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W・ブルケルトは、その著作「ホモ・ネカーンス」において、<犠牲儀礼の本質的意味>を、こう述べている。
 
 死を表現するための供犠・殺害行為としての供犠 は、生命の存続と、そのための食物を保証するもの、として考えられていた
 
このW・ブルケルトの犠牲儀礼(供犠)についての見解は、本書の、<生命の循環を表現する儀礼> と全く等しい意味を持つ。
 
 尚、<生命の循環を表現する儀礼> = <聖王 対 後継者 の戦い>  = <デメテール(大地母神)儀礼> = <イナンナ・ドゥムジ儀礼> といえる。(本文参照)
 
* 又、「イスラエルでもギリシャでもメソポタミアでも、犠牲供犠なしには、協定も協約も同盟も成立しえなかった。氏族・部族・都市や帝国でさえも、犠牲供犠によって結束を確認した
 
*「ギリシャ人は犠牲奉献を<成す>と言う動詞で表すが、ヘブライ語でもヒッタイト語でも同じである。
 
 
         *W・ブルケルトは、儀礼の根源的意味を考察した学者。

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儀礼と宗教

読者の皆様は、ユダヤ教(旧約聖書)とギリシャの諸宗教(ホメーロス)は、一見したところ、全然脈絡がないように思われるだろう。
 
一般的には、ユダヤ教(旧約聖書)は、倫理的な一神教であり、ギリシャの諸宗教(ホメーロス)は、非倫理的な多神教であると思われている。
 
だが、宗教を<儀礼>という観点から考察するならば、旧約聖書とホメーロスは著しく同質であると判断できる。
 
レビ記における以下の<儀礼>に関する記事を御覧なられたい。
 
第1章

主はモーセを呼び、会見の幕屋からこれに告げて言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうちだれでも家畜の供え物を主にささげるときは、牛または羊を供え物としてささげなければならない。もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。彼は主の前でその子牛をほふり、アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、その血を注ぎかけなければならない。彼はまたその燔祭の獣の皮をはぎ、節々に切り分かたなければならない。祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、その火の上にたきぎを並べ、アロンの子なる祭司たちはその切り分けたものを、頭および脂肪と共に、祭壇の上にある火の上のたきぎの上に並べなければならない。その内臓と足とは水で洗わなければならない。こうして祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて燔祭としなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。

4:27
また一般の人がもしあやまって罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをして、とがを得
その犯した罪を知るようになったときは、その犯した罪のために供え物として雌やぎの全きものを連れてきて、その罪祭の頭に手を置き、燔祭をほふる場所で、その罪祭をほふらなければならない。
そして祭司は指でその血を取り、燔祭の祭壇の角にこれを塗り、残りの血をことごとく祭壇のもとに注がなければならない。またそのすべての脂肪は酬恩祭の犠牲から脂肪を取るのと同じように取り、これを祭壇の上で焼いて主にささげる香ばしいかおりとしなければならない。こうして祭司が彼のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。

上記の儀礼行為は、ギリシャにおける儀礼行為と瓜二つである。(細部で少し異
 なる点があるだけで、本質的に同一である)
 
私は強く思うのだが、宗教というものは、その宗教の<儀礼的側面>の理解なくし て判断されるべきでは無い。

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ヴァルター・ブルケルト(Walter Burkert, 1931年2月2日 - )は、ドイツの神話学者、宗教学者。
 
彼は、その著作『ホモ・ネカーンス』において神話儀礼説」の立場から、「トロイアの木馬解釈」を展開している。(神話儀礼説が常に妥当する訳ではないが
 
神話儀礼説とは、神話は宗教の儀典や儀礼の説明をしている二次的な存在にすぎず、神話が儀礼から取り出されたのであって、その逆ではないと考えられた説です。神話は呪術的な儀礼を説明するために生まれたのであって、その起源は人々の社会構造に起因するとする。
 
*以下は、ヴァルター・ブルケルト「トロイアの木馬解釈」の要約*
 
1、古代アッティカの伝承では、トロイアはスキロポリオン月の12日に征服されたとされていた。即ち、その  日はスキロポリア祭の日である。
 
2、元来、スキロポリア祭は、1年の終焉にあたり、聖王(又は身代りのか牛)が犠牲として生贄にされる  日であった。(それまでの秩序の解体の日)
 
3、そのスキロポリア祭においては、都市の守護神アテーナーに奉献するために、馬(牛)が犠牲獣として  槍で突き殺されたと考えられるが、それは、祭司ラオコーンの木馬を槍で刺す行為に反映されている。
 
4、「トロイアの木馬」伝承とは、吟遊詩人達が、(それまでの秩序の解体の日である)スキロポリア祭の日  の犠牲儀礼(馬の生贄)を、トロイア陥落の悲劇に重ね合わせて、技巧的な物語伝説に変容させたもの  である。
 
   (それまでの秩序の解体の日である)スキロポリア祭トロイア陥落の悲劇の日同一視

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エレミヤ哀歌について

エレミヤ哀歌は、「ウル市減亡哀歌」と、ほぼ同じ内容・形式である。
 
 
ウル市減亡哀歌
 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書第九章・「バベルの塔」を修復する王
    ・統一国家形成と滅亡・シュメルの滅亡 :269頁

 こうしてウル第三王朝の統一は破綻した。

 すでに内にイシン第一王朝が成立し、

 外からはマルトゥ人などの侵入がやまない。

 イッビ・シン王は治世二五年(前2004年頃)に

 エラムの襲撃で捕らわれ、ウル第三王朝は滅亡した。

 王朝の滅亡は大きなできごとであって、

 この悲劇を悼む『ウル市滅亡哀歌』

 『 第二ウル市滅亡哀歌』

(あるいは『シュメルとウル市滅亡哀歌』)などが作られた。

 『第二ウル市滅亡の哀歌』では、

 「アン神、エンリル神、

  エンキ神およびニンフルサグ女神がその運命を決定した」と

 ウル市の滅亡が

 「運命を定める大神たちの定め」であると人々は悟りながらも、

 過酷な運命を嘆かざるをえない心情が述べられている。

  ウル市の人々はもはや住みなれた所に住むべきではなく、

  彼らは敵地に住むことになるべし、

  敵であるシマシュキ、エラムは彼らの土地に住むべし、

  その牧人は自身の宮殿で敵によって捕らえられるべし、

  イッビ・シンは囚われの身でエラムの地に連れて行かれるべし、

  海の縁のザブの山からアンシャンの境まで、

  その家から飛び立ちし燕の如く、

  彼は彼の都市に決して戻ることなかるべし。

 戦禍による悲惨な状況が五○○行以上延々と述べられている。

 これ以降、シュメル人は二度と歴史の主役となることはなかった。

(他に「ニッップール滅亡哀歌」「ウルク滅亡哀歌」「エリドゥ滅亡哀歌」「キシュ滅亡哀歌」などがある。)


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ユダヤ教

ユダヤ教は教えてくれる。
 
生きる事は、戦うこと、なのだと。
 
戦いの最大の敵は、自分自身の弱さ、なのだと。
 
そして、自分自身に克(か)つ方法を教えてくれる。
 
その方法が、 律法なのだ。
 
 
 

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