|
◆【緯度経度】北京/伊藤正 指導部に対日政策めぐる確執
今年四月九日夕、北京の反日デモは日本大使館だけでなく、大使館から七、八キロ離れた大使公邸にも激しい投石を浴びせ、窓ガラスやパラボラアンテナなどを破壊した。被害は大使館よりずっと大きかった。当時、阿南惟茂駐中国大使とともに公邸にいた史代夫人は、その恐怖心を友人らに話している。
「公邸の壁や窓に石などが当たる音がものすごくて。じっとしてると怖いので、『戦場記者』に変身したのよ」
ビデオを含め四台のカメラで、邸内への投石などを撮影しまくった。撮影という目的意識で恐怖心を克服する戦場記者の経験談を、知っていたらしい。夫人は、暴徒が塀を乗り越え、乱入する不安に駆られたともいう。
警備陣に、デモ隊の狼藉を制止する気配がなかったからだ。
それから二カ月近くたつ。北京デモの一週間後には、上海の総領事館も破壊に遭ったが、いずれも中国側からの賠償も謝罪もないままだ。
昨年夏のサッカー・アジア杯決勝戦(北京)後、暴徒に破壊された公使公用車の修理代も中国側は支払いに応じていないという。
近い将来に中国側が「賠償と謝罪」に応じることはないと断言してもいい。
上海デモの後、中国はデモ擁護の姿勢から抑圧に転換、対日関係の改善の構えを明確にした。四月十七日の日中外相会談と同二十三日の首脳会談(ジャカルタ)で、日本側は「謝罪要求」を棚上げにし、中国側と「手打ち」した。その象徴が、五月十七日からの呉儀副首相の訪日だった。
呉副首相が五月二十三日に予定されていた小泉純一郎首相との会談を当日の朝、急遽取り消し、日程を一日繰り上げて帰国、日中関係を再び冷却化させたことは周知の通りだ。中国側は当初の「緊急の公務」という理由を、日本の指導者の「靖国神社参拝に関する発言」に帰した。
いま、中国側は「参拝について他国がとやかく言うべきではない」との小泉首相の国会答弁(十六日)が呉副首相“ドタキャン劇”の主因だったと認めている。それならなぜ呉副首相は訪日を中止しなかったのか、愛知万博視察と中国デー出席が目的だったというなら、十九日の中国デーの翌日に帰国できたではないか、といった疑問が起こる。
ほかにも「なぞ」はある。中国外務省報道官は十九日の定例会見では、呉副首相と小泉首相の会談を日中関係の発展に「極めて重要」と発言していたし、胡錦濤国家主席は二十二日、訪中した自民、公明両党幹事長と予定通り会談している。今春来の対日政策の動揺がそこには見える。
温家宝首相が日中関係を「中国にとって最重要な対外関係」と発言、関係の改善・発展を打ち出したのは三月十四日。その直後から、日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名活動が始まり、四月には反日デモに発展した。四月十九日の北京での三千五百人集会を境に、日中関係重視論が広がったかと思うと、“呉儀事件”後、反日キャンペーンが復活した。
関係筋によると、中国指導部内には、対日政策をめぐる確執が常にあるという。経済協力を重視する推進派と日米提携戦略を警戒する慎重派の対立で、政府の大勢は前者だが、後者は軍部が中心で、反日愛国主義を称揚した江沢民前中央軍事委員会主席の影響が大きいという。
胡錦濤主席や温家宝首相は日本との合理的関係を求めているものの、その前提には靖国参拝をはじめとする歴史問題の「適切な処理」という看板は下ろせない。胡温政権は依然、江沢民路線の枠を超えることができないとの指摘も多い。
知り得たところでは、慎重派は、小泉首相発言を理由に呉副首相の訪日を批判、即刻帰国を要求したという。
胡主席が二十二日に自民、公明両党幹事長と会談したのは、靖国神社参拝問題への毅然とした反対態度を表明する必要からで、会談直後に呉副首相の繰り上げ帰国を決定。特別機の二十三日の出発申請は前日中に行われた。
日中関係筋は、「緊急公務」との名目で首相との会見をキャンセルしたのは、日中関係への影響を回避するためだったと説明、日本側が不要な勘ぐりをしないでほしかったと話す。軍部を押さえきれない胡錦濤政権の脆弱性を知るべきだというのだ。
呉儀事件の真相はなお不明な点が多い。しかし事件を契機に、中国メディアやインターネットサイトでは、反日キャンペーンが激化、中国の国連大使が「日本の安保理入り絶対阻止」と公言するまでになった。対日関係推進派は、後退を余儀なくされ、反日デモの謝罪など論外という空気だ。
Copyright; 2005 The Sankei Shimbun
All rights reserved.
|