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カインの原型

創世記のエピソードは、そのほとんどがシュメールの宗教的テキストを換骨奪胎して作られています。

ノアのエピソード、楽園のエピソード、バベルの塔の言語の混乱エピソード、最初期の人類の異常な長寿エピソード、などです。

それらは、シュメールのギルガメシュ神話やエンキ神神話を基にして改変されているのです。

ユダヤ人はシュメール人に根源を持つ、メソポタミアの宗教体制を否定するために、そのような文学的操作をしたのです。

このように考えると、カイン(鍛冶師) のエピソードも当然、シュメール神話を起源としていると考えられるのです。

カインのエピソードは、シュメール神話の中の知恵の神であり鍛冶神の役割を担っていたエンキ神を非難否定するために、ユダヤ人により意図的に作られたものなのです。

カイン(鍛冶師)を非難することにより、エンキ神(鍛冶神)の宗教(シュメール・メソポタミア)体制を否定しているのです。




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*旧約聖書の「カインとアベル」物語のカインは、西セム語で「鍛冶師」を意味する。
*ところで、古代シュメールでは、エンキ神が「鍛冶神」の役割を担っていた。鍛冶神は、技術や文明の発明者という 観点から、「知恵の神」と同根の神といえる。だから「知恵の神」であるエンキ神は、「鍛冶神」でもあった。
*従って、「カイン=鍛冶師」は、「エンキ神=鍛冶神」を象徴する人物である。
*こう考えると、「カインとアベル」物語の謎が一挙に解決する。
 結論を先に述べれば、この「カインとアベル」物語は
「エンキ神とドゥムジ(牧羊者)の関係」を起源に持つ。

 エンキ神の発案によって、地上の生命力(イナンナ)を復活させるために、ドゥムジは犠牲として殺害されるのだ。
 だから、、「カインとアベル物語」は、エンキ神による「ドゥムジ犠牲儀礼」を顕していることになる。


*この犠牲儀礼は、古代社会で普遍的に実行されていた。ギリシャ神話の中にも多くの実例が見られる。
*この犠牲儀礼は、「ヤコブと神の組み打ち」において再現されている。「ヤコブと神の組み打ち」(犠牲儀礼の変  形)において、ヤコブは犠牲として殺害される運命を、神との対決で勝利することにより回避する。
*それが「イスラエル=神と戦う者」の真意である。
*この場合、ヤコブはドゥムジと同じく「聖王」の役割を担っている。
*なお、「聖王」の人間犠牲としての役割は、「イエス」に受け継がれている。「聖王」は、人間犠牲として殺害され  た後、神として復活するのである。
 「イスラエル=神と戦う者」は、この復活教義の否定の意味を持つ。それ故、ユダヤ教はキリスト教を否定する  のである。 

