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北海道の中年鉄ちゃん(そろそろ初老?)の戯れ言日記
手探りで始めたこのブログ、丸9年を迎える6月13日で終了させていただきました。今まで有り難うございました。ゲリラ記事が時々・・・

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『首都圏色』

こんばんは。
・・・未練タラタラのゲリ記事です。
イメージ 1
キハ2277(札ナホ) 札幌 1982.7.30

キハ40が『首都圏色』と称する塗装で登場し「まさかキハ22もそんな色にならんべ」と暢気に構えていた時、私が一番最初に目撃したのがこのキハ2277でした(その時は、あまりのショックで?撮影していませんけどね)。

苗穂工場の塗り間違いであってくれ、と切に祈っておりましたが、その後は続々登場する一色塗りの22に「あぁ、やっぱりそうなのね」と。

その後は40の増備が進み、札幌圏・・・・特に苗穂からは22の転属&廃車が進み、塗色云々なんて言ってられない状態に。
こんな色?でも22が撮れるだけ有難い、ってな事態になってしまったのでありました。

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    こんにちは
    こちらでは「タラコ」ちゅうてますね。
    播但線の非電化区間(寺前―和田山)で乗ったことがあります。

    首都圏つて、札幌なんかなぁ
    そんなことないですわな。
    しやけど、サッポロは北の大都会ですものね。ど田舎の大阪とえらいちゃいますわ。

    [ プリウス おじちゃん ]

    2019/7/21(日) 午後 1:13

  • 77番。よいですね。
    当時はまだ、キハ22の偉大さには、全く気づいておりませんでした。
    優等列車、車輌に気持ちが向いておりました。

    [ 101D ]

    2019/7/22(月) 午後 6:57

  • > プリウス おじちゃん さま
    こんばんは。
    こちらでも『タラコ』とは言っていたんですよ〜。
    ただ、ひねくれ者の私はどうも馴染めなくてずっと『首都圏色』って。

    キハ37って覚えてます?
    あれが所謂『首都圏色』(国鉄でも正式にそう呼んでました)の始まりで、その後に出て来たキハ40系も同じ色…その時点でイヤな予感はしていたんですが。

    一般型のキハ20系や格落ちの55系にも及ぶとは思いもしませんでした。

    札幌なのに『首都圏色』って呼んでもいいんだべか?…当時の素直な疑問でした。

    [ タケちゃん ]

    2019/7/22(月) 午後 8:18

  • > 101D さま
    こんばんは。
    奇しくも、札ナホで最後まで残っていた22
    、この『首都圏色』の77と、一般色の78の兄弟?だったんですよ。

    キハ82も好きだけど、それよりも22がいいわ!と公言していた私…40にまみれてひょっこり顔を見せる22を見ながら『あぁ、ひとつの時代が終わるか』と実感しておりました。

    首都圏色だツートンだなんて、もうどうでもよくなってしまった頃…。

    [ タケちゃん ]

    2019/7/22(月) 午後 8:24

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    p.s.
    関西では「首都圏」なんて言う人はいないし、聞いたこともありません。

    親友の生粋の京都人は、「東の京都」でしょ。
    「天皇はんは、たまたま江戸にご出張どす。もうすぐ京都に戻ってきはるねん」

    大半の京都人は、そう思てはります。そこが単純な大阪人とちゃうとこですわ。しやから、大阪人はアホにされますねん。

    [ プリウス おじちゃん ]

    2019/7/22(月) 午後 8:37

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    > プリウス おじちゃん さま
    再びこんばんは。
    勉強になりまんなぁ〜・・・・おじちゃんが仰る「単純な」大阪人、よっぽど愛おしく思えます。

    いやいや、大阪は大阪!興味津々の場所いっぱい。

    かたや、私は「玉の光」しか知りません。

    [ タケちゃん ]

    2019/7/22(月) 午後 9:59

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