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強制収容所を生き延びた女性、連邦議会で体験を語る / 2016年2月14日
深刻な難民問題を抱え、メルケル首相の政策に対する批判がかつてないほど高まっているドイツだが、その間も「過去の歴史との取り組み」がないがしろにされてはいなかった。ナチの犠牲者追悼の日である1月27日、連邦議会の記念式典では、ホロコーストを生き残ることのできた小柄な84歳の女性が、その少女時代の過酷な体験を話した。
ナチスドイツの絶滅収容所として知られるアウシュヴィッツ強制収容所がソ連の赤軍によって解放されたのは、1945年1月27日のことだった。そのことを記念してドイツでは1996年以降、1月27日が「ナチの犠牲者を追悼する日」と決められている。当時のヘルツォーク大統領の提案によるものだった。国連も2005年以降、その日を「ホロコーストの犠牲者を追悼する国際デー」としている。
今年の「ナチの犠牲者を追悼する日」に連邦議会で少女時代の強制労働の体験を話したのは、オーストリア出身でアメリカ在住の独文学者で作家のルート・クリューガーさん。クリューガーさんは、1931年10月30日、ウイーンのユダヤ人医師の家庭に生まれた。1938年3月、ナチスドイツがオーストリアを併合すると、ユダヤ人迫害がひどくなり、父親はフランスに逃れるが、結局兄とともにナチのユダヤ人絶滅政策の犠牲となった。彼女自身は11歳の時母親とともに逮捕され、まず、テレージエンシュタット(旧チェコスロヴァキア領)の強制収容所に送られた。その後絶滅収容所のアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(ポーランド領)に移送され、その後、グロース・ローゼン強制収容所(旧ドイツ領ニーダーシレジア、現ポーランド領)に付属するクリスティアンシュタットで強制労働につかされた。しかし、ドイツの敗戦直前に母親とともに逃亡に成功し、1947年にアメリカに亡命した。クリューガーさんが1992年にドイツ語で発表した体験記、『生き続ける(weiter leben)』は大きな反響を呼んだ。
連邦議会でのクリューガーさんの話は、ある女性のおかげで生き延びることができたことから始まる。
強制労働というと、誰しも大人の男性を思い浮かべて、栄養失調の小さな少女のことなど考えもしないでしょう。しかし、私は強制労働につくことによって、死をまぬがれたのです。1944年夏のアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所、この時にはもうガス室がフル回転していました。そんな中15歳から45歳までの女性収容者のうち働く能力のある人が、軍需工場で働くために選ばれることになりました。当時まだ12歳だった私が選別の行列に並んでいると、そばにいた同じ収容者の若い女性から耳打ちされました。2分後、選別担当の親衛隊員に「何歳か?」と聞かれた私は、「15歳」と答えていました。「ずいぶん小さいな」という彼に、この女性は大胆にも私がしっかりした足をしていると主張したのでした。「ご覧なさい。あの足を。彼女は働けます」。この言葉に親衛隊員は肩をすくめたけれど、働く方に選んだのです。私が生きのびることができたのは、この時1度しか会っていない、この若い親切な女性との数分間の偶然の出会いのおかげです。選ばれなかった残りの人たちは、その直後にガス室送りになったからです。選ばれた私たちは労働収容所のクリスティアンシュタットに送られました。死の恐怖からのがれて、最初はホッとしましたが、そのポジティブな気持ちはすぐ消え失せました。 飢えに苦しむ彼女に課せられた労働は、森の中での開墾や切り株を掘り起こして運んだり、レールを敷いたりという、男性がするような肉体的な重労働だった。何かを建設するようだったが、もちろん強制労働者たちにはなんのためという説明はなく、彼女たちも無関心で、ただ課せられた労働をするだけ、できるだけサボることを考えた。とびきり寒い石切場での重労働もあった。母親を含む多くの女性たちは、弾薬製造工場での労働についたが、母親の世代の女性たちは職業を持って働いたことはなく、栄養不足で体力のない女性たちの労働力などたいしたものではなかった。ナチが強制労働者を「人間的資材」と呼んだように、強制労働者、特に女性は彼らにとって昔の奴隷よりも価値のないもので、飢えと過酷な労働で一人が死ねば、代わりはいくらでもあるのだった。そこへいくと職業的な訓練を受けている男性たちは役に立つため、例えば同じ弾薬工場で働いていたフランス人男性たちは女性たちより食事も良く、大事にされていた。彼らは機械に対する知識もあり、親衛隊員たちがなかなか発見できないような小さなトリックで機械を動かさなくするなど巧妙なサボタージュを行っていた。
