自民次期総裁、石破氏トップ 朝日新聞緊急世論調査 民主党代表選と自民党総裁選が行われるのを前に、朝日新聞社は8、9の両日、全国緊急世論調査(電話)を実施した。14日に告示される自民党総裁選で総裁にふさわしいのは誰か、6人の名前をあげて聞くと、前政調会長の石破茂氏が23%でトップ。再選を目指す総裁の谷垣禎一氏は7%で4位だった。
2位は幹…
この後、「続きを読む」
となっていて、会員限定で読めないが、多分、こんなもんでしょう(ちょっとうがっているか?)。
「2位は幹事長石原氏、3位に元総理の安倍氏、4位谷垣氏と続いている。...健康不安を抱える安倍元総理への支持は伸びていない云々。」
当ブログでも逐一モニターすることとしますが、それにしても安倍政権366日の「安倍叩き」は常軌を逸していた。2007年8月29日の以下の記事等で書いた。
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がれきと化した町並みに黙礼される天皇、皇后両陛下=4月27日、宮城県南三陸町(AP、4月28日付本紙1面掲載) 何度見ても、何度見ても、このお姿には涙を禁じ得ない。
竹本氏言われるように、天皇皇后、両陛下のこの「祈り」とは何であるのか、われわれ日本人は今更ながら深く思いを致すべきではないか。
そして日本人がその始原から持っていた精神の高貴さをもう一度取り戻すために。
両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え 文芸評論家・竹本忠雄
2011.5.9 10:33
4月28日付の本紙1面に私は大きな衝撃を喫した。
天皇皇后両陛下が、畳なわる瓦礫に向かって黙祷されるお姿に−。
衝撃は、この写真の左側に載った「迷惑をかけない日本人」という記事とのコントラストで倍加した。ソウル支局長、黒田勝弘氏のリポートで、そこで投げられたある問いに対して両陛下のご姿勢以上に絶妙の答えはありえないと思われたからである。
黒田氏は、いま外地でも評判の、なぜ被災地の日本人はかくまでも「冷静で秩序正しい」のかとの疑問を取りあげ、韓国人の間では「諦念」「遠慮」といった評語まで飛びかっていると伝えている。
これまでにもメディアは諸外国でのこの「なぜか」を報じてきた。そのつど私は、このようなメンタリティについて下される種々の憶測を興味深く思ったが、同時に、本当の理由がどこにも指摘されていないことにもどかしさを禁じえなかった。その「なぜか」への至上の答えを写真は黙示していると思われたのである。
このことは私に忘れられないある対話を思いださせる。昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光佐三(さぞう)氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたときのことである。「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。仏教も、その理由の一つではないでしょうか」との単刀直入のマルローの問いに、間髪を容(い)れず出光翁はこう答えたのだ。
「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」と。
たしかに、国難のいま、私たちを斉(ひと)しく打つものは、皇室、何よりも両陛下の、あの同床同高とも申しあぐべきご姿勢に表れた何かである。祈りである。今回だけではない。これまでの日本中の被災地めぐりだけでもない。先の戦災地、さらには南冥の島々まで、慰霊の旅をも、お二人は重ねてこられた。しかも史上、「恤民」すなわち民を哀れむは、皇道の第一義として歴代天皇の最も実践してこられたところであった。
であればこそ、国民も常にそれに感じ、「民を思い、倹を守る」お姿以上に頭を高くすることを慎んできたのだ。被災地で命を救われたおばあさんが「すみません」とお礼を言って美談となったそうだが、このような国なればこそ、自ずと培われてきた節度なのである。
大震災は、しかし、大地の亀裂だけでなく、これほどの国柄にもかかわらず日本人の心に生じていた分裂をも露わにした。国安かれとの天皇の日夜の祈りを踏
みにじるような、現政権担当者たちの無知、厚顔、専横の数々は、「3・11」を待たずして既に別のツナミをもって国を水没させつつあったのではないか。
御在位二十年記念の折、皇居の宮殿でのことを私は忘れもしない。事もあろうに、両陛下お招きの祝宴で最後に鳩山首相の発声もあらばこそ、片隅で、蚊のなくような幸夫人の声で辛うじて「…ばんざい」と一言、拍手もまばらだった。
戦後66年、憲法の一行をも変ええず、民主主義を盾に政治家の皇室軽視の言動が昂ずる一方で来ただけに、大天災の中で却って強められた君民の絆は、なお尊く、真に日本の未来を照らす光ではなかろうか。
