保守の源流を訪ねて

いざいざと友に盃すすめつつ泣かまほしかり醉はむぞ今夜

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あと10年もしたら本当に無くなってしまうのかも知れない。
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◆【新せかい百科】アジア発 台湾の日本語世代 第二の母語というゆかり

 「どの国の外相ですかマキコ様」
 「ニッポンにアヤマルという新国技」

 いずれも先月二十六日に八十歳で死去した台湾川柳会名誉主宰、李●璋(り・ていしょう)氏の四年前の句だ。北京にばかり気を使う田中真紀子元外相の政策や、いつまでもアジアへの謝罪を繰り返す日本の外交姿勢。戦前の台湾で日本教育を受けた李氏は、日本がたどったふがいなき戦後への愛憎を、台湾から川柳に託した。字を琢玉(たくぎょく)、号を酔牛という。

 李氏は、終戦の日を境に「日本人」ではなくなった。が、六十年を経たにもかかわらず、日本語の語感は少しも失われていない。むしろ川柳を通じたシニカルな見方こそが、晩年にかけて李氏の日本語を磨き上げたといえる。

 「ウッソーと耳慣れのせぬニッポン語」
 「台湾をも叩き売ってるバナナ売り」

 十年ほど前に李氏を中心に同好の士、数人が集まって発足した台湾川柳会。現在は会員数も四十人ほどに増え、台北市内で月に一度、昼食を囲みながら句会を催す。七十歳を超える年配の台湾人がほとんどだが、世相を見る目は確かだ。李氏から主宰を引き継いだ頼柏絃(らい・はくげん)氏の一句。

 「現今は地震雷火事チャイナ」

 川柳のみならず、俳句や短歌と、台湾では日本文芸愛好の幅が広く、そして奥が深い。「正岡子規国際俳句賞」受賞の「台湾俳句歳時記」(言叢社刊)の著者、黄霊芝(こう・れいし)氏が主宰する「台北俳句会」(会員七十人)。台北と台南で短歌の会を開く「台湾歌壇」(王進益代表、同百人)などが知られる。

 正しい日本語を勉強する「友愛グループ」(陳絢暉(ちん・けんき)会長)もある。会員百十八人。最高齢九十三歳。先月の会合では「右顧左ベン」(周囲をうかがって決断をためらうこと)「運プ天プ」(運を天に任せること)のカタカナ部分を漢字に直せという問題が出た。正解は「右顧左眄」「運否天賦」。いかに台湾が漢字の国とはいえ、高い日本語能力も備えていなければ、回答はできまい。

 今年七十八歳の陳氏が十三年前、日本語の勉強会を始めようと思い立ったのは、ある若い通訳官が「ご高名はかねて存じております」との中国語を、「貴様の名前は前から知っている」と訳してしまい、日本の訪問客を激怒させたとの話を聞いたからだ。通訳官は「貴様」を尊敬語と勘違いしたようだが、陳氏は「このままでは台湾にせっかく残された美しい日本語が失われてしまう」と危機感を抱いたという。

 「ニホン語に第二の母語という縁り」

 冒頭の李氏が病魔に侵されながら今年四月に作ったこの一句が、台湾の日本語世代の気持ちを代弁するようだ。台湾に生まれ、日本人として育ったが、戦後は蒋介石政権に中国人たるよう求められた。文化のゆかりを日本語にもつ人々は戦後六十年、やむを得ず切り離された故郷の台湾から、日本を見守っていた。

 「空(くう)から空へとは知りながらさりながら」

 李氏が八月の句会に投句した。般若心経にある「色即是空」の空(固定的実体のないもの)として生まれ空として死ぬとは分かっていても、しかし心残りだ、と病床でうめいた。台湾の日本語世代の前を、時は無情にも過ぎ去っていく。(台北 河崎真澄)
●=王へんに呈

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「北の屋台」

世界各国どこにもある「屋台」は庶民文化の象徴。「民度」を計る尺度(?)にもなろうか。当地シンガポールにも国が支援・援助しているホッカーセンター、コーヒーショップ(日本流喫茶店ではなく軽食屋)とコンセプト(?)は異なるが様々な屋台があり、中華、マレー、インド風の料理を提供し、さすが人種のメルティングポット、シンガポールの売り物になっている。

公団住宅(HDB)の一階や近くにもコーヒーショップがあり、庶民の食堂となっている。ここで2ドル、3ドルでチキンライス、エビソバなどが食べられるから、彼らは家で料理しない(1ドル=65円)。ベンツで乗り付けて、2.5ドルのホッケンミンを食べている家族などざらである。

日本人旅行客もトゥーリングに組み込まれているのだろう、比較的高値(と言っても4-6ドル)のホッカーセンター(屋台村とでも訳すか)でたむろしているが、多分彼ら大方の反応は「不潔」だろう。当地衛生基準は厳しく不定期な査察でA、B、Cとスコアリングされ、屋台はBかC(Aはまれ)で営業しているが、問題は衛生基準ではなく、彼らの食べ方である。

観察していると、食べたものを平気で戻す・横を向いて吐く、食べがらをテーブルに残す、食器・はしに垢が染みこんでいる、テーブルをきれいにすべき雑巾がもっと汚れている、これらが日常茶飯事なのだから(因みにマクドナルド辺りでも誰も食後片付けない)。

シンガポール人の8割はChinese、よく見ていると、意外(?)にインド系、マレー系の方がきれいに食べていることに気づく。私も昼・夜お世話になっているので生意気なことは言えないが、この辺が変わらないと、シンガポールの「屋台」は国際化できないだろう。その点、日本の屋台の何と清潔なこと。
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◆【産経抄】

 選挙の取材で訪れた北海道の帯広で、面白い通りを見つけた。飲食店街の一角に、二十軒近くの屋台が軒を並べている。ラーメンはもちろん、串揚げ、中華料理、おでんと目移りしたが、チーズの焦げるにおいに誘われて、欧風居酒屋と銘打った店に入った。

 ▼以前は内装関係の仕事をしていたという阿部誠さん(50)が、地元産のチーズ「ラクレット」の塊を電熱器で溶かし、ジャガイモにのせていた。奥さんの郁子さんが調理するタコやつぶ貝も地元の漁港で揚がったもの。「この店に限らず『地産地消』が魅力です」と阿部さんは話す。

 ▼地方都市の多くは中心市街地の空洞化に悩んでいる。帯広市も例外ではない。「自分たちの力でまちづくりを」と集まった地元有志のグループが屋台に目をつけたものの、そこに立ちふさがったのが行政の壁。

 ▼屋台の本場福岡でも、現在の営業者一代限りにしか営業が認められていない。つまり新規参入は認められないのだ。さらに食品衛生法により、生ものや冷たいものは出せないことになっている。結局、駐車場を借り切って、厨房を完備した固定式の店にすることで、規制を乗り越えたという。

 ▼「北の屋台」という名で屋台村が誕生したのは平成十三年。昨年度の来客数は、帯広市の人口を上回る十七万三千人に達し、全国各地に北の屋台をモデルにした屋台村ができつつある。

 ▼まちづくりグループのリーダーだった坂本和昭さんは「屋台は人がすべて。コミュニケーションが存在しなければそれは屋台とは言えない」という(「北の屋台繁盛記」メタ・ブレーン)。そういえば、普段は居酒屋で見知らぬ人に話しかけるのはご法度と心得る筆者も、いつしか隣のグループとワイン談議を始めていた。

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