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天皇に戦争責任有、天皇制は廃止

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  《レイバーネット日本 アリの一言》
 ◆ 「拝謁記」で本土メディアが無視した裕仁の本音
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 前回のブログで、NHK「拝謁記」を全文公開すべきだと書きましたが、19日、NHKはその一部だけを報道各社に公開し、各社はそれを大きく報じました。
 同じ情報源(公開された「拝謁記」の一部)でも、扱うメディアの視点によって紙面は大きく異なることを改めて痛感しました。

 21日付の本土各紙(放送も同様)は、「(戦争)反省といふ字を入れねば」という裕仁の発言を大きく見出しにとりました。
 しかし、沖縄の琉球新報は違いました。沖縄タイムスも翌21日付で新報に続きました。両紙が1面トップで大きく報じた裕仁の発言は、「一部の犠牲やむを得ぬ」です。


 琉球新報、沖縄タイムスが注目したのは「拝謁記」の次の個所でした。
「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為二之がいいと分かれば一部の犠牲は巳(や)むを得ぬと考える事」
 「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(1953年11月24日の発言)
 琉球新報は「一部の犠牲やむ得ぬ 昭和天皇 米軍基地で言及 53年、反対運動批判も」の見出しで、リードにこう書きました。
「昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の『天皇メッセージと同じ路線だ』と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について『反省していたかは疑問だ』と述べた」
 朝日新聞、毎日新聞は記事中でも「拝謁記要旨」でも、この部分には触れていません。同じ共同通信を使っても中国新聞などは「要旨」の中で一部だけ載せていますが、記事にはしていません。
 同じネタ(裕仁の発言)であるにもかかわらず本土メディアと沖縄県紙で際立った違いが表れました。これはいったい何を意味しているでしょうか。

 米軍基地によって生じる「やむを得ぬ」「犠牲」を被る「一部」とはどこか。基地が集中している沖縄であることは明らかです。裕仁はそれを「沖縄の」とは言わず「一部の」と言ったのです。
 これが沖縄に「犠牲」を押し付ける発言であることは、沖縄のメディア、沖縄の人々にとっては鋭い痛みを伴って直感されます。だから琉球新報も沖縄タイムスも1面トップで大きく報じました。
 ところが本土紙(読売、産経は論外)はそれをスルーしました。裕仁の発言の意味が分からなかったのか、分かっていて無視したのか。いずれにしても、ここに沖縄の基地問題・沖縄差別に対する本土(メディア、市民)の鈍感性・差別性が象徴的に表れていると言えるのではないでしょうか。

 裕仁の「沖縄(天皇)メッセージ」(1947年9月)を世に知らしめた進藤栄一筑波大名誉教授はこう指摘しています。
「『天皇メッセージ』は、天皇が進んで沖縄を米国に差し出す内容だった。『一部の犠牲はやむを得ない』という天皇の言葉にも表れているように、戦前から続く“捨て石”の発想は変わっていない」(20日付琉球新報)
 沖縄戦研究の第一人者・石原昌家沖縄国際大名誉教授は、「一部の犠牲」発言とともに裕仁が米軍基地反対運動に否定的な発言をしていることに着目し、こう述べています。
「現在の米軍への思いやり予算や名護市辺野古の新基地建設の問題での政府の姿勢は、昭和天皇のこうした発言の意を酌んでいるかのようで、現在にもつながっている」(21日付沖縄タイムス)
 「拝謁記」には、戦争責任を回避する裕仁の弁解発言が多く含まれていますが、同時に裕仁の本音、実態も少なからず表れています(だからこそ全文を公開する必要があります)。
 「一部の犠牲」発言は、「本土防衛」(さらに言えば「国体」=天皇制護持)のために沖縄を犠牲にすることをなんとも思わない裕仁の本音・実像がかはっきり表れています。

 それを指摘するメディアが、犠牲の当事者である沖縄の県紙だけだというところに、今日の、いや戦前から一貫している日本のメディア・言論界の思考停止・体制順応・天皇タブーが如実に表れているのではないでしょうか。

『レイバーネット日本』(2019年08月22日)
http://www.labornetjp.org/news/2019/1566432706396sasaki



 ◆ <再放送情報>「Nスペ 昭和天皇の新資料発見」の再放送
   皆さま     高嶋伸欣です


 先ほど、毎年8月の「東南アジアに戦争の傷跡を訪ねる旅」から帰国しました。
 旅行中にNHK国際放送で視聴した「Nスペ 昭和天皇の新資料発見」の再放送(今夜0時20分〜)を録画して、「新資料」や同番組についての分析がなんとか間に合いそうと、ほっとしているところです。

