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新潮文庫,平成23年4月 定価:本体514円(税別) 金曜ロードショーでテレビ初登場「借り暮らしのアリエッティ」を見ないでブログを更新します。 先日、大学生協の書籍店で立ち読みをしていたら、「新刊」のところに『越谷オサム』の文字が! 越谷オサムは『ボーナス・トラック』でデビュー。 実力派として名前が浸透しつつあります。 僕がどこで越谷オサムを知ったのかと言うと… はい、自分の出身高校のOBなんです。 高校時代には、図書館に『ボーナス・トラック』がまとまって貸し出されておりました。 大先輩というだけでなく、内容もエキサイティングで以来信頼を寄せておりました。 そこで埼玉から遠く離れた福島の本屋で越谷オサムを見つけてしまったのですから、衝動的に購入しちゃいましたね。 そして本作品も僕の期待を裏切ることなく楽しませてくれました。 今年は結構さまざまな本を読みましたが、2011年のマイ・フェイバリット・ブックスは、『陽だまりの彼女』に決定です!! JunJun氏、推薦します。 『陽だまりの彼女』 奥田浩介は、中学3年の時に転校して以来顔を合わせることのなかった渡来真緒と、約10年ぶりに偶然の再会を果たす。 浩介が真緒と出会ったのは中学1年の2学期の始業日のこと。小柄で愛らしい顔だちの真緒は、性格の素直さもあって初めのうちは皆の人気者だった。しかし徐々にクラスメイトは、勝手気ままで団体行動を乱し、勉強のできない彼女をイジメの対象としていき、いつしか教師まで加担するようになっていった。 そこで浩介は真緒を守るためにクラスを敵に回すのだが、失敗。「いつキレるか分からない子」のレッテルを張られ、郊外への引っ越しを機に転校することになる。 それからしばらくの月日が流れ、忙しく働く中で弊社と御社という取引関係で再会する。取引先でありながらプライベートな関係が発展していき、やがて結婚にたどり着く。 しかし真緒には知られざる過去があり、真緒の両親は浩介との結婚に慎重な意見を出す。思いもよらなかった両親の対応に真緒と浩介は駆け落ちを決意し、実行に移す。そして幸せな日々を送る。 と、思いきや?真緒は病気持ちなのか、とそわそわさせ、一瞬「余命1ヵ月の花嫁」をイメージさせたかと思ったら違うぞ今度は、ミステリー小説かと思わせたら次は魔法使いか?と誘導する。最後はある有名な絵本のような展開を見せ、すべての謎が解決する。 読み終えてみれば伏線だらけで、勘の良い人なら結末がなんとなくわかるかも!と。全体的に込み入ってなく読みやすい。ただの恋愛小説のようで推理小説でもあり、子ども向けの物語(ファンタジー)のようでもある。恋人のいないクリスマスを過ごすには、憤りを感じることなく気持ちよく読めるちょうど良い小説だと思う。 読み終えてから30分くらい、感傷に浸った。 13年越しの恋か。 《背表紙の解説文》
幼馴染みと十年ぶりに再会した僕。かつて「学年有数のバカ」と呼ばれ冴えないイジメられっ子だった彼女は、モテ系の出来る女へと驚異の大変身を遂げていた。でも彼女、僕には計り知れない過去を抱えているようで―その秘密を知ったとき、恋は前代未聞のハッピーエンドへと走りはじめる! 誰かを好きになる素敵な瞬間と、同じくらい切なさも、すべてつまった完全無欠の恋愛小説。 |
読書記録
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「経済学の哲学」 19世紀経済思想とラスキン 伊藤邦武 中公新書(2011) 定価:本体840円+税 (要約1200) クセノフォンやプラトンは、銀などでできたいわゆるコインが、物々交換を容易にするための純粋な媒体として存在することを認めていたが、コインそのものがそれ自体として価値を有するという発想を取ることはなかった。 これにたいして、アリストテレスは貨幣が他の物品と変わらぬ交換価値をもつ独立の財であるとともに、他の財に比べてもその価値が気候その他の外的要因に影響されることのない、比較的安定した実質的価値をもつものであるとして、金属としての貨幣の独立の価値を認める議論を展開した。 アリストテレスは、貯蓄や交換という本質的役割を果たすコインについて冷静な分析を展開している点で、経済思想が単なる家政という主題を超えた「社会化された家政」としてのポリティカル・エコノミーという発想に合致しているのである。 アダム・スミスは、経済発展の「原因と結果」を吟味するための研究を行い、それを『国富論』にまとめた。 スミスは、社会の繁栄とは物質的な富が永続的に増加することであると想定した上で、それがもっとも容易に達成されるのは、必要以上に個人の自由を制限することのない社会であろうと考えた。 また、「富」というものの意味を、生産的労働と結びついたもの、すなわち生活の必要と便益に直結したものとして特定しており、その発生の源泉が労働にあることを確認している。 