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こんにちは。相変わらず暑いですね。
午前10時半頃に、当直勤務から帰ってきましたが、今日は土曜日なのであまり写欲も出ず、昨日よりは暑くないものの蒸し暑いし・・・昨日来の暑さの中で仕事をした結果・・・休憩時間はクソ暑くて横になっただけ・・・もうヘロヘロで帰宅・・・家でダラダラを決定です。
そんじゃあ、前回最新技術に驚愕したスキャナーを使って(どうやら、世間では当たり前の技術らしいですね・・・時代遅れもいいトコだな、こりゃ)、昔の記事を書こうかな、と思いまして・・・・
昭和55年9月14日に、循環急行「いぶり」に乗って、ぐるっと一周したことがありますので、その時の写真を。
この年の10月に廃止が決まっていたので、当時高校1年生だった私は、同じ趣味の同級生を誘って、札幌〜札幌の完乗をすることにしました。
当時の札幌駅北口の出札口で、「いぶり」に乗って一周してくる旨を告げて切符を作ってもらい(今にしてみると切符を取っておけば良かった・・・)、まずは札幌駅構内でで待機する「いぶり」用のキハ22を撮影しました。
回208D キハ22201
少し前に、はるばる稚内機関区から苗穂機関区へ転属してきた車両で、当時の旭川鉄道管理局の特徴だった、ちょっと濃いめのというか、暗い感じの朱色が用いられています。札幌圏では文字通り異色で、遠くから見てもすぐに判別できました。
札幌でも首都圏色キハ22が大半となってきていたこの時、しばらくは旭川局色のキハ22ツートンが見られるなぁ〜と思ったのもつかの間、この201はいくらもしないうちにキハ22605に改造されてしまいました。残念!
既に「いぶり」の愛称板とサボが差し込まれています。号車札は何故かいつも「11」でした。
所属記号も、「札ナホ」に書き換えた形跡が見られます。
このあと、札幌運転区から回送されてくるキハ56系急行「ちとせ」の前部に併結されて、出発するのです。
しかし、いざホームに行くと・・・黒山の人だかりです。それも「いぶり」の停車位置だけ。
にわかに信じがたい光景に、回送列車到着までは、まだ時間があったことから、少し様子を見てみることにしまして・・・他の列車がホームに入ってきてもこの集団、微動だにしません。
しかもよく見ると、みんな手に持っているのは、私が出札係氏に作ってもらった切符と同じ切符・・・。
まずい。
たしか、この208D「ちとせ・いぶり」の発車は11時10分頃で、反対回りに発車する904D「らいでん・いぶり」は
12時15分ころでしたので、この時点で208Dを断念して、出札口に急いで戻り、事情を説明して「倶知安先回り」の切符に作り直してもらい、その時点から904Dが発車するホームで、倶知安まわり「いぶり」の停止位置で待つことにしました。
ですから、このキハ22201を先頭にした208D「ちとせ・いぶり」の発車など、まったく見ていないわけです。
「本当にキハ22の1両に、これだけの人数が乗れるのか?」という程の人だかりでしたから・・・・。
で、1時間半以上同じ位置で待っていたでしょうか・・・・気がつくと後ろはまたまた黒山のような人だかりが。
この時同級生が言いました「この間、テレビで結構、流していたもんな、「いぶり」が廃止になるって・・・・」
バカ野郎、そういうことは早く言えっちゅうんだよ。
無事、入線してきた904D「らいでん・いぶり」に乗車できましたが、車内はぎゅうぎゅうで、立って歩くなんてとんでもない状況でした。
小沢で最後部の岩内行きキハ22を解放し(この札幌直通の岩内編成も「いぶり」廃止と同時に廃止されています)、倶知安に到着、最後部となっていた「いぶり」が切り離され、1番ホームに転線して、15分ほどの小休止・・・・ここでやっと写真が撮れました。
904D「いぶり」サボ 倶知安
手前が4814Dと列車番号が変わり胆振線に入線する「いぶり」
向こうが、倶知安まで急行「らいでん」で手を組んできた934D(倶知安から普通列車で上目名を目指します)
934Dの「上目名」サボも懐かしいです。駅までなくなるとは・・・・
この後、乗車していた我が単行急行「いぶり」は進行方向を変え、胆振線に入線します。
相変わらず車内はぎゅうぎゅう、窓から写真を撮るしかなさそうでした。
