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13時過ぎ、北千里駅から阪急電車に乗って梅田へと元来た道を戻った。
梅田から環状線に乗り、今度やって来たのはコリアタウンの広がる鶴橋。
こちらで焼肉をいただこうと思って来たのである。
JRの駅を降り改札を出ると、そこは焼肉店の看板だらけ。
店の外では片言の日本語を話すガールやボーイが客引きをやっている。
定番と思われる一帯を1周2周と周ったがピン!とくる店がなかったので、線路の反対側へと向かうがこちらにお店はなく、ガード下にメニューを出したお店があったので、ちょっくら足を踏み入れてみた。
昼の時間帯が終わったためか店内は空いていて、店員さんにまだ営業しているかを尋ねると、あと15分で注文を打ち切ると言われたので、この店で昼食を取ることに決めた。
15時前に入った鶴橋駅の高架下にある焼肉店は、コックもウエイトレスも全員朝鮮人だった。
焼肉はおいしく、店員の対応も半島の文化特有の温かいおもてなしで有意義なひとときを過ごすことができた。
遅めの焼肉ランチを終えて、少し辺りを散歩しようと鶴橋駅界隈の商店街へと足を伸ばす。
少し駅から離れたところにコリアタウンは広がっており、そこはハングルの看板であふれていた。
壁には「大統領選挙に投票しよう」と書かれたポスターも貼られており大変驚いたが、まだ「金正恩将軍様万歳」と書かれたポスターではないだけショックは小さかった。
商店街は全体的に薄暗くじめじめとしており、キムチの材料を扱う店は生臭い独特の臭いが鼻を突いた。
店の軒先で話す人々は朝鮮語が主で、韓国で日本人相手に商売をする商店街へ来たのかと錯覚するほどコリア化が進んでいた。
鶴橋の在日朝鮮人の街を視察した後は、大阪の橋下市長が補助金の打ち切りを宣言している人権博物館の見学を予定していたが、閉館時間が迫っていた為に急きょ見送りとなり、代わりに日雇い労働で有名なあいりん地区の現地指導に入ることを決めた。
17時。
鶴橋から環状線で4つ目の新今宮駅で下車。
駅の北東方向には通天閣が見える。
東には世界の大温泉「スパワールド」があり、我々は南に広がる釜ヶ崎(通称あいりん地区)に足を踏み入れる。
辺りはまだ明るかったが、1日の仕事を終えた労働者たちで街は賑わっており、彼らの怒りを買わないようなるべくジロジロ見ないで地区内を歩いた。
雑に敷かれた電線、ただ広いだけの道路、目的もなく突っ立っている人間、ゴミや汗など様々な臭いの混じった空間、柄の悪い雰囲気など、そこは発展途上国と同じであった。
これで道端に牛の1頭でもいればインドと同じである。
日本の指折りの大都市で、このような場所があることに驚きを隠しきれなかったが、そういう生活をしている人間を見ることは、途上国を回って免疫がついていたので幾分ショックは和らいだ。
もし途上国の現実を知らずにここへ来ていればさぞかし驚いただろうが、逆に途上国との比較も出来なかっただろうから、どちらが良かったのかはわからない。
ただ、あいりん地区の現実は、想像していた以上に厳しいものだった。
通りには、インターネットが使用でき冷房完備の個室で1泊1000円程度のビジネスホテルが並んでいる。
もちろん温水のシャワーが出ることだろう。
自動販売機の缶コーヒーは50円。
お弁当は100円。
しかし炊き出しもやっているので、食事代はタダ。
この物価は、下手な発展途上国よりも低いと思われる。
後日この近辺の給与水準を調べたが土工は弁当付きで日給1万円らしいが、なかなか仕事に就けないらしい。
プライベートガイドの友人によると、あいりん地区における結核の感染率はアフリカと同等レベルで、咳をしている人には気を付けるべきだ、とアドバイスをもらった。
18時。
あいりん地区の現地指導も一段落したので、JRに乗って難波へと移動した。
大阪は地下街が非常に発達しており、午前中の梅田につづき難波もとても長い地下街が広がっていた。
この地下街にあったauショップでスマートフォンの充電の為にケータイを預け、その間に難波から少し歩いたところにある日本橋へと向かった。
大阪の日本橋は、東京の秋葉原と同じで、電気街からオタクの街へと変貌を遂げた街で、通りを歩いている客層や雰囲気は正にアキバだった。
日本橋散策を済ませた後は難波の地下街にあるバーで1杯の休憩を挟み、再び梅田へと戻った。
20時。
大阪最大級の高級飲食店街である北新地に、友人いきつけの焼き鳥屋があるというので案内してもらう。
そしてそこのお店で歓迎会を開いてくれる。
ビールは僕の大好きなキリンビールで値段もお手頃、焼き鳥と刺身はこの上なく美味しく、どんどん箸が進む。
あっという間に時間が経ち、そろそろ最終電車の時間も迫って来たので、名残惜しくも店を後にすることとした。
夕食会の後は、ホテルでくつろぐ、わけではない。
これからディープ大阪のクライマックスが待っているのである。
深夜の環状線で梅田から天王寺へと移動する。
まずやって来たのは天王寺駅からほど近い西成区の飛田遊郭。
通称は飛田新地。
ここは『飛田新地料理組合』が管理する日本最大の遊郭である。
日付も変わる頃という真夜中にこのような料亭街に入るのはチャレンジャーだが、期待に反して客引きはいなかった。
はじめ駅から歩いて来てなかなか料亭街を見つけられず、街があまりに小さく通り過ぎてしまったのではないかと不安になったのだが、それは高い壁に阻まれ巨大な空間であった。
飛田新地は、北から「青春通り」「メイン通り」「大門通り」「妖怪通りその1・その2」となっており、青春通りの料亭は若い女性が主で、妖怪通りの料亭は良いサービスを提供できる女性が多いそうだ。
インターネットには、生活保護の支給日後などは混雑すると出ていた。
現在も料亭として営業している鯛よし百番は、大正中期に遊郭として建てられた建物を使用しており、国の登録有形文化財となっているが、依然として飛田新地は観光地ではないので、そこをわきまえないと黒い人に痛い目に遭うと言われている。
実際に歩いてみて、付近の再開発された高層ビル群から予想もつかないような大正時代の風景が広がっていた。
ガス灯こそないものの黄色の街灯が異様な雰囲気を醸し、葬式で見かけるような大きな提灯が各料亭の玄関につけられていた。
一軒一軒の料亭には女の子の名前が付けられており、それはもう本当に独特な空間であった。
そして頭を上げて斜め上を見ると天王寺の高層ビルである。
平成と大正。
長く閉ざされ観光地化という道を歩まず、男の本能に訴えかける独自の路線で歩んで来た故に、現代まで伝統として残ることができたのだろうと感慨深くなった。
歩いていると時折、店からオヤジが出てくる。
目を合わさぬよう恐る恐る観察したが、それはすっきりした顔であった。
深夜の飛田新地を歩くことができたのは、とても素晴らしい経験となった。
(つづく)
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拍手! (下)期待中
2012/8/19(日) 午後 5:24
ご期待に添えたでしょうか。
今回は場所が場所だったので写真は撮らなかったのですが、やはり文字だけでは伝えるのが難しかったです。
今後も「JunJunの毎日」をよろしくお願いします!
2012/8/19(日) 午後 10:18
あいりん地区ですが結核感染率がアフリカと同じとは・・・・・・・・
2014/2/4(火) 午前 5:32 [ パトリオット ]