 私の最大の注目点は昭和天皇が「ここで私の責任の事だが従来の様にカモフラージュでゆくかちゃんと実情を話すかの問題があると思う」(1951年1月24日)と語った部分です。
 「従来の」「カモフラージュ」とは、昭和天皇の戦争責任を東條たちA級戦犯たちに転嫁した「東京裁判」の政治的筋書きのことで、そのカモフラージュによって天皇制の存続と自身の延命を可能にしたことを、昭和天皇は負い目に感じていたのだと読めます。


 そしてその「カモフラージュ」をそのまま押し通すしかないと悟った昭和天皇はA級戦犯や「東京裁判」の話題に触れるのを避けるようになり、靖国神社へのA級戦犯合祀がその懸念に直結するとして怒って、以後、同神社への参拝を辞めたのだと、説明ができます。

 従って、今年も繰り返された保守派政治家の靖国参拝は、昭和天皇の「ご遺志」に反することになります。この点、昭和天皇崇敬の念が強固な理論右翼は、今後も黙って見過ごすのでしょうか。

 それにもう一つの「カモフラージュ」である終戦時の「御製」「身はいかになるとも いくさとどめけり ただたふれゆく民を思ひて」の件があります。

 ポツダム宣言受け入れの「ご聖断」は連合国からは天皇制の存続が容認されるという回答を得たからあの時点(1945年8月)で決断されたのであって、「身はいかになるとも」いかにも未定であるように装っているのは、は明白な事実歪曲・改竄です。

 同年2月14日に近衛文麿の「近衛上奏文」で降伏を進言された時には「このままの負け戦では、天皇制存続の1条件を認められた降伏は難しいので、1条件が認められるような1撃を挙げるまで待て」として、進言を却下した事実があるのです。

 その後8月までの間に、米国が戦後の米ソ対決に備えて日本を米国陣営に組込むには天皇の権威の「活用」が効果的と考え、連合国多数派の天皇制廃止・昭和天皇処罰の意見を抑えて上記1条件受け入れの方針を固めたことを知った天皇が「ご聖断」を下したという経過が現在では判明しています。

 この2月〜8月の間に、
   硫黄島の陥落、
   同島陥落による全国への空襲激化、
   東京大空襲、
   沖縄戦、
   そして広島・長崎の被ばく
 など「たふれゆく民」の被害の多くが生じていたのです。

 こうした事実があまり広く知られていないことにかこつけた御製「身はいかになるとも〜」は、あまりに身勝手な「カモフラージュ」であり、昭和天皇は最大の歴史修正・改竄者であることを今回の資料が裏付けてくれたことになります。

  *今晩の再放送ではこの「カモフラージュ」発言の部分が削除されていないか注目して視聴するつもりです。

  *とりあえず再放送情報にかこつけての高嶋の私見です。ご参考までに。

  *新資料とその関係の報道などについては、後日まとめたいと思っています。

      転送・拡散は自由です



 ◆ NHK特集:昭和天皇の呆れた「反省」
   &日本国憲法下で「統治権の総覧者&統帥権の保持者」気分?


皆様 こんばんは。増田です。これは、BCCでお知らせしています。重複・超々長文、ご容赦を!以下、見逃した方も多いかと思い、お知らせします。

 NHKは8月17日(土)、8月18日(日)2夜にわたり、初代宮内庁長官・田島道治(たじま・みちじ)の「5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した『拝謁記』を入手しました。」として「昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対でその一節が削られていたことがわかりました。」という趣旨のことを放映しました。


 たぶん、この報道を見ていないで、NHKの見出しだけを見ると「裕仁さんは本当に反省してたんで、それを表明させまいとした吉田茂は悪いやっちゃ」(笑)みたいに見えるかもしれませんが、それが全く逆だってことが、このアーカイブを見ると、よく理解できると思います。

 NHK担当者やコメントした「専門家」さんは、裕仁さんは「戦争への後悔を繰り返し語り」とか「国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望した」などと言ってます。しかし、この田島の記録を見ると、昭和天皇は、あのアジア太平洋・侵略戦争に対して全く無反省であることが明瞭です。

 「東京裁判で被告訴追を免れるための言い訳」集(笑)である『昭和天皇独白録』(文芸春秋 1995年)と全く同じ…当然と言えば当然ですけど…で、戦争の原因は全部他人のせい(軍部、近衛、アメリカ)のせいにし、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すれば」!? なんて言っているのが「深い悔恨と、反省の気持ち」という言葉に値しましょうかねぇ?

