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歌の言葉は自由なものに見える。
だが、それは自由な振りをしているだけで、実際にはがんじがらめに縛られているのだ。扱う題材は最初から限られている。例えば小説なら殺人も汚職も事故も自由に書くことができる。ネガティブな素材からストーリーをおおきく広げることが可能なのだ。けれども、殺人の歌をあなたはきいたことがあるだろうか。
荘野ジュリはまだ若いけれど、ひとりで歌の言葉の世界を広げようと必死に闘っている。新曲の「サヨナラ少女」をきくと、それがよくわかる。テーマは援●交際という名の売●である。
街まで肌を売りにいく少女。賞味期限の切れた男。紙切れでくれる幸せ。値札のついたカラダ。腐っていた家族の温もり。強い表現で少女売●の現場を描きながら、すこしも言葉が曇らないのは、ただのセンセーションではなく、彼女が題材にきちんとむきあっているからなのだろう。言葉を正確に扱う技術(表現力ともいう)の確かさでは、同世代の誰よりも先にすすんでいるのではないか。
最期のメッセージには、ほのかなシンパシーもにおう。
「どうか心は 脱がされないで」
Jin Nakamuraはこの歌詞にポルトガルのファドのリズムをあわせる。モダンでクールなラテン音楽のアレンジに、エッジの効いた鋭い歌詞。それに荘野ジュリの錆びた金属のようなスモーキーな歌声。ある楽曲をきいて、「これはできている」と感じることは、めったにないけれど、「サヨナラ少女」はできているのだ。
ポップ音楽をめぐる経済環境は厳しく、音楽の自由はますます狭められているように見える。だが、そんなときこそ、新しい表現が求められているのだ。歌の可能性を広げる新しい人を、誰もが必死に待っているのである。
荘野ジュリの挑戦に、これからもぼくは期待したいと思う。
新しい時代は、いつも新しい声から、始まるのだから。
石田衣良
※一部の言葉が引っかかってしまいアップロードできませんでした。。しょうがなく●に書き換えました
表現ってこんなところでも不自由なことがあるんですね。。
石田衣良さん申し訳ありません。
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