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「電車男」は知らなかったが、日本ではタイトルのような若者の層がかなりの厚みをもって社会に発言しているということか。
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◆【蛙の遠めがね】石井英夫 べけんやと首相と電車男
名人・桂文楽に奇妙な文楽用語があった。「べけんや」「あばらかべっそん」「あんじゃそんじゃ」などと。珍語である。実はこんどの自民圧勝の小泉サプライズ劇場でも、ワンフレーズの小泉語が客席をわかせた。そしてそれは、流行となった「電車男」の発したサイトの言葉とも、どこかで通じているように思われたのだった。
いま蛙の遠めがねには、そんな現代日本語風景が映って見えている。
落語の柳家小満んさんは毎回三席、年六回の独演会をもう三十数年も続けている。かつて産経新聞の文化面に『落語とおんな』を長期連載した文人であり俳人でもある。
昭和十七年、横浜生まれ。国立東京農工大を中退してあこがれの桂文楽に弟子入りしてしまい、十年間、九坪半の文楽家で暮らして師に仕えた。小満んさんの近著『べけんや/わが師、桂文楽』(河出文庫)に、厳しく優しかった文楽の芸と素顔が活写されている。
たとえば師匠は、何でもおいしいものがあるとちょっとだけ弟子にも味見をさせてくれた。「おい、手をお出しよ」と刺し身にわさびをつけて手のひらに載せてくれ、「味わってお食べよ」と一言添える。「うまいかい」「はい」「うまいと思ったらそれが芸ですよ」と教えたという。
例の珍語「あばらかべっそん」はお釈迦さまの弟子の名であるとか。また「べけんや」はこんなふうに使われた。「いかがです、この節、ご婦人の方は?」「ええ、もうバカなべけんやで」などと。お通夜の席でも「何ともはやべけんやなこって」などといい、それで十分哀悼の意が通じるのであった、と書かれている。粋な文楽の姿の明るさと、芸の華やかさを思わせるものだった。
小泉首相が発した言葉もそのようなものではなかったか。
「殺されてもいい」「自民党をぶっ壊す」「郵政の改革一つできなくて何ができる」「私は非情です」
それは旧来の日本人の義理人情の世界をひっくり返した刺客戦略とともに、無党派層の心をむんずとつかんだ。孤独で身軽な大都市の単身者の心情に食い込んだのである。言葉は、干からびたチーズとぺしゃんこのビール缶で幕をあけた小泉劇場の重要な小道具だった。
いま、何やら一つの社会現象ともいえる「電車男」のネット上のやりとりも、どこかそれらと相通じている。
本はベストセラーになり、映画、舞台、マンガ、そしてテレビにも登場した「電車男」は、住む世界がまるで違うお嬢さまと、アキバ系のさえない男の切ない純愛物語である。いつしか電車男と呼ばれるようになったオタク青年と、同じモテない男たちが集うネットのサイトには「すっげー寂しい」「泣ける、感動した」「いつかまた会えるよな、この板で」といった“会話”が飛び交っていた。
小泉首相は、電車男に象徴されるサイトの住人、すなわち大都会の孤独な無党派層の若者をみごとなリアルタイムでとらえていたのだ。プロの政治家のもつ動物的カンは天性のものなのだろう。「何ともはやべけんやなこって」というしかない。
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私も小満師大好きです。長崎寄席という西武池袋線東長崎駅前の隔月の会をてつだってます。次回は「柳家小満独演会」です。お越しください。
2008/10/6(月) 午前 9:48 [ 珍太 ]