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すごーくご無沙汰してしまいました。 まぁ、夏休みだったということで(汗) *** *** *** *** ショートス-トーリー 『津波』 その日、僕はフミコとひどい口論になった。僕たちは正式な婚約こそしていなかったが、互いに将来を誓い合った仲だ。なのに僕は、決して言ってはならない言葉まで口にしていた。無論、本心ではない。 「フミコ。僕たちのこと、よく考え直そう……」 「コウタ、本気なの?」 「ああ」 夜になっても気分は晴れず、自分の言葉をひどく後悔していた。彼女も深く傷付いたはずだ。フミコは高校生の頃に何度かリストカット騒ぎを起こしていた。そんな彼女の弱さも知っているからこそ、僕はフミコを今までずっと大切にしてきた。 何度もフミコに電話をしようと思った。そしてその度に、諦めた。彼女が携帯のディスプレイに浮かぶ杉原晃太という僕の名を見た瞬間、彼女は携帯の電源を切るに違いない。もしかしたら今日が二人にとって、本当に最後の日になるのかもしれなかった。僕は疲れ果ててベッドに潜り込んだ。 ベッドで横になっても、意識はずっと高ぶったままだ。水を一杯飲もうとした僕は、不注意にもコップをテーブルから落としてしまった。コップはスローモーションのように落下すると、フローリングの床で音を立てて砕け散った。飛び散ったガラスの破片を片付ける気力は僕に無かった。 何度も繰り返し昼間のことを思い出しては自己嫌悪に苛まれる僕を、突然それが襲った。僕を襲ったそれは、ある感情だった。今までに経験したことの無い激しい感情。荒れ狂う感情の海に突然投げ込まれたようだった。感情の海で僕は溺れそうになる。一生懸命に水面に顔を出すのだが、僕の口の中には「悲しみ」という感情が流れ込んで来た。今まで何度も悲しいことには出会ってきたはずだが、僕はこの時初めて本当の悲しみを知った気がした。子供の頃大切にしていた犬のジョンが死んだ時も悲しかった。高校の時には親友に裏切られ悲しい想いを味わった。しかし、どの悲しみにもどこかで冷静な自分がいた。本当に悲しい事になど出会ったことがなかったのだ。本当の悲しみの前では冷静な自分など存在し得なかった。僕は大声を上げそうになるのを何とか我慢し続けた。 次の瞬間、ほんの僅かな時間だが、杉原晃太という人間に対する憎悪が心をよぎった。存在自体が許せないと思えるような激しい憎悪だ。しかしその感情はすぐに消え、代わりに正反対の感情が湧き起こった。自分でも心の整理がつかない感情だ。あえて表現するならば、杉原晃太という存在が愛しいという想いだった。次々に僕を襲う唐突な感情に僕は混乱した。 「どうしたんだ? いったい……」 愛しさはどんどん高まっていった。しかし、やがて今度はひどい虚無感に襲われた。信頼していた誰かを失った想い。まるで世界が突如消え失せ、自分だけが広大な空間にポツンと取り残された気分だった。そこには空気さえも無い。深呼吸をしても、肺に酸素が入ってこない。苦しかった。目の前にあるのはただ無限の時間だけ。無限の時間は、永遠に続く孤独を意味していた。 「これは僕じゃない! フミコの感情だ」 僕自身が刃物のような言葉でズタズタにしたフミコの心に違いなかった。何故だか分からないが、フミコの感情が津波のように僕の心に流れ込んで来たのだ。神様が僕にフミコの気持ちを考えろと言っているのだろうか。もう僕自身の感情は完全に押し流されている。涙がとめどなく流れた。口からは嗚咽が漏れる。心臓が痛い。1分が1時間にも思える堪え難い苦しみ。これ以上この状態が続くようなら死んだ方がマシだと思われた。 その時、テーブルの下で何かがキラリと光った。怪しい光とともに、破滅的な匂いがする。 「僕は何をしようとしているんだ?」 「駄目だ!」 「しかし、こんな耐え難い苦しさが続くくらいなら……」 僕はナイフのように鋭利なガラス片を手にした。 (高校生の頃のフミコも、こんな気持ちだったのだろうか?) その時、津波のように僕を飲み込んでいた感情の渦がふいに止んだ。嵐が去って一転凪ぎが訪れたようだった。僕は手にしていたガラス片を思わず投げ捨てる。その後我に返った僕は、フミコのことを想った。僕のせいでこんな耐え難い悲しい想いをさせてしまったフミコ…… フミコと今すぐに話をしたいと思った。すぐに昼間のことを謝らなくてはならない。僕にとってフミコは何よりも大切な存在だと伝えたい。 (電話に出てくれ…… フミコ) フミコはなかなか電話に出なかった。 「フミコ!」 僕は叫んでいた。 しかし、フミコが電話に出ることも、電話が切れることもなかった。何度も、何度も、冷たく無機質な呼び出し音だけがスピーカーから流れ続ける。 僕の気持ちは、もうフミコに届かないのだろうか。 <おしまい>
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