政治家は「一寸先は闇だ」というが、祈りを通じて天皇皇后は国の全体を見透しておられる。でなくして、皇后美智子さまが、『岬みな海照らさむと点るとき弓なして明かるこの国ならむ』とお詠みになることはなかったであろう。
天皇皇后の祈りとは何か−−これを考えるべき時が来た。
昭和天皇が、崩御に先立って翌年の歌会始のために遺されたお題は、『晴』だった。来年のお題は、『岸』だ。まだ東日本沿岸がそよとも揺れなかった今年1月、どこから、陛下のみ胸に、このヴィジョンが生まれたのであろうか。(寄稿)
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【プロフィル】竹本忠雄
たけもと・ただお 昭和7年生まれ。文芸評論家、筑波大名誉教授。霊性文化の次元から日本の理解と復権を目指して多年、日欧間で講演と評論活動に従事。コレージュ・ド・フランス招聘教授として『マルローと那智滝』連続講義及び出版、皇后美智子さまの御撰歌集『セオト せせらぎの歌』の仏訳を刊行。著書に『皇后美智子さま 祈りの御歌』『天皇 霊性の時代』など多数。 |
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下記は小泉首相が2005年10月17日に靖国神社への公式参拝を終えた後の各国、メディアの反応を整理した産経社説(2005年10月25日付)及び筆者の感想である(同日付)。
中韓の二ヶ国はある人が言っていたが「特殊アジア」、他の圧倒的多数であるアジア諸国の心ある人は、日本人の心の問題である「靖国」には、(幾らマスコミが騒ごうと)ある人は無関心、ある人は敬して近づかず(Stay away)、またある人は寧ろ尊敬の念を持つに至るのだ。「はあ、日本人はちょっと違うな」と。
大方のChinese、Koreanがそうであるような、「死者に鞭打つ」ような発想は日本人には希薄なのかと。むしろインドネシア、ミャンマに居住する民族の発想に近いのかも知れない。筆者が日本人は南方系に違いないと確信している理由の一つである。
首相問責、総選挙だと相変わらず大騒ぎしている日本のマスコミに「靖国」をもう一度考えてもらいたい。
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静かな語り口だが、これは産経主張の勝利宣言とも言える。朝日を頭目とする反日メディアはいったいこれらにどう反駁するのだろうか。まさに私の主張(?)「朝日の反対を行けば国は安泰。朝日主張に沿えば国は危機に瀕する」ということだ。
海外論調もNY TIMESのような一部跳ね上がりはあったが、一様に静かというより無関心だった。Bostonの「Christian Science Monitor」はエリート紙らしく「Koizumi's visits boost controversial version of history」として「歴史の再評価をしても良い」とまで言い切っている。
How Japan was 'forced' into warとして、ハルノートから日本は戦争に追い込まれたという意見を紹介したり、日本人の信心の問題を詳しく解説している。戦時中、(敵国だから当然だが)JAP ZERO Plane等と言っていた紙である。小泉さんの5度にわたる靖国参拝、その間の中韓の大騒ぎは世界の心ある人々にChinese、Koreanと異なり「はあ、日本人とはこういう民族なのか」といったある種の敬意(RESPECT)の念を図らずも引き起こしたとも言える。今まで日本は主張しなさ過ぎたのだ。
これからも国内の反日メディアはやかましいだろうが、この「主張」のように、両国の政権が「靖国」を外交カードとして使えなくなるように、より重層的な関係をつくっていくことなのだろう。
◆【主張】首相靖国参拝 国民は冷静に受け止めた 2005年10月25日社説
小泉純一郎首相の靖国参拝で日韓外相会談を見送る意向を示していた韓国は、潘基文外交通商相が予定通り、今月末に来日すると伝えた。日本国民は首相の靖国参拝に過剰反応をせず、東アジア外交も、多くのマスコミが指摘したほどには悪化していないようだ。
小泉首相が靖国参拝した翌十八日付の各紙社説は、産経を除き、首相の参拝に批判的な論調が目立った。
しかし、朝日新聞の緊急世論調査では、首相の靖国参拝を「よかった」とする回答が42%で、「参拝するべきではなかった」の41%をわずかながら上回った。共同通信社の調査でも、参拝支持が48%と不支持の46%を上回った。フジテレビの調査は、「評価する」(47%)が「評価しない」(48%)をわずかに下回った。
今夏の各紙世論調査では、首相の靖国参拝に反対する意見が賛成意見よりかなり多かったが、その差は縮まり、逆転する傾向すら見せている。日本のマスコミ論調が、必ずしも民意を反映していないことの証左といえる。
中国は二十三日からの日中外相会談をキャンセルし、抗議の言葉は激しかったが、四月に起きたような暴力的な反日デモは再発していない。当局が力でデモを封じ込めているといわれる。今春の“官製デモ”で、北京の日本大使館の窓ガラスなどが割られる映像が世界中に流れ、国際社会から批判を受けたことの学習効果だろう。
