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9・18の悲劇 1931年9月18日。 今からちょうど80年前のことである。 この日、中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した。 ここから日中戦争、さらには第二次世界大戦へと進んでいく、負の記念日である。 その9月18日に、僕は四川省の成都にいた。 周辺には日系企業が多く集まっている。 朝から先生は緊張気味。 ここで万が一のことが起きれば、学生を引率している責任を問われるからだ。 「日本語は話さないで」 「カメラは出さないで」 と注文が多く、どうしてこんな日に来てしまったのだろう、と思っていた。 さらに道路は普段とは違う動きをしており、市内中心部は一部の車両を除いて通行止めとする封鎖令が発令。 タクシーは渋滞に巻き込まれて動かなくなり、中心部へは入れないという事態。 路線バスも経路を変更して運転。 地下鉄も、1号線と2号線との乗り換え駅である「天府広場」駅は全列車通過運転となり、しかも最悪なことに今日訪問する企業は成都の中心街に位置していた。 余裕を持ってホテルを出発したにも関わらず、結果的に約束の時間より1時間半も遅れてしまった。 そんな9月18日に、命懸けで撮影してきた成都の写真を披露しようと思う。 (ホテル近くの食事処) (道路封鎖により閑散としている通り) (暴動に備えてセブンイレブンは臨時休業) (反日デモと称して、内容は国内への不満) (多くの人はカメラを持っていた) デモ隊を避けて動いていたつもりが、タイミングが悪くちょうどデモ隊に遭遇してしまった。
しかし暴徒化することなく、多くの人はカメラを片手に見物客だったので、先生から発令されていたカメラ禁止令も解除され、Nikonと書かれたカメラを堂々と持って撮影した。 この日、青島では暴徒化した大規模な反日デモがあり、日本国内ではそれを大々的に報じたらしく、身内や友人から安否を確認する連絡がたくさん入っていた。 日本の報道も実際の一部分しか伝え切れておらず、他国を批判できないな、と知った1日であった。 |
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