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朝早く目が覚めて昨晩から点けたままになっていたテレビに目が行った。画面はNHKで蒸気機関車の絵が映っている。かつて私はこれを追いかけて日本中(といっても関東・東海・東北・北海道)に写真を撮りに行ったことがある。小学生の時はコンパクトカメラを持って、中学生・高校生の頃は一眼レフを持って。いつぞや楽屋裏で燕三6ともカメラの話になって、「いいカメラを持っていたよね。」と言われたことがあるが、それは元々は蒸気機関車の撮影がしたいためだった。つまりは蒸気機関車のファンであって、その勇姿を記録せんがための道具として持っていたのである。そんなことを思い起こしながら、テレビの映像に見入った。
蒸気機関車は古いものと思いがちだが、せいぜいは此処100年チョットの歴史の中で特にそれが大いに活躍し全国を駆け抜けたのは大正・昭和の時代ほどにすぎない。文楽の歴史より短い。蒸気機関車という機械を機関士(運転をする人)・機関助士(主に動力担当で機関車を走らせるために蒸気を発生させる釜を焚く人。*釜:詳しくは水管ボイラーの一種になるだろうか細いパイプ束に水を通し、そのパイプ群の下方から主に石炭を焚いた炎により熱エネルギーを起こし、熱で水を気化させ蒸気となったものを加圧して動力とする。)によって動かすことで、鉄道という公共交通機関を維持していた。別の場所で起こした動力エネルギーを利用する電車・電気機関車や内燃機関として直接燃料の燃焼を動力に替えるディーゼル車・ディーゼル機関車とは異なり、機関士も機関助士も蒸気機関車を運転するのに知恵も工夫も必要だった。機関助士は、火格子(ロストルとも言う)と呼ばれる燃焼室内の火をおこす部分に不完全燃焼を防止するために満遍なく石炭を撒く技術を競い、機関士は燃焼によって貯めた蒸気を安定的に使い、峠にかかった時にレール上に砂を撒き摩擦効力を上げる事を工夫した。それによって1分の遅れも無い列車の運行を目指し、またそれを誇りにもした。
文楽にもそれがある。大夫の語りに効果音のハタラキで場を盛り上げる三味線、視覚効果を盛り上げるための人形の動き、またその人形だけとっても主遣いの上演工夫を脇や下から支える左遣いと足遣い、更に、3人遣いのメインの人形を支える1人遣いの詰人形など。それぞれの部門に於いて古典と型を重んじながらその上を演じる工夫をしたり、廃れてしまったものを復興したりする。一つ一つの行為は、厳しいものであったり、思うに任せないものであったりするが、工夫が功を奏したり知恵による発見があったりすると嬉しかったり楽しかったりする。そうして古いものが護られたり、外題は古いのに新しい工夫がされていたりする古典芸能が作られたりする。市井の我々の仕事だって果たして同じようではあるが、状況や嵌められた箍の厳しい分、工夫が生きた時の達成感が大きいだろうと思う。観客としてはそれを見抜く力を養って楽しむことが舞台との一体感を得ることかもしれない。
日本人だけではないのかもしれないが少なくとも我々は、古いものを新しい時代に生かす知恵と工夫の楽しみを以ってして、古典芸能ファン・人形浄瑠璃文楽ファンでありたいものだと思う。
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はぁ〜〜っ深いお話ですね。。
十二神将さんは機関車にも詳しいのですね。。それに写真を撮りに行かれていたということは写真の技術もきっとすごくおありだと思います。。好奇心旺盛で好きなものにはすごい集中力も発揮されてすごいなと思います。
機関車も文楽も様々な立場の人の力が一つになってできあがる
美なのかなぁ?
2009/4/12(日) 午後 7:13
さっちんさん、コメントありがとうございます。
美というと少し違うかなぁ〜。三位一体ではあるけど、突出しない中でのバランス感覚を持ちながらも迫ってくるものの、懸命さかな。
SLは特にはSLとしての仕事をなしえようとするのを人間が助っ人しているような感覚で、文楽の方は「人の情」を伝える1点に人形も三味線も語りの口調も集まって、車掛りの陣で詰め寄ってくるような感覚として臨場感が得られるということだと思うのです。
2009/4/14(火) 午前 3:08
う〜〜ん深い表現ですね。。懸命さ。。。ですか。。
丁寧に説明してくださってありがとうございます。。
2009/4/30(木) 午後 4:55
今はカメラで何かを撮るということはないのですか?(^○^)
2009/5/13(水) 午後 0:02
otobokejoyさん、
ホームページ側へ行って頂ければよくわかるようになってますが、文楽の舞台裏を始め、曳山祭、民俗、街中風景、古建築などを普通のデジカメで撮ってますよ。
2009/5/14(木) 午前 5:08