韓国の“反日”の風潮はもともと、中国とは温度差があった。日韓外相会談を行う方向に転換したのも、日本の冷静な世論を見極め、現実的な選択をしたからだとみられる。
アジアは中国と韓国だけではない。インドネシアのユドヨノ大統領は六月の安倍晋三・自民党幹事長代理との会談で、「国のために戦った兵士のために(小泉首相が)お参りすることは当然だ」と語っている。東南、南西アジアや大洋州をも含む広い視野に立ったアジア外交が必要である。
「継続は力なり」といわれる。小泉首相は中韓両国の抗議で途絶えていた靖国参拝の慣例を復活させ、五年間続けた。小泉首相の後、誰が次期首相になっても、参拝を継続し、両国が「靖国」を外交カードとして使えなくなるような関係の構築が大切だ。
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2005年7月8日「正論」より。 本ブログを始めたのは2005年2月、既に7年半が経過し、左の通り合計投稿数は818通にもなっている。途中2008年から中断があったが、今回過去の投稿記事をざっと読み返してみた。
現在でも通じる内容の記事が目白押しであり、と言うことは、逆に状況は悪くなっているということか?例えば下記正論記事は、正に今主張したい気がするくらいではないか。
【正論】明治大学教授入江隆則 ギリシャ悲劇に学ぶ「靖国」の核心 人為で自然の法蹂躙するは誤り
≪江藤淳氏とアンティゴネ≫
六年前に自決して世を去った江藤淳氏は、晩年にはいつもギリシャ悲劇の「アンティゴネ」の薄い英訳本を、かばんの中に入れて持ち歩いておられた。
東京裁判で有罪判決を受けて死んだ昭和殉難者たちを、靖国神社に合祀するのは当然であり、またその人々を含めて国難に殉じた人々に哀悼の意をささげるのは、後世に生きる人々の責務であることを理解するのに、これは格好のテキストですよ、といつも言っておられた。
悲劇「アンティゴネ」の筋は簡単である。
ギリシャの古都テーバイでポリュネイケスとエテオクレスという兄弟が王位を争って、攻防戦で共に刺し違えて死ぬ。そこで王位についた彼らの叔父クレオンは、町を護った側のエテオクレスの屍はねんごろに葬ってもよいが、敵方として来攻したポリュネイケスの方は、これを埋葬してはならず、屍を野ざらしにして、決して哀悼の意を表してはならないという布告を出す。
この布告に激しく抵抗して、ポリュネイケスを埋葬して哀悼の誠をささげてから、敢然と死刑の宣告を受けるのが、クレオン王の姪アンティゴネである。
彼女に言わせれば、生前の政治的立場によって死者を選別するクレオン王の布告は、生き残った者の政治的な都合による「人為の法令」に過ぎない。しかし「悠久の昔から伝わる神の掟に基づく、人性の自然の法」は、そういう「人為の法令」の支配を禁じているというのである。
かくしてアンティゴネは、自らの信念に従ってポリュネイケスを埋葬し、クレオン王に殺されるが、その結果、アンティゴネを慕っていたクレオンの息子が自殺し、それを悲しんだ王妃も狂い死にをして、やっとクレオン王は、自らの思慮の足らなさに気づき、悲嘆に暮れるという物語である。
≪悠久の昔からの“神の掟”≫
このクレオンとアンティゴネの論争点が、昨今この国を騒がせている靖国問題の核心に触れているのは、故江藤淳氏の慧眼どおりである。
戦争というのはクラウゼヴィッツが指摘した通り、「政治の他の手段」であって、それはギリシャ悲劇の昔から二十世紀の大東亜戦争に至るまで変わるところがない。そこでは常に「人為の法令」や「人為の判断」が「人性と自然の法」に取って代わろうとするが、それは人間の傲慢の表れである。
早い話が、東條英機元首相、松井磐根大将、廣田弘毅元首相といった昭和殉難者たちは、たしかに東京裁判で死刑にはなったが、そもそも東京裁判なるもの自体が、戦後処理に関する戦勝国の「人為の法令」の具体化に過ぎない。
したがって、そんなもので死者に対する「悠久の昔から伝わる神の掟」を覆すことはできない、と劇作家ソポクレスなら言うはずである。
昭和殉難者たちの伝記を読んでみれば分かるが、この人々はルーズベルトやスターリンや毛沢東といった面々と政治的に対立はしていたが、彼ら以上に悪辣だったようには見えない。むしろ追い詰められて否応なしに困難な選択を迫られたというのが、公平な見方であろう。
しかも、殉難者たちはすでに死刑によって、東京裁判で一方的に罪とされたものを償っている。その上、哀悼の意をささげるのまで拒否せよというのは、クレオン王と同じ専横だと、江藤淳氏は言っていたのである。
ここで中国という国が、昔から「人為の法令」によって「人性の自然の法」を蹂躙してきた国だという史実を思いだしておくのは無駄ではない。
≪王朝交代ごとに歴史改竄≫
