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天皇に戦争責任有、天皇制は廃止

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 ◆ 即位大嘗祭違憲訴訟 提訴報告会から第1回口頭弁論へ

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 3月12日には「退位及びその期日奉告の儀」や伊勢や橿原への「勅使発遣の儀」が行われるなど、代替わりの神事や儀式が着々と進行している。
 すでに1か月ほど前のことだが、2月16日(土)午後、文京区民センターで即位大嘗祭違憲訴訟の会の「提訴報告会」が開催された。参加者は60人以上で、全国の原告241人という人数を考えるとかなりの参加率だった。
 昨年12月10日東京地裁提訴後、まず12月に国賠訴訟差止訴訟の2つに分離することを地裁が決定し、年が明け差止訴訟の部分について、一度の口頭弁論も開かないまま、2月5日に訴えの却下が通知された異例の却下である。
 これらの経過報告と裁判所への抗議、2月25日の第1回口頭弁論に向けた集会となった。


 呼びかけ人の佐野通夫さん(大学教員・教育学/本会呼びかけ人代表)から、「行政裁判であっても、民事訴訟なのだから本来は当事者が互いに自分の言い分を法廷で述べ、それを主権者の代表である裁判所が判断すべきなのに、当事者の弁論も聞かず分離したり、却下するのは不当だ」という抗議をまず表明した。そして下記のスピーチを行った。

 ◆ 厳しい状況のなかでの闘い

 われわれの訴えは異常なかたちで始まっている。2年前の8月、すべてのテレビ局が同じ時刻に、天皇の同じビデオ・メッセージをいっせいに流す、非常に恐ろしい事態が起こった。天皇の公務など存在しえないはずなのにそんなことを理由に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が国会を全会一致で通ってしまうという恐ろしい状況にある。

 日本国憲法で天皇は国民の象徴ということになっている。
 かつて上野動物園でおサル電車の運転を初めは本物のサルがやっていたようだ、しかし運行上危険なこともあったので、人間が運転しサルは横に座ることになった。
 天皇が象徴というのも本来そういうことで、勝手なことをしてよいわけではない
 にもかかわらず今回の代替わりは、象徴なのに本来許してはいけないことから始まった。そして天皇は世襲である。ということは、死んだときに次の人が天皇になる。30年前、裕仁が死んだとき自動的に明仁になった。行事を行う必要は何もない
 確かに即位礼は皇室典範(24条)に定めがあるが、カネをかけて大嘗祭を挙行するようなことは、前述の象徴としての行為と同様あってはならない。実際、前回の裁判で大阪高裁は違憲の疑いがあると明確に述べた
 しかもいまは大日本帝国憲法時代と同じ「美しい国」を唱えるアベ政権という恐ろしい政権なので、司法も前回と同じようなことをやろうとしている。
 皇族は公務員として生きていて、元は税金の内廷費により、多くの国家公務員を使って暮らしている。そんなことを許してはいけない。
 本来それを裁くのが三権分立の裁判所なのにもかかわらず、こんなことを裁判所が預かるのはまずいと、すぐ却下してしまう。
 そんな厳しい状況下でわれわれは闘いを組んでいかなければならない。原告のみなさんといっしょに闘っていきたい。

 ◆ この訴訟の現況と見通し   酒田芳人弁護士

 ●提訴後の経緯
 昨年12月10日東京地裁民事部に提訴した。
 提訴内容は、即位の礼・大嘗祭等の差止と、即位の礼・大嘗祭等に国費を支出することに関する国賠訴訟を併せたもので、民事10部に係属した。10部の担当は一般事件を取り扱う一般部である。
 通常はその後、事務的な連絡があるのだが、10日ほど後かかってきた電話は差止訴訟に関しては分離されたのでお知らせする」というものだった。
 10部には裁判官が3人いるがその判断で、差止部分は行政裁判として行政裁判を扱う38部に係属することになった。
 こちらは一体として裁判を進める方針をもっていた。行政部で一般事件を扱うことはできるので、38部で併合審議してもらいたいと1月15日に申立書を提出した。
 併合についての返事は通常1週間くらいでくるのになかなかこず、2月5日に民事38部から「本日、却下の判決を下した」という連絡が届いた。
 一方、国賠訴訟は予定通り第1回口頭弁論が2月25日行われる。