クリューガーさんはそうした強制労働の実態をいろいろ具体的に述べた後、強制労働者の存在を多くのドイツ人が知っていながら、彼らの苦しみや悲しみに思いを巡らす人が戦争直後にはほとんどいなかったこと、戦後何年も経ってから年配のドイツ人男性がポーランド人について「ああいう寄生虫的な外国人はガス室送りにするべきだ」と言ったことなどを挙げ、戦後のドイツ人の態度を批判した。
女性である私の心に特に突き刺さったのは、クリューガーさんが「強制労働者の女性たちには毎月あるべき生理がありませんでした。そういうものは健康な生活をして、もっと栄養のあるものを食べている女性にしかないのです」と言った時だった。彼女はまた、オーストリアにあった唯一の強制収容所、マウトハウゼンなど特定の強制収容所には、「特別棟」と呼ばれる一画があり、そこでベルリンの北にあったラーベンスブリュック女性強制収容所から選ばれた女性たちが、収容所内の男性のために性奴隷として働かされていたことにも具体的に言及した。そこを訪れることができたのは、ナチにとって特別の働きをした男性収容者たちで、女性たちは列を成してくる大勢の男性を相手にしなければならなかった。彼女たちの仕事は強制労働などというものではなく、それこそ「性奴隷」という言葉がふさわしかった。こうした非人間的な行為を強いられた彼女たちの存在と実態は長年知られていなかったが、それは彼女たちがそのことを恥じて口をつぐんでいたからである。彼女たちについての研究はようやく始まったばかりで、強制収容所の生存者としての尊厳も彼女たちには認められてこなかった。彼女たちは戦後も売春婦とみなされ、強制労働者とはみなされなかった。従って補償の権利も認められなかったという経緯がある。こうした差別と犯罪のもみ消しには、古くからの女性蔑視が影響している。「肉体的、精神的に大きな痛手を被った彼女たちの名誉は剥奪されたままで、きょう、ナチスドイツの強制労働者たちに思いを馳せるとしたら、その中に彼女たちも含めなければなりません」とクリューガーさんは強く訴えた。このような発言ができないまま、この世を去った女性たちの思いをクリューガーさんは連邦議会という場で代弁したのだった。戦争中日本によって苦しみを受けた被害者たちが日本の国会で首相や議員たちの前でその過酷な体験を話すことがあっただろうか。私は彼女の言葉を聞きながら、日本軍の元「従軍慰安婦」の女性たちに対する日本政府の対応を思い浮かべざるを得なかった。
ナチスドイツの犯罪的行為を縷々述べたクリューガーさんは、次のような言葉で講演を締めくくった。
講演が終わると、ガウク大統領、メルケル首相をはじめ、連邦議員たちは総立ちになり、拍手は長い間続いた。この日、会場にはドイツだけでなくヨーロッパ各国の若者約100人も招かれ、歴史の証人の感動的な講演をドイツの政治家とともに聞いたのだった。
この講演についてドイツの全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」は、一面で「ルート・クリューガー氏、メルケル首相の難民政策を賛美」というタイトルの記事を大きな写真付きで載せたが、8面の「英雄的」というタイトルの社説では、次のように書いていた。
ルート・クリューガー氏は、連邦議会の講演で、世紀の犯罪に責任のあるドイツは今日、開かれた国境と難民に対する寛容さで世界から拍手を浴びていると強調した。確かに世界の注目が今この国に集まっている。この国はナチ国家とは全く違う国家であろうとしている。クリューガー氏がメルケル首相の「我々はやり遂げます」という言葉を英雄的なスローガンと称したのは妥当である。しかし、我々は正確には何を成し遂げるのだろうか?メルケル首相は世界から拍手を浴びることを義務付けられているわけではなく、ドイツ国民の幸せ、繁栄の実現に責任を負っている。開かれた社会や寛容さも、ドイツ国民の幸せと繁栄が根底にあってのことである。