かの国の易姓革命という名の王朝交代の内実は、概して前王朝の人々が虐殺され、その度に後王朝の「人為の法令」によって、歴史が改竄され続けて、それを「正史」と称してきた歴史だったからである。
してみると中国共産党が戦後六十年経った今、日本を屈服させる政治の道具になりそうなものは、何でも使おうとするのは、彼らの政治文化に照らして何の不思議もないというべきだろう。
不思議なのは、その中国に阿るために、クレオン王のそれにも似た「人為の判断」にたやすく乗じられて、叩頭と自己否定を繰り返す日本のマスコミと政治家たちの存在である。
それを拒否するためにも、今年こそ小泉首相は八月十五日に堂々と靖国神社に参拝していただきたい。
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下記記事は「メルマガ日台共栄」から転載させて頂きました。有り難うございました。
「彼らの抗議行動など報道するに値しないものである」、「中国のそれは単なる憂さ晴らしのためのもの」、「我々日本人にとっては痛くも痒くもない。」、全くK・Aさんの言われるとおりなのですが、日本の反日メディアは敢えて誇大報道を繰り返しています。
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【読者の声】 私が見た中国での反日抗議活動 K・A(上海駐在員)
今朝(8月20日)、出勤のためいつも通り迎えの車に乗り込むと、運転手が「車を傷つけられた」と報告してきた。 確認してみると、鍵か何かでつけた50cmくらいのいたずら傷が車体のドア部分に入っている。当社の車はホンダ車で、最近替えたばかり。馬鹿な奴の仕業に違いないと思うと同時に、日本の志ある方々による尖閣諸島の魚釣島上陸という「偉業」が成し遂げられたタイミングだけに「もしかして関係あるのでは?」と疑ってしまった。 さて、報道の通り、中国では先週末、各地で「反日デモ」が行われたという。私の駐在する上海でも、日本領事館前で抗議行動が行われたらしい。それを日本のマスコミは大きく報道する。 しかし、こちらに駐在している私からすれば、日本のマスコミは少々騒ぎすぎではないかと思う。いや、もっと言えば、彼らの抗議行動など報道するに値しないものである。 なぜか? 日本のデモや抗議活動は同じ志を持った同志の集まりであるのに対し、参加者全員がそうとは言わないが、中国のそれは単なる憂さ晴らしのためのものだからである。 そもそも、地方から出稼ぎで大都市にやってきた人々が、尖閣にしろ靖国神社のことにしても、何を理解しているのだろうか? 下手をすると尖閣諸島がどこにあるのか知らない参加者もいるのではと疑ってしまう。 私は通算すると9年半ほど中国に駐在しているが、そもそも中国人というのは頭の中にあるのは「金」のことばかり。いかに金を稼ぐか、それしか考えていない。 低学歴で安い賃金で働かされている出稼ぎ労働者は、その日暮らしで精一杯。ぶつけどころのない社会への不満や自分のストレス発散のためにデモ等に参加する。しかも「愛国無罪」なる美名のもとでは暴れまわってもお咎めなしなのだから、ストレス発散の場所としては最高である。そんな無知な人民による反日抗議活動など報道するに値しないという理由は、そこにある。 彼らのデモは毎回同じ。烏合の衆の集まりなのだから致し方ないが、決まって「日本製品を買うな」という不買運動を叫んだり、暴徒化するものは日系デパートや日本料理店や日本車の襲撃破壊である。 そもそも純粋なメイドイン・ジャパンの物など、中国ではそんなに出回っていない。中 国に進出している日系企業の製品を買うなということであれば大いに結構。物が売れなくなればそれだけ雇用の必要もなくなるのだから、大量の失業者が出るだけである。日本から中国人がいなくなっても日本が困ることはないが、中国では雇用の機会が失われることで失業者が増加し社会不安になるだけである。 日本料理店の襲撃や日本車の破壊も同じことで、そもそも日本料理店の経営者は全て日本人でなく、大部分は中国人経営のお店であるし、日本車の所有者もほとんどが中国人であろう。 何の知識も計画性もないデモ隊が、日本料理店の看板や車を見ただけで破壊に及ぶ行為は自国民同士の喧嘩と考えればよく、我々日本人にとっては痛くも痒くもない。 いっそのこと毎週末でもデモを挙行して貰い、一党独裁の中国崩壊に繋がる原動力にでもなってくれれば、このくだらない「反日デモ」も少しは意味を成すものになるのだが。 ●Kさんは「魚釣島への上陸ニュースを見た時は本当によくやって下さったという気持ちでした。それに呼応するように起こったいつもながらの反日抗議活動のニュースは、またかという気持ち」だったそうです。そして「こちらに在住している日本人は何の変わりもなくいたって冷静に生活しています」とも報告してきています。やはり今回の中国のデモは、いつもに増して意図的なガス抜き・憂さ晴らしのデモのようです。 ===
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