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			<title>ミステイー全ては霧の中</title>
			<description>&#039;&#039;&#039;&#039;&#039; 太字斜体 &#039;&#039;&#039;&#039;&#039;
世界が平和でありますように。[http://LinkURL]</description>
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			<title>ミステイー全ては霧の中</title>
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		<item>
			<title>[転載]200611041 【韓国文化を守った浅川伯教・巧兄弟】</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_1?20070520183308&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_1?20070520183308&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_1?20070520183308&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_2?20070520183308&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_2?20070520183308&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_2?20070520183308&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_4?20070520183308&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_4?20070520183308&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43610652_4?20070520183308&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;韓国文化を守った浅川伯教・巧兄弟→李朝白磁を近代日本に再び広め、そして朝鮮半島に眠る、、、
&lt;/pre&gt;
  
[[attached(1)]]＝[[attached(2)]][[attached(3,right)]]  &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　seoul/淺川巧の墓 &lt;br /&gt;
　　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;淺川伯教の弟淺川巧と柳宗悦&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その柳宗悦が、民芸運動を始めて、最初に注目した工芸品が「李朝の工芸」だったそうです。&lt;br /&gt;
柳宗悦は我孫子で&lt;b&gt;淺川伯教&lt;/b&gt;が持ち込んだ李朝白磁に魅せられ、その後生涯で21回朝鮮半島を訪れました。現地で淺川伯教の弟淺川巧とともに朝鮮古陶磁をはじめ、民具、雑器などの調査収集活動を行ない、そのことがのちの民藝運動の原点となりました。古陶磁器収集に手持ち資産の大部分をつぎ込んだといわれてます。&lt;br /&gt;
その当時、朝鮮陶磁器といえば、&lt;tt&gt;「高麗青磁」が殆どで、「李朝陶磁」などに目を向ける人は殆どなく、&lt;/tt&gt;&lt;br /&gt;
専門家たちからも、&lt;tt&gt;「堕落した陶器」&lt;/tt&gt;と呼ばれていたそうです。&lt;br /&gt;
そこで、柳宗悦の力になったのが、先の淺川伯教の弟巧でした。&lt;br /&gt;
淺川巧は、当時の朝鮮に在住し、朝鮮の言語を話し、同じ服を着て、家でも朝鮮風の生活をしていたそうです。&lt;br /&gt;
当時の朝鮮といえば、日本に植民地支配されていた状況で、この国では稀有な日本人だったのです。&lt;br /&gt;
その淺川巧と肝胆相照らし合うことによって、李朝陶磁器の収集も進み、更には巧の発案によって、&lt;br /&gt;
朝鮮美術館構想が生み出され、１９２４年（大正１３年）美術館開館の運びとなります。&lt;br /&gt;
しかし、1931年、巧急死、40歳でした。&lt;br /&gt;
宗悦の河井寛次郎に宛てた手紙に、&lt;b&gt;「片腕をもぎ取られた思い」&lt;/b&gt;と痛切な叫びが見られます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://www2.manabi.pref.yamanashi.jp/center/hakuji/shiryokan.pdf&amp;#x003000;&amp;#x006d45;&amp;#x005ddd;&amp;#x004f2f;&amp;#x006559;&amp;#x0030fb;&amp;#x005de7;&amp;#x005144;&amp;#x005f1f;&amp;#x008cc7;&amp;#x006599;&amp;#x009928;&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www2.manabi.pref.yamanashi.jp/center/hakuji/shiryokan.pdf　浅川伯教・巧兄弟資料館&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　コーヒーブレイク　野田隆稔先生の史話集より&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
【韓国文化を守った浅川伯教・巧兄弟】&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　《生い立ち》&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　淺川伯教（のりたか）は１８８４（明治１７）年、山梨県北巨摩郡甲村五丁田（平成の大合併で北杜市）に、父如作、母けいの間の第一子として生まれました。その７年後の１８９１（明治２４）年１月、巧は生まれました。父如作は巧が生まれる半年前に、３１歳の若さで病死しますが、巧には７歳上の兄伯教と４歳上の姉栄がいます。母けいが女手一つで家を守り、３人の子どもたちを育てました。&lt;br /&gt;
彼らが生まれた巨摩郡は甲斐駒（馬）の産地であったところから、つけられたといわれていますが、「こま」とつく地名は朝鮮半島の人々（主に高句麗から来た人）が住み着いた場所だといわれています。高麗、駒、狛の付く地名はそれに当たるといわれています。&lt;br /&gt;
母方の祖父千野真道が「巨摩郡は高麗人の住んだ所で巨麻と呼ばれた。我々には遠い祖先の血が流れている。高麗人の血が」と語ったことが『白磁の人』の中に書かれていますが、巨摩は高麗人の住みついたところと考えてもいいかもしれません。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　師範学校に入学すると、キリスト教に入信します。母方の祖父千野真道が神官であったことからすれば、神道と正反対なキリスト教に帰依することは奇異な感じがします。伯教の影響を受けてやがて巧も入信します。キリスト教の影響は彼ら兄弟が差別なく朝鮮の人々に接することに現れています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　１９０６年、師範を出た伯教は小学校の教師としての生活を始めます。１９１０年、この年は日韓併合があった年ですし、大逆事件が起きた年でもあります。日本が帝国主義に大きく踏み込んだ年でしたが、一方では『白樺』が創刊され、理想主義運動が動き出し、大正デモクラシーの胎動につながる年でもありました。伯教は『白樺』を購読し、白樺派に近づいていきます。１９１２年、ロダンに傾倒していた伯教は彫刻を習い始めます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　一方、巧は１９０６年、山梨県立龍王農林学校に入学し、甲府市郊外で、教職に就いた兄の伯教と同居を始めます。伯教の影響を受けてキリスト教や白樺派に傾倒していきます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　《兄弟、朝鮮に渡る》　&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　１９１３年、伯教は朝鮮の美術品の研究をしたいため、母けいと共に朝鮮に渡ります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　その年、伯教は三枝たか代と結婚します。たか代は梨花女子専門学校と淑明女学校で英語の講師をして、生活を支えます。&lt;br /&gt;
伯教は教師をしながら、彫刻の制作（１９２０年、『木履の人』が帝展＝現在の日展に入選します）に当たる一方、その当時、見向きもされなかった朝鮮白磁に注目し、研究を始めます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　兄を敬慕し、その影響を強く受けている巧も朝鮮行を決意します。１９１４年、大館の営林署を辞め、朝鮮に渡ります。伯教や巧のような資格を持っている者は専門分野の職にすぐ就けます。巧は５月に朝鮮に渡り、７月には朝鮮総督府農商工部山林課に就職し、朝鮮国内の植林業務に従事します。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　巧が山林課に就職した当時の朝鮮の山は乱伐され、はげ山状態に荒れていました。清やロシアによって乱伐されたといわれていますが、日本がそれに輪をかけました。１９０８年、統監府の管理下にある韓国政府に「森林法」を公布させ、持ち主がわからない山を「無主公山」として国有化させ、それを日韓併合後総督府のものにし、日本人や親日派の朝鮮人地主に分け与え、軍用材の供給地にして山林を乱伐したのです。これは林野の入会権を農民から奪い、農民を疲弊に追い込むことになりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　日韓併合後の１９１０年、総督府は土地調査事業を行い、朝鮮の農民から土地を収奪していきますが、そのモデルは森林法にあったといえます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　巧は朝鮮に住むためには朝鮮語を覚えることが必要だと考え、山林課の朝鮮人雇員から朝鮮語を習います。３ヶ月でほぼものにしたといわれています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　『白磁の人』では朝田政歳妹みつえとなっています。年齢も３歳下になっています。『白磁の人』と『朝鮮の土となった日本人』に食い違いがあるのは気になりますが、ここでは指摘するだけに留めて置きます。本文は高崎説で書きました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　柳宗悦（むねよし１８８９～１９６１）は白樺派で、民芸運動を起こした人と知られていますが、高校の日本史で、「柳は三．一独立運動で『反抗するも彼らより一層愚かなのは圧迫する吾々である』と、日本の朝鮮支配を批判した数少ない日本人だ。京城において道路拡張のために景福宮（キョンポックン）の光化門（クァンファムン）が取り壊されようとしたとき、これに反対し、移築保存させた人だ」ということを習いました。光化門がなんであるかさえ解りませんでしたが、良心的な日本人がいるものだと思ったことを覚えています。柳の朝鮮文化保護に影響を与えたのが淺川兄弟だったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　１９１７年、巧とみつ江の間に、長女園絵が生まれました。&lt;br /&gt;