喜茂別で、札幌で乗車を断念した4815D「いぶり」のキハ22201と再会しましたが・・・・
このときは前照灯をつけていました・・・・すぐ消しちゃったけど・・・
こちらが後着・先発となりました・・・・
どうしましょ・・・・この人数・・・・できればこっちに乗りたかったなぁ・・・・
途中、倶知安機関区のキハ22による普通列車と交換しながら伊達紋別へと向かいました。
倶知安行き833D キハ2292 御園
北湯沢駅
この駅で降りて「名水亭」へ行きたかった・・・・
蟠渓駅 駅票
倶知安行き835D キハ2235+キハ2290 久保内
後部のキハ2290はこの後日、胆振線での大雨による道床流出現場に突っ込み脱線転覆してしまいキハ2240と共に現場解体されてしまい、とても残念でしたねぇ。
タブレット交換の駅長さん・・・いいなぁ〜、いつ見ても。
この後列車は、伊達紋別に到着するわけですが、その頃には周囲は真っ暗。さすがに周りの写真は撮れませんでした。
伊達紋別で、豊浦あたりが始発の217D札幌行き急行「ちとせ」の最後部に併結され、終点札幌を目指すわけです。
「ちとせ」が連結されると、ぎゅうぎゅうであった車内から一斉に客が乗り移り、今度はガラガラに・・・・。
そりゃ、車内が白熱灯で薄暗いキハ22よりも、蛍光灯のキハ56の方が、はるかに見栄えがいいわけでして。
私は、当然キハ2276に残ります。あたりまえです。「いぶり」に「完乗」ですから。
で、やっとゆっくり撮れたのが・・・・
これです。
この車内行き先票を撮影した後は、札幌到着までボケ〜っと足を伸ばして座っていました。
ずっとぎゅうぎゅう詰めの車内に疲れていたのだと思います。
途中の東室蘭や、苫小牧でもこの「いぶり」に乗ってくる人は殆どいませんでした。
無事、札幌駅に到着したところ、このころ既に珍しくなっていたキハ22の一般色が先頭の普通列車がいましたので、ついでに撮影して、帰路に就きました。
札沼線645D キハ2274(苗穂機関区) 札幌
こうして、とりあえず「いぶり」完乗を果たしたわけですが、これ以降の「いぶり」は、急激な乗客増に対応して土日を中心に2両での運転となり、単行急行の風情がなくなってしまいました。
また、「いぶり」廃止と「らいでん」の岩内直通編成廃止を機に、キハ22による「らいでん」の運用は消滅し、全て苗穂機関区のキハ56系3両に統一されてしまい、札幌で倶知安機関区のキハ22が見られなくなったばかりか、実は一番好きだったキハ22急行「らいでん」(この辺が地味なんですよ)が無くなることが、とてつもなく寂しかったですね。
この55.10改正は、他にも色々な列車の廃止や短縮などがあり、本当にイヤな改正で、この改正から函館山線の凋落が本格的に始まったと言っても過言ではないかも知れません。
さて、毎度の如く、亭主が当直明けであろうがなかろうが、全く関係ない姿勢を貫き通すウチの奥様が、「買い物ぉ〜、今日はホーマックぅ〜」とか何とか言っておりますので、出かけてきますね。
明日もまたまた当直勤務なんです、これがまた。
買い物終わったら、とっとと風呂に入って、一杯ゃって、寝てやるぞ〜って思っていますが、果たしてどうなりますやら・・・・。
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トレインフォト789 さま
こんばんは。
そうですかぁ〜・・・循環の「いぶり」知りませんでしたか・・・。
感じるなぁ〜、年代の差をこういう時に。うぅ〜む、何とも複雑。
やっぱりジジの部類に入るか?
他にも、旭川発旭川行きの急行だか準急だかの「旭川」とかがあったんですよ。
旭川を出発し、遠軽から名寄本線に入って、名寄経由で旭川へ戻ってくる運用ではなかったかと記憶していますが・・・。
道内版の山手線ですか・・・あまりにローカルすぎて・・・
[ タケちゃん ]
2010/8/7(土) 午後 10:45
ばりきち さま
はじめまして、こんばんは。
こちらこそ、よろしくお願いします。
「いぶり」に乗ったことがあるんですね。素晴らしい。
千歳先回りは先頭車でずっと行きますよねぇ・・・やはり伊達紋別では一旦胆振線用のホームに転線してからの発車だったのでしょうか。
その頃は、キハ22もツートンでしたか?
