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「看護師」の跳梁。でもそれは一部マスコミ、市役所ぐらいで、病院に行くと医師、看護婦とも「看護婦」と言っているので、ほっとした。序に言うと「Business Person」などと言っているビジネス誌は読まないことにしている。
◆【新国語断想】塩原経央 言葉の力 独り歩きする虚構概念
私たちの日常の風景は、今日は昨日のごとく、明日もまた今日のごとくあると信じて疑わない。それは家や木や庭やスズメなどというふうに、世界の事物が事細かに名づけられ、意識によってコントロールされたところに秩序立っているからである。
しかし、この見慣れたシーンに時たま地震や洪水など予期せぬ怪異な力が働いて、その秩序感が根こそぎになるときがある。橋がねじ曲がり、家が濁流に流される、信じられない光景を眼前にして、人は一瞬声をのむ。この言葉を失った刹那に幻のように立ち現れるのが混沌とした世界である。それは言葉以前の、従って名状することのできない未分化の全体で、日常私たちはそれを目にすることはないが、この世にすっぽりとかぶさって存在している。
そう考えると、私たちにとって、世界は決して安定的にそこに見えるがごとくあるものではないことが分かる。人はその未知の、概念以前の全体である陰画の世界から、言葉によってさまざまな概念を切り出す。皮肉なことにその概念は必ずしも真実であることを要しない。言葉の持つ厄介さは、ある概念を切り出した途端、たちまちあちら側からこちら側にやって来て、概念の骨に派生概念や用法やアクセントや評価などいろいろな肉付けを始め、それがあたかも昔からのこの世の住み主であるかのような顔をすることである。言葉というものは、このようにある実体があって、しかる後にその実体に名が与えられるのではなく、名によって実質を作り上げるのである。
詩人はそうした言葉の持つ力を知っていて言葉を紡ぎ出すことに生涯をささげるが、その力のすごさを知る者は必ずしも詩人だけではない。陰謀家もその力を悪用する。例えばある日「文化大革命」という言葉が発せられるや、紅衛兵の破壊行動を通じ、急速にその内実を膨らまし、後の検証であれは単なる毛沢東の権力奪還闘争に過ぎなかったことが判明するが、「文化大革命」はそれを含めて実体らしさを造形したのである。
平成十三年に改正された「保健師助産師看護師法」以来「看護婦」という言葉は日々に内実をやせさせ、代わって「看護師」が実体らしさを太らせつつある。社会的性差を解消しようとする、フェミニストの文革はかくして、言葉を書き換えることで社会の内実を書き換える陰謀に一定の成果を収めたのである。
「従軍慰安婦」という言葉は、宮沢喜一内閣時代の河野洋平官房長官談話によって、あたかも実体があるがごとくに独り歩きした一典型だ。あの談話が確たる根拠もないまま政治的配慮から出されたものであることは、当時の石原信雄官房副長官が証言している。以後「従軍慰安婦」はわが国の歴史教科書につい最近まで跳梁し、歴史認識で日本を責め立てる中韓の外交カードになお利用されているのは周知の事実である。
嘘の言葉が本物のような内実を獲得する事実を悪用する陰謀に対抗するには、われ一人は「看護婦」と言い通す覚悟を持つことである。あれは「従軍慰安婦」ではない、一般的商業行為に過ぎない「戦時慰安婦」である。正しい内実を取り戻すにはそうした熾烈な言葉の戦いを要することを知るべきである。
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