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「宮廷装束の世界」展に合わせたイベント。                      イメージ 1                           
学習院大学構内に入るのは初めて。大きな木々がうっそうとしている。
雨にもかかわらず和服姿のかたや、観光バスまで横づけされ、皇太子も臨席。
皇室行事の装束は学習院大史料館に払い下げ保管されるそうで、
今回の展示も昭和天皇即位の時や北白川宮祥子妃のもの。
装束は「平安時代さながら」ではなく、いくつも改良されているとか。
また応仁の乱で、技術も新しく作る資金も絶え、東福門院入内で再興されたものも多く、幕府が儀式のときに公家装束を採用したことも大きいとか。
そういわれれば、なんで武家政治だから装束も一新してもよかったのに、
やはり憧れだったのでしょうかね。

衣紋道には山科流と高倉流があり、女房装束は奥向きが担当するので別だそう。
今回は山科流で武官闕腋(けってき)冬の束帯。
(束帯が正装。衣冠は略装)
①入場のときの姿。巻纓(けんえい:冠の飾りが巻かれている=武官用)
   緌(おいかけ=顔の左右につく飾り)・白小袖(=半襦袢)・紅大口袴
  (前が開いていて垂がつく)・襪(しとうづ:靴下=割れていない)
②表袴(うえのはかま:裏に板引の布=糊で固め光沢と張を持たせる=強(こわ)装束。昭和天皇即位の際
  廃止=衣擦れの音がやかましく静粛な儀式にあわないから)
③単
④衵(あこめ:表が板引)
⑤続下襲(つづきのしたがさね)
⑥切半臂(きりはんぴ:闕腋=腋が縫われていないときのみ)裾は最長640cm
⑦闕腋袍:位が高い人ほど長めに着る。(下の人は活動しやすく短く着る)。袖は襞を採って手を出す。
 (何で止めるのか不明)。余り布で袖の膨らみを作る。動物の地模様が位が上、下は植物模様、その下は
  織模様なし。
⑧石帯
⑨剣・平緒(ひらお:剣を腰につるす紐)・笏(櫟いちいの木で作るきまり=一位になれるように。但し天皇はその
  必要がないのでフクラの木を使用)・平胡籙(ひらやなぐい:矢15本うち落矢1本)・檜扇(25橋)・帖紙(たとう)
  儀仗弓(右に持つ)
⑩鞾(かのくつ)

女房装束
①入場姿。大垂髪(型紙に鬢油で貼付けて結う。天保年間に完成)・半飛代・長飛代・濃(こきの=小豆色)小袖
  締帯・濃長袴・襪(しとうづ)
②単(綾織=動きがよくなるよう滑りのよい織方)
③五衣(背中は一枚)二本の絹紐を用い、単を縛っていた紐は外す。
④打衣
⑤表着(うわぎ)
⑥唐衣(⑤より袖が短い)
⑦裳
⑧檜扇(39橋)

いくつかの謎は解けたけど、まだまだ疑問点があるので、質問コーナーが欲しかったです。
貴重な体験でした。展覧会では、裂が触れるようになっていてよかった。昭和天皇の即位の時の女房装束の
銀の髪飾りが銀製なのに黒ずまずに輝きを保っているのが不思議。質問したけど不明だとか。



向井潤吉:水辺の風景

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向井潤吉アトリエ美術館に初来訪。入口のドアの左は格子模様のステンドグラスになっている。 

油絵でよかったのは、「水郷風景(奈良県天理市萱生)」
「大原冬に入る(京都市大原)」

水彩画のほうが心惹かれた。「篠山の武家屋敷(兵庫県篠山)」「鶴の来る村(山口県熊毛郡熊毛町八代)」


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モネは結構パリで見てきたので、行くつもりはなかったのだけど、友人が良かった、と言っていたので
そそられていたのですが、野暮用がたくさん入って会期1週間余になってしまった〜
天気も良くどんなに混んでいるか心配だったけど、まぁまぁ見られてよかった。
晩年の抽象画的な作品がよかった。こういうのは実物を見ないとタッチがわからないし、色も図録のものも
全然違っていたから行って正解!