懐かしいですね。写真を発見された際のUPを楽しみにしております。
本当に良い時代でしたね、あの頃は。
また、来て下さい。
私も、お邪魔させて頂きますので・・・・。
[ タケちゃん ]
2010/8/7(土) 午後 10:52
こんばんは。
押さえてますね〜…。
実は私も現役時代のいぶりは分からないのですが、サボや胆振線が
好きでしたので…。
丁度、名水亭のある辺りが北湯沢駅でしたものね〜。
あの一枚岩の川のすぐそばの駅が懐かしいです。
列車で行ければ最高だったんでしょうね…。
旭川の循環急行は、急行大雪くずれじゃなかったでしたっけ?
[ しろしろ ]
2010/8/7(土) 午後 10:56
しろしろ さま
鋭い!そうなんですよ、末期は普通列車の運用込みで「大雪」が旭川へ帰ってきていましたねぇ〜。
おそれいりました。
私が言う準急「旭川」はもう、遙か昔の話でございまして・・・。
[ タケちゃん ]
2010/8/7(土) 午後 11:12
始めまして。鉄道写真で検索して来ました。
私は、今は亡き胆振線沿線の出身です。
循環急行いぶりが走っていた時は小学生でした。
廃止直前は実家最寄りの京極駅で交換していましたので、
写真を撮りに行きました。
キハ22も初期車の白熱灯が個人的には好きでした。
胆振線をきっかけに鉄道趣味の道を歩み始めました程、
キハ22には個人的に思い出が有ります。
[ まあぼう ]
2010/8/9(月) 午後 11:01
まあぼう さま
はじめまして。白熱灯のキハ22が大好きとか…仲良くなれそう?かな?
急行『いぶり』末期の交換は京極でしたか…あの調子ですから、遅れて喜茂別交換になったのかもしれないですね。
私の親類は倶知安、岩内、真狩、ニセコ、蘭越に多くて、いつも急行『らいでん』を利用していましたので、キハ22が一番好きな車両でした。
そうですか、あの近辺ですか…フーテンの寅さんが都はるみとの恋に破れて降り立ったのも京極でしたよねぇ〜。
京極の駅舎も独特な作りで好きでしたよ。
また遊びに来て下さいね。お待ちしていますよ。
[ タケちゃん ]
2010/8/10(火) 午前 0:00
廃止淋しいですよねー。廃止付近の頃は凄いことになっていたのですね。
昭和59年夏、大学一年の頃に、札幌発、倶知安経由、大滝まで、セミナーハウスなるもの大滝にあり、クラスの集まりがあるということで、循環急行いぶり、乗りました。 倶知安での解放転線が楽しかった。その一度きりでした。今ももう一度乗りたいなあー。
[ 101D ]
2011/2/24(木) 午前 6:53
kih*56*23 さま
こんばんは。
懐かしいですよね〜。
「いぶり」の倶知安と伊達紋別での転線は面白かったですよね。
車両に乗ったままのちょっとした「構内移動」ですからね。
[ タケちゃん ]
2011/2/24(木) 午後 6:53
はじめまして。
小学校3年の夏に千歳回りで乗りました。
自分で時刻表で調べて、倶知安で下車してニセコに乗り換えて余市あたりで寝てしまったのを鮮明に覚えています。
可愛がってくれた祖父と2人での旅行だったんですよね。
まさにこの201だったと思います。
これは涙が出ますね。ありがとうございました。
[ - ]
2013/10/16(水) 午前 0:06
kbr*w98* さま
こんばんは。はじめまして。
そんな思い出がおありでしたか。
しかも乗られたのがこの201だったと…当時の思い出を振り返るのに、多少はお役に立てたようで…。
そういう偶然、、嬉しくなりますよね…わたしも他の方のブログなどで、自分が乗ったことがある車両を見つけると、やっぱり懐かしくて、ついつい見入ってしまいますもの。
ちょっと古い記事ながらも、コメントいただきまして、ありがとうございました。
[ タケちゃん ]
2013/10/17(木) 午後 5:37
こんばんは、
豊平橋辺りの写真を拝見しようと、国鉄書庫にきてみましたが、すごいですね〜!!
