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「文楽のこころを語る」からの三味線弾き4人目の登場は、9代野澤吉兵衛です。先日国立劇場に行った折、劇場の売店で文楽技芸員名鑑の改訂版が出ているか尋ねたところ、それはまだ出ておらずまたグリーンの表紙のも在庫が少なくなっているような話でした。現在の技芸員は各本劇場のプログラム中に名前と写真が出ていますが、略歴等は無くまた少しでも以前のものは手に入りにくいですよね。特に初心者から見ると図書館や資料館に行かない限り情報が手に入りにくいです。そんなことで、住大夫さんの本から気になる三味線弾き・大夫・人形遣いを引いてきて、名鑑や私が所持するほかの参考書などからここに人物像を再現しようと思いました。そんなことです。3人書いて来て思うことは、皆さん大きな名前を襲名しているのがまだ若い年代だということです。少年のうちから弟子になるので、キャリアは20年以上ありますが、30代前半で襲名があって更に腕が上がってその上を目指されています。今は協会や国立劇場>文楽劇場研修生出身が半分を超えたから、そこを出て20年から25年というと40代で襲名できれば良い方ということになります。せいぜい長生きして衰える事無く芸の腕をあげていって欲しいものだと思います。
野村吉兵衛(のむら きちべえ)9代
本名:川端陸三
明治36(1903)年 6月13日大阪出身。
大正 3(1914)年 3月 7代野澤喜八郎に入門。11歳
初名:野沢喜代之助。
年代不明 後、9代野澤吉五郎(8代 吉兵衛)
更に4代野澤吉三郎(7代 吉兵衛)預かりになる。
昭和17(1942)年 2月 5代野澤吉三郎襲名。39歳
昭和38(1963)年12月 9代野澤吉兵衛襲名。60歳
昭和55(1980)年 7月 9日 没 83歳
この人も20歳の時に、3代伊達大夫の『長局(ながつぼね)』を弾いて、4代吉三郎の代役をしています。おそらく既にこの頃は4代預かりになっていたのでしょう。(6代燕三から聞いた話では)弟子が親方休演のときに代役若しくは一時代演がこなせなければ駄目なのだそうで、預かりも含めて何人か弟子がいれば一番手の優れたるが代役・代演するそうです。太夫などにも言えることですが、代役は千載一遇のチャンスなので、できる限り受けてチョットくらい背伸びしても要求に答えられるように頑張ることが自分のためになるのだそうです。
<技芸員名鑑より引用>
・・・果たして、手は回り、腕は強く、音も三が冴え、一・二は手厚く、スケールの大きな三味線で、突っ込んでやれる時代物向きの芸だったといえる。
野澤会等勉強会の成果であろう、『五斗三番(ごと さんば)』とか『女鉢の木(おんな はちのき)』とか何十年も出ていない珍しい狂言も伝承していた。(中略)
晩年は、7代竹本土佐大夫、4代竹本津大夫の相三味線として健腕をふるった。<引用終了>
『五斗三番(ごと さんば)』:『義経腰越状(よしつね こしごえじょう)』の三段目
<以下YAHOO百科辞典より引用>
後藤又兵衛を当て込んだ軍師五斗兵衛(ごとべえ)を中心とする三段目だけが歌舞伎(かぶき)で
上演される。口(くち)の「三番叟(さんばそう)」は、目貫師となって世を忍ぶ軍略家五斗兵衛
が、泉(いずみ)三郎の推挙で義経に抱えられるが、佞臣錦戸(ねいしんにしきど)兄弟に謀られ
て大酒を飲み、酔態を演じるという筋・・・(執筆者:松井俊諭)<引用終了>
『女鉢の木(おんな はちのき)』:『北条時頼記(ほうじょうじらいき)』女鉢の木雪の段
>近松作の「最明寺殿百人上臈(さいみょうじどの ひゃくにん
じょうろう)」をもとに並木宗助により書かれた。
以下のリンクは、早稲田大学で2006年に再演された時の情報。演奏は豊竹英大夫・鶴澤清友
http://www.waseda.jp/student/weekly/morite/1103i.html
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