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過去のオーディオ、第2弾。
先日売却した、ガラード、RC98。
とにかく、デザインが好きだった。
音はバリレラを鳴らすには不足無し。
ステレオカートリッジは全然ムリ、、、
2015/4、うにさんからいただいたパイオニアのプレーヤーと交代。
所有期間、2012/3〜2015/4
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過去のオーディオ
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300オーバーを目指して、本日7つめのアップ。
ずっと滞っていた「過去のオーディオ」の更新。
ブログを始める以前の話で止まっている。
今日は開設後に売却して過去のものとなった機器たちを紹介。
これだけは特別な思いもあるので、1つの記事で。
MICRO SX-777L+AUDIOCRAFT AC-4000MC
プラッターといい、キャビネットの仕上げといい、抜群の高級感。
これほど所有欲を満足させてくれたものはない。
13kgの砲金製エアーフロートターンテーブル。
慣性モーメント2トン・㎠。
総重量約50kg。
所有期間、2005〜2011/2
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あるモノを探しに実家の元オーディオルームに立ち寄った。
捜索しているうちに懐かしいものを見つけた。
中学校〜高校の頃購入したオーディオ機器の取説や保証書。
アキュフェーズは今も持っている。
かれこれ30年以上。
トリオのアンプはほとんど記憶がない。
サンスイのAU−707のあとはセパレートだったはずだが。
かすかにダイヤトーンの610Bとサブシステムを組んだような記憶が、、、
右下のカセットデッキ、懐かしい。
D130を買う前、たぶん小学校の時にダビング用に買ったヤツ。
オーディオテクニカのAT15EaGも使った。
保証書
このカテゴリ(過去のオーディオ)でトリオのプレーヤーとサンスイのパワーアンプは
中3の時となっているが、ともに55年の春だった。
中1から中2の春休みだ。
やはり記憶は曖昧なものだ。
このあたりまでは嬉しくて大事に保管していたらしい。
D130、075、2397の保証書はあるが、375の保証書が無い。
何より懐かしかったのは、小学校の時に買ったラジカセとステレオの取説まであった。
これだ。
ラジカセは小4の時に買った記憶がある。
そしてD130より前、俺のオーディオの始まりOTTOのステレオ。
今まで話題にもしなかったが、D130の衝撃を受ける前からオーディオの興味はあった。
でなければ、D130を見たからといって、いきなり買わんだろう。
俺の思い出には興味が無いでしょうが、ヤフオク検索したらありました。
OTTO DCW−M370
これが俺が始めて買ってもらったステレオ。
カセット付き。
たぶん小6頃。
なぜOTTOかと言うと、この前の年に社会科見学で地元の三洋電機の工場に行ったから。
ホントはコンポーネントが欲しかったが、予算の関係で。(小学生ですから、、、)
この後テープをダビングするために、上にある取説のカセットデッキを購入した。
こいつはさすがにポチしません。
高校の前半くらいまではほとんど保管してあった。
その後のは何も見つからない。
今まで、俺のオーディオの歴史はD130から始まったように書いてましたが、
実は小学校の頃から、こんな下積み生活があったのです。
思い出にお付き合いいただき、ありがとうございました。 |
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昨日のランシングを偲ぶ記事に続いて、JBLダイジェスト。
D130/375+HL93/075
D130/375+2397/075 D130×2/375+2397/075
D130×2
375+FOSTEXH200
075
FOSTEX T500A
4344
C36/D130/175DLH/N1200 D130×2/375+FOSTEX H200/075/FOSTEX T500A
いつもJBLがあった。 |
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高校卒業して、大学でも行こうと思い予備校に入ったが、勉強する習慣がなく1ヶ月で予備校中退。
この時期、オーディオだけじゃなく車のパーツも欲しくて稼げる仕事探してたら、トラック運転手の募集を
見つけた。
18歳で手取り25万円以上はなかなかよかった。
そこで幸か不幸か、1年半ほど経ったとき交通事故に遭った。
大腿骨と手首骨折の大怪我。
約100日間の入院生活。
看護婦さんに囲まれて、至れり尽くせり、夢のような暮らし。(爆)
おまけに日額5000円の生命保険と休業補償まで出て、退院後もリハビリで仕事復帰までは半年かかった。
退院後は片っ端から聞いておいたナースの電話番号に電話かけまくって、毎週デート。???
余談はさておき、事故のおかげで150万円近い金が入った。
その金で部屋を作った。
30畳全てやると予算オーバーだったので、12畳分を仕切った。 完成直後。
ホーンが2397に代わり、サンスイのパワーアンプからアキュフェーズP-20になってる。
たぶん20歳の時、1986〜7年。
数年後。
23歳頃。 自作箱にWウーハー。
M-100とP-400も入った。
それから、、、、
たしか25歳。
箱を4508に。
M-100をブリッジに。
中域、P-800
高域、P-102
チャンデバもF−15に出世。
フォステックスのスーパーツィーターも。
次に残ってる写真は、以前も公開した写真。
日付入り。
’93.7.25
26歳。
更にM-100を1組、合計6台のM-100と2台のM-60。
TADのウーハーもこの頃。
D130はシングルでミッドバス。
なんてバブリー!? 一番ハイファイだった。(今より、はるかに)
最後はこれかな。
28歳の結婚直前。
訳あって(金欠)M-100は2組売却。
代わりにP-500を2台。
チャンデバはF-20。
TADの箱はデザイン重視で国産箱に。
D130は同じサイズの箱が手に入り、バーチカルツインに。
コントロール側。
この後、結婚を機に、この部屋は長い放置プレーに入った。
一挙公開してしまったので、もう「過去のオーディオ」ネタがない。 |



