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旧約聖書の中で1番重要な箇所は、創世記32章のエピソードである。その他の箇所は、聖書を理解する上で、ほとんど意味が無いと言える。(このエピソードは明らかに古代の犠牲儀礼を起源としている
 
 
32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。32:32 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。
 
旧約聖書を至上の指針とするユダヤ民族は、自らをイスラエル神と闘う者と称する。その事実が、この箇所の重要性を物語っている。
 

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ホーリー祭(Holi)とは、インドネパールヒンドゥー教の春祭り。春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝う。
 
ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在みられる形になった。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる[1]。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われている。色水は色粉を水に混ぜて作る。
 
このホーリー祭においては、性的色彩が濃い歌を祭りの参加者が歌う。それは、ホーリー祭の元来の性格である豊穣儀礼と関係していると考えられる
 
ところで、聖書の雅歌も、性的色彩を帯びた歌が中心である。聖書の雅歌も、元来は、豊穣儀礼の一部であったのであろう。

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古代イスラエルの周辺諸国は、
 
エンキエア)を頂点とする多神教パンテオンへの信仰そのものが、
 
社会のイデオロギーでした。
 
古代イスラエル人は、
 
そのようなオリエント諸国のイデオロギーに対して反発しました。
 
その反発が、創世記となって結実しているのです。
 
ですから、創世記には、エンキ(エア)体制に対しての、
 
強烈な批判と風刺と皮肉満ちています。
 
 
ところで、注意しなくてはならない複雑な点は、
 
エンキエア)神を頂点とする多神教信仰が、ヤハウェ神1人への一神教信仰へと変換されている点です。
 
この結果、ヤハウェ神はエンキ(エア)神の性質を部分的に受け継ぐことになってしまいました。
 
ですから、エンキ(エア)神(多神教)を完全に否定しようとすると、ヤハウェ神(一神教)も否定しなくてはならなくなります。(論理的に言えば)
 
しかし、一神教(ヤハウェ神)をも否定することは、すなわち、最終的に無神論を意味することになります。
 
ということは、一神教(ヤハウェ神)は、多神教(エンキ神)と無神論の間の境界(中間)に相当することになります。
 
このことが、ユダヤ人の信仰を、非常に複雑なものにしているのです。
 
ユダヤ人の信仰は、微妙なバランスの上に成立しているのです。

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創世記の意味

創世記は、古代オリエント社会を支配していたイデオロギーである、エンキ・エア体制エンキ・エアを頂点とする神々のパンテオンに象徴される体制)に対するアンチテーゼとして成立している。
 
エンキ・エア体制エンキ・エアを頂点とする神々のパンテオンに象徴される体制)においては、呪術人間を生け贄にする人間犠牲)が最重要な要素であった。
 
創世記(旧約聖書)は、この呪術人間を生け贄にする人間犠牲)を否定したのである。
 
ところが、キリスト教新約聖書)においては、この人間犠牲が、イエス(=神の子羊)という人物の犠牲(人類全体の身代わり)として復活してしまった。
 
キリスト教(新約聖書)は、ユダヤ教(旧約聖書)が否定した人間犠牲を、再び肯定してしまったのだ。
 
だから、キリスト教(新約聖書)と、ユダヤ教(旧約聖書)は、根本的に相容れない教義を有するのである。

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マハーバーラタと他神話の類似部分を紹介したい。
 
ガンガー女神は、シャンタヌ王と結婚して後、生まれてきた7人の我が息子を次々とガンジス川に投げ込んで殺した。そして8番目の息子がビーシュマであった。
 
カンサという王様がヴァースデーヴァとデーヴァキー の産んだ息子に殺されるという預言を聞き、生まれてくる子供を 次々に殺した。六人の子がすでに殺されたが、七番目の子(クリシュナの兄・バララーマ) と8番目の子(クリシュナ)だけは助かる。
 
クロノスは、息子にその権力を奪われるという予言を受けたため、5人の子供が生まれるたびに飲み込んでしまったという。最後に生まれたゼウスだけは、母のレアーが偽って石をクロノスに食わせたために助かった。(ギリシャ神話)
 
スウェーデンの王アウンは、息子エーギルを殺すことを家来に止められるまで、自分の寿命を延ばすために自分の9人の息子を生贄として捧げた。(北欧伝説)
 
 
クリシュナはジャラという狩人の放った矢で、踵を刺し貫かれて死んだ。
 
アキレウスは、パリスの放った矢で踵を刺し貫かれて死んだ(ギリシャ神話)
 
 

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