　巧が発明した養苗法に「露天埋蔵法」というのがあります。採集したその山の中に自然の状態をつくって埋め、翌年の春、種子を掘り出して苗床に蒔くというもので、当時としては世界的な発明であったといわれます。巧はそれを幾つかの論文に残しています。巧は朝鮮文化の保護者として名を残していますが、このように科学者としても業績を残しています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　順風満帆の巧の人生に不幸が見舞います。妻のみつ江は園絵を生んだ後、体調がすぐれず、甲府で療養していましたが、１９２１年、薬石効なく亡くなります。葬儀のあと、園絵を淺川政歳に預けて、朝鮮へ一人で戻りました。&lt;br /&gt;
巧は失意の中、山の植林に力をいれながらも、柳が提案した「朝鮮民族美術館」の設立の準備に当たります。仕事の面では充実していたけれど、精神的には一番辛いときでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　伯教は学校を辞め、朝鮮陶磁の窯場の調査に全力を尽くします。彼の研究で、朝鮮陶磁の歴史が明らかになっていきます。さらに、高麗青磁を復活させるために、朝鮮人の陶工たちを援助します。伯教の指導のもとにで、高麗青磁を復活させた人は池順鐸（チスンタク）で、韓国陶磁器界の巨匠といわれるようになります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　韓国へ行くと、青磁が土産物として売られていますが、その基礎を伯教が作ったといっても過言ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　一人暮らしの巧に、再婚話を持ってきたのは柳でした。巧は再婚することはみつ江に申し訳ないという思いがありましたが、柳の「園絵さんをいつまで、預けておくのか、再婚して一緒に暮らしたらどうか」という説得に、子煩悩な巧は折れます。&lt;br /&gt;
　１９２３年、巧は大北咲子と京都で結婚し、園絵を連れて、京城に戻ります。園絵も咲子になれて、温かい家庭を取り戻します。しかし、またもや家庭に不幸が見舞います。咲子との間に生まれた次女が生後、数時間で亡くなったことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　巧は伯教が焼いてくれた小さな白磁の鉢に遺骸を入れ、白木の墓標に『天使の人形の墓』　と記し埋葬しました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　次女の死産という痛手を抱えながら、巧は林業試験所の仕事をし、休日を利用して、陶磁器の研究を続けると共に、あらたに木工芸の美に魅かれ研究を始めます。巧は研究をするとき、チョゴリ・パジを着用し、達者な朝鮮語をしゃべりましたから、彼に接した朝鮮人の中には巧が日本人であることを知らない人もいました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;b&gt;支配民族として、朝鮮人を低く見ていた日本人でありながら、朝鮮人の視線で接する巧は朝鮮の人々の信頼を集めます。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　陶磁器の研究は『朝鮮陶磁名考』に、木工の研究は『朝鮮の膳』となって結実します。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　巧は生まれてから病気らしい病気はしたことがなく、健康に自信を持っていました。仕事、研究に睡眠時間を削って無理をします。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　１９３１（昭和６）年、その無理がたたって、風邪を引きます。「風邪くらいで、休むわけにはいかない」と一日休んだだけで林業試験場に出勤します。雨の中を歩き回り、風邪をこじらせてしまい、４０度近い熱をだし倒れます。３月２７日のことでした。医者から「急性肺炎」と診断されます。咲子の止めるのも聞かず、高熱をおして柳から依頼された『朝鮮茶碗』の原稿を書きあげます。これが絶筆になります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　巧の症状は「峠を越えた」という医師の診断があり、病床に詰め掛けた人たちがほぉとした直後に急変します。意識が混濁する中、「責任がある・・・」と繰り返して叫んだといわれています。「何についての責任なのか」、試験場関係者は「未完の仕事」だと思ったかもしれないし、美術関係者は「巧の研究」かもしれないと思ったかもしれない。臨終の席にいた安部能成（ヨシシゲ。思想家、教育者。戦後の幣原内閣で文部大臣を務め「教育基本法の骨子」を作った）は「朝鮮とこの国の人たちへの責任だと感じた」と書いています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　葬儀は４日、雨の中を、キリスト教の様式で行われました。柳たちの弔辞が読まれ、巧みの好きな賛美歌４０９番「やまじこえて　ひとりゆけど　主の手にすがる　見はやすけし」が歌われました。巧は白いチョゴリ・パジを着て、重さ１５０キロの二重の棺に納められました。出棺のとき、巧の死を聞きつけた多くの朝鮮の人たちが見守りました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「彼の死が近く村々に知らされた時、人々は、群れをなして別れを告げに集まった。横たわる彼の亡躯を見て、慟哭した鮮人（侮蔑語ですが、原文通りにしました）がどんなに多かった事か。日鮮の反目が暗く流れてゐる朝鮮の現状では見られない場面であった。棺は申し出によって悉く鮮人に担がれて、清涼里から里門里の丘へと運ばれた。余りにも申し出の人が多く応じられない程であった。その日は激しい雨であった。途中の村人から棺を止めて祭をしたいとせがまれたのもその時である。彼は彼の愛した朝鮮服を着たまま、鮮人の共同墓地に葬られた。」（柳宗悦『淺川のこと』）という、柳の文にそのときの様子が見事に描かれています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　参考文献　&lt;br /&gt;
　『白磁の人』江宮隆之　河出書房&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDM2MTA2NTIuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6712894.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 May 2007 18:41:17 +0900</pubDate>
			<category>工芸</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]#200611031 はるか９０年前に「友情と韓流」</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_0?20070520183633&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_0?20070520183633&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_0?20070520183633&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_1?20070520183633&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_1?20070520183633&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_1?20070520183633&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_3?20070520183633&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_3?20070520183633&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_43605502_3?20070520183633&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[[attached(1,left)]][[attached(2,center)]]&lt;br /&gt;
朝鮮をこよなく愛した柳宗悦&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;最初に柳　宗悦が残した言葉の一説です。（昨今の嫌韓の人たちに捧げる言葉？）&lt;br /&gt;
「私は想う、&lt;tt&gt;或国の者が他国を理解する最も深い道は科学や政治上の知識ではなく宗教や芸術的な内面の理解であると思う。言い換えれば経済や法律の知識が我々を他の国の心へ導くのではなくして、純な愛情に基く理解が最も深くその国を内より味わしめるのであると考えている。&lt;/tt&gt;?H4&amp;gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;「我々日本人が今、朝鮮人の立場にいると仮定してみたい。恐らく義憤好きな我々日本人こそ最も多く暴動を企てる仲間であろう。中略」&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;李朝工藝から民藝運動へ&lt;br /&gt;
