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彼の国の人々との交渉には別の標的たる「槐」(えんじゅ)は何かを常に考えておく必要があるということなのだろう。例えば、愛知万博からの副首相突然の帰国、ハリケーンへの法外な支援金額、卓球、愛ちゃんへの異常な人気等々あげれば切りがない。 また本文にある岡田英弘氏は「世界史の誕生」(1992年初版、ちくま文庫)で誤った中国イメージを一掃、中国一辺倒史家をこっぱみじんにやっつけたことで有名だが、「この厄介な国、中国」(『妻も敵なり』を改題)は、もっとくだけた内容で同様なCHINA分析をしており、読みやすい。 目次だけでもあげると、 第一章 外交問題は、すべて内政問題(想像もできない行動原理によって動く人々) 第二章 他人はすべて敵と考える民族(漢族は存在しない、殺伐たる夫婦関係) 第三章 現代中国語は、日本語から作られた(漢文は中国語ではない、食人の歴史、恋愛の不在) 第四章 中国近代化の原動力・秘密結社(中国人は神とさえ取引き、表面は儒教徒、本質は仏教徒) 第五章 集団の行動原理なき国(中国は中国である限り、永遠に変わらない) そして最後に「日本人は否が応でも中国人という世界にも希な行動原理を持つ人々と付き合っていかなければならない」と嘆じて(?)いる。 ==== ◆【湯浅博の世界読解】なるほど厄介な国で 中国の行動原理には、桑を指して槐(えんじゅ)をののしる「指桑罵槐」(しそうばかい)という言葉があるそうだ。ある相手を攻撃しているように見せて、実は別のところにいる人物を批判する迂回工作である。 東京外語大名誉教授の岡田英弘氏は快著『この厄介な国、中国』の中で、中国人の本質を見極めるには、相手を観察して彼らが語らないところにこそ事の本質を見いだすべきだと述べている。中国のいう歴史認識も教科書問題も、その背後に別の標的たる「槐」があると説いている。 一九九六年に台湾で初めて住民が直接投票で決める総統選挙を行った際にも「槐」があったと岡田氏はいう。中国はこのとき、台湾海峡でミサイル発射実験を繰り返してこの選挙に圧力をかけた。米国が万一に備えて、二つの空母戦闘群を派遣して事なきをえたことは記憶に新しい。 ちょうど、最高実力者、トウ小平氏の死が目前に迫っており、中国の軍部は台湾海峡で軍事演習を行い、「誰が中国の主人公なのか」を示したとみる。つまり、台湾は「桑」であり、本当の攻撃対象の「槐」は江沢民氏ら後継者たちだったことになる。 江氏を直接攻撃せずに回りくどい手を使うのは、自分に火の粉が降りかかる危険を避けるためだそうだ。こうなると、江沢民氏にとり弱腰は禁物であり、軍以上に「台湾統一」を叫ばなければ足をすくわれかねない。 台湾の人々はこのとき、中国からの危機を敏感に感じ取り、ますます自らの手で政治指導者を選ぶことに意義を見いだした。 さて、この夏の日本の総選挙中にも、中国の海空軍が活発に動いていたことをご記憶だろう。中国軍機が数回にわたり、東シナ海の日中中間線の上空で日本の航空識別圏に侵入した。投票の二日前には日中間の争いの海域である東シナ海に軍艦五隻をわざわざ派遣した事件があった。 これに対しては、米紙ウォールストリート・ジャーナル社説が、「選挙に影響を与えようとしての動きだったとしたら、民主政治というものが恫喝に対してどういう反応を示すものであるか、中国政府はまたも見誤ったことになる」と妥当な論評をした。 もちろん、政治は複合的な力の集積である。今回の場合の「桑」が日本であり、本当の攻撃対象の「槐」が江沢民氏の後継者たる胡錦濤主席であると考えることもできる。人民解放軍は共産党の軍ではあるが、胡氏が軍部を掌握しているかはなお微妙なところにある。 中国が日本の選挙に介入すれば、逆に日本の有権者が反発して「小泉有利」の力学が働く。それを知りながら軍部が動いていたとしたら、胡体制が依然として完全掌握に至っていないことの証明になる。 もっとも、胡指導部と軍部には共通の利益がある。日本がひたすら中国にこびへつらう弱体国であることだ。かつて教科書検定で、文部省が「侵略」を「進出」に書き換えたとの誤報問題で、日本政府が謝罪談話を出して以来、「強く出ると引っ込む」日本のイメージが定着してしまった。 これを払拭するのに、どれほどの時間とコストをつぎ込んできたか。小泉純一郎首相は引き続き毅然とした対中外交を貫けばよい。選挙中、「小泉倒し」の揺さぶりをかけられたのだから。(東京特派員) Copyright; 2005 The Sankei Shimbun
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