小説「海の声」

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海の声(6)

 病院の玄関を出ると、目の前に函館の海が広がっていた。波の音が聞こえる
ほど近くはなかったが、ぼくには波の音が聞こえる気がした。彼はきっと明日も
明後日も彼女のことを忘れないはずだ。でも、愛した人を忘れないことと、
過去に捕らわれて明日を生きることとは違うのだと、彼女は言いたかったのだろう。
彼女は、彼の明日が過去に捕らわれることを、最も心配したのだ。ぼくは彼女の
想いに、今まで出会ったことのない深い愛を知った。ぼくなら、自分の死を覚悟
したとき、愛する人のことをそこまで想えるだろうか。彼に貝殻を渡すことは
叶わなかったが、ぼくは彼女の最後のメッセージだけは、必ず彼へ届けることを
心の中で誓った。
 あのトンネルで不思議な少女に出会ってから、ぼくは少し変わり始めた。
少女のために、もちろん死んだ彼女のために、そして自分のためにも、ぼくは
彼に会って全てを話さなくてはいけないと思った。


 半月後、ぼくは武井恭介に全てを話すため、函館の街を再び訪れた。少し落ち
着いてから、彼に会った方がいいだろうと考えたからだ。調べておいた武井恭介の
部屋を訪ねると、彼は不在だった。近所で聞いた話では、どうやら彼は仕事を
辞めて、毎日抜け殻のような生活をしているらしかった。ぼくがもう少し早く
貝殻を彼に渡していたら、彼が彼女と話が出来ていたら・・・、そう思うと、
ぼくは自分があのとき躊躇したことを、あらためて後悔した。
 そして、彼が毎日あの病院を訪れているという話を聞き、ぼくも病院に向かった。
たぶん彼は、ぼくの話などまともに聞いてくれないだろう。自分ですら、日が経つ
につれて、それが事実だったかどうかの自信が揺らいでいるのだから。
 病院に着くと、彼は海に面した病院の庭にあるベンチに、ひとりで腰掛けて
いた。ぼくが彼に近づくと、彼はベンチの傍らに栓をしたままのペットボトルを
置いて、少し前かがみになり、独り言を言っていることが分かった。まるで誰かと
会話をしているかのように。

「お嬢ちゃん、ぼくに何か用かな?」
「・・・・・」
「そうか・・・ぼくは、そんなに悲しい顔してたかな」
「・・・・・」
「えっ、誰がぼくを訪ねて来るって?」
「・・・・・」
「分かったよ。そのひとの話を聞くよ。大丈夫、ちゃんと信じるから」

 遠くに見える海がキラキラと輝いていた。その輝きが彼の姿に重なった瞬間、
ぼくには、彼の前に立つ麦藁帽子の少女が見えた気がした。
 ぼくは、優しい海の光に包まれた彼に、話しかけた。


<完>

海の声(5)

「本当に来てくれたのね・・・」

 彼女の声が聞こえたような気がした。しかし、空耳かもしれない。

 やがて医師と二人の看護士があわただしく彼女の病室に入って行った。
その後二度、看護士が病室から出てきたが、すぐに病室に戻って行った。
「最後のお願い・・・」
 また彼女の声が聞こえた。空耳などではなく、紛れもない彼女の声だった。
ただ、その声はあまりにも弱々しく、ぼくが身動きしただけでかき消されて
しまいそうな気がした。ぼくはじっと神経を耳に集中させた。
「彼に伝えて欲しいの」
 ぼくは返事の代わりに、さらに神経を集中させた。
「恭介を本当に愛している」
 恭介とは武井という彼の名前のようだ。
「恭介とずっと一緒にいたかった」