ジョン・ステュアート・ミルは、功利主義でいう「功利」とは、何かに役立つこと、有用であることであり、道徳の原理としての功利性とは、人々の幸福の実現に有用であるということであると考えた。 ミルは、自由放任からのあらゆるタイプの逸脱は、それが非常に大きな善をもたらすことがきわめて明白でないかぎり、基本的に「悪」であり、できるだけ避けるべきであると強く主張した。 しかしその一方で、政府が介入的な役割を果たすべき「大きな例外」として、教育や労働時間の管理、貧民の救済、文化遺産の保護などがあることを主張し、態度が分裂している。 そしてラスキンは、生産は消費のためにあり、消費は生のためにあるのであるから、生こそがあらゆる価値の究極的源泉として認められる必要があると説いている。 彼は商業主義的、貨幣偏重的経済感に対置して、人々が労働に誇りをもち、自分たちの社会を労働の精神的志向の高さによって建設しようとする経済のシステムを構想し、そのシステムにおいて追及されるであろう「名誉ある富」からなる社会を提唱した。 名誉ある富が追求される社会とは、人間の生に内在的な労働と価値の生産の意味が正当に評価されている社会システムであり、人々の利己的な権力の追求を抑制し、働くものの協働、助けあいを増大させようとする「穏やかな経済」からなる社会のことである。 今日のエコロジー的意識の表明は、名誉ある富の追求の存在いかんを問題視する姿勢を堅持するという意味で、現代社会のきわめて重要な契機となりうるのである。 (1200字) (感想) 正直に言って難しかった。意味不明。ちんぷんかんぷん。 「序章」は、ほとんど理解できなかった。でも読み進めるうちにだんだんと書いてある文字が読み込めるようになってきて、ラスキンがどういう考えをもった人間だったのか、ということと、その歴史的な経緯を知ることができた。 そこでネットで調べてみると、学者先生の講評が見つかったので、参考までに転載しておく。 評・堂目卓生(経済学者・大阪大教授) 経済と環境の調和へ 「エコノミー」(経済活動)と「エコロジー」(環境への配慮)は、対立する言葉として用いられることが多い。 しかし、両者は、それぞれ「生活圏」(エコ)に関する「法則」(ノモス)と「論理」(ロゴス)のことであり、どちらも生活圏を安全・快適にするための資源の管理方法を意味する。エコノミーは、いつから本来の意味を忘れてしまったのか。どうやってエコロジーとの類縁関係を取り戻したらよいのか。 本書は、こうした問題意識に立って、19世紀イギリスの芸術評論家ジョン・ラスキン(1819〜1900)の経済学批判を再検討する。ラスキンによれば、経済学者の誤りは、生きるとは快楽を追求することであり、労働は苦痛以外の何ものでもなく、富とは苦痛を補い快楽を増す手段だと教えたところにある。あくなき富=快楽の追求は、自然環境を含めた他者への配慮を二次的なものにし、共同体や地球の生活圏を脅かすことになるだろう。 生きるとは理知や霊魂、肉体の完成を求めることであり、労働は完成のための創造的作業であり、富とは創造的作業のために無駄なく割り当てられた財産である。諸個人が「生」「労働」「富」を正しく認識し、誠実に活動すれば、共同体や地球の生活圏は、真の意味で豊かになるだろう。経済学者は、諸個人を育成し、社会の健全性を守る「守護者」でなくてはならない。 ラスキンの思想を机上の空論と一蹴することはできない。実際、彼の精神を受け継ぐ人びとによって1895年に「ナショナル・トラスト」(イギリスの歴史的建造物や自然的景勝地の保存を推進する基金)が設立された。また、インドではマハトマ・ガンディーが、ラスキンを師と仰いで非暴力の独立運動を展開した。思想が空論で終わるか現実のものとなるかは、受け取る者の信念に与える影響次第である。 本書を日本の新しいエコノミーを願う著者からのエールとして受け止めたい。 出典:読売新聞公式Webサイト http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20111017-OYT8T00494.htm 推薦文の模範解答を読んだ後に自分の要約を読み返すと、要約する時の視点がずれていたということに気がついた!
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アマルティア・セン著 |
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2011年3月11日14時46分18秒(JST)、東北地方太平洋沖地震が発生した。 |
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【ダイヤモンドダスト】南木佳士、文春文庫1992年 |