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創世記のエピソード

創世記のエピソードは、そのほとんどがシュメールの宗教的テキストを換骨奪胎して作られています。

ノアのエピソード、楽園のエピソード、バベルの塔の言語の混乱エピソード、最初期の人類の異常な長寿エピソード、などです。

それらは、シュメールのギルガメシュ神話やエンキ神神話を基にして改変されているのです。

ユダヤ人はシュメール人に根源を持つ、メソポタミアの宗教体制を否定するために、そのような文学的操作をしたのです。

このように考えると、カイン(鍛冶師) のエピソードも当然、シュメール神話を起源としていると考えられるのです。

カインのエピソードは、シュメール神話の中の知恵の神であり鍛冶神の役割を担っていたエンキ神を非難否定するためにユダヤ人により意図的に作られたものなのです。

カイン(鍛冶師)を非難することにより、エンキ神の宗教(シュメール・メソポタミア)体制を否定しているのです。

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カインとアベルの物語

旧約聖書のカイン (=西セム語で鍛冶師の意味)とアベルの物語は、

シュメールに起源を有する、エンキ (鍛冶神)を頂点とする宗教政治体制を、

非難*否定するために、

ユダヤ人聖書編纂者が、エンキ をカインに変換して、

カインを呪われた殺人者に仕立て、

エンキ (カイン )の実行したドゥムジ (=アベル =羊 ) 犠牲儀礼を、

改変しているのです。

いわば、エンキをカインに変換して、パロディ (風刺劇 ) を作ったのです。

人間を犠牲として、神に捧げる行為 (=人間犠牲儀礼 ) を非難しているのです。

旧約聖書は、そんな豊穣儀礼によっては、大地は豊かな産物を齎さないと主張しているのです。

呪術 ( 人間犠牲 ) を否定しているのです。


 北海道の西北部、小樽市の近くにある余市(よいち)町でのこと。昭和25年(1950年)の春、地域の人が「丸山」と呼んでいる崖山を崩して土を果樹園に運び出す作業中、突然、土がドドッと崩れだし、山の上方にポッカリと小穴が開いたのだそうです。穴といってもたいへんに小さなもので、子供が腹ばいになってようやく入れるほどのサイズで、中に蛇がいたりしたことから、誰も中に入って調べようとする人がなく放置されたそうです。
 その後、8月に入り、海水浴のシーズンになって、ここに遊びに来ていた大塚以和雄氏(当時、札幌南高等学校在学)が偶然この小穴を見つけ、好奇心から内部にもぐりこんだところ、貝殻と土器片を発見。
 大塚氏は郷土研究部に在籍していたため、この件を顧問の先生に伝え、これがきっかけとなって翌、昭和26年に正式な調査がおこなわれ、調査を開始すると、洞窟の内部に線画が描かれており、「角のある人間だ!」「翼がある!」など、調査団から次々と驚きの声が上がったそうです。こうして、今から 2000〜1500年前の遺跡「フゴッペ洞窟」が現代に目を覚ますことになったのだそうです。

 この時代は、縄文時代のすぐ後であり、本州や九州・四国地方では弥生文化に入っていましたが、寒さの厳しい北海道では、縄文時代と同じように、稲作ではなく、狩猟・漁労・植物採集などで暮らしていたものの、金属器を使った形跡があることから、縄文時代とは違うという意味で「続(ぞく)縄文時代」と名づけられた時代に、この遺跡は属しているそうです。

 昭和26年から3年間にわたる本格調査の結果、壁面に200を超す謎の彫刻群が確認されました。
 洞窟は爪で容易に傷がつくほどのやわらかい石質(凝灰岩)でできており、風化が激しく、彫刻群の崩落の危険もあるため、1972年、日本最初のカプセル保存方式(ショー・ウインドウのような形式での保存展示)が実施され、一般公開されるようになっています。

 こうした崩壊しやすい石壁が2000年近く守られてきたのは、入口をふさいだ丸山の土と内部の堆積層だといわれています。たまたま、その入口の土が崩れたため、存在が知られることになったのですが、世界で有名な絵画洞窟、スペインのアルタミア洞窟壁画も12歳の少女によって、フランスのラスコー洞窟も、 14歳の少年によって発見されており、フゴッペ洞窟も同様に少年によって発見されているのは偶然とはいえ不思議なことだといわれています。

 このフゴッペ洞窟の近くの小樽市には、慶応2年(1866年)、石材をとっていた石工によって発見された手宮洞窟もあります。
 ここにも彫刻線画があり、内容はどちらも共通する部分が多く、時代も今からおよそ1600年前の続縄文時代中頃〜後半の時代ということで同期していることから、共通な文化体系のもとに生まれたものではないかとみられています。

 手宮洞窟では、刃の部分の傷んだ石斧が出上していることから、彫刻はこのような石斧などによって刻んだ後、磨いて仕上げられたのではないかと推定されています。

 この種の洞窟の線画は、日本では今のところ、フゴッペ洞窟と手宮洞窟の2例しか発見されておらず、たいへん珍しいものだといわれています。


 ところで、フゴッペ洞窟の絵画ですが、北と南の岩壁に線画が集中しており、左右に広がる羽を背中につけた人物、頭に2本の角のような突起をつけた人物など、シャーマンと思われる人物像が線画の大半をしめており、こうしたところから洞窟の内部は、神聖な祭祀空間であったと考えられています。

 舟や魚や四足動物(角つき)も少数見られますが、やはり画題の主軸は多数の人物像であり、特異な雰囲気をかもしだしています。

 日本には2例しかないこの岩壁画は、日本海を囲むロシア・中国・朝鮮半島などにも見られるそうで、こうした地域を覆う広い文化圏があったのではともみられています。

 手宮洞窟の彫刻には、角のある人物が表現され、さらに、手に杖のようなものを持った人や、四角い仮面のようなものをつけた人が描かれ、このほか角のある四足動物も描かれています。
 この動物はシカとみられ、人物の方も鹿角を頭につけているのではと考えられており、同じように鹿角をつけて儀式をおこなうシベリアなど北東アジアのシャーマンとの関連が指摘されています。

 ところで、シカに呪術性を求め、国作りを進めていたとみられる「唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡」は、弥生時代前期〜古墳時代前期まで600年以上継続された遺跡として知られていますが、「うんちく【53】」で触れたように、ここに多数のシカと一緒に、シャーマンと思われる人物像が土器などに描かれています。

 興味深いのはその腕で、大半が万歳の形で、両腕を振り上げているのですが、この腕は直線的な描写となってはおらず、鳥羽をつけたような方形の表現になっています。シカの群れの中に鳥装のシャーマンが存在しているといった、非常に不思議な図式となっているのです。


 この「唐古・鍵遺跡」の分村とされる「清水風(しみずかぜ)遺跡」から出土した土器絵画の人物像になると、左右の腕に明瞭な翼と思われる大きな袖がつき、両手を万歳の形でやはり上にあげています。