 彼女の声は更に力を失い、聞き取るのも苦労するようになった。それでも
彼女は最後の力を振り絞って途切れ途切れに話し続けた。
「彼はわたしに素晴らしい日々をくれた」
「今日も、昨日も、そのまた昨日も。出会った日からずっと毎日」
「そして、きっと彼は明日も、わたしのために費やそうとするわ」
「でも、明日はもういらない」
「わたしには、今日までの日々だけで十分」
「それだけ、彼に伝えて」
「あなたにも何とお礼を言ったらいいいか分からないわ。わたしは、もっと
もっと生きていたい。一秒でも長く生きることにしがみついていたかった。
彼と明日を迎えたかった。でも、それはもう無理みたい」
「おい、もういいよ。無理するな。落ち着いたら、彼にうまく説明して、
この貝殻を渡すつもりだ。そうしたら、彼と話ができるぞ」
「いいの、聞いて。もう間に合いそうに無いわ。わたしには、明日はないの。
でも、彼には明日がある。彼の明日まで、わたしが奪ってしまうなんて耐え
られない。ベッドの上のわたしが、言葉にも表情にも出せなかったこの想いを、
最後に誰かに聞いてもらいたかった。だれにも聞いてもらえず死んで行くのは
辛かった。わたしの声があなたに届かなかったら、わたしはきっと、生きる
ことも死ぬこともできなかったと思うわ。本当にありがとう・・・」

 彼女の声が途絶えるのと、武井恭介という男が彼女の名を叫ぶ声が病室から
聞こえたのは、同時だった。


                 <つづく>

続きはコチラ(次回最終回)
    ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/jt_novel/10463739.html

海の声(4)

 ぼくは、もう何も期待はしていなかった。ただ彼女の助けになりたいと思った。
会ったこともないのに、彼女のためならどんなことでもできる気がした。
「君が入院している病院って、どこにあるのだい?」
「そんなこと聞いてどうするの」
「お見舞いに行くさ」
「いいわよ。そこにいるのは抜け殻のわたし。私の心までをベッドに縛り付け
ようとする重い肉体。」
「じゃあ、彼に会うよ。この貝殻を彼に渡す。そうしたら、君と彼も話ができる
かもしれないだろ」
「ありがとう。でも、無理しなくていいわよ。ただわたしの話を聞いてくれるだけ
でいいの。私が死ぬ前に考えたことや思ったことを、誰にも伝えられずに死んで
いくことが耐えられなかったから」
「死んでいくなんて、言うなよ!」
「わたしはもうこれ以上彼に迷惑をかけたくないの。それは、わたしにとって
死ぬより辛い・・・」
 彼女はしばらく黙り込んでしまった。ぼくは、彼女が本当にもうすぐ死んで
しまうのではないかと心配になった。
「ごめんなさい。もう限界・・・。やっとわたしの声が届くあなたに出会えたのに、
わたしにはもう話す力が残っていないようね・・・」
「ちょっと、待って!どこの病院なんだい、君がいるのは!」
「函館・・・海のみえ・・・る・・・」
 彼女の言葉は途中で途切れたが、函館という地名だけは聞き取ることができた。
翌朝、ぼくは空港からバイト先に電話をして、親の容態が悪いと嘘をついて休み
をもらった。


 函館駅に着いたぼくは、まず駅の電話ボックスで電話帳を開いた。大きそうな
病院の住所を順に地図で探すと、海の近くにある病院がひとつ見つかった。
 函館の街をぼくは初めて訪れたが、駅前から海に向かって少し歩くと、街の雰囲気
が一変する。身近に感じる適度な歴史の重み、押しつぶされない程度の活力、
すべてが心地良かった。でも何よりも、彼女がいるというだけで、ぼくはこの街が
好きになった。
 病院に着くと、ぼくは受付で彼女の病室を確かめた。間違いなく、都賀真沙美
という女性が入院していることが分かったのだが、ぼくはまっすぐ病室に向かわず、
彼女の病室の前にあるソファに腰を下ろした。ぼくは、病室の前まで来たはいいが、
その後のことを何も考えていなかったのだ。彼に会えたとしても、本当のことを
話して信じてもらえるはずがなく、なんとか貝殻を渡せたとして、彼女の声が彼にも
聞こえるという保証は無かった。もう少しよく考えてから、ここを訪れるべきだったと、
ぼくは後悔した。
 ぼくは、とうとう病室に入ることが出来ず、病院を後にした。早く彼女に会わ
なければいけない、彼に貝殻を渡さなくてはいけない、そうは思いながらも、ぼくには
病室に入る勇気が出なかったのだ。ぼくは札幌まで戻ることにした。
 函館の空気はぼくにとって新鮮なものだったが、札幌の空気は、ぼくの暮らす
東京の空気と似ていた。空気の中に、清と濁が入り混じっており、ある意味その方が
人間らしくも思えた。ひとには、強いところもあれば弱いところもある。清もあれば
濁もある。決意があれば迷いもある。ぼくは結局、ススキノの街で朝を迎えた。
朝の光は、ここでも街を浄化し、再生していた。朝陽のおかげで、ぼくの迷いも薄れ、
少しだけ勇気が沸いてくる気がした。
 ぼくは昨日確認しておいた面会時間を待って、彼女の病院を再び訪れた。ぼくの
決心は固まっていたが、ぼくは昨日と同じソファにまずは腰を下ろすことにした。
その時、病棟のドアが開いてひとりの若い男が入ってくるのが見えた。彼が右手に
下げているビニール袋には500mlのペットボトルが透けて見えていた。さりげなく手に
しているビニール袋ではあったが、そこに入っているものは単なる水などではなく、
彼の強い「想い」のように思えた。
 彼がナースセンターの看護士に軽く会釈をした時、彼に気付いたひとりの看護士が
彼のもとに駆け寄って行った。
「武井さん、はやく病室に!」
 武井と呼ばれた男は、看護士のただならぬ様子を見ると同時に、もう駆け出していた。
ぼくは、それでもなおソファに腰掛けたまま、看護士と彼が入っていった一番手前の
病室を見つめるしかなかった。ただ、彼女の無事を祈りながら、貝殻を握り締めた。