 ● 差止訴訟に対する却下判決
 却下の根拠条文は民事訴訟法140条(口頭弁論を経ない訴えの却下)である。
 却下と棄却とはそもそも違う。
 却下は、原告になる資格がないのに提訴するなど、中身の話をする前に形式的なところで門前払いにするものだ。
 棄却は、中身の話を聞いたうえ、言い分は認められないというものだ。
 集団訴訟の多くは言い分を聞き、1−2年口頭弁論を続けたうえで当事者としてふさわしくないので却下するというのが普通だ。
 30年前の代替わり裁判も数年の審議を経て却下となった。今回はまれな取扱いをされた。東京地裁は、差止訴訟に対し、意識的に国賠訴訟から分離し差止訴訟を却下し裁判を終結させようと判断したと考えられる。

 ● 2月25日からの国賠訴訟について
 争点は二つある。ひとつは政教分離違反で、憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と国が主体となる宗教的活動の禁止で、89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため(略)これを支出し、又はその利用に供してはならない」とカネの面で特定の宗教に支出することを禁止している。これに基づき、即位の礼、大嘗祭の宗教的な側面に着目し憲法違反を主張している。

 もうひとつは国民主権原理違反である。そもそもだれがこの国の中心であるべきかと憲法が規定する基本的枠組みに、天皇のための即位の礼・大嘗祭の開催が反するのではないかという主張だ。根拠は憲法前文の初めのほうにある「ここに主権が国民に存する」「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基く」で明確だし、11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」は、国民がなにより大事だということだ。それが天皇を中心に戴き、即位の礼・大嘗祭を国が全面的にバックアップして行うことがはたして国民主権原理の関係でふさわしいやり方か、というものだ。この点は大阪高裁判決でも言及された。

 国がこの主張を認めるかどうかという点で、ハードルは二つある。大きいのは権利侵害の有無だ。仮に違反していたとしても、皆さんに具体的な損害はない。だから賠償請求は認められないというものだ。裁判所が原告敗訴にするスタンダードな言い方だ。
 もっとひどいのは憲法判断回避原則だ。憲法違反かどうかにはまったく触れず(つまり裁判所はなにもいわず)、とりあえず皆さまに慰謝料は発生する状況はなにもないのだから、請求は棄却するという判決だ。
 重要なのは、即位の礼・大嘗祭の実施が憲法違反であることを、法律面、憲法の議論として裁判所に認めてもらいたいということだ。そのためにどうすればよいか、弁護団だけでなく皆さまの意見も伺いたい。また裁判所でこういうことをぜひ訴えたいということも伺いたい。

 ● 今後の見通し
 差止訴訟については、東京高裁に2月20日に控訴する予定にしている。訴えは不適法ではないから一審に差し戻し審議を求めるという内容だ。
 今回、30年前の訴訟同様、納税者訴訟の枠組みをとっている。それが行政事件の類型に定めがないという点で法律にないことは確かなので、そこをきちんと説明する。