柳は、李朝陶磁に惹かれ、李朝の工芸品の美しさに引き込まれていきますが、これらの作品はみな無名の工人によって造られた物であることを思い、民族の工藝の伝統は日本にもあると着想し、日本の工芸へと、自身の目をむけていきます。後に木喰仏（もくじきぶつ）を見出し、それを探し求める旅は、同時に日本民芸運動への旅ともなり、1936年（昭和11年）10/24の「日本民芸館開館」へと繋がっていくことになるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大正10年雑誌《白樺》1月号の「朝鮮民族美術館設立趣意書」の一節を引用&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[[attached(3)]]ポジャギ(李朝鮮の伝統的パッチワーク )&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
（「これは骨董ではない」晶文社より）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
「私は先ずここに民芸芸術としての朝鮮の味ひのにじみ出た作品を蒐集しようと思ふ。如何なる意味に於いても、私はこの美術館に於いて,人々に朝鮮の美を伝えたい。そうしてそこに現れる民族の人情を目前に呼び起こしたい。それのみならず、私は之が消えようとする民族芸術の消えない持続と新たな復活との動因になる事を希（ねが）ふ。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
柳は消えようとしている李朝（1392年から1910年）の工藝の美しさを、喧伝して、それを朝鮮民族の誇りとしてほしかったのでしょう。&lt;br /&gt;
名も無い職人たちの造った、用のための工芸品には、それが美を追求したものでない故の、美しさがあり、無心でつくられた道具たちには、すべてに美は宿ると記してます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　柳宗悦（1889～1961）は日本民芸運動の創始者、日本民藝館の開設者です。20歳の時、神田の骨董店ではじめて朝鮮白磁を見て、その芸術の優秀さ、美に魅せられ、72歳でこの世を去るまでの生涯を、朝鮮を愛しつづけた日本の良心を代表する数少ない知識人の一人であります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　陶磁器をはじめ朝鮮の芸術品を愛した彼はその作者である朝鮮人、朝鮮民族を尊敬し、朝鮮を限りなく愛した。幾度となく夫人を伴って朝鮮を訪問した彼は「朝鮮に住みたい」とまで講演会で述べています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;柳はただ朝鮮をこよなく愛しただけではなく、多くの著作と芸術品収集等の活動によって朝鮮と日本の関係史に多くの業績を残しました。その業績を大別して書いて見ます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;一、柳は日本の朝鮮支配、植民地化は不当であると反対し、正義の言論を行ないました。そして朝鮮民族を抹殺する同化政策を徹頭徹尾批判しました。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　1919年（大正8年）、朝鮮全土で朝鮮人民の３・１独立運動が起きます。「独立万歳」を叫ぶ平和的なデモですが、日本は軍隊まで動員して苛酷な弾圧をおこないました。しかし独立運動は、ソウルのパゴダ公園を中心に、朝鮮全土に広がりました。この時、軍による弾圧によって死者は韓国全土で約6,670人、負傷者は14,600人、投獄された者、52,730人にのぼったといわれています。&lt;br /&gt;
日本の侵略と暴虐行為にたいし、日本の一般大衆はもちろん、知識人も沈黙していました。&lt;br /&gt;
&lt;tt&gt;「黙している事が私には一つの罪と思えた」&lt;/tt&gt;という柳は、当時の｢読売新聞｣に論文『朝鮮人を想う』を発表して、日本の罪行を告発しました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;tt&gt;「先ず彼等から奪ったものは軍隊であり、我々から送ったものは彼等のでない我々の軍隊であった。我々は先ず永遠の独立を彼等に不可能ならしめる固定した方法をとった。」&lt;/tt&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　｢日本は不幸にも刃を加え罵りを与えた。之が果たして相互の理解を生み、協力を果たし、結合を可能にするだろうか。否、朝鮮の全民が骨身に感じる所は限りない怨恨である、反抗である、憎悪である、分離である。独立が彼等の理想となるのは必然な結果であろう。｣&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　柳はその後の論文「朝鮮とその芸術」で朝鮮は独立すべきであり、日本の同化政策は間違いであると次のように批判します。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「２つの国にある不自然な関係が正される日のくることを切にねがっている。正に日本にとっての兄弟である朝鮮は日本の奴隷であってはならぬ。それは朝鮮の不名誉であるよりも日本にとっての恥辱の恥辱である。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;b&gt;｢朝鮮固有の美や心の自由は他のものによって犯されてはならぬ。否、永遠に犯されるものではない真の一致は同化から来るものではない。個性と個性との相互の尊敬に於いてのみ結ばれる一があるのみである…｣&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　柳のこのような発言は日本の官憲から睨まれることになり、私服刑事が家の周辺をうろつき、終戦の日まで常に監視されます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;二、朝鮮の芸術品の美を発見して、その優秀さを賞賛するだけでなく、ひろく内外に紹介した。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　当時、多くの日本の知識人は朝鮮の芸術は中国の模倣であるといわれていました。それにたいして柳は、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;tt&gt;「朝鮮の美は固有であり独特であって、決してそれを犯す事は出来ぬ。疑いもなく何人の模倣をも又は追随をもゆるさぬ自律の美である。只朝鮮の内なる心を経由してのみあり得る美である。私は朝鮮の名誉の為にもこれ等のことを明晰にしたい。」（『朝鮮の友に贈る書』）&lt;/tt&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「日本が国宝として世界に誇り…国宝の国宝とよばれねばならぬもの殆ど凡ては、実に朝鮮の民族によって作られたのではないか…正等に言えば朝鮮の国宝とこそよばれねばならぬ。」（『朝鮮の美術』）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　柳はそのあかしとして&lt;tt&gt;法隆寺の｢百済観音｣、｢玉虫厨子｣、広隆寺の｢弥勒菩薩｣をあげ、奈良正倉院に伝蔵されている古作品の「大部分は恐らく朝鮮から伝来したものであろう。」推古の黄金時代の日本は｢朝鮮の美で飾られていた｣といい、朝鮮の芸術は「世界の最高の栄冠を戴く」と賞賛もしています。&lt;/tt&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;三、に光化門を総督府の破壊から守り、散逸していた朝鮮の美術品を募集して「朝鮮民族美術館」を開設して、これを保存しました。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　柳は景福宮の前に立つ歴史的建造物である光化門を総督府が破壊する計画を知り、抗議文&lt;b&gt;「失われんとする一朝鮮建築のために」&lt;/b&gt;を書いて内外に訴えた。これが功を奏して、光化門は破壊を免れ、移転保存されることになったといわれています。&lt;br /&gt;
1922年「改造」9月号に『失われんとする朝鮮建築の為に』と題する文章引用&lt;br /&gt;
「一つの芸術の失われんとする運命に対する追惜と、王宮の正門であるあの壮大な光化門が取り壊されることについて、東洋古建築の破壊に対して胸を締め付けられる想いを感じている」と、嘆く柳宗悦の文章でありました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　柳はまた、陶磁器、仏像、木工品、民画、民芸品等の貴重な芸術品が朝鮮から散逸していることに心を痛め、私財を投じてこれ等の芸術品を集め、当時朝鮮林業試験所に技師として勤めていた淺川巧の協力を受けて、1924年ソウルに「朝鮮民族美術館」を開設します。総督府は｢朝鮮｣という文字を看板から抜くように迫っりますが、柳は最後まで抵抗して、「朝鮮」と言う言葉を守ります。柳が集めた芸術品は現在、韓国国立博物館に保管されています。また、柳はこの経験を生かして、日本に民芸運動をおこし、12年後の1936年東京に日本民藝館を開設します。今も、一室には朝鮮の芸術品が常時陳列されています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　第四に21回にわたり朝鮮を訪問し、多数の朝鮮人と接触して文化交流、心の交流を行ないます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;以下は1921/5/5の東亜日報の記事には&lt;br /&gt;
｢朝鮮人を本当の心で愛する人は東洋大学教授の柳宗悦である。また豊かな、円熟した技芸を持つ…柳兼子氏はその夫人である。…朝鮮の友である彼らは、朝鮮を愛し、朝鮮の美術を愛するので…民族の命が流れる古代美術品が朝鮮から流失することを誰よりも惜しく思って、朝鮮民族美術館をたてた。」と記されています。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
大正10年雑誌「白樺」1月号の「朝鮮民族美術館設立趣意書」の一節を引用より。&lt;br /&gt;
ポジャギ &lt;br /&gt;
《これは骨董ではない》晶文社より&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
