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きのう見た夢の話です。 * * * * * * * * * * * * 車窓にはいつも見慣れた景色があった。 通過駅のホームに立つ人々は、まるで俺が今まで出会った 多くの人たちを早送りで見るかのように、視界を横切って 消えていった。こうして早送りにして見ると、今までの いろんな出会いが、まるで映画のひとコマに過ぎないよう に思え、虚しくなった。 あの中に、もう彼女も含まれていたのだろうか。 「ごめん」と言うつもりだった。 でも、俺の口から出た言葉は、なぜか「さよなら」にすり替っ ていた。 ひどく疲れを感じた俺は、電車のシートでいつの間にか眠りに 落ちた。 −−−−−−−−−− どれほど眠ったのだろうか。 目を覚まして窓の外を見た瞬間、すぐには自分の置かれた状況 を理解できなかった。 目の前には、ただ暗闇が広がっていた。 おそらく時刻は随分遅いのだろう。車両には俺ひとりだけで、 窓の外にビルや車の明かりが無いところを見ると、都心から随分 離れたところまで来てしまったようだ。遠くには山々の稜線が かすかに見えている。 不思議と気分は爽快で、眠りに落ちる前まで感じていた深い後悔も 幾分軽くなっていた。 今日の出来事全てが電車で寝ている間に見た夢だったのではないか、 そんな錯覚すら覚えた。 聞き覚えの無い次の駅で降りた俺は、もう上り電車が無いことを 知ると、ホームのベンチに腰を下ろした。迎えを呼ぶ当ても無く 携帯を取り出した俺は、携帯の表示画面になぜか違和感を感じた。 そして、その違和感の理由が携帯の日付表示のせいだと気づいた。 「5月28日、土曜日。じゃないよ...」 俺は誰もいないホームのベンチで、携帯に向かって話しかけた。 他に話し相手はいない。 「今日は、5月29日の日曜日だぞ。今日俺は渋谷で彼女に会った。 一週間前に別れ話をした俺たちは、もう一度だけ会おうと約束 してたんだ」 「なのに、俺たちは些細なことでまた喧嘩になった」 「俺は用意していたプレゼント、そう、猫のガラス細工だ。 それを床に投げ捨て、粉々にしてしまった」 「馬鹿だよな、そんなつもりじゃなかったのに」 忘れずに日付設定を直さなくてはと思いながら、今日はもう用の 無くなった携帯を俺は鞄にしまった。 暗くてよく判らなかったが、鞄の底にリボンの掛けられた包みを 見つけた俺は、乱暴に包みを鞄から取り出し、包装紙を破るよう に開いた。 破れた包装紙の中にある幾重にも巻かれた真っ白な薄紙を今度は 慎重に剥がしていくと、その中からはホームの端にある電気の灯 を受けて僅かに輝く猫が顔を出した。 西麻布の骨董屋の店先で見つけた時のまま、傷ひとつ無いガラス 細工の猫が、俺の手の中にいた。 「じゃあ、全ては本当に夢だったのか?」 「それとも、おまえが時間を巻き戻してくれたとでも?」 俺は猫を丁寧に薄紙で包みなおし、破れた包装紙に戻した。 そして、明日このプレゼントを彼女に渡す時に、言うべき言葉を 頭に浮かべた。 <この猫が俺に言うんだ。 君を一生大切にしろって> ガラス細工の猫を薄紙に包むとき、猫の首が微かに動いたように 見えたのは、気のせいだったのだろう。 <<終わり>>
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