 国賠訴訟は、2月25日の第1回口頭弁論のあと、第2回はおそらく2〜3か月後に行われることになるだろう。
 (2月25日の口頭弁論で5月8日(水)に決定

 また弁護団の木村庸五弁護士から、裁判所の姿勢、体質について下記の補足説明があった。
 政教分離に関し、裁判所はさすがに合憲とはいえない。そこで門前払いするのが基本的姿勢である。
 裁判所は、敗戦後のパージもなく戦前から同じ体制が続き、民主的基盤がない。とくにトップのほうはその流れを汲む。元・最高裁長官が日本会議会長になったりした。良心的裁判官も政府見解を覆すような一歩を踏み出すことができない。思い切った判決を出すと遠隔地に左遷される雰囲気がある。
 東京地裁の行政部に来る裁判官は最高裁の意向を汲んだ裁判官が多い。しかし第1回口頭弁論もなしに却下するとまでは思わなかった。とくに悪質な動きだと考える。
 もうひとつ最近気になることとして、一部のマスコミの報道がこの訴訟を「一部宗教者の訴訟」と報道していることがある。これはまったくの誤解だ。
 政教分離や信教の自由の問題の本質は国家と国民の関係の中心になるものである。国家が国民の内面に入り込んでくるのは、思想良心の自由の問題に関わる。だからここで譲ると思想良心の自由は侵され、集会結社の自由にも侵入してくる。そしてさまざまな面で国家が国民をかなり強く支配してくる。
 宗教をもつ人もそうでない人も国民全体にかかわる。こういう問題につながることをマスコミにもよく理解してもらい、自分たちに関係ない、一部の宗教者の問題ということを国民に刷り込まないよう働きかけていく必要がある。

 ◆ 天皇制の機能としての3つの装置
 呼びかけ人の一人、鵜飼哲さん(フランス文学、思想研究)の、天皇制が機能として果たしている3つの装置という説明が興味深かったので、少し詳しく紹介する。

 天皇制は一つのメカニズムで、3つの装置から成り立つ。
 ひとつは思考停止装置だ。この国には天皇がいて問答無用で多くのことが行われてしまう。この国ではそれが小さいころにいろんな回路で刷り込まれ、「この国では問題にしてはいけないことがある」ことが心の根底に持ち込まれてしまう。教育以前に行われ、教育というよりむしろ調教に近い装置として働いている。
 天皇一家になぜ膨大な税金が支払われているのか、国に問おうとすると門前払いを食らう。このように思考停止装置として天皇制がある。

 二番目に、天皇制は忘却装置である。一言でいえば、災害も多く、歴史のなかで大変なできごとが継起してきたこの国に住みながら、天皇がいるというだけで、あらゆる苦しいことが相対化されてしまうようにこの国はできている。
 一例として、立川の昭和記念公園がある。あの公園があるのは、米軍立川基地に反対して砂川町の農民が闘ったからだ。本当は砂川住民公園という名でいいはずだ。ところが「昭和」という名が課されてしまい、民間施設だが昭和天皇記念館があり、いまこの公園を訪れる人は、あたかも戦前と同じように井の頭公園や上野公園が恩賜公園といわれたのとよく似た印象を現在も持ち続けている。このようにして日本の民衆が何を勝ち取ってきたかということが、次の世代に伝わらないようにされている。このようなことが至るところにあるのではないか。

 三番目に排除の装置として働いている。いまの憲法で国民を規定すると、憲法1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と10条「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」がある。
 昨年102歳で亡くなった日高六郎さんの最後の著書「わたしの憲法体験」のなかで、憲法の成立過程で憲法10条がいかに旧憲法18条の引き写しであったか、これを防衛するため官僚がどれだけ必死になったかがていねいに想起されている。逆にいうと象徴が天皇でありえないような人びとはあらかじめ日本国民の枠組みから排除されていく、その点で憲法前文と憲法本体のなかにもズレがあるのではないかと考える。天皇制は植民地をもっていた戦前もそうだったし、現在もまた非常に深いところで排除の装置として機能している。