ちょっと30分くらい鑑賞させて頂いておりましたー、すみません、。休憩でここでコメントさせて頂きましたが、国鉄フィルム時代からこんなに撮られていたとは、すごいの一言に尽きますが、ほんと今昔が錯覚してくるくらい、こないだまでこうだったのにと、つい見えてしまいます。
[ 【優駿浪漫街道】 日高本線 ]
2014/4/27(日) 午前 1:14
【優駿浪漫街道】日高本線 さま
こんにちは。
いやいや、ビックリしました・・・この記事にコメをいただけるとは!
間違いなく「こないだ」なんですよ、我々のような年代は・・・私もやっぱりそうですもの。
コメをいただいて、久し振りに自分の記事を振り返っておりますが、この写真を見て、やっぱり「こないだ」だったような気がするのになぁ〜、と思っちゃいます。
[ タケちゃん ]
2014/4/27(日) 午前 11:14
循環急行「いぶり」、素晴らしいです
私も乗っておいて良かったと、遠い目です
2014/11/16(日) 午後 2:16
LUN さま
こんばんは。
私も今でも「乗っておいて良かった」と強く思っております。
列車はおろか、線路自体までなくなってしまうとは・・・当時は考えていなかったですね。
[ タケちゃん ]
2014/11/16(日) 午後 10:10
はじめまして、おじゃまします。昔の急行は、いろんな路線の急行が合体していましたよね。
2015/3/24(火) 午後 4:04
とめ さま
こんばんは。はじめまして。
仰るとおりですよね・・・時刻表を見ているだけでも充分に楽しめましたよね。
殆どの「多層階建て急行」(この表現ももはや死語ですね)は札幌への到着時間を考慮しての運転でしたから、札幌駅周辺の午前中は、様々な名称の急行が札幌に向けて走り去り、本当に面白かったですね。
[ タケちゃん ]
2015/3/24(火) 午後 6:10
こんにちは。古い記事に失礼します。
〈いぶり〉千歳回り、私はこの翌日の昭和55年9月15日に乗りました。ひどく混んでいて席に座れなかったのですが、車掌さんが乗務員室に入れてくれました。フィーバー、すごかったですよね。
2016/8/10(水) 午後 4:05
> 天寧 さま
こんばんは。
ありゃ、そうでしたか、この翌日に。
廃止がテレビ報道されて「やべぇかなぁ」なんて思っていたのですが、案の定・・・この結果でした。
翌日も、すごい人数だったことは容易に想像が付きますよ。
これ以降は2両で運転することもあり「単行急行」の味が薄れてしまいましたが、あれはあれで仕方がなかったですものね。
・・・そういう臨機応変な対応が増収を生むのだよ・・・と皮肉の一つも言いたくなる気分ですね。> 天寧さん
[ タケちゃん ]
2016/8/10(水) 午後 6:57
懐かしいです。
当時は北見に住んでいたので乗りたかったですがあまりに遠く、時刻表眺めながら無念を噛み締めてました。
キハ22よかったですね。
証明が薄暗くて夜中に祖母の住む遠軽に行く際によく乗りました。タイムマシンのようでものすごい遠く知らないところに行くような気分になったものです。
キハ22単行といえば急行「池北」には池田まで行くのによく乗りました。下りはやはり単行の急行「ぬさまい」と併結でした。なぜか下りだけ。
最後に、55.10改正から確かに北海道の鉄道は面白くなくなり始めました。不便になった。この頃からキハの車体の色が無味なタラコ色になっていきましま。
[ だにえる、今は大阪 ]
2017/12/16(土) 午後 2:05
> だにえる、今は大阪 さま
こんばんは。
こんな懐かしい記事に食い付いていただき有り難うございました。
キハ22も、白熱灯の車両もあれば蛍光灯の車両もありましたが、白熱灯の車両も決してキライではなかったですよ。
「池北」「ぬさまい」も懐かしいですね・・・まだまだキハ22が「当然」の如く急行運用に入っていた頃ですものね。
あの車内の作りからしても、一概に「急行としての使用が云々」とは全然思いませんでしたし窓側座席の肘掛けと窓下テーブルががなかったくらいですもの・・・ちゃんと栓抜きはついていましたからね。
さすがに白熱灯車両による急行運用にはは「ありゃ?」でしたけれども、そんなに気にしていなかったかなぁ〜・・・。
55.10改正からそろそろ40年ですね・・・実に残念な?改正でございました。
[ タケちゃん ]
2017/12/16(土) 午後 8:58