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ヤコブは神との格闘の結果、[イスラエル]の称号を得た。それは、[神と戦う]と言う意味である。そのエピソードでは、ヤコブは神に勝ったと言われている。

しかし、鍛冶神信仰から考察すれば、ヤコブは聖王として人間犠牲になっていたはずである。(元来は、タムムーズと同じ立場だろう。)即ち、神に負けたことになる。

ところが、聖書作者は、元来のヤコブの立場を逆転して、神に勝ったことにしている。

その理由は、聖書作者が、バビロニアを頂点とする鍛冶神(エンキ)信仰を否定する為に、故意に元来の人間犠牲儀礼を否定し、逆転させたものと考えられる。


*旧約聖書の「カインとアベル」物語のカインは、西セム語で「鍛冶師」を意味する。
 
*ところで、古代シュメールでは、エンキ神が「鍛冶神」の役割を担っていた。鍛冶神は、技術や文明の発明者という 観点から、「知恵の神」と同根の神といえる。だから「知恵の神」であるエンキ神は、「鍛冶神」でもあった。
 
*従って、「カイン=鍛冶師」は、「エンキ神=鍛冶神」を象徴する人物である。
 
*こう考えると、「カインとアベル」物語の謎が一挙に解決する。
 
 結論を先に述べれば、この「カインとアベル」物語は、「エンキ神とドゥムジ(牧羊者)の関係」を起源に持つ。
 
 エンキ神の発案によって、地上の生命力(イナンナ)を復活させるために、ドゥムジは犠牲として殺害されるのだ。
 
 だから、、「カインとアベル物語」は、 エンキ神による「ドゥムジ犠牲儀礼」を顕していることになる。
 
*この犠牲儀礼は、古代社会で普遍的に実行されていた。ギリシャ神話の中にも多くの実例が見られる。
 
*この犠牲儀礼は、「ヤコブと神の組み打ち」において再現されている。「ヤコブと神の組み打ち」(犠牲儀礼の変  形)において、ヤコブは犠牲として殺害される運命を、神との対決で勝利することにより回避する。
 
*それが「イスラエル=神と戦う者」の真意である。
 
*この場合、ヤコブはドゥムジと同じく「聖王」の役割を担っている。
 
*なお、「聖王」の人間犠牲としての役割は、「イエス」に受け継がれている。「聖王」は、人間犠牲として殺害され  た後、神として復活するのである。
 
 「イスラエル=神と戦う者」は、この復活教義の否定の意味を持つ。それ故、ユダヤ教はキリスト教を否定する  のである。 

創世記の真の意義

ヤコブが改名した「イスラエル」という語にこそ、創世記の意義が凝縮されている。

この語の意味は、「神と闘う者」という意味である。

一般的には、旧約聖書は、人間が神に従順に従うよう勧告している文書である、と認識されている。

しかし、「イスラエル」という語を、「神と闘う者」という意味に捉えると、旧約の意義は180度転換されてしまうのだ。

この「イスラエル」という語にこそ、創世記の真の意義が凝縮されているのである。

創世記とは

創世記とは、エンキ神に対する批判の書である。

創世記の2重批判構造

創世記には、古代オリエント世界のイスラエル周辺諸国の政治宗教体制に対する批判と、「ヤハウェ神」そのものに対する批判の、2つの批判が含まれている。
 
しかし、、「ヤハウェ神」そのものに対する批判は、文章の合間に巧妙に隠されてしまい、大半の人々は、それに気付かない。

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