 この三重の装置によって形成されてきているこの国の、けして自然ではないメンタリティのようなものを、かつて竹内好氏「この国では一木一草まで天皇制が宿る」という言い方をした。しかし「一木一草的な考え方」はちょっとまずいと思う。今回の即位の礼・大嘗祭というと、批判派もなぜか、いまの天皇夫妻をイメージして議論してしまいがちだ。
 あちら側も、代替わり、あるいは時代が変わるたびに、新しい条件のなかに適合した新たな天皇制のシステムを構築しようと、それなりに必死だ。次の代に変わり、あちら側は新たな体制をどう構築していくかというところに議論を持ち込まないといけない。できる限り広く議論される必要があるし、わたしたちはそのためにいま闘おうとしている。

 だからこそその入口のところで議論させないようにしている。今回の取扱いは非常に例外的なものだ。まず分離をし、是が非でも口頭弁論を経ない却下というかたちを目的意識的に追求したのではないだろうか。
 それは逆にいえば、これから天皇制についてわれわれのような一般の人民・民衆が自由に意見を交わし、公の場で議論する時代が来ることをたいへん恐れているからだと感じられる。だからわれわれの訴訟は一見地味で細やかに思われているが、非常に大事な試みだと思っている。共にがんばろう。

 ◆ 「万世一系の天皇」という思想の教化
 桜井大子さん(女性と天皇制研究会)は「万世一系の天皇」という思想と、天皇制に組み込まれた産む性・女性の役割に着目した。

 代替わりの目的のひとつは「万世一系」という思想をわたしたちに伝えることだ。いまも宮内庁のHPには天皇系図が出ていて、それも神武、綏靖から始まっている。いま125代だが、代替わりとはもう一代天皇系図が増えることだ。天皇の価値は、古代から連綿と続いていることだとされる。
 この代替わり期間は、天皇が神の末裔であり、古代から王族であったことが「ありがたい」、日本の文化や伝統だと思う人びとを増やしていく時間帯として、つくられ、消費されていると思う。
 天皇は「神」だが、女性が産む。憲法2条で天皇は世襲制と定められ、皇室典範1条で男系男子と定められているので、女性が男子を生まない限り代替わりはできない。女性の体は男子を生む性ということが憲法1〜8条に組み込まれていることの問題性を、この裁判でも表出させていきたい。

 石川逸子さん(詩人)は「『天皇陛下万歳』、二度と聞きたくなかった言葉。1990年11月12日その言葉を聞きあっけにとられた。現天皇の即位式で海部首相が、はるか高御座に座る天皇を仰ぎ見『天皇陛下万歳』と三唱した」で始まる詩を読み上げた。

 その他、この日参加した呼びかけ人で、小倉利丸さん(元大学教員・現代社会論)、星出卓也さん(日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員長)、辻子実さん(靖国参拝違憲訴訟の会・東京)、関千枝子さん(ジャーナリスト)の4人のスピーチ、北海道、関西、沖縄など遠隔地から参加された方のスピーチがあった。

 関西の方は、前回の国賠訴訟を担った方で、
 「前回は、昭和天皇の下血騒ぎで、歌舞音曲は自粛、テキやは自殺する、お祭りも中止と異様な雰囲気が生まれ、日常生活であれにはウンザリと原告になった人も多かった。署名感覚で委任状が集まり、原告が1700人に達した。今回は全然違う。「アベより天皇のほうがまし」という人や、労組へ行っても「反天皇制を打ち出すと人が寄りつかない」といわれることがある。前回は、天皇制の被害の話で「これは天皇教の強制的な布教ではないか。地下鉄のなかで逃げ場がないまま、無理に広告を見せられているようなものだ」という議論もあった」というエピソードの紹介があった。

 会場からのフリートークでは、日本人と天皇制の問題、現行憲法の天皇条項の問題、原告は原告の立場で自由に意見陳述をしようとの提案、代替わりにこんなに税金をつかってよいのかと一般の人にアピールする、など活発に意見・提案が出され、最後に呼びかけ人の佐野さんから「裁判のなかで、いろんな観点から天皇制の問題を明らかにできるとよい」とのまとめで会を閉じた。