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白内障に罹って片目はほとんど光しか見えなかったそうだけど、こんなメガネじゃさぞ不自由だったでしょうに。
医学の進歩には感謝です。

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モネの庭の日本の橋。作風が変わったのは目のせいもあるよね〜私もド近眼ド乱視でこの見え方で絵を
描くと面白いと思うから。

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睡蓮もだんだん池の水鏡への映り込みに興味が移っていった、という日曜美術館の解説を聞いていた
ので、新たな気持ちで見ることができました。

モネは多くの作品を死ぬまで私蔵していて、長男が死後ここへ寄贈したとか。パリ16区にあるそうだけど、
今度行く機会があったら絶対行きたい!!



国宝展

 
教科書でおなじみのものがごっそり〜〜〜〜
それにしても偽物説はどこへやら「漢委奴国王」の金印だけは特別ケースに入っていて、観るには長い
行列が〜以前、殆どこれだけが見ものの展覧会を池袋西武でみたので、今回はパス。
仏像は安置されている寺院で見るのが一番ですが、展覧会だと間近でよく見えます。
三千院の観音・普賢菩薩がよかった!(三千院は今どういうことになっているんでしょう?)
 
<知らなかったこと>
①福岡県宗像市の沖ノ島は、大陸との中継地でたくさんの遺物があり“海の正倉院”と呼ばれている。
②京都府山科区の西野山古墓の被葬者は坂上田村麻呂
 
<疑問に思ったこと>
①日本書紀の平安時代の写本(巻物)の乙巳の変のところが展示されていましたが、キャプションに
  「中大兄皇子の蘇我入鹿暗殺を予知」とあったけれど、記紀の作成経緯を考えると眉唾でなぜわざわざ?
②日本刀のそりはいつから?そりのない刀を初めて見ました。
③既婚女性が眉を落とす習慣はいつから?室町時代の屏風に描かれた女性はもう眉がなかった。
 

東山御物の美

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       「御物」って天皇の持ち物を指すので
    は?といぶかっていたら、「ごもつ」
    と読むのだそうです。足利さん、
    やりますね〜。徳川家のものもそう
    呼ぶのでしょうか???
    
    これは重要文化財。
    平重盛が宋の育王山に黄金を寄進した
    際に、仏照禅師から返礼として贈られ、
    その後足利義政が所持したが、割れて
    しまったので同じような茶碗が欲しい
    と中国に送ったところ、このような名品
    はもう作れないと、鎹(かすがい)を
    打って送り返してきた。
 
     鎹があるので馬蝗絆(ばこうはん)茶碗と言われる。南宋龍泉窯の砧青磁の上作で、重盛はともかく
     室町時代以後の伝来の確かな貴重な名品だとか。
     下の部分がパックリ割れています。金継などという優しい修復ではなく大胆なのは大陸風ですが、
     確かに他の青磁とは格が違いました。
 
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           これは国宝の油滴天目
     中国では「滴珠(てきしゅ)」と呼ぶ
     そうで、 黒釉の中に含まれる鉄
     の微粒子が偶然に定着してあら
     われる窯変で、健窯(けんよう)産
     の天目茶碗は鎌倉・室町時代
     から日本に多く将来されたが
     耀変天目と油滴天目は特に珍重
     された。
     この茶碗は古来、油滴天目中最高
     のものとされ、関白秀次が所持して
     いて、その後西本願寺、三井家、
     若狭酒井家に伝来したもの。
     この良さは全くわかりません。。。
 
 
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          この茶入れ「銘遅桜」は、義政から
     篠原宗久、藤堂高虎、蒲生忠郷、
     徳川幕府と渡ってきたものだそう
     です。
     この他にも徳川幕府が所有して
     いて三井家が手にいれたものが
     たくさんあるようですが、いかほど
     だったのでしょうかねぇ。
     「官有物払下げ事件」などどいう
     言葉が脳裏をよぎる〜。
     茶道具のよさもとんとわかりません。

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