 しかも、18日のアーカイブによると、彼は日本国憲法下で、自分が「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」(第4条)、即ち国事行為しかやってはいけない「象徴」になった、という事は全く理解できず、ず〜〜っと「日本国の統治権の総覧者にして大元帥」のつもりでいて「日本国憲法尊重擁護義務」なんて、一度も考えたことは無かった、ってことが、この上なく、明瞭になりました!

 以下、アーカイブから、抜き出します。

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 ◆ 繰り返し戦争を回顧 後悔語る|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB

 ※ 8月17日 NHKスペシャル放映分
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-01.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-02.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-03.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-04.html

 ●昭和27※年4月5日の拝謁では、間接的な原因を結果に結びつけて厳しく批判する意味の「春秋の筆法からすれば」という言い回しを使って、「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ」とも述べ、日米開戦を防げなかった責任は開戦時の総理大臣だった東條英機の前任の近衛文麿にあるという認識を示した(※1952年)

 ●昭和25※年12月1日「米国が満州事変の時もつと強く出て呉れるか或いは適当ニ妥協してあとの事ハ絶対駄目と出てくれゝばよかつた」(※1950年)

 ●大正10年のワシントン海軍軍縮条約に触れ、「五五三の海軍比率が海軍を刺戟(しげき)して平和的の海軍が兎に角く(とにかく)あゝいふ風ニ仕舞ひニ戦争ニ賛成し又比率関係上堂々と戦へずパールハーバーになつた」と述べたと記されていて、アメリカとイギリスが中心となって日本を抑え込んだ「ワシントン体制」が太平洋戦争の遠因だという認識を示していたことがわかりました。

 そのうえで、軍縮条約締結時のアメリカの国務長官の名前を挙げ、「春秋の筆法なればHuphes(ヒューズ)国務長官がパールハーバーの奇襲をしたともいへる」と述べると、田島長官が「これは此(この)御部屋の中だけの御話でございます」と決して他言しないよう釘を刺したことが記されています。

 ●昭和27※年2月26日の拝謁では、昭和天皇が「実ハ私はもつと早く終戦といふ考を持つてゐたが条約の信義といふ事を私は非常ニ重んじてた為、単独媾和ハせぬと独乙(ドイツ)と一旦条約を結んだ以上之を破るはわるいと思つた為おそくなつた」(※1952年)
――――――――――――――――――――――
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 これが、全くの真っ赤なウソだってことは、1945年2月14日に近衛が「敗戦は必至で、共産革命が心配だから、講和しよう」と内奏したのに「もう一度戦果を挙げてから」と拒否したことから明らかで、この事実は有名です。
 で、以下は真実を語っているので、NHK担当者は、この裕仁さんのウソぐらいは注釈してもいいと思うのですけど…
――――――――――――――――――――――
 ●昭和27年3月14日の拝謁では「私ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」と語ったと記されていて、いわゆる「一撃講和論」にあたる考えを持っていた

 ●最初に昭和天皇が国民へのメッセージに言及したのは講和をめぐる日米交渉が本格化していた昭和26※年1月24日の拝謁でした。(※1951年)
 この中で昭和天皇は「媾和となれば私が演説といふか放送といふか何かしなければならぬかと思ふがその事を考へてくれ」

 このとき昭和天皇は、自らのメッセージの内容について「困る事が二つあると思ふ」と、懸念を語った

 ●その1つは領土の問題だとして小笠原諸島と沖縄を返還しないというマッカーサーの方針に言及し、「そうすると徳川時代以下となる事だ。これは誠に困つた事で たとへ実質は違つても、主権のある事だけ認めてくれると大変いゝが…」
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 よ〜〜、まぁ、しゃ〜しゃ〜と、おっしゃいますことよねぇ…裕仁さんが、自分の地位を守るために、マッカーサー宛に送った1947年9月20日の沖縄売渡メッセージが、後でバレルなんて夢にも思ってなかったんでしょうね…
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 ●さらに、「今一つは再軍備の問題だ こゝで私の責任の事だが従来の様にカモフラージュでゆくか ちやんと実状を話すかの問題があると思ふ」
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 これには笑っちゃいますよね…「私の責任の事だが従来の様にカモフラージュでゆくか」!? 裕仁天皇には、あのアジア太平洋戦争の「最高責任」が法的にもしっかりある、ってことを「カモフラージュでゆく」ことにしてきたことを正直に告白してます!? もちろん、死ぬまでも死後も現在まで「カモフラージュでゆ」きましたが…
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 ●昭和27年1月11日の拝謁では、昭和天皇が「私は例の声明メッセージには反省するという文句ハ入れた方がよいと思ふ/此前(このまえ)長官は反省するといふと政治上の責任が私にあるやうにいいがかれるといけないといつたが私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と述べたと記されています。