 国賠訴訟の第1回口頭弁論は2月25日(月)に行われ、呼びかけ人の佐野さん、キリスト教徒のHさんの意見陳述と、弁護団の2人から陳述があった。弁護団から裁判所に対し、きちんと憲法判断をするようにとの強い要請だった。
 第2回口頭弁論は5月8日(水)14時半から東京地裁103号法廷で行われる(20分ほど前に抽選がある予定)。

 今後も代替わりの儀式は目白押しに並び、166億円もの予算が計上されている。宮廷費であれ、内廷費であれ、出所が国民の税金であることに変わりはない。

『多面体F』(2019年03月13日)
https://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/9098f334f1b3201b5dabe430763fdcda



  《月刊靖国・天皇制問題情報センター通信 巻頭言【偏見録79】》
 ◆ 違憲のデパート「天皇の代替わり儀式」
横田耕一(憲法学)

 「象徴天皇制」に対する人々の賛否の規準になっているのは「日本国憲法」ではない。
 反対論者にあっても、それは「戦争責任」であったり、「維持費用の過多」であったり、「政治利用の可能性」であったり、「差別」であったりなどと、論者によって異なるであろう。
 しかし、「象徴天皇制」が「憲法上の制度」である以上、その制度を全面的に否定する「そもそも論」を置くならば、現実に展開している制度の運用が、実際にいまそうであるように、その運用が憲法の制約の枠をこえて動いていることに対しては、異議を唱えることには意味があるであろうし、必要でもあろう。


 そうしたとき、このたびの「代替わり」において行なわれ、また行われようとしている事柄については、憲法の視点からすれば多くの問題点がある。
 これまでもこの「偏見録」において、幾つかの点を指摘してきたが、あらためて要約的に問題点を示すことにする。
 なお、「生前退位」を示唆する2016年の天皇の「おことば」や、「特例法」にはふれず、「代替わり儀式」に対象を限定する。

 政府によれば今回の「代替わり儀式」も、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統を尊重したもの」で、「基本的な考え方や内容は(平成の式典のそれを)踏襲されるべきもの」としている。
 しかし、平成の式典は、「皇室の伝統」と称して大日本帝国憲法時代の「皇室典範」「登極令」を原則的に踏襲し、上位にあるべき「憲法の趣旨」はほぼ全く歯牙にもかけられていなかった。
 それを、十分な検討もないまま「踏襲」しようとしているのであるから、今回のそれも違憲のオンパレードになることは確実である。

 ここでは、2018年11月20日の式典委員会で了承された「宮内庁」作成の「儀式等(予定)案」により論ずる。
 そもそも現在の「皇室典範」が規定する「代替わり儀式」は「即位の礼」のみであり、旧典範の定める「践祚の儀式」や「大嘗祭」「元号の制定」は存在しない

 「大嘗祭」が、政府も認めるように、「宗教上の儀式」であることは明白であるから、この儀式を公的儀式である「国事行為」として行うことは政教分離原則から違憲であり、現典範に規定がないのは当然である。
 したがって、公的な「代替わり儀式」としては「即位の礼」だけが必要で、それも「国民主権原則」「政教分離原則」などの憲法上の制約に違反しないものでなければならない。(私見では、それは「憲法を尊重擁護する」宣誓を天皇が行う儀式を中核とするべきである。)

 ところが、官内庁が作成した予定案には、違憲の疑いが濃厚な「践祚儀式」が国事行為として含まれている上に、「登極令」が定めていた宗教儀式である多くの「皇室(宮中)祭祀」が含まれている
 公的に行われれば政教分離原則に抵触するこれら「皇室祭祀」は私的な儀式であるはずであるから、これら儀式を宮内庁が国事行為と並べて「予定案」として発表すること自体、政教分離原則に反する。
 ましてや、いろんな解釈のある「大嘗祭」を、「国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される儀式」とするのは、私的祭祀である「大嘗祭」に国家が介入し祭祀の目的を規定する政教分離原則違反である。