「私は先ずここに民芸芸術としての朝鮮の味ひのにじみ出た作品を蒐集しようと思ふ。如何なる意味に於いても、私はこの美術館に於いて,人々に朝鮮の美を伝えたい。そうしてそこに現れる民族の人情を目前に呼び起こしたい。それのみならず、私は之が消えようとする民族芸術の消えない持続と新たな復活との動因になる事を希（ねが）ふ。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
消えようとしている李朝（1392年から1910年）の工藝の美しさを、喧伝して、それを朝鮮民族の誇りとして、名も無い職人たちの造った、用のための工芸品には、それが美を追求したものでない故の、美しさがあり、無心でつくられた道具たちには、すべてに美はやどる。この美に反応する心の韻律をもち、豊かな共鳴の心を持つならば、あらゆるものに宿る美を感ずる事ができる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;柳の朝鮮観にはもちろん、「独立のために革命をしてはならない」等の思想的な限界もみられますが、当時、植民地となった、まさに暗黒の時代であった朝鮮にあって｢民族｣を否定され、日本の暴虐に訴えることもできなかった朝鮮人にかわって、柳が勇気ある正義の発言をしたことや、朝鮮の芸術品の優秀さ、美を発見し、世界に紹介したこと、朝鮮人と心からの交流をしたことなどは、彼の思想的限界をはるかに超える立派な行動とし、高く評価されるべきでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　今も尚、蔑視、偏見、差別がいまだ残っている日本の中で人間としての誇りと自覚をもって生きるためには、民族文化を理解し、異国の民や文化に敬念と情愛をもって接してくれた柳のような日本の友は、依然として今日も貴重な存在であると思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;《柳宗悦の文化賞授与》&lt;br /&gt;
1957.11（67歳） 文化功労賞 &lt;br /&gt;
1960．1（71歳） 朝日文化賞 &lt;br /&gt;
1984　 （没 後）韓国政府より宝冠文化勲章 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[編集] 著作&lt;br /&gt;
手仕事の日本（岩波文庫） 南無阿弥陀仏（岩波文庫）茶と美（講談社文庫）民芸四十年（岩波文庫） &lt;br /&gt;
工芸への道（講談社文庫） 美の法門（岩波文庫） 柳宗悦茶道論集（岩波文庫）&lt;br /&gt;
柳宗悦妙好人論集（岩波文庫）柳宗悦随筆集（岩波文庫）工芸文化（岩波文庫） 蒐集物語（中公文庫） &lt;br /&gt;
朝鮮を想う（筑摩書房） 柳宗悦全集（筑摩書房） [編集] 外部リンク&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;日本民藝館　&lt;a href=&quot;http://www.mingeikan.or.jp/index.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.mingeikan.or.jp/index.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDM2MDU1MDIuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6712377.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 May 2007 18:36:54 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]10月6日は、&amp;#52628;&amp;#49437;（チュソｸ）秋夕＝旧盆でした。</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;a rel=&quot;nofollow&quot;&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_42688332_0?20070520182748&#039; width=&quot;560&quot; border=&quot;1&quot; id=&quot;at_img0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;最近ではめっきり、簡素化されてきましたが、なお、我が家では手作りの供え物を上げます。韓国は（教会は除く）、儒教が生活因習、風習、風俗として定着した法事（法要）の儀式は厳粛であると同時に、殊更形に拘る文化でもあります。すればするほど切がありません。魚は青い背の物はダメ、お膳にあげるものに、ニオイノする、にんにくを使ってはダメ、品数は偶数はダメ、”紅東西白”と言い、（紅い物=牛肉やりんご等）東側に、白いもの＝白身の魚や豚肉、バナナ等は西側に置くと言う具合に、限りなく形にこだわる社会です。仏壇は置かない社会です。そのため、普通は故人が亡くなり3年（丸2年）お膳を置き、朝昼晩、食事を上げ、毎月1,15日の朔望尊の日には、朝から法要をします。そして1,2周忌をし、それを終えれば善は片付け、それから３代（最近では２代）に渡って毎年、欠かすことなく、命日の法要と正月、秋夕に何十年に渡って法要を繰り返します。&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDI2ODgzMzIuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6711227.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 May 2007 18:28:24 +0900</pubDate>
			<category>その他祝日、記念日、年中行事</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]【番外編】異民族への視線ーマルセ太郎異聞ー</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/72/a2/mig_21fishhead/folder/346836/img_346836_23872014_0?20061118002257&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/72/a2/mig_21fishhead/folder/346836/img_346836_23872014_0?20061118002257&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/72/a2/mig_21fishhead/folder/346836/img_346836_23872014_0?20061118002257&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マルセ太郎さんの自伝、『芸人魂』（講談社）。決して上手な文章とは言えないですが、面白くやがて哀しい男の人生を魅力的に描いています。すでに絶版だと思いますが、古本屋などで見かけたら是非買って読んでみて下さい。少なくとも田代まさしの自伝よりかは面白いことは保証します（笑）】&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;最近の靖国神社論争や日韓の北朝鮮への温度差の影響なんでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ブログやインターネット掲示板を見ると、随分在日コリアン含めた韓国関係の文化や人々を非難する内容が多いです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;僕は、別に韓国が特別に好きなわけでもありません。&lt;br /&gt;
また、韓国政府や韓国人、在日韓国人の対応は、日本人には理解しにくい部分もあります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;正直なところ、アンタら、そりゃ違うやろ！と思うこともしばしばです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、インターネットの話題の中には、ヒステリックに民族そのものを全否定しているものも多く、疑問を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そして、そんな文面を見ながら、孤高の芸人　マルセ太郎さんのことを思い出していたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大学時代、先輩と居酒屋で好きな芸人について話をしたときでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ひょんなことから、形態模写が上手い芸人は誰か？と言う話題になり、様々な芸人が出てきた後、&lt;br /&gt;
先輩の口からひょっこり出てきたのが、マルセさんでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『ああ、そんなんいましたね。』&lt;br /&gt;
冷酒に舌鼓をうちながら、興味なく相槌をうった記憶があります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;僕もマルセさんの名前は知っていました。&lt;br /&gt;
しかし、あくまで名前程度で興味も関心もありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;正月の特番か何かで徳光アナウンサーの後ろで延々得意のゴリラの形態模写をしていた奇妙な芸人って印象ぐらい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;結局、この時は、マルセさんのことはそれ以上話題にならず、あっという間に他の話題に移りました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そして、社会人。僕は、東京の本社に配属になりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;付き合っていた彼女も遠距離になり、デート三昧の休日は、一人盛り場をうろつく日々と変わりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そんな退屈な週末のある雨の日、見たかった映画が満員で入れず、仕方なく入った場末の小劇場。&lt;br /&gt;