 さらに昭和27年2月20日の拝謁では「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めたうえで、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すれば」
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 これが「深い反省・悔悟」!? って、理解できますか? 評判の悪かった東久邇の「一億総ざんげ」を当の裕仁さんが言う!? 「反省といふ字をどうしても入れ」たい、ったって、その「反省」の内容ときたら「一億総ざんげせよ」って…
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 8月18日(土)のアーカイブには、ただ、もう、唖然・茫然です!

 ◆ 東西冷戦下 再軍備や改憲にも言及
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1

 ●「(昭和27※年3月14日)では、昭和天皇がおことばを通じて国民向けのメッセージを発する平和条約発効の記念式典が、日本国憲法の施行5周年を記念する式典でもあるため「式辞の中ニ憲法の事ニ 少しもふれぬとふ訳ニはいかぬと思ふ」と述べたうえで、「憲法中 必しも賛成でない条項もあるのだから憲法の総ての条項に賛成ととれぬやうに書いて貰ハないと困る。」!?(※1952年)

 ●「アメリカのダレス特使が来日し、講和をめぐる日米交渉が本格化していた昭和26年2月15日の拝謁では、田島長官が「再軍備の声がありますれば 警察でも軍でも あゝいふ性質のものは中心の人を欲しますが 米国ハ大統領が元首で首相でもありますから司令官ですが 日本では如何なりませうか」と尋ねると、昭和天皇は「それは元首象徴だらうねー」と述べて、その場合は自分が司令官になるのではないかという認識を示したと記されています。
 そして田島長官が「政治ニ天皇は関与されぬ御立場上 如何(いかが)でございませうか」と言うと、昭和天皇は「あれは政治ではないだらう 治安といふ事は政治とハいへぬだらう」と述べ」!?
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 昭和天皇は、自衛隊の大元帥になるつもりだったんですねぇ!? とにかく、日本国憲法なんぞ、全く頭に入ってなかった…「象徴」=「日本国元首」=「統治権&軍隊統帥権の保持者」と天皇裕仁さんは思い込んでいた!?
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 ●「昭和27年3月8日)で、田島長官が「吉田は矢張り憲法と再軍備で陛下の御心配の点で今度はひつかゝりましたようでございます」と言うと、昭和天皇が「改正すればいゝではないか」と述べたと記されています。田島長官が「国会ハ多数でありましても国民投票が十分見通しがつかぬ為ではございませんでせうか」と述べると、昭和天皇は「そんなものが入るか」と驚き、田島長官が「今度の憲法ではそうだと存じます」と説明したと記されています。」!?
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 昭和天皇は、全く、日本国憲法を読んだことが無いんでしょうか? つまりは、初めっから日本国憲法を守る気なんぞ全く無かったんですね…吉田首相に対し「再軍備せよ」と政治干渉しようとしたのです。以下の記述も、この上なく、このことを証明してます。
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 ●「昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇が「…侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが 侵略者が人間社会ニある以上 軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だ…」と心情を吐露したと記されていました。 これに対して田島長官は「その通りでありまするが憲法の手間そんな事ハいへませぬし 最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と 苦言を呈した」
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 昭和天皇は初めっから、日本国憲法を守る気なんぞ全く無く、昭和天皇自身が命じた侵略戦争への「反省」なんて、これっぽっちも無かった!?
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 でも、NHKの、この報道を担当した人たちは、本当に不勉強ですよね。
 山田朗・明治大学教授や吉田裕・一橋大学名誉教授や豊下楢彦・元関西学院大学教授の昭和天皇研究の成果に全く無知なのではないでしょうか。
 せめて豊下氏の『昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) 2008年』ぐらいは、読んでから番組を作ってほしいものだ、とつくづく思いました。