なお、私は7年前、現在ポーランド領になっているグロース・ローゼン強制収容所跡を訪ねたことがある。今は記念館になっているが、この強制収容所の収容者たちは近くの石切場で、花崗岩の採掘に従事させられた。その巨大な石切場跡を見ながら、案内の人から「石切作業は大変な重労働で、栄養状態の悪い強制労働者たちの中には疲労から死亡する人も少なくなかった」と聞いた。この石切場で、やせ細った少女のクリューガーさんも働かされたと知ったのは、私にとっては衝撃的なことだった。
みどりの1kWh
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「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録をめぐる日本政府閣僚の歴史歪曲発言に
対する抗議文 2015年7月18日
内閣総理大臣 安倍晋三 様 内閣官房長官 菅義偉 様 外務大臣 岸田文雄 様 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録をめぐる日本政府閣僚の歴史歪曲発言に 対する抗議文 私たち「日本の歴史歪曲を許さない!在日本朝鮮人大学生連絡会」は、「明治日本 の産業革命遺産」の世界遺産登録を機に、岸田文雄外相の「強制労働を意味するもの ではない」との発言をはじめとした、強制労働を改めて否定し、その歴史を歪曲して いる日本政府の一連の発言に強く抗議します。 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録をめぐっては、ユネスコの諮問機関で ある国際記念遺跡会議が今年5月、日本に対し各施設の歴史の全容がわかるよう準備 することを勧告、日本は韓国政府と行った協議でも、世界遺産登録の文書に朝鮮人強 制労働の事実を反映し、強制徴用があった施設に表示板を設置して、歴史事実を明ら かにすることで大枠の合意を得ていました。 また、日本の佐藤地ユネスコ大使の「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々 などが本人の意に反して動員され、厳しい環境下で労働を強いられた。第2次世界大 戦当時、日本政府も徴用政策を施行したという事実を理解できるようにする措置を取 る準備ができている」との発言もありました。 しかし、佐藤地大使の発言に対し、岸田文雄外相は「強制労働を意味するものでは ない」と否定し、菅官房長官も「強制労働を意味するものではない」と否定しまし た。日本の発表文中の「forced to work」を単に「働かされた」とし、「強制労働」 を意味するのではないとの発言です。 これは、世界遺産登録のために、韓国との事前協議などで一度は強制労働を認めたか のように見せかけ、実際は朝鮮人強制労働の歴史を隠蔽し、その罪と責任を回避する ための欺瞞策であったことを自ら認めるものです。 そもそも、様々な資料や証言、それに基づく研究からも日本の植民地支配下で朝鮮 人が強制的に働かされたことは明らかな事実であり、「単に働かされた」、「強制労 働ではなく徴用だった」などの発言は、加害の本質を隠し、被害者の尊厳を踏みにじ るもので、私たちは到底許すことはできません。実際に今回登録された23施設のう ち、福岡県の八幡製鉄所や長崎県の三菱造船所、端島炭坑(軍艦島)などの7施設 は、日本の植民地支配期に多くの朝鮮人が強制労働を強いられた施設です。 過去の歴史を直視し、日朝間に横たわる様々な問題と真摯に向き合い、その克服に 向けて努力してこそ、豊かな未来を構築できると思います。今回の日本政府の一連の 発言は、強制労働の跡地を観光地化し、その歴史を隠蔽、歪曲することに利用する許 されざるものです。ゆえに私たちは、「日本の歴史歪曲を許さない」という立場か ら、これに強く抗議します。 日本の歴史歪曲を許さない!在日本朝鮮人大学生連絡会 |

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