そこで、偶然マルセさんに再会したのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;演題は、マルセさんが1本の映画を丸々演じ、語る『スクリーンのない映画館』と言う奇妙な一人芝居でした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;薄暗く、小汚い劇場は、驚くほど閑散としていました。&lt;br /&gt;
僕を含め、お客さんは、10名もいなかったと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そこいらの学生演劇の方が余程集まるでしょう。&lt;br /&gt;
あまりの少なさに何かのドッキリ企画ではないかとさえ思ったほどです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;実際、マルセさんはこの頃、どん底状態。ほとんど世間から忘れられた存在でした。&lt;br /&gt;
熱心なファンが何とか支えている状態だったと後で聞きました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;客の少なさ（しかも半数以上は、明らかにマルセ信者）と言う状態に居心地が悪く、出て行こうかとも思いました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、結局最後まで出て行きませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;何故なら、彼は題材とした映画『泥の河』をオリジナル以上に繊細に切なく演じていたからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;映画は終戦後間もない大阪で出会った少年と少女の交流を淡々と描いた作品でした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;マルセさんの表情や仕草は、映画を思い出させるだけでなく、静かな気迫を伴って伝わりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それは、僕の記憶にある“単なるゴリラの物真似をする妙な芸人”とは大きく違うものでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;誠に不恰好、しかし、真摯な熱演ぶりは、まさに彼が信奉し、名前を拝借したフランスのパントマイム演者　マルセル・マルソーを彷彿とさせるものでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;当時、マルセさんは、東京の某所に小さな店を開いていました。&lt;br /&gt;
お店と言っても『人力車』と言うただの小さなスナックでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このお店、芸人だけではとても食べていけないマルセさんが奥さんと一緒に営んでいたのでした。&lt;br /&gt;
僕は、この店に時々マルセさんがいると聞き、何回か行ったことがあります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;（ちなみにこのお店、無名時代の映画監督の崔洋一さんや作家のヤン・ソギル（梁石日）さんも来ていたそうです。ヤン氏の小説、特にデビュー作の『タクシー狂騒曲』は大好きな作品だけに、一度店で会って話してみたかったです。）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;確かに運がいいと、店の奥にマルセさんがいて、いろいろな話をしてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;世間に忘れられた単なる貧乏芸人。当然テレビにも出ないし、風貌もサエない労務者風。&lt;br /&gt;
人気のタレントみたいな洗練された部分など微塵もなく、苦労ばかりが顔に出た単なるくたびれオヤジ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、僕にとっては、憧れのスターです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大阪の下町　生野区出身のマルセさんは、大阪での子供時代の話や芸の苦労話を面白おかしく聞かせてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;僕は、憧れのスターが語りかけてくれる話を夢中になって聞きました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ある日、ひょんなことから彼が在日コリアンであることを知りました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、在日コリアンであろうと、ブラジルであろうと、アフリカであろうと、日本であろうと、関係ありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;何故なら、僕にとってそんなことは、さして重要ではなかったからです。&lt;br /&gt;
そんなことより、彼の演技や芸こそ重要であり、大切だったからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;好きな芸人の芸を見れて、その人の店で心行くまで深酒ができる。&lt;br /&gt;
それだけで、十分嬉しかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その後、演芸に造詣が深い永六輔さんなどに再評価がされたものの、&lt;br /&gt;
2001年、マルセさんは、大してブレークすることなく、亡くなりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ここ数年、芸人ブームで様々な人がテレビや舞台で活躍しています。&lt;br /&gt;
しかし、僕は、まだマルセさんほどの静かな迫力を持つ芸人には出会えていません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;売れる売れないで判断すれば、芸人として落第だったマルセさん。&lt;br /&gt;
しかし、そんな彼が僕にとって何故偉大だったのか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それは、単に芸の魅力だけではないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;“国籍や出生、民族で判断するな、その人のありのままを見て判断しなさい。”&lt;br /&gt;
そんな事を芸を通して僕に教えてくれたからだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;文化や民族が違えば確かに食い違いもあるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、そんな違いを超え、人物を見据えて付き合っていくことはできないのでしょうか？&lt;br /&gt;
『こいつは〇〇だから』と言うレッテルを貼らずに対人間として接することはできないのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;僕は必ずできると思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;彼の芸からそんなことを学んだ僕は、外国人と結婚しました。&lt;br /&gt;
それもイデオロギーも文化も全く違う旧ソビエトの国、辺境の地、中央アジア出身の人でした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;披露宴も新婚旅行もない出発でしたが、仲人は、天国のマルセさんだったと勝手に信じています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDQwODY0MjQuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6543068.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 10:06:25 +0900</pubDate>
			<category>男性</category>
		</item>
		<item>
			<title>たった1時間半の距離を走るのに『１００年/半』かかった。</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_1?20070519093623&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_1?20070519093623&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_1?20070519093623&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_2?20070519093623&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_2?20070519093623&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_2?20070519093623&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_3?20070519093623&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_3?20070519093623&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_3?20070519093623&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_4?20070519093623&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_4?20070519093623&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_4?20070519093623&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_5?20070519093623&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_5?20070519093623&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463642/img_1463642_49391761_5?20070519093623&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[[attached(1,center)]]&lt;br /&gt;
