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グローバル幕末史

      町田明広 著     草思社
・金の流失原因;日本でドル4枚で一分銀12枚と交換し、それを小判3枚と交換。
           国外に持ち出すと小判3枚はドル12枚と交換可能。(通商条約
           5条の外国通貨は同種同量の交換)
・1854〜 67に購入・製造などされた船舶は、幕府44隻・諸藩94隻(34藩)そのうち
 111は外国から購入。
・生麦事件は幕府を外国との紛争に巻き込む意図的なもの、と若年寄酒井忠マス
 は断言。外国が直接薩摩に乗り込み、貿易交渉を始める契機とする目的。実際
 薩摩は交渉中に留学生派遣を打診。
・吉田松陰渡航事件;ペリーは米側にとっては些細なことなので軽微な罰にするよう
 要請。阿部は日本人の渡航許可を検討中だったので、その後の政策遂行の妨げに
 なると考えたのではないか。阿部でなければ打ち首。
・1862幕府初のオランダ留学生派遣。依頼した軍艦建造の立ち合い、引取の間に
 航海・造船術、兵器製造法を学ばせるため。内田正雄・榎本武揚・赤松規良・田口
 良直(軍艦操練所の優秀生)・西周・津田真道(蕃書調所教授)・伊東玄伯・林海
 (長崎養生所)ら15名(士族9名職工6名)
・1866渡航解禁。英・米・普・仏・露・蘭・葡限定。ここまでに130人留学。
・長州ファイブ(井上馨・伊藤博文・遠藤謹助・野村弥吉・山尾庸三);1863藩から5年 の派遣だが費用は不十分。下関砲撃阻止すべく井上・伊藤帰国するも間に合わず。
 長州から渡航=1860北条源蔵(遣米使節団)62杉孫七郎(遣欧使節)高杉晋作(上海使節;薩摩五代も)
・薩摩スチューデント(五代・畠山義成・村橋久成・東郷愛之進・高見弥一・名越時成・森有礼・町田久成・寺島宗則など)グラバー斡旋1865、ロンドンで長州勢と交流、1865幕府派遣の外国奉行柴田剛中がイングランド銀行訪問時五代らの署名発見。見ぬふり。おとがめなし。;1857斉彬が琉球滞在仏人に斡旋依頼、英仏米へ計画。死去により未然。
・留学生たちは英国に対して幕府の貿易独占の非をとき、ミカド体制を取り戻す必要性を強調。幕府と西洋との関係の弱体化を言上。






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