 ◆ 報告「『いま考えよう 万人平等と天皇制』田中利幸 講演会」

皆様 こんばんは。増田です。これは、BCCでお知らせしています。重複・超々々長文(笑)、ご容赦を!
 以前お知らせしましたが、10日(土)、札幌エルプラザであった「『いま考えよう 万人平等と天皇制―天皇制廃止に向けての第一歩―』田中利幸 講演会」に参加してきました。
 田中さんは「明仁天皇への公開書簡」において大いに注目された方です。

 最初、実行委員の方から誘われた時、ハイシーズンど真ん中料金(笑)なので、年金生活の身にはお財布に厳しく躊躇していたのですが、田中利幸さんのお話を直接聞けて発言の場も用意してくださる、という魅力に負けて(笑)参加することにした、という事はお知らせしました。
 そして、今、この選択はすっごく(笑)正しかった! と確信しています。


 「♪お値段、以上、♪○○○」(笑)じゃありませんが、私の財布に同情してくださった主催者の御一人のご厚意によって、翌日、まる一日「小林多喜二の足跡を見たい」と念願していた私のために小樽を案内していただいたことも含め、倍以上(笑)に得るものがありました!

 1,では、順を追ってご報告!
 参加者は部屋の定員90名を予定していたところ、130名の大盛況で用意していたレジュメが足りなくなったということでした。この「レジュメ」がまた分厚くて、田中さんご自身が作成された講演概要が「公開書簡」も含めて37ページもあり、各発言者の用意原稿や資料なども入れて全部で60ページにもなるというもので、実行委員の方々の労力は大変なものだったと思います。
 でも、そのおかげで、あとでこれを読みながら、議論をよく反芻できました。

 2,田中さんのお話はパワーポイントで映像&言葉を映し出しながらの熱のこもったもので、予定時間の80分を超え130分にも及びましたが、全く退屈なところはありませんでした。

 第一には「日米軍事同盟の原点としての『原爆正当化』と天皇免罪・免責の共同謀議」という問題です。
 「招爆責任」=「原爆を招いた責任」は、沖縄で米軍に打撃を与え、できるだけ有利に戦争終結に持ち込もうと、ずるずると原爆投下まで招いてしまった「昭和天皇の責任」と、
 「招爆画策責任」=「ソ連の対日参戦を避けるために、原爆を使用しなくとも降伏することは分かっていたのに、原爆が完成するまで日本が降伏しないように仕向けたトルーマン政権の責任」、
 そして戦争終結後は、この二国の支配層がその「戦争責任」を隠蔽しあい「昭和天皇免責」のために、画策しあったこと。
 「それは いまも それぞれの国の『民主主義』を強く歪め続けている」ので「『戦争責任問題』は決して過去のことではなく、いま現在のわれわれの生活にもろに影響している決定的な政治社会要因」なのです。

 第二には「天皇裕仁の免罪・免責を目的とした憲法第1章と2章9条の設定」
 印象に残ったのは裕仁天皇の「終戦の詔勅」は「原爆から人類を救うため(ポツダム宣言受諾)」などという記述があるけれど、迫水久常内閣書記官長の第一案には全くなく、これは第三案で安岡正篤が入れたもので、
 8月6日、9日の戦争指導会議(御前会議)において原爆については全く触れられたことはなく、国体=天皇制を守りながら、どうやってポツダム宣言を受け入れるか、それだけを議論していた、というところです。
 (https://www.digital.archives.go.jp/support/pdf/kaiteiban_kitanomaru28gou.pdfニ詳シイ)
 で、挙句の果てに「自らはどうなってもいいから国民を救おうと終戦にした」なんぞと、裕仁天皇自身が真っ赤なウソを公言しながら、現在も国民を欺き続けているのです。しかし、こういう基礎的な歴史事実も通常は日本の学校(公立)の歴史教育においては教えることができません。

 その歴史事実を中学校社会科教員として教えた私は「公務員不適格」!? ってことで石原慎太郎(都教委)に分限免職され、裁判所も「免職正当」!? なんていうのが、日本国憲法下の「民主主義国家日本」の実態です。

 本題の田中さんのお話に戻ります。「極めて重大な問題は、憲法第1章1条〜8条と2章9条が、裕仁の『戦争犯罪と戦争責任』を帳消しにするために設定されたという、この厳然たる事実」です。

 「一国の憲法が、その国家の元首の個人的な『戦争犯罪・責任の免罪・免責』を意図して制定されたこと。憲法第1章で規定された国家元首の、本来は問われるべき戦争犯罪責任を、第2章9条の平和条項で隠蔽してしまったこと。このような形で制定された国家憲法は、人類史上、また各国現行憲法の中でも、日本国憲法以外に世界のどこにもないのではなかろうか。」
 「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免責の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?