[[attached(4,center)]]&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;京義線で南側列車がトラソン駅を出発し、北に向かう途中、軍事境界線の通門を開けて走る歴史的な瞬間&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;&lt;b&gt;今日、朝鮮半島の南北を隔ててる38度線の軍事境界線を56年ぶりに鉄路が結ばれました。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

記念すべき&lt;b&gt;５６年ぶりの往来です。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
日本のニュースでも流れていますが、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;韓国のニュースでは、『たった1時間半の距離を走るのに１００年/半』がかかった、と皮肉って報じてました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし一方、年老いた北から越南してきた人々（韓国では失郷民といい全人口の10分の1に相当します。）を思えば、喜んでばかりはいられません。&lt;br /&gt;
[[attached(2,center)]]&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
韓国政府内の支持姿勢に対する甘さに国民の批判もあり、たった1回の試験運行の為に、 8000万ドル相当の軽工業資材物資と米を北朝鮮に援助（上納?）しなければならない.&lt;br /&gt;
あまりにも大きい試験運行費用だとも思えます。 &lt;br /&gt;
[[attached(5,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　イムジン河を渡る統一列車&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/42722034.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/42722034.html&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
ここまでして北朝鮮を助けなければならないか？助けてもらう北朝鮮は横柄な態度に終始し、援助する側の韓国は回りの事情を察して事の成功だけに奔走する始末。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あまりにも荒唐な取引関係だと言えるかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・・・と思うのは私だけでしょうか？&lt;br /&gt;
[[attached(3,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　朝鮮戦争前夜の冬の京義線&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
それでも、朝鮮戦争から56年ぶりに結ばれた&lt;b&gt;鉄路&lt;/b&gt;を使って大量の人と物資、文化が行き来する日が来ることを願いつつ、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;「平和への第一歩」&lt;/b&gt;が歩みだした事実を素直に喜ぼうと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6540750.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 09:36:49 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]韓国の新聞からの風刺パロディーです。＃01</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43066615_0?20070220221715&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43066615_1?20070220221715&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;上→中央日報 &lt;br /&gt;
下→釜山日報上&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDMwNjY2MTUuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6540489.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 09:33:35 +0900</pubDate>
			<category>イラストレーション</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]韓国の新聞からのパロディー風刺＃02</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_0?20070220221311&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_0?20070220221311&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_0?20070220221311&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_1?20070220221311&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_1?20070220221311&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43090939_1?20070220221311&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;上→20061016　京郷新聞&lt;br /&gt;
下→20061017ソウル新聞&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDMwOTA5MzkuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6540462.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 09:33:09 +0900</pubDate>
			<category>イラストレーション</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]#20061020 京畿新聞（風刺漫画)</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_0?20070519093230&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_0?20070519093230&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_0?20070519093230&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_1?20070519093230&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_1?20070519093230&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1472091/img_1472091_43234390_1?20070519093230&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;４コマ漫画、チャンドリより、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDMyMzQzOTAuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6540438.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 09:32:47 +0900</pubDate>
			<category>イラストレーション</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]野球界で只一人、原爆手帳を持った人間、&amp;#51109; &amp;#54984; （チャン フン）張 勲（張本 勲） 伝記</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_41905824_3?20070519090744&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_41905824_6?20070519090744&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1465996/img_1465996_41905824_7?20070519090744&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;写真は張勳選手の話を描いた漫画 &amp;quot;負けることができない&amp;quot;（韓国でベストセラーになり日本で翻訳されました）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チャン　フン=張　勲（張本　勲）選手の記事を、、とリクエストがありましたので私なりにあげてみました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チャン　フン(張　勲）氏は、1940年 6月 19日,広島生まれ。本籍は韓国慶尚南道昌寧、父　チャン　サンチョン、母、パク　ナムジョンの 2男 2女の末っ子として生まれました。6歳の時父が亡くなり生活は困窮します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
