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FujiSankei Business i. (2006/12/18)より。 あの頃買えたのははせいぜい「ホワイト」どまり、「ダルマ」さえ飲めなかったものだ。就職して初めて神戸のスナックに「ダルマ」をキープした時の嬉しさは忘れない。ママさんのだみ声と笑顔と新入社員での神戸生活と(そう言えばあのママさんは武田鉄矢のお姉さんだった)。 爾来、東京・紐育・星港と30年の飲み屋通い、累計何本空けたことか。しかし飲み屋でそれ以上の人と知り合ったことも確かだろう。酒は文化なり。 ===== サントリーが今年3月に発売した「ザ・サントリーオールドウイスキー」が好調だ。“ダルマ”の愛称で親しまれてきた「オールド」を7年ぶりに全面リニューアルして売り出し、11月まで前年同期比10%増の伸びが続いている。ダルマ効果で、年々減少してきたサントリーのウイスキー販売量も、2006年はマイナス幅が大きく縮小し、07年には9年ぶりのプラスもみえてきた。 1950年に発売された「オールド」は、丸みを帯びた黒いボトルから“ダルマ”と呼ばれ、国産ウイスキーを代表するブランドになった。3月のリニューアルでは、中身とラベルのデザインを刷新し、印象を強めるため、商品名に「ザ」の定冠詞を付けた。 味も、「オールド世代」ともいえる団塊の世代を強く意識。シェリー樽で熟成したモルト原酒の比率を上げるなどして、まろやかさを高めた。テレビCMにも、団塊の世代の歌手、井上陽水さん(58)を起用。販売店の店頭に特別専用棚を作るなどの積極的なプロモーションも奏功し、好調な販売が続いている。かつてオールドを愛飲していた“卒業生”たちに戻ってきてもらおうというのが、サントリーの戦略だ。 ≪こだわり派貢献≫ 国産ウイスキー市場は、健康志向に伴う高アルコール飲料離れのほか、かつての日本酒の地酒ブームや成長が続く焼酎に押されて年々縮小。05年には6万9000キロリットルと、83年のピークの4分の1にまで減った。 特に、オールドは、ボトルを店にキープして飲むスナックやパブの衰退が響き、80年の1240万ケース(1ケース=12本入り)をピークに、05年には50万ケースにまで激減していた。 ただ、最近は蒸留所の個性を楽しむこだわりの「シングルモルト」が、輸入物を中心にブームとなるなどウイスキー復活の兆しも出ており、国産の減少にも歯止めがかかりつつある。 サントリーでも、今年1月に「プレミアム営業部」を設置。シングルモルトの「響」と「山崎」の販売を強化。いずれも6月までの上半期で前年同期比20%増と好調だ。同社のウイスキー事業は、ここ数年4、5%のマイナスだったが、オールド効果もあり、06年は2%程度のマイナスにとどまる見込み。 団塊の世代の大量退職が始まる07年は、ウイスキー回帰への期待も大きい。サントリーではオールドを「人生をともに歩む旧友」と位置付け、年4回の大キャンペーンを行うなど積極的に売り込んでいく考え。07年は、ウイスキーが“ダルマ”のように力強く起き上がる年になりそうだ。 ◇ ■父親世代に「あこがれ」贈る □リニューアルを担当した洋酒事業部・高田めぐみさん 3月にリニューアルされた「オールド」は、団塊の世代の60歳の父親を持つ、洋酒事業部の高田めぐみさん(27)が中心になって開発した。
「入社後に上司に連れられ、ウイスキーを初めて飲んだ」という高田さん。2004年に洋酒事業部に配属となり、商品開発に携わり、一般消費者を対象とした試飲やグループインタビューなどを担当した。 このインタビューのなかで、「オールドに似ていてなつかしい味がする」という団塊の世代の声が多く聞かれたことが、全面刷新のきっかけになった。 しかし、入社5年目の高田さんは、「オールド」のことをほとんど知らなかった。困って母親に尋ねると、こんな思い出話を聞かされた。 「昔、お父さんが会社を辞めて、私が働いて生活費をやりくりしていたころ、ボーナスのときに、これまで頼みごとなんてしなかったお父さんに、『オールドを買ってくれないか』と頼まれたことがある」 高田さんは、「団塊の世代にとって、オールドは『いつかは飲みたいあこがれのお酒』。思い出としても深く心に刻み込まれている」と実感し、オールド復活の手応えを感じた。高田さんは、真っ先に父親にプレゼントし、今ではオールドを両親と楽しんでいるという。 http://blog2.business-i.jp/tb.php?art_id=200612180001a&path=/news/sou-page/news/ |
