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次は上野東照宮です。 東照宮は東照大権現という神となった神君家康を祀る神社 五重の塔は元々寛永寺がここにあった証拠です。 さて、東照宮ですが全国に約130社現存します。 ちなみに、一番最初に建てられたのは静岡県の「久能山東照宮」。 次に 「日光東照宮」 そして 「上野東照宮」 家康は生前 「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」 と言われたため久能山、日光の順になりました。 上野東照宮は藤堂高虎の屋敷領を譲り受け造られました。 日光東照宮の造築も天海と藤堂高虎が関わっています。 さて天海は次とし、 今回は藤堂高虎ことを少し話しします。 外様大名 、津藩主 藤堂高虎 7回ぐらい主君変えないと武士じゃねーよって言った、あの時代で身長190センチ110キロという 規格外体格で、実力主義、戦国武士の象徴のような方 秀吉のように、足軽百姓から、32万石大名まで上り詰めた。今でいう勝ち組 しかも外様大名なのに伊勢津の領地という、前田百万石を除くと豊臣恩顧の加藤、福島を比べたら待遇の良いこと。 家康は 「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」 と言っています 直孝って、大坂の陣で真田幸村と激突した、家康親衛隊、 「井伊の赤牛」ですからね。 赤牛率いる徳川最強武士団と同じく藤堂は、徳川の双翼ということになる。 一番槍が武士の誉れとあるならば それを身内より外様大名である藤堂高虎に任せている。 また家康は 「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」と言ったそうです そのため御三家の紀伊藩との領地争いでも勝つほどの、領地安泰をもらっています。 ちなみに伊賀は伊賀上野いい、東京、上野は伊賀上野の上野から来た地名とされてます。 だからか上野公園では秋に忍者祭りやってます。 そして極付きに 家康は臨終の際、「われ来世において、権現となろう。天海と藤堂高虎は長くわれの左右にあって徳川家の守護となれ」と語り、上野東照宮の社の中には、高虎像と天海像が置かれています あの世でも一緒だよってことかしら って いやいや、どれだけおまえらラブラブやねん これが本当なら、酒井、井伊、本多、榊原の徳川四天王は複雑だったことでしょう。 逆にこの遺言に彼らが納得してたら、天海と高虎って一体なんなんだって、思いませんか。 個人的には藤堂高虎は大河の主人公になってもいいじゃない。と思っている。 主人の乗り換えが多い点で、司馬遼太郎先生などは嫌ってる感じがいたしますが、時代の風を読むという点で達人だった藤堂高虎の生涯は 急速な風が吹く、この時代にはうってつけの主人公だと思います。 さて私が花見の時にきた上野東照宮は観光客ばかりでした。 すごい人だかりで、写真撮るのも大変 でも、それだけ有名な場所なんでしょうね。 それにしてもここの屋台って昔から変わってないような気がいたします。 |
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乱世の英雄ってみんな、天皇と言うシステムを崩すのが理想みたいで、つまり何でも実力と言うかシビアと言うかで決定したいみたいな。
でもその手段で一番成功した例が『自分が神様になる』だと言うのは皮肉かも。
少なくとも『権現』と言う発想が存在する日本ならではのことですね。てか、誰でも死ねばホトケってのが日本古来の思想で仏教を捻じ曲げてるわけで・・・・途中を飛ばした結論。天皇制は絶対に正しい??????
2018/4/9(月) 午後 9:14 [ イカダ ]
権力者は最後には天皇に取って代わる地位摂政、関白、征夷大将軍が欲しいとは思っていたでしょうけど、天皇になりたいとは思っていたかはわかりません。
数千年続く天皇のシステムをそう簡単には崩せなかったか、崩したくなかったか、崩しても得がなかったもわかりません。
さて、過去のライバル達は皆一代で天下を失っている。
盤石と思えるまで行けてもなお不安があるのは仕方がないでしょう。
神になってでも見守りたい気持ちはわかります。
2018/4/10(火) 午前 5:32