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政治空白、憲政の常道、強行採決、どれも常套文句だが、これら手垢のついた用語を依然引用しているマスコミも悪い。産経がこの問題を敢て指摘しているところは評価できる。それに気づかぬマスメディアが多い中で。
◆【主張】政治空白 改革路線立て直す期間だ
衆院の解散・総選挙に対し「政治の空白は何としても避けたい」という反対論が与野党を問わず聞かれた。すでに衆院は解散し、各党、そして自民の郵政民営化法案賛成、反対両派は雪崩を打って選挙準備に走り出している。この時期にこそ、あえて「政治空白とは何か」を考えてみたい。
八日の解散から九月十一日の投開票まで、少なくとも三十五日間は次の政権の担い手が不明確なため、政府の来年度予算の概算要求基準は暫定の域を出なかったし、外交にも部分的に支障が生じかねない。
また、解散で障害者自立支援法案など廃案が相次ぎ、次期国会での法案出し直しを余儀なくされた。
政治的空白は確かに生じている。だが、内外の大きな変化に直面するわが国の現状を考えれば、改革のために必要な総選挙を、ことさら政治空白として批判する必要はない。
むしろ有権者は改革への関心を高めており、今は改革路線を立て直すために必要な期間だともいえる。
一時的な政治空白よりも、「平時の政治空白」ともいうべき慢性的な改革意思の不在こそが問題である。
たとえば、社会保障改革に関しては昨年春、年金改革関連法の国会審議で政治家の年金保険料未納問題が批判され、「年金一元化を含む社会保障制度全体の見直し」に取り組む自公民三党の合意が成立した。昨年七月の参院選でも各党はこぞって年金改革の必要性を強調していた。
ところが、参院選が終わると、年金改革の議論は一気に下火になり、「社会保障制度全体の見直し」を協議する衆参合同会議がようやく発足したのは今年四月だった。しかも、その協議すらほとんど中身のある議論に入らないまま衆院解散とともに解散した。
一年余りの時間がいたずらに空費され、年金改革に政治の意思は示されなかったといっていい。
根本的な構造改革が進まなければ、既存制度が温存され、慢性的な改革意思の不在という平時の政治空白が常態化するだろう。
本当の政治空白は、選挙の結果、これまでの構造改革路線が否定されたり、逆戻りしたりするような事態となったときに起きるのである。
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