 奈良県の坪井遺跡の土器絵画は、右上半身しか残されていませんが、同じように振り上げた腕の袖には、かなり写実的な鳥の羽のデザインが見られます。


 また、頭部に鳥の羽が描かれている例として、大阪府の「星ヶ丘西遺跡」の人物線画が知られていますが、鳥の羽を思わせるものを頭に付けた例も現れ、他に鳥装シャーマンと思われる線画は、鳥取県の稲吉遺跡、岡山県の新庄尾上遺跡などの弥生土器にも見られるそうです。

 弥生時代には、鳥の羽のような袖をたらしたシャーマンが腕を振り上げ、鳥の羽ばたきのような「袖振りの儀式」をおこなっていたことを土器絵画が示しているとされ、この鳥装は、北方民族のシャーマンを思わせるスタイルだともいわれています。

 ところで、紀元前400年を上限とする中国の春秋末から戦国初期にかけての墓から、頭に2本の鹿角をつけた鶴の姿をした青銅製の霊鳥が出土しているそうです。

 鳥とシカが合体したものとはたいへん興味深い遺物ですが、こうした鳥とシカに比重を置いた呪術は弥生時代の特徴的なものともいわれ、弥生時代は金属器の文化でもあるため、「金属」と「鳥」と「シカ」の3者は、不思議なほど、密接なつながりをもっているとされています。

 なお、これらの3要素はヒッタイトに無関係とはいえない要素であるという点も、ここで付け加えておきます。

 北方民族のシャーマンが鍛冶、特に鉄にかかわりのあることについては、すでに何度か触れていますが、鳥と鍛冶師との深いつながりはアジア各地の神話伝承に広く見られるといいます。


 「うんちく【51】」で触れたように、鉄の神様である「金屋子神」は白鷺に乗ってきたという「鉄山秘書(1784年頃成立)」の伝承。さらに鍛冶師と縁の深い「八幡神」も、この神自身が「鍛冶の翁」として現れ、金色の鷹や鳩となるなどの伝承があり、このように日本でも、鍛冶と鳥の深いかかわりがみられるそうです。


 すでにこちらの連載で何度か触れていますが、「鍛冶」とは、古代において神と交わる神聖なものとされ、金属器を鋳造することが古代のシャーマンの重要な仕事であったともいわれています。金属鋳造において重要なのが火の制御であり、それは風によってなされるため、火を制御する「風の象徴」として「鳥のしぐさ」、すなわち羽ばたきを真似ることが鍛冶シャーマンの呪術としてあったのではないかと推定されています。

 羽のような腕を振り上げた鳥装シャーマンの線刻画は、このことを示しているのではないかといわれています。

 フゴッペ洞窟の人物画も、腕とは別に翼がつけられ、その翼を振り上げるようなスタイルで描かれており、こうした「有翼シャーマン」のポーズは、弥生土器に描かれた人物と共通しています。
引用先 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/castration.html

「父なる天界」であるウラノスは息子のクロノスによって去勢された。切断されたウラノスの男根は、子宮を表す海に投げこまれて、海を受胎させ、アプロディテ・ウーラニアー(「天界のアプロディーテー」)が生まれた。その昔、アンキセスやアドーニスといった神々が去勢され、彼らを祀る祭儀が行われたが、それを取り仕切ったのが、アプロディーテーであった。アプロディーテーはカタン人の「ヘビの腰蓑をつけた女神」と同一神であった。この女神に仕える巫女たちは、彼女のために、男神たちを去勢した。

 北欧神話で、アプロディーテーに仕えた巫女たちに相当するフレイア-スカジも、同様に、神々を去勢した。北欧神話における「父なる天界」はオーディンであった。オーディンの12番目の聖なる名前は、「去勢された男性」を意味するヤルクであった[7]。去勢された神オーディンは、年老いた「去勢された男性」(父と息子の化身)の息子-男根であったのである。それというのも、オーディンもまた「ひとつ眼の神」V[o]lsi(=種ウマの男根)であったからである[8]。Horse. ヴェーダの生贄となった種ウマ同様、オーディンも去勢された。その後の神話をみると、オーディンがなぜそのような「種ウマの男根」という添え名をつけられたかがわかる。それは、眼を一つなくして初めて、オーディンは、宇宙的な広がりを持つ女性の知恵の泉を飲むことができたからであった[9]。ここで思い出すのは、エジプトで、セトとヘル〔ホルス〕が交互に季節になると去勢されたことである。彼らの切断された男根は、神話では、「眼」となっている[10]。

 聖書では男根のことを「もものつがい」の上にある「腰の筋」とした。ヤコブは「神である人」と組み討ちをしたときに、この腰の筋をはずしてしまった〔『創世記』第32章25〕。その組み討ちに勝って「取って代わった人」となったヤコブのその名〔=イスラエル〕は、セトの別称であった。セトも、ヤコブ同様、「霊魂の梯子」をそのシンボルとし、また好敵手と争って、結局は、男根を切断されてしまった[11]。豊かな実りを得るために、毎年、種蒔きの儀式が行われたが、そのとき、セトが去勢され、その血が野いっぱいにまかれた[12]。

 

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