 最大の問題は「践祚儀式」である。践祚儀式の核は「三種の神器」の承継である。
 天照大神が天孫降臨の際に神勅と共に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に与えたとされる八咫の鏡(天照大神の御霊代)、草薙の剣八坂の勾玉は、歴史的に(とりわけ南北朝以来)天皇の正統性を表わすものとされてきた。
 すなわち、「三種の神器のあるところに天皇あり」とされており、この考え方では天皇と三種の神器は不可分の存在である。
 そのため、昭和天皇が敗戦にあたってなによりも苦慮したのは三種の神器を安全に保護することであった。
 は昭和天皇の即位の礼の際に京都に運ばれたが、通常は宮中三殿のうちの賢所に安置されており、ここでの儀式は宮中祭祀の中心となるものである。
 剣璽は天皇が宿泊等で宮中を空ける時には、天皇に付き従う侍従が捧持し(剣璽動座)。敗戦後これは中断していたが、1971年に伊勢神宮を天皇が参拝した時に復活した。

 「天皇人間宣言」でも天皇は自らが天照大神の裔(子孫)であることは否定していないので、伝統的天皇像にとっては自他ともに神器の承継は最重要事項である。
 このため旧憲法時代には、「剣璽渡御ノ儀」として践祚の際の不可欠の儀式であった。しかし現憲法下では、神器は「皇室経済法」による「皇位とともに伝わるべき由緒あるもの」として皇嗣が継承する相続物民法で言う祭具の所有権の承継にあたる)に過ぎない筈のものである。
 しかし、国璽・御璽の承継があることで「剣璽等承継の議」「等」を付ける「ことば」のこまかしで、国事行為として前回同様に今回も行われることになっている。
 その際、旧・新天皇間の継承に切れ目があることは問題だとして、「退位と即位(承継)」を同日・同時に行うべきだと神社本庁などが主張しているのも、神器の承継に皇位の正統性の根拠をみているからである。

 けれども、このように天照大神の神勅に天皇の正統性の根拠をみる旧憲法時代の思考は、「国民の総意」を皇位の正当性の根拠とする現憲法(1条)とは根本的に相容れない
 従って、政教分離原則違反もさることながら、国事行為としての「剣璽等承継の儀」は、憲法1条に反する違憲の儀式であり、行うべきではない。

『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信 NO.181』(2019年1月19日号)
 《グループZAZAから》
 ◆ 鵜飼哲さん「21世紀の天皇制とその批判の論理」を聴いて:田中直子


 昨日の<2・11「戦争する国」も「神の国」もゴメンだ!>集会での鵜飼哲さんの講演、素晴らしい内容でした。
 最初に、2001年9月12日英国ロンドンでのコンサートで、ニューヨークのビル爆破による犠牲者を追悼するため起立をと求められた際、「パレスチナ人は毎日殺されているのに誰も哀悼をしない。なぜ、このように人を分け隔てるのか」という思いから自分は起立しなかったというお話を聞いた時から、がーんと心を揺さぶられました。
 昔、日米野球を息子と観戦に行った時、「日の丸」には起立しなくても、「星条旗」には起立した自分と引き比べて、その透徹した思考と行動に心から敬服しました。
 そこから先のお話は、オリンピックにきちんと反対しないと、この国では天皇制に反対できない」という基本に貫かれたものでした。


 そもそも、1896年初めてのオリンピックがアテネで開かれた時、ギリシャは君主制だったが、王族は外国から来た人たちだったところ、オリンピック開催によって、国民と一体化したということ。
 1964年開催の東京オリンピック天皇ヒロヒトの国際社会への復帰の場となり、1966年建国記念の日制定へと繋がったこと。

 そして、2020年の東京オリンピック新天皇の国際社会へのお披露目となり、もう一つの即位式の意味を持つこと。
 2020年は、2018年の明治150年、2019年の天皇代替わりを経て、絵に描いたような「民族の祭典」となるであろうという指摘に、ああ、NHKの大河ドラマ「韋駄天」を面白がって観ている場合じゃないと思い知りました。

