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第一報は12月9日夕刊(発行は8日夕刻)であった。ハワイのみならず、グアム、シンガポール、香港、マレー半島への攻撃開始。各紙は勝報(捷報)を争って伝えた。
当時の主要紙(東京)は部数順に讀賣、朝日、東京日日(毎日)の3紙、朝刊は4−8頁、夕刊は4頁程度であったようだ。ラジオ以外に情報源がなかったので、夕刊などは皆争って読んだ。
下記朝日記事は一部大意です。尚当時の新聞記者は戦後もそうであったが、記事ねたを元に恐喝やゆすりが横行、あまり全うな商売とは思われていなかった(幼少年時代即ち昭和30年代でも親父、お爺から聞いたことがあった。「ブン屋」)。悲しいことだが、今の北朝鮮の扇情報道と似通ったところが無いか。
帝国の対米英宣戦(昭和16年12月8日)
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宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向かうところは蹶として定まったのである。わが陸海の精霊はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。
帝国は日米の平和の道を求めるため、最後まで条理を尽くして米国の反省を求めたにもかかわらず、米国はわが公正な主張に耳をそむけ、かえってわが軍の中国からの全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国同盟の破棄というような要求を強要するのみならず、対日包囲攻勢を強化し、わが平和達成のへの努力は水泡に帰した。いま大詔を拝し感激に堪えないとともに満身の血がふるえるのを抑えることができない。一億同胞は一身一命を捧げて決死報国の大儀に殉じなければならない。
敵は豊富な物資を有し、無法な世界をほしいままに制覇する意思を抱いている。したがって、これを撃破し帝国の自存を確立し、東アジアの新秩序を建設するためには、戦争はいかに長期にわたろうとも、国民はあらゆる困難に耐えて、この天の試練を突破しなければならない。
宣戦とともに、早くも刻々として捷報を聞く。まことに快心の極みである。御稜威のもと儘忠報国の鐵の信念をもって戦うとき、天佑は常に皇国を守るのである。
いまや皇国の隆替を決するの秋(とき)、一億国民が一切を国家の難に捧ぐべき日は来たのである。
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