 ここは、本当に「目から鱗」! のご指摘です。なんとなくボヤ〜っと感じてはいたけれど、初めて焦点を結んで実像が明瞭に見えた、って感じ(笑)…日本国憲法は、確かに歴史事実として東京裁判からの「裕仁天皇&天皇制」救済憲法だったのです! でも、憲法学者の先生たちは、あんまり、という、ほとんどいうか、この点を指摘する方はいらっしゃらないですよね…ま、私が知らないだけかもしれませんけど…

 そして、第三には「憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾」…これも確かに! 前文は「平和とは人権の問題、生存権の問題であり、地球的・普遍的正義論の問題であり、国際協調主義である」
 「一国の憲法前文でありながら、普遍的、世界的な平和社会構築への展望を展開しているという点で極めて特異な前文」
 「9条と前文は一体となって『あらゆる戦争の非合法化』に向けての展望をすら内包」

 しかし「GHQは政治的意図から、天皇裕仁の戦争責任をうやむやにしてしまい、憲法第1章を設置した。つまり、憲法前文で『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と主張したにもかかわらず、その『決意』が、実は、戦争最高責任者の天皇の責任をうやむやにしたままでの『決意』だったわけである。しかも、天皇制という制度は極めて日本独自のものであって、憲法前文で唱えられている『人類普遍原理』とは根本的に矛盾する」

 だから「憲法1章とその運用が『民主憲法』の精神に根本的にそぐわず、憲法の他の部分とそぐわないのも当然であって、本当は全く不思議なことではない」
 私自身は、この「矛盾」をなんとか最小限に抑えるために第4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」が存在すると考えるのですが
 …つまり、明仁さんや美智子さんが天皇&皇后として30年間行い続けた「国民への御慈愛活動」などを「象徴行為」と称して実行し続けたことは全くの憲法違反であり、日本国憲法を破壊し続けたと思います。

 それで第四として、田中さんは「明仁天皇宛公開書簡の目的」は「天皇『人間化』の試み」と言われます。
 日本を本当に民主主義にするためには「我々大衆の意識の中で『天皇は特別に崇敬すべき』と捉えられている存在から、長所短所の様々な性格要素と喜怒哀楽を持った『我々と同じ人間』としての存在になるまで変革するということ、すなわち『我らの内なる天皇制打破』
 「我々の側の意識変革が『象徴権威』を打破するためには必要であるし、天皇制廃止のためには『象徴権威』の打破は欠かせない。その点で、個人書簡は、受取人と対等の立場に立ってものを言うことで、相手を一人の『人間』として扱うためには極めて有効な手段である」と思う、という事でした。

 敗戦後、その試みをした三つの事例、1946年の「食料メーデー・プラカード事件」裁判、1951年の京大訪問天皇裕仁への公開質問状…今回の「公開書簡」はこれを参考にされたそうです…、裕仁を狙った1969年「パチンコ玉発射事件」について紹介されましたが、田中さんの著書『検証「戦後民主主義」――なぜわたしたちは戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)をぜひ、ご購読ください!

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 休憩後、あの植村隆さんから「本日は私の闘いについてではなく、『週刊 金曜日』発行人としてお願いします。今度の8月9日号では『記憶されない歴史は繰り返される』として、田中さんの『公開書簡』を含めて『敗戦特集』を組みましたので、ぜひ、買ってください」(笑)という趣旨のお話がありました。

 発言者の一番バッターとしては私が指名されました。
 「持ち時間は8分間」ですので、私は上記した「天皇の『象徴行為』と称しての『御慈愛活動』などは全く憲法第4条に規定された『国事行為のみ』…つまり、天皇は国事行為しかしてはいけないので、完全な憲法違反で主権者国民はこれを許してはいけない、ということ、それにもかかわらず、最近は「えっ? こんな方まで明仁さんを『アベと対立する護憲天皇』などと賛美しているの?」という状況にある事、そういう人にはぜひ、芥川賞作家の目取真さんのブログ『海鳴りの島から』(2018-03-26)を読んでいただきたい」ということを中心に話しました。

