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◆【断】忘れられた言論弾圧
「文芸春秋」七月号に、小泉総理の靖国参拝の是非を問うアンケート回答が載っている。タイトル通り是も非もあってそれぞれに興味深いのだが、本題とは別に興味深いことがある。八十一人の回答者のうち私を含む何人もの人が「支那」という呼称を使っているのだ。
私はこのアンケートに、参拝は政教分離の原則に反する疑いはあるが、そうであったとしても外国に圧力をかけられるいわれはない、と回答している。そもそも日本にだけ「支那」を禁ずるような理不尽がこの問題の根底にある。「支那」の語源は「秦」。侵略とも差別とも何の関係もない。事実、二十世紀末まで支那を侵略し続けたイギリスでもポルトガルでも支那を「支那」近似音で呼んでいて何の問題も生じてないし、イギリス人やポルトガル人が黄色人種である支那人を差別していないはずがない。支那を「支那」と呼ぶのが差別なのではなく、日本人に限ってこれを使わせないことが支那人の日本人に対する差別なのである。
現在マスコミでも学校でも「支那」が使えないのは、人権への配慮からではまったくない。占領下であった一九四六年六月の外務省次官通達によるものだ。そんなものが言論を拘束していること自体忘れられてしまった現在、通達の文言に「理屈抜きにして」という恐るべき言論抑圧の一句があることなど、想像もできないだろう。議論さえ許さないというのだ。
私は四十年近い昔、全共闘の学生だった頃から支那を「支那」と呼び続けてきた。国家権力の横暴に従わないって、こういうことを言うのじゃないか。ちょっと自慢。(評論家・呉智英)
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早本(そうほん)剣士と申しまする。突然の闖入、御容赦あれかし。
拙者が、授業で常々口にせし事、そっくりそのまま、此方にも開陳されてをり、嬉しく拝見致し候。TB御許可頂き度く、宜敷願上候
2008/4/27(日) 午後 11:10
まさにそのとおりです。
傑作
TB
2008/5/3(土) 午前 10:49