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この意味するところは何か。産経はさすが読みが深い。これで離党議員の復帰も可能となったわけだ。本当に小泉さんの政治感覚には端倪すべからざるものがある。 「政治家は使い捨てだ」小泉前首相、1年生議員をバッサリ 小泉氏は、ミュージカルの話題でにこやかにあいさつを始めたが、中盤で突如、選挙の話題に切り替えた。 「握手やお酌をしているときだけが選挙じゃない。選挙民は日頃の行動から、この人は信用ができるかを見極めている」 さらにボルテージは上がり、「政治家は使い捨てを嫌がってはいけない。首相の私もそうだった。1回1回選挙で使い捨てられることを覚悟しないといけない」と断言。最後は「邪魔する人はたくさんいる。敵はあまたなり。いさぎよくそういう気持ちで頑張ってほしい」と締めくくった。 出席した約50人は、久々に対面した小泉氏の冷たい言葉に呆然。復党反対派は8日、「復党問題を考える会」(仮称)の発足を予定しており、道場を前哨戦と位置づけていただけに、出はなをくじかれた形となった。ある議員は「次の選挙も何とか党執行部に守ってもらおうという甘い考えへの戒めだろうが、厳しい」と漏らした。 復党反対派の急先鋒である武部勤前幹事長も困惑の表情。道場の「塾長」として小泉氏の直前にあいさつし、「皆さんが戦った相手は古き悪しき抵抗勢力で、改革の敵だ。復党問題が出ているが、後戻りすることは絶対ない」とたんかを切っただけになおさらだ。 安倍晋三首相は同日夜、首相官邸で記者団に「(小泉氏の発言は)常に自分の力で選挙に勝ち上がる気概を持てという意味ではないか」と述べた。 (11/07 23:01)
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我々はこの発言をもっと重く受け取るべきだ。その答えが早紀江さんのコメントにある。「ありがたいこと。人権、自由を大切にする国の代表者として、同情していただいた」、これは自国の国民が他国の政治権力により誘拐されて既に30年も経つのに、これを我々の問題として真剣に解決しようとしなかった我が国の全ての体制への強烈な批判だ。 ◆横田さん面会 米大統領「意義深い」/心強いメッセージ 早紀江さん ブッシュ米大統領は11日にホワイトハウスで行った記者会見で、今年4月に拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんと面会した思い出に特に触れ、北朝鮮の体制悪を非難した。米大統領が記者会見で外国民間人との面会に関し所感を述べるのは異例。その発言の全文は次の通り。(ワシントン山本秀也) 「大統領として最も意義深い瞬間のひとつが、日本の母親が大統領執務室を訪れて、娘を北朝鮮に拉致されることがどんなものなのか話してくれたときだった。皆さんもそれがどんなものか想像できるだろう。私は胸が張り裂ける思いだった。誰しも同じ気持ちになるだろう。だが、それは(北朝鮮)体制の性質も物語る。だから、私たちは、私はこの(核)問題の外交的解決には米国一国の声以上のものが必要だと確信しているのだ」 You know, one of the most meaningful moments of my presidency came when a Japanese mother came to the Oval Office to talk about what it was like to have her daughter kidnapped by North Korea. You can imagine what that was like. It broke my heart. And it should break everybody's heart. But it speaks to the nature of the regime. And, therefore, we -- I am convinced that to solve this diplomatically requires more than just America's voice. ◇ ブッシュ米大統領が記者会見で横田早紀江さんとの面会に改めて言及したことについて、早紀江さんは12日、産経新聞の取材に「思いがけない言葉でした。拉致被害者の家族にとっても、日本の国にとっても、心強いメッセージ」と感謝の気持ちを語った。 早紀江さんは、今後の展開について「これからデリケートな流れが続きそう」と不安も口にしたが、大統領の発言を「拉致という一種のテロを許せないという気持ちの表れでしょう」と評価。 「ありがたいこと。人権、自由を大切にする国の代表者として、同情していただいた。拉致被害者のこと、家族のことを、私たちが受け止めている以上に強く受け止めていただいていたんですね」としみじみ語った。