原爆投下&lt;br /&gt;
戦前、戦後を通して韓国人という理由で受けた幾多の差別と貧乏、外にも張勲氏は幾多の試練を勝ち抜けなければならなかったが,それはちょうど広島に投下された原子爆弾、そして、事故による左手のヤケドでした。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島に落ちた原爆は張勳氏の家からわずか 3Kmしか離れてなかった。5歳という歳で被爆者となり、同時に、この原爆で姉を失ってしまいました。当時の記憶は、あまり無いと氏は述べています。しかし、その幼い時、生死をさまよった潜在的な記憶が後の試練を克服する大きな力となったとも語っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
４歳の時に、土手で焚き火をしていたときに、誰かとぶつかって、焚き火に突っ込んで倒れ、左手にやけどを負う事故にあいます。一緒に居た母が抱きかかえて病院に行くと、韓国服を着た母を見て病院が処置を急がなかったのが後遺症がひどくなった由縁だと話してます。もう少し、処置が早ければ傷跡は残っても指は広げられたかも、と後悔が残ったと晩年、韓国のTVで談話されてました。その後遺症は終生、薬指と小指がひっつき普通にバットを握れない状態で野球人生を貫くようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間は自分の苦労談とハンディキャップを嘆き、又、言い訳にするものです。氏はそれを自慢することも無く、又、言い訳にしたこともありません。心無い先輩やコーチが「何故手を使わないんだ、手を広げて見せろ、」と言った時、初めて開かない手を見せて、周りが言葉を失った、と言うエピソードがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
火傷を境に、利き手を右から左に変える努力を始めます。小学校時代は水泳部に席を置き、中学校入学と同時に野球部に入部、野球選手としては少し遅れた出発でした。やけどのため握力が弱くなった右手のハンディーを乗り越えるための特別な努力があったのは言うまでもありません。それは絶え間ない練習の積み重ねでした。&lt;br /&gt;
彼の練習量は多分、この頃からプロに入って引退するまで昼夜を問わず繰り返されたといわれています。&lt;br /&gt;
すでに、中学校在学にその頭角を現した長打者の片鱗は.運動場で打撃練習をすれば球が校舎を超えて国鉄のレールまで飛び、その玉を捜すのが大変だったという話もあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
張勳選手の体格は 181Cm/85Kg,そのこのろの体格にすれば大きく、武勇伝には事欠かず、引退するまで、「張本＝暴力的イメージ」長島、王と比較し、ダーティーなイメージを印象付けました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校進学&lt;br /&gt;
地元、松本高校に進学しますが、「こんな野球部では甲子園に出れない」と見限って、大阪の浪速高校に転向します。しかし、母や兄、姉が働いても家族には月23000円の収入しかなく、その中から1万円を送金して、その中から6000円を下宿代、残り4000円が生活費と言う高校生活を送ったといいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時浪速商と上之宮高校（元巨人軍、元木の母校）と間で暴力事件が起こり、全クラブが年間対外試合禁止となり、その禁が解かれた後、地区大会での成績は、２ヶ月間 13 ゲームで打率 5割6分、,ホームラン 11本、中でもその内の一本は停電ホームランで有名です。ホームランボールが電信柱をにあたり、一帯が停電、こんなマンガみたいな事件が実際にありました。「張本行く所、足跡を残す。」とまで言われました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浪速商３年の時、野球部で暴力事件が起こり、高野連は「張本を退部させる条件で甲子園の出場を認める」との判断を下します。いかに、当時の氏が人気、実力共、世間の注目の的だったかと同時に、朝鮮人、韓国人差別が社会的に蔓延してたかがわかります。事件は先輩が練習中に後輩を殴った事実が発覚し、”愛のムチ”に参加しなかった張氏一人を、”犠牲の羊”にしたてると言う事件でした。そして野球部から除名処分を受けます。&lt;br /&gt;
「スポーツの場で、民族差別をあからさまにした野球部監督を私は一生、許さないと」コメントした心の内が私には理解できる気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不世出の大打者 張勲&lt;br /&gt;
貧乏をいやというほど経験してる氏は「一日も早くプロと契約をして、母に楽をさせてやりたい」それだけが夢でした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
張勲選手を嫌った読売ジャイアンツ&lt;br /&gt;
それでも 2年生の時から超高校校級の実力を見せた選手をプロがほっておくはずがありません。2年生の時、すでに巨人の水原茂監督から入団の打診を受けています。巨人は学校を中退して入団をしなさいとまでの話をしていました。しかし、兄が「高等学校だけは出なさい。プロ野球行って成功すれば良いが、失敗したら高等学校も出なかったら就職すら出来ない」と諭されます。 そのため張勳選手が高校を卒業までジャイアンツは待つと言う密約で契約金 300万円で入団が内定してました。3年生の夏にも水原監督が尋ねています。今、思えば、除名事件がなかった張勳選手は読売に行っただろうか?何とも言えないでしょう。&lt;br /&gt;
当時、紳士球団、球界の名士たらんとしたジャイアンツ球団で張勳選手の暴力事件を問題視してたのは間違いありません。巨人が、それから何十年後、新進のエースピッチャー候補であった新浦、ローテーションの中心に居た松原（帰化して広島で活躍した福士）等の韓国籍、もしくは帰化した韓国人を排除した事実から、何かドロドロしたものが見えるのは、、、.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、 9つの球団が張勳選手をスカウトしようと動きますが、最後にに東映フライヤーズに決めたのは本人と母親だと言われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入団以降の活躍は言わずとも知っての通りです。”安打製造機”の異名をとり、東映フラーヤーズ→日本ハムファイターズ→読売巨人軍と渡り歩き、引退後は名球会で社会奉仕事業にもたずさわり、祖国、韓国では日本で言う、コミッショナー補佐の要職につき、活動されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が小学生の頃、近鉄のホームグランドであった、近くの日生球場（大阪城近辺）に近鉄：東映の試合を８回の裏になれば見に行きました。、そうです、８回裏からは入場がタダになるんです。&lt;br /&gt;
必ず、バックネットの前列中央には質素なチマ、チョゴリで着飾った張勲氏の母親が、息子の勇士を応援に来てました。打てば、やんやの大拍手、、、、でも、三振でもしようものなら、東映ファンならず、近鉄ファンからも「朝鮮、帰れ！」の心無いヤジが聞こえてきます。その瞬間、バックネットに走って行き抗議する姿を幾度も見た記憶があります。成績が低迷しヤジられる事が多くなった時、&lt;b&gt;「チマ,チョゴリを着て球場に行けば、お前がヤジられるから辛い、洋服を着てゆくよ」&lt;/b&gt;と母親が泣いて話すと「チマチョゴリは俺の力、なぜ、人目なんかを気にするんだ。」と怒り、この件だけは親の言うコトを聞かず、東映時代は大阪での全試合、ネット裏BOX席の最前列に母親を座らせ続けた話は有名です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
氏の回顧録に因ると、巨人時代の民族差別発言や個々の事例が自分自身にとって一番辛かった、と語ってます。&lt;br /&gt;
巨人に移籍後、広島戦が終了し、帰りのバスに乗り込む時、「この朝鮮、、、」と罵倒された事がありました。、それを「チームメートの誰一人、ファンに対して抗議してくれなかた事が一番辛かった」と、韓国の番組で話されてました。&lt;br /&gt;
「私が、日本でこれから先、監督や指導者にならないのは、勝ち負けの時、必ず出てくる「この朝鮮、帰れ」の心無いファンの言葉です、それを知らぬ顔で見てるファン心理が寂しくてなりません」これが氏が生きてきた全てかな？と思います。&lt;br /&gt;
今年、「徹子の部屋」の番組中で、「野球界で只一人、原爆手帳を持った人間」とカミングアウトされてました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「原爆が投下され、人肉の焦げる匂いや、熱さや痛さから逃げ惑う人達の絶叫、そして川に飛び込んでは絶命していく人達…&lt;br /&gt;
そんな光景が焼きついて、年を取れば取るほど、憎しみが増してくる！結婚はしても、意図的に子供を作らない夫婦。被爆したことで、両手や両足が不自由でも生きていかなきゃいけない人達。だからこそ、子々孫々まで、&lt;br /&gt;
体験者が伝えなければならない！！」と番組中で語ってました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、こんな話もありました。「４歳の時に、土手で焚き火をしていたときに、誰かとぶつかって、焚き火に突っ込んで倒れたために、右手の親指と人差し指だけしか使えず、小指を欠損し、薬指と中指は中に曲がったままほとんど動かない…」だから、バッティングはよいけれど、守備が上手ではなかったことを嘆きある日、母親に右手を出してこれさえなければもっといい成績が残せたのに…と言ったときに、&lt;br /&gt;
母親がいきなり号泣し、&lt;b&gt;「ひもじかったからごめんね、ごめんね」&lt;/b&gt;と自分を責めたときに、母親を悲しませてしまった…２度と言うまい！２度と見せまい！！と心に誓ったといわれてます。、、感動、なんて素敵な母子なんでしょう(涙;）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いつか、川上監督にその手の話をしたときに、&lt;br /&gt;
川上監督が、泣きながら&lt;b&gt;「これだけの人の努力を「運」と言うんだ」と話してくれたそうです。｢運」がいいなぁ～の陰には、その人の努力がある、というもの…&lt;/b&gt;「この言葉に、また勇気をもらえた」…どんな状況であっても、陰で努力をするから結果を残すことが出来る。&lt;br /&gt;
そして、結果を残せるまで努力をし続けることの大切さ…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、戦争という、１００％　人為的な愚かで下等な行為は決して起こしてはいけないものだということを…&lt;br /&gt;