 8月12日の時事通信「沖縄の遺族会会長『平和への思い、引き継いで』=両陛下に期待」を読むと、目取真さんは「沖縄への慰霊の旅を重ねてアキヒト夫妻は沖縄人のからめとりを追求してきた。それは一定奏功したように見える。」と書かれていますが「アキヒト夫妻」による「沖縄人のからめとり」は「一定奏功」どころではなく「大々的成功をしている」と言わざるを得ない状況に思えます…あれだけマスゴミあげての大宣伝では仕方ない結果かもしれませんけど…

 でも、札幌エルプラザには諦めない人たちが集っていました。
 安積遊歩(ゆうほ)さんは「生後約40日で骨形成不全症と診断される。1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介」という方です。
 車いすで介助を受けながら、しっかり活動しておられます。1968年、施設にいた小学生の頃、明仁&美智子さんの「慰問」という御慈愛活動の対象として選ばれ…「会える子と隠される子」がいた、と…美智子さんと話をしたことがあるそうです。明仁さんは「顎をしゃくって」この子はどこが悪いのかと園長に尋ねていたそうです。
 その彼女が、札幌市でアベが参院選の遊説をした時に、ほんの少しヤジを飛ばしただけで警察に押さえつけられたことで、抗議活動をしている若い人を紹介されました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190812-00000008-hokkaibunv-hok
 若い人たちが頑張っているのは本当に嬉しいことですね! 警察の対応は、日本が本当に「民主主義国家」ならあり得ないことです!

 次の花崎皋平さんのお話の中で印象に残ったのは「記憶すること、忘れないこと」と話されたことです…でも、それが、普通の庶民生活では、本当に本当に難しいのですよねぇ…

 谷百合子さんはジェンダーの視点から「天皇制と女性差別」について話されました。「身近なミニ天皇をなくしていくことと同時に、性別役割分業が国家・家族の強化となっていき、やがて『国家・家族を守るため』の戦争につながらないように見張っていきましょう」!

 金時江(キム シガン)さんは「1950年12月20日の守山(現名古屋市守山区)朝鮮学校で警官に窓の外に放り出される女の子の写真を見ると、今も心が痛む」というところから話され、許南麒(ホ ナムギ)の『一九四九年十一月二日』という詩を朗読されました。日本人の一人としては、とても、心が痛い詩です。ネット検索したら、ある方のブログに載っていました。

 このブログの方の以下のご意見に心から賛同します。

 「朝鮮学校の無償化除外は、歴史の誤りを助長するという意味において、まず日本人の問題なんだし、何よりも日本人にとって、不幸なことなんだけれど。」

 本日は(笑)以上です。



NHKNEWS 2019年8月17日 3時57分

昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」

昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」から、敗戦後の退位をめぐる問題が決着したとされる東京裁判の後にも、昭和天皇が「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と語るなど、退位の可能性にたびたび言及していたことがわかりました。分析にあたった専門家は「本当に皇室が国民に認められるかどうかがすごく気になっていて、存続には国民の意思が決定的に重要だという認識がみえる」と指摘しています。

「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。
昭和天皇の退位をめぐる問題は、これまでの研究で、昭和23年11月の東京裁判の判決に際し、昭和天皇が連合国軍最高司令官のマッカーサーに手紙を送り、退位せず天皇の位にとどまる意向を伝えたことで、決着したとされてきました。
しかし、「拝謁記」には、判決から1年が過ぎた昭和24年12月に、昭和天皇が田島長官に、「講和ガ訂結(ていけつ)サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」と退位の可能性に言及し、そのためには当時皇太子だった上皇さまを早く外遊させてはどうかと述べたと記されていました。

また、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った昭和26年8月には「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」と、退位したほうがむしろ楽だと語ったと記されています。

さらにその4か月後の拝謁でも「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と述べたと記されています。
日大 古川教授「退位が偽らざる本心と思う」
「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「これだけ大きなことを起こした責任者だったら辞めて責任を取るのがいちばん普通なので、常識的に考えれば退位したほうがいいのだろうと昭和天皇もわかっていたはずだし、辞めたほうが気が楽になるというのが昭和天皇の偽らざる本心だと思う」と述べました。

そのうえで「本来なら退位して当然の立場で、留位するということが本当に皇室が国民に認められていくことにプラスになるかどうかがすごく気になっていた。存続させていくために、国民の意思が決定的に重要だという認識があるからこそ、世評を気にしていることが拝謁記にしょっちゅう出てくるのだろう」と指摘しました。
一橋大 吉田特任教授「道義的責任をはっきり意識」
日本の近現代政治史が専門の一橋大学の吉田裕特任教授は、「昭和23年末の段階で退位問題には決着がつけられたと思っていたので、その後もくすぶっていて、昭和24年の段階でもまだ退位のことを言っているというのは全く予想しなかった」と述べました。