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先週末から一時帰国、横浜でごろごろしている。来週月曜日までの10日間、遅い夏休みだ。渋谷から田園都市線で40分、都市圏の住まいとしては普通の距離だろうが、シンガポールで10分通勤に慣れてしまうと、東京はやはり遠いなと思う。毎朝毎晩ラッシュに揺られ通勤するのは本当に大変というか立派だなと思う。つい四年前には自分も同じ身ではあったが。 4年間肩身離さず一緒にいてくれたパナソニックLets noteが壊れたので、買い替えに渋谷まで出かけた。990グラムの超軽量でどこにも持っていける奴だ。その後文庫本でも買いライオンで小一時間を過ごし、日が翳ってきたらその足で南青山の行きつけのバーに闖入、老マスターと久し振りに四方山話をしようか。興が乗ったらカラオケでも唄おうか。何も作り出さないこんな一日もまた楽し。 午後三時を過ぎたI駅は人も少なく、依然強い日差しの中で、学生やら主婦やらのきゃんきゃら声が駅に響いていた。車中はがらがらで携帯に夢中な乗客がやたら目に付く。目の前では傍目を気にしないバカ女がお化粧している、これも今や日常風景なのだろう。 首尾よく望みのPCを購入、何時ものように西武を通り過ぎ大盛堂に向かったが、無い。二年ぶりの渋谷は通りもいろいろ変わったが、それでも大盛堂には目をつぶっても行けるくらいだ。学生時代からの三十年間、多分百何十回も行っただろうか。バイトの行き帰り、恋人との待ち合わせ、自然に足が向かったものだが、それが無いのだ。 暫し呆然と立尽くした後、已む無く歩を戻し、駅前交差点にある駅のキオスクみたいなミニ大盛堂の店員に「本店、どうしたんですか?」と尋ねたら、「ただ今休業させて頂いております」とバカ丁寧な日本語の返事。「休業ってどういう意味?」と再度訊こうとも思ったが、返事はそれだけだろうと断念。「そうだ旭屋があった」と109に向かったが、何とこちらも跡形も無く、辺りは喧しい音楽ばかり、「どうなってんだ!」と逃げるように道玄坂を昇り、ライオンへ駆け込んだ。 名曲喫茶ライオンはラブホテル街入り口で静かに鎮座していた。無愛想な店員も昔のまま。メンデルスゾーンか何かの音楽が流れていた。大きいマッチをもらい、大盛堂も旭屋もない渋谷とは何なのかと、暫く紫煙を燻らせた。
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産経は日本のメディアの中では台湾への好意的な報道が多い方だが、それでも登場人物は戦前の日本との関わりから年代は70歳以上が多く、もっと若い(?)50歳レベルを出せばよいのにと常々思っている。20−40歳代には新たな「親日派」がいるのだろうが、50を超えてもその親から受け継いだ「愛日派」が多いのだ。 台湾人は何せ声が大きい、台湾議会の乱闘騒ぎは有名だが、彼らと昼夜食事を一緒にするととにかくエネルギッシュな食べ方・飲み方は感嘆ものだ(これにはChina本国人は負けるなといつも思う)。同僚とは喧嘩しているのではないかと思うくらい激しい物言いをしていても、食事時にちょっと日本語になると本当に穏やかな顔で静かに話し始めるのだ。日本語の魔力と言えよう。 日系企業はコスト低減を目的として技術伝承のための学校を世界中に手弁当で作り始めている。船員学校等々。こんな事をやっているのは日本くらいだが、それならば世界で筋金入りの親日国家台湾に、手元資金の潤沢な企業が日本語学校でも作り、日本文化伝承の努力をするところはないものか。 ◆【外信コラム】台湾有情 考えさせられた台湾巡業 「あの写真はウチの奥さんだよ、奥さん!!」。70年ぶりに実現した大相撲の台湾巡業に参加した旭鷲山は、夫人とのツーショットを「力士が連夜の夜遊び」との大見出しで報じた台湾メディアの“勇み足”に憤慨した。 今回の巡業、台湾メディアが相撲特集を組むなど、前評判は高かった。ところが、主要メディアの「相撲担当記者」にしてからが初日になって、「土俵って何?」「北の湖(日本相撲協会理事長)ってどれが姓でどれが名前?」と、当方を初歩的な質問で取材攻めにするぐらいの不勉強ぶりで、全般に興味本位の報道も少なくなかった。北京語による場内解説についても、「公平性を欠き品位も何もない」との批判が上がる始末だった。 もっとも、日本人以上に日本人らしい世代がいるのも台湾だ。70歳以上の日本語世代の男性は観戦後、「決まり手の『上手投げ』を(北京語の発音で)シャン・ショウ・トウといわれても気分が出ない」と嘆いていた。 日本の文化・伝統を理解し、愛する人々が台湾にはいる。これを次世代につなぐには何をなすべきか−。日本人として多くを考えさせられる今回の台湾巡業ではあった。(長谷川周人) Copyright; 2006 The Sankei Shimbun
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