一人一人が自覚し、出来ることをし続けなければならないことだなぁ…と改めて思った…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金魚もチンパンジーも共食いをする…しかし、ピグミーチンパンジーは、決して争いをしない…&lt;br /&gt;
ピグミーチンパンジーから学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に、アンチジャイアンツとして、写真は東映時代のを、あえて探してあげました。ジャイアンツファンの方、ごめんなさい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）&lt;a HREF=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%9C%AC%E5%8B%B2&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%9C%AC%E5%8B%B2&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
張本 勲 （はりもと いさお、1940年6月19日 - 、広島県広島市生まれ）は、プロ野球選手（外野手）、野球解説者。左投げ左打ち。在日韓国人二世で、本名は張 勲（チャン・フン、&amp;#51109;&amp;#54984;）。愛称は「張さん」。あるいは「張」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考：&lt;br /&gt;
闘魂のバット―３０００本安打への道 　ベースボール・マガジン社 (1991-07-25出版)&lt;br /&gt;
ネバー・ギブアップ―負けてたまるか!張本勲物語　 　許 英万鈴木 福男 　みくに書房（1990-93）&lt;br /&gt;
誇り―人間 張本勲 　 山本 徹美 　出版社: 講談社 (1995/05)&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDE5MDU4MjQuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6539485.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 May 2007 09:19:15 +0900</pubDate>
			<category>野球</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]今日は４．１９民主革命（&amp;#49324;&amp;#51068;&amp;#44396;＝サイルグ）1960年に韓国で起こった李政権打倒の日です。</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_0?20070502120526&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_0?20070502120526&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_0?20070502120526&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_1?20070502120526&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_1?20070502120526&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/9d/ba/fwapy7777/folder/1463645/img_1463645_48666067_1?20070502120526&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;&lt;b&gt;４．１９民主革命（&amp;#49324;&amp;#51068;&amp;#44396;＝サイルグ）韓国は戦後、朝鮮戦争を経験し、そして建国の父と言われた李承晩政権の、不正、腐敗選挙を国民自らの力で打倒した歴史を持っています。そして常にその先頭には学生がいました。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

[[attached(2,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　民主党、副大統領候補　張勉の演説に集まった20万人の群衆&lt;br /&gt;
[[attached(3,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　学生と市民が一つになってデモが全国に広がる&lt;br /&gt;
[[attached(4,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　官の強制による日曜登校反対の慶北高校によるデモ　　　　&lt;br /&gt;
[[attached(5,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　国立4.19記念墓地&lt;br /&gt;
[[attached(6,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　4.19国立記念墓地内にある祭壇に飾られたデモの犠牲者（小中学生も）&lt;br /&gt;
[[attached(7,center)]]&lt;br /&gt;
　　　　　　　　4.19の引き金、拷問によって殺害された学生の死体（水中から引き上げられた）　&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』にはこう記載されていました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;四月革命（しがつかくめい、4&amp;#50900; &amp;#54785;&amp;#47749;、4&amp;middot;19 &amp;#54785;&amp;#47749;）とは、1960年4月に起きた民衆デモにより当時第四代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件。最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから、4.19革命、4.19（サイルグ、&amp;#49324;&amp;#51068;&amp;#44396;）とも言う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;目次 [非表示]&lt;br /&gt;
1 四月革命にまで至る経過 &lt;br /&gt;
2 1960年の大統領選 &lt;br /&gt;
3 馬山暴動と4月19日の蜂起 &lt;br /&gt;
4 註 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[編集] 四月革命にまで至る経過&lt;br /&gt;
1960年3月に行われた大統領選挙の焦点は当時既にかなりの高齢（85歳）であった李承晩の後継問題にあった。1956年の選挙では、与党民主党の大統領候補・申翼煕が遊説中急逝し大統領は与党の李承晩候補が棚ボタ勝利となったものの、副大統領選挙については弔い票などを集め約20万票差で野党・民主党の張勉候補に奪われ、政権内に与野党が共存するねじれ現象がおきた。そのため李承晩は自由党の政権継続を確固たるものとすべく、大統領権限の強化と張勉副大統領への干渉・進歩党事件など民衆運動の弾圧を行い、独裁色を強めた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[編集] 1960年の大統領選&lt;br /&gt;
1960年3月15日に予定されていた大統領選挙では、李承晩大統領は側近の李起鵬[1]を副大統領候補に擁して選挙戦に臨んだ。一方で野党・民主党も趙炳玉と張勉を正副大統領に擁して選挙戦を戦ったが、大統領選中に趙炳玉が死去[2]、李承晩の4選は半ば確実となった。しかし、副大統領には張が優勢なまま選挙戦が進み、前回大統領選同様に与野党で正副大統領を分け合う事態が再来し兼ねなかった。このため政府・与党は官僚機構や御用組織・暴力団まで動員して全力を尽くし不正選挙を行い、李起鵬を当選させるまでこぎつけた[3]。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;[編集] 馬山暴動と4月19日の蜂起&lt;br /&gt;
3月15日の選挙当日、慶尚南道馬山（マサン）で、学生と市民が大統領選の無効を主張して暴動を起こした。この暴動は鎮圧されるものの、4月11日に暴動に参加して行方不明になっていた学生が変死体で発見され[4]、反政府機運が高まった。4月19日に至り全国各地で数十万人もの学生や市民が李承晩退陣を要求して示威行動に出る事態となり、これに対し李政権はソウル・釜山・大邱・光州で戒厳令を布告、デモ隊への発砲で死者183人・負傷者6,259人を出す事態になった。それでも事態は収拾することなく4月24日には李起鵬が当選辞退を表明し事態を乗り切ろうとするものの、翌4月25日に全国27大学の教授400余名が連名で辞職要求のデモ隊に加わり李承晩・李起鵬の自宅を包囲。4月26日には李大統領が辞任を表明、後事を許政首相に託してハワイへと亡命した。李起鵬は一家心中[5]という悲惨な結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この革命の後、許内閣による過渡政権を経て、同年6月15日に議院内閣制を採った第二共和国憲法の成立を見る。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9md2FweTc3NzcvNDg2NjYwNjcuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: fwapy&amp;#48148;&amp;#46988;&amp;#44867;風ﾉ花&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jsky7602jp/6108130.html</link>
			<pubDate>Mon, 14 May 2007 20:34:33 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		</channel>
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