そのうえで、「退位問題の裏には君主としての責任感があるが、それは国民に対する責任と歴代の天皇や天皇家の祖先に対する責任の2つがある。敗戦という事態を迎え、それまで続いてきた国体を危機に陥れてしまったことに対する道義的な責任をはっきり意識していることが、拝謁記の記述からわかった」と話しました。

さらに、「天皇制廃止の立場からではなく、天皇制や国体の護持を望む立場からの退位論が周囲にかなりあり、それを意識せざるをえない状況がずっと続いていたことがわかるし、昭和天皇が退位論に関するいろいろな議論に細かく目を通していたこともよくわかる」と述べました。




2019年8月16日 19時00分

昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨

天皇陛下の祖父、昭和天皇の実像に迫る第一級の資料です。NHKは初代宮内庁長官が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を入手しました。その記述から、昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対で、その一節が削られていたことがわかりました。分析にあたった専門家は「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」と話しています。

繰り返し語る後悔の言葉
「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。

田島長官は、このうち長官就任の翌年から5年近く、昭和天皇との具体的なやりとりや、そのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて近現代史の複数の専門家と分析しました。
その記述から昭和天皇が田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。
強くこだわった「反省」
さらに昭和天皇はサンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典で、おことばを述べますが、この中で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことがわかりました。

「拝謁記」には1年余りにおよぶ検討の過程が克明に記されていて、昭和天皇は、(昭和27年1月11日)「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り、(昭和27年2月20日)「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」などと述べ、反省の言葉に強くこだわり続けました。
削除された戦争への悔恨
当時の日本は、復興が進む中で、昭和天皇の退位問題もくすぶっていました。
田島長官から意見を求められた吉田総理大臣が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対し、昭和天皇が戦争への悔恨を込めた一節がすべて削除されたことがわかりました。

昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べますが、最後は憲法で定められた「象徴」として総理大臣の意見に従いました。

吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。
専門家「現代生きる者にも重い記録」
「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「戦争を回顧し、重要な局面でなぜミスをしてしまったのか、繰り返し考え話す中で、独立回復の際のおことばにも、やはり反省を盛り込みたいという気持ちが強くなっていったのだろう」と述べました。

そのうえで、「新憲法ができてから初めて、ある程度踏み込んだ発言ができるかもしれないチャンスが講和条約発効のおことばだった。反省なりおわびをして、どこかで戦争の問題にけりをつけたいということが出発点であり、一番の動機だというのははっきりしている」と指摘しました。

さらに、「象徴天皇としてどういう振る舞い方をするかということを学習した過程でもあるだろうが、昭和天皇個人にとっては苦渋の過程というか、今後ずっとこうやっていかなきゃいけないのかということを認識させられた苦い思い出の方が大きかったのではないか。その後、記者会見で、肝心なことは『言えない』で通したことが、このときの苦渋の思いを引きずっていたことの表れなのだと思う。そういう意味で昭和天皇にとって、とても重い体験だったのではないか」と述べました。

また、「拝謁記に出てくることは全部、結局は日本が無謀な戦争を起こして負けてしまったことにつながる。天皇のあり方が戦前の主権者から象徴へと変わったのも、政治関与を厳しく制限する規定ができたのも、敗戦がきっかけで、しかも形式的な責任者は昭和天皇本人だった」と話しました。

そして、「拝謁記は、昭和の戦争というものは現代に生きるわれわれにまでいろいろな意味で重くのしかかっているということを改めて認識させる記録、忘れてはいけないということを語りかけてくれている記録ではないか」と話しました。
専門家「発言をほぼそのまま記録 非常に珍しい」
日本の近現代政治史が専門で、一橋大学の吉田裕特任教授は「昭和天皇の肉声の記録は『昭和天皇独白録』のような、形を整えるために後から手を入れたものが多いので、発言をほぼそのまま記録しているというのは非常に珍しい」と指摘しました。

そして、「昭和天皇と側近の内輪のやりとりが非常に克明にかなりまとまった形で残されているという点で非常に重要な資料だ。昭和天皇の肉声が聞こえてくるし、天皇自身の考えの揺らぎみたいなものが伝わってくる」と話しました。

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