。


○写真左奥の建物が原子力センター、右が原子力防災対策センター。

女川原発の放射線・放射能監視の中心施設であり、原発事故の際の中心となる施設であるこれらの施設が、津波に呑まれて壊滅状態となろうとは……。
有名な津波地帯に代々住んでいるにもかかわらず、私自身津波を甘く見ていました。
想定をはるかに超えた地震とはいえ、これらの施設の建っている土地はおそらく海抜2メートル未満。
私同様、国も県も、地震特に津波を余りにも軽く見ていたのではないでしょうか。
それが、このような惨状を生んでしまったのではないでしょうか。
福島原発で放出された放射能が風向きによっては海を超えてこちらにもやってきている今、女川原発周辺の放射線モニタリングの状況は、このようなありさまです。

 (日下郁郎)

◆ ◆

○上は、1キロほど先の女川湾の方をふりかえってみた写真。
鉄筋コンクリートの水産加工工場なども骨組みを残しているだけだった。


○原子力センターの横を通り過ぎ、ずっと先の山ぎわまで進んで右手を見渡すと……、何艘もの船がこんなに奥まで押し流されきてひっくり返っていた。

日下郁郎 | 分類: 東日本大震災と原発

原子力発電を考える石巻市民の会
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