 開高健1964年の著作「ずばり東京」にはオリンピック開催のための工事で合計303人の死者が出た(そのうち、東海道新幹線工事によるものが211人)ことが書かれているが、それはオリンピックが始まる前に労働災害関係者から聞き取ったもの。始まってからでは、聞き出せなかっただろう。
 ところが今や、2020年東京オリンピックに関する情報統制はすでに酷く、「工事による死者の正確な数字がいつか知られることはあるのか?」という最後の指摘に、自分が今生きている時代の危うさを知りました。
 ほんまに、ぼーっと生きてる場合じゃない!

『グループZAZA』(2019-02-12)
https://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/b5ac9f50f1183a627c1975fdbbcf5bbf


  《月刊靖国・天皇制問題情報センター通信 巻頭言【偏見録79】》
 ◆ 違憲のデパート「天皇の代替わり儀式」
横田耕一(憲法学)

 「象徴天皇制」に対する人々の賛否の規準になっているのは「日本国憲法」ではない。
 反対論者にあっても、それは「戦争責任」であったり、「維持費用の過多」であったり、「政治利用の可能性」であったり、「差別」であったりなどと、論者によって異なるであろう。
 しかし、「象徴天皇制」が「憲法上の制度」である以上、その制度を全面的に否定する「そもそも論」を置くならば、現実に展開している制度の運用が、実際にいまそうであるように、その運用が憲法の制約の枠をこえて動いていることに対しては、異議を唱えることには意味があるであろうし、必要でもあろう。


 そうしたとき、このたびの「代替わり」において行なわれ、また行われようとしている事柄については、憲法の視点からすれば多くの問題点がある。
 これまでもこの「偏見録」において、幾つかの点を指摘してきたが、あらためて要約的に問題点を示すことにする。
 なお、「生前退位」を示唆する2016年の天皇の「おことば」や、「特例法」にはふれず、「代替わり儀式」に対象を限定する。

 政府によれば今回の「代替わり儀式」も、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統を尊重したもの」で、「基本的な考え方や内容は(平成の式典のそれを)踏襲されるべきもの」としている。
 しかし、平成の式典は、「皇室の伝統」と称して大日本帝国憲法時代の「皇室典範」「登極令」を原則的に踏襲し、上位にあるべき「憲法の趣旨」はほぼ全く歯牙にもかけられていなかった。
 それを、十分な検討もないまま「踏襲」しようとしているのであるから、今回のそれも違憲のオンパレードになることは確実である。

 ここでは、2018年11月20日の式典委員会で了承された「宮内庁」作成の「儀式等(予定)案」により論ずる。
 そもそも現在の「皇室典範」が規定する「代替わり儀式」は「即位の礼」のみであり、旧典範の定める「践祚の儀式」や「大嘗祭」「元号の制定」は存在しない

 「大嘗祭」が、政府も認めるように、「宗教上の儀式」であることは明白であるから、この儀式を公的儀式である「国事行為」として行うことは政教分離原則から違憲であり、現典範に規定がないのは当然である。
 したがって、公的な「代替わり儀式」としては「即位の礼」だけが必要で、それも「国民主権原則」「政教分離原則」などの憲法上の制約に違反しないものでなければならない。(私見では、それは「憲法を尊重擁護する」宣誓を天皇が行う儀式を中核とするべきである。)

 ところが、官内庁が作成した予定案には、違憲の疑いが濃厚な「践祚儀式」が国事行為として含まれている上に、「登極令」が定めていた宗教儀式である多くの「皇室(宮中)祭祀」が含まれている
 公的に行われれば政教分離原則に抵触するこれら「皇室祭祀」は私的な儀式であるはずであるから、これら儀式を宮内庁が国事行為と並べて「予定案」として発表すること自体、政教分離原則に反する。
 ましてや、いろんな解釈のある「大嘗祭」を、「国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される儀式」とするのは、私的祭祀である「大嘗祭」に国家が介入し祭祀の目的を規定する政教分離原則違反である。

 最大の問題は「践祚儀式」である。践祚儀式の核は「三種の神器」の承継である。
 天照大神が天孫降臨の際に神勅と共に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に与えたとされる八咫の鏡(天照大神の御霊代)、草薙の剣八坂の勾玉は、歴史的に(とりわけ南北朝以来)天皇の正統性を表わすものとされてきた。
 すなわち、「三種の神器のあるところに天皇あり」とされており、この考え方では天皇と三種の神器は不可分の存在である。
 そのため、昭和天皇が敗戦にあたってなによりも苦慮したのは三種の神器を安全に保護することであった。
 は昭和天皇の即位の礼の際に京都に運ばれたが、通常は宮中三殿のうちの賢所に安置されており、ここでの儀式は宮中祭祀の中心となるものである。
 剣璽は天皇が宿泊等で宮中を空ける時には、天皇に付き従う侍従が捧持し(剣璽動座)。敗戦後これは中断していたが、1971年に伊勢神宮を天皇が参拝した時に復活した。

 「天皇人間宣言」でも天皇は自らが天照大神の裔(子孫)であることは否定していないので、伝統的天皇像にとっては自他ともに神器の承継は最重要事項である。
 このため旧憲法時代には、「剣璽渡御ノ儀」として践祚の際の不可欠の儀式であった。しかし現憲法下では、神器は「皇室経済法」による「皇位とともに伝わるべき由緒あるもの」として皇嗣が継承する相続物民法で言う祭具の所有権の承継にあたる)に過ぎない筈のものである。
 しかし、国璽・御璽の承継があることで「剣璽等承継の議」「等」を付ける「ことば」のこまかしで、国事行為として前回同様に今回も行われることになっている。
 その際、旧・新天皇間の継承に切れ目があることは問題だとして、「退位と即位(承継)」を同日・同時に行うべきだと神社本庁などが主張しているのも、神器の承継に皇位の正統性の根拠をみているからである。

 けれども、このように天照大神の神勅に天皇の正統性の根拠をみる旧憲法時代の思考は、「国民の総意」を皇位の正当性の根拠とする現憲法(1条)とは根本的に相容れない
 従って、政教分離原則違反もさることながら、国事行為としての「剣璽等承継の儀」は、憲法1条に反する違憲の儀式であり、行うべきではない。

『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信 NO.181』(2019年1月19日号)
224「天皇在位30年記念式典」反対銀座デモ】
 
 
日時:2019224日(日)13時 
集合:ニュー新橋ビル地下2Fニュー新ホール(新橋駅すぐ)
 
※政府主催の「天皇在位30年記念式典」の同時刻に抗議デモを行います。
 福島県知事が「国民代表」で天皇に感謝の辞をのべ、沖縄出身の歌手が
明仁作詞・美智子作曲の歌を捧げるというとんでもない展開です。
 明仁の30年なんて祝わない、祝えない!抗議しよう!
 
 
 
330 天皇「代替わり」直前!今からでもNOと言おう集会】
 
日時:2019330日(土) 1315開場
場所:文京区民センター2F
 
※天皇制反対の集まりに参加したことのない皆さんも、久しく参加して
いない皆さんも大歓迎!
 おわてんねっとが総力をあげて、5つのテーマで現代天皇制の問題を
指摘します。代替わりに向けて、予備知識がつくこと間違いなしです!
 
★このほか、4/28〜5/1は連日の抗議アクションを予定しています!
乞うご期待!
 
 
【主催】終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク(おわてんねっと)
TEL090-3438-0263 mailowaten@han.ten-no.net
ツイッター:「おわてんねっと」 webhttp://han.ten-no.net/

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