       <つづく>

続きはコチラ
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http://blogs.yahoo.co.jp/jt_novel/10386495.html

海の声(3)

 貝殻から、かすかに声が聞こえた。
「やはり夢なんかじゃ無かった!」と叫びたい気持ちで、ぼくは飛び起きていた。
「ああ、聞こえるよ」
 気持ちとは裏腹に、ぼくはそっけない声で答えた。本当の気持ちが知られるのが、
なんとなく恥ずかしい気がしたからだ。
「よかった。また、話が出来て・・・」
「ここ数日、どうしていたの?」
「ごめんなさい。ずっと眠っていたみたい。最近よくあるのよ」
「そうだったのか」
 確かに今日の彼女の声はとても弱々しく、消え入りそうだった。
「今日も、どれくらい話をしていられるか分からないけど、まだ話せるうちに
どうしても誰かに伝えたいの。そして、わたしの声を聞いてくれるのは、あなた
しかいない。話をしてもいいかな?」
「もちろん。伝えたいことってなに?」
「まだ話してなかったわね。わたしにはとても大切なひとがいるの。彼は毎日
お見舞いに来てくれる。もう来て欲しくないのにね・・・」
「来て欲しくないなんて、どうしてさ?」
「もちろん最初は嬉しかったわ、彼がお見舞いに来てくれることが。でも、
わたしが入院して二年間、彼は仕事を放り出してわたしの面倒を見てくれて
いるの。そして彼はもっとわたしと一緒にいるために、いま会社を辞めようと
している」
「いいひとじゃないか」
 そう言いながら、彼と呼ばれる男に、ぼくは強い嫉妬を感じていた。自分は
何を期待していたのだろう。自分でも分からないが、確かに何かを期待していた
自分が恥ずかしく思えた。
「そうね。でも仕事を辞めてしまえば、たちまちその日の生活費にだって困る
ことになるわ。いえ、お金の問題じゃないの。彼は全てを犠牲にするかもしれ
ない。わたしはもう二度と起き上がれないというのに」
「諦めるなよ」
「先生ももう無理だと言っていたし、なにより自分自身が一番知っているわ。
彼だけが、いつの日かわたしが再び彼の名前を呼び、語りかけ、ふたりでまた
話が出来る日が来ると信じているの」
「ぼくが同じ立場なら、やはりそう信じるだろうね」
「でも、それがわたしには辛い。わたしは一生治らない。そして彼の一生を
わたしが台無しにするのが辛い。彼の優しい言葉、彼の優しい気持ち、彼が
いまわたしのためにしようとしていることが、わたしには辛いのよ」
「でも、彼には先生の言葉を信じるのことの方が辛いのだよ」
「いいえ、一番辛いのは、わたしの存在よ・・・」
「ばかなことを言うなよ」
「わたしがまだ少し動けた頃、彼は毎日一本のミネラルウォーターを買って
きてくれたわ。看護士さんが、わたしが彼の持ってきた水だけをおいしそうに
飲むって、彼に言ったからなの。でも、今はもう、彼の水さえわたしは飲む
ことが出来ない。それでも、彼は今でも毎日、必ずミネラルウォーターを
買ってきてくれる。栓の開くことのないボトルだけが、ただ増えていくのよ」


           <つづく>

続きはコチラ
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http://blogs.yahoo.co.jp/jt_novel/10307488.html

海の声(2)

 その後、ぼくは辺りを気にしながら、誰かが来れば通り過ぎるのを待って、
彼女と話し続けた。彼女の名前は、都賀真沙美。
「わたしは、ずっと病気で入院しているの。私の体はもう言うことをきかない。
心の中で叫んでも声にはならない、泣いても涙はでない。小指一本すら動かす
ことができないの」
 ぼくは「そうなのか」という言葉以外に、返す言葉が見つからなかった。
「ここは海が近いの。わたしはいつも、ベッドの中で波の音を聞いているわ。
波の音はわたしを励ましてくれる。私が悲しくてどうしようもない時には
『がんばれよ』って。だから、私も波に話しかけるようになったの。今日も
いつものように波と話をしていたら、波の音に混じって普段と違う音が聞こえた。
車の音。そして、次にあなたの声」
「ぼくは、貝殻から君の声を聞いた」
 彼女の話を聞いていると、ぼくは自分が夢の中にいるように思えた。夢の
中でなら、話をしている相手がいつの間にか別人に変わってしまうことも
あったし、顔の見えない相手と話をしたこともあった。ぼくは、彼女と話を
しながらも、最後はベッド中で目を覚ますであろう自分を想像した。
「ごめんなさい。少し疲れたわ。でも、またわたしの話を聞いてくれる?」
「もちろん、いいさ」
 彼女の声が聞こえなくなると、貝殻から波の音も聞こえなくなっていた。

 その夜、ぼくはベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。彼女のこと
ばかり考えて、結局一睡もできないままに朝を迎えることになった。日頃は
夜型のぼくにとって、久しぶりに見る夜明けの街は、見慣れた街とは別の街
のようだった。人間だけではなく、街も一晩の休息で少し再生するのだろうか。
朝の街は、これから一日を迎えるエネルギーを蓄えていた。
 普段のぼくは、明日に何かを期待することなど無い。大学を卒業しても
定職に着かず、バイトをしながら、何の目的も無い一日をただ無難にやり過ごし
ているだけだった。毎日、昨日の残りカスだけで朝を迎える日々。
 だけど今日だけは、どんなに寝不足であっても、これから始まる一日に少し
期待してみたい気がした。

「聞こえるかい?」
 ぼくは貝殻に向かって、半信半疑で小さく声に出してみた。昨日のことが、
本当に現実だったのかどうか、自信がなかったからだ。
「もう聞こえないのか?」
 返事は無かった。昨日のことは、やはり夢だったようにも思えたが、少なく
とも貝殻だけは夢ではなく僕の手の中にあった。
 その日、ぼくは一日中頭がすっきりせず、何事にも集中できなかった。
バイト先は青山にある大きな会社だ。従業員は千人を越えるらしい。その会社
の社員食堂がぼくの仕事場で、ずっと食器を片づけ、床を拭くことがぼくの
仕事だった。手の空いた時間に何度か冷蔵庫の陰で、貝殻を耳に押し当てて
みたが、波の音も彼女の声も聞こえなかった。時々小声で話しかけてもみたが、
応えは返ってこなかった。
 翌日からはもう、ぼくは彼女に話しかけることをしなかったが、彼女のことは
更に強く気にかかるようになっていた。一日に何度も、ただ貝殻を耳に当てて
みるのだった。
そして数日後、部屋でここ数日間いつもそうしていたように、テレビもCDも
付けず部屋を静かにして、耳元に貝殻を置いたぼくは、ベッドで横になっていた。
そして、何度も繰り返し思い出してきた彼女のことを、また考えていた。

「あの、